117 - 弁護士事務所(7)
「……これ、は?」
「汐見さんは、春風家の話をどこまでご存知ですか?」
「え、っと、お義母さん……美津子さんの旦那さんが亡くなったとだけ……」
「紗妃の義父にあたる、春風幸三氏の話ですね。他の春風本家の親族関係や、幸三氏の父親の話などは?」
「いえ、全く知りません」
「そうですか……幸三氏の死因なども?」
「心筋梗塞だった、とだけ」
「なるほど、わかりました」
その後、約半時間に及び、紗妃が春風姓を名乗るに至った経緯、その内情、春風母子が出奔した後の春風家のお家事情などが語られた。
春風家に関してはかなり複雑に入り乱れた話になっていた。
「紗妃は春風の姓を名乗っていましたが、幸三氏と養子縁組がなされていなかったことから直接財産を相続する資格がないのです。ですが、美津子さんが亡くなったため、美津子さんが相続した春風家の財産はそのまま全て、紗妃に相続されました」
汐見はそこでようやく少しだけ胸を撫で下ろした。
(とりあえず、紗妃にいくらかはあるんだな……)
「……紗妃はそのことを?」
「知らないでしょうね。美津子さんが亡くなったのは去年ですが、葬儀の後、1度も帰省していませんから……」
(え!? それって……)
「帰省していないって、なぜわかるんです?」
「私は美津子さんの遺言執行者でもありますので……連絡して帰省確認はしているのです。最近は返信も来てなかったんですけどね」
最後はぼそりと独り言のような口調だった。池宮は改めて、汐見と視線を合わせる。
「紗妃の母……美津子さんは……兄弟もいません。実父が亡くなり、足が悪いのに認知症まで患ってしまった実母の今後をとても危惧していました。実母の特別擁護老人ホームの施設入居やその後の手続きについて最後まで奔走されていたんです」
汐見は、生前、気の強さを体現していた義母・美津子の顔を思い出していた。
「それで、もし、自分が亡くなった後に誰も実母の世話する人がいないのであれば今後の手続きなどをお願いしたいと、私の事務所まで来ました。その時に、私に遺言執行者の指名を。本当は紗妃に依頼する予定だったそうですが……」
「……紗妃は、お義母さんとは不仲でした……」
汐見がポツリとこぼした。
「不仲になった原因などはご存知ですか?」
「いえ……妻は僕には何も話してくれなかったので……」
(まるで黒歴史を隠すかのように……)
「美津子さんは、ご実家の父親の財産を生前に相続しました。また幸三氏死去の際、本来なら幸三氏名義の財産を相続していたんです。ですが……」
考えつつ、言葉をつなぐ池宮に続けるように、汐見が言った。
「幸三氏、死去の際、お義母さんと紗妃は近くにいなかったから、春風家についてはほとんど知らなかった……」
「そういうことです」
そして、池宮が別の書類フォルダーを示した。
「こちらも」
そのフォルダーには『久住家・遺産相続関連』と書かれている。
「美津子さんのご実家である久住家の財産目録を整理した後、法律相談で地元に帰るついでに月1回、紗妃のおばあさまに当たる千代子さんの介護施設に時折顔を出しに行ってました」
「……恥ずかしながら僕は行ったことがなくて……」
(夫婦なのに、妻の祖母の施設にも顔を出さない夫って……)
「そうでしたか。……紗妃とも色々、相談しないといけませんね……」
「……」
「今度、紗妃と地元に帰る際には私にも同行させてください」
一瞬、汐見は耳を疑った。だが、どうやらその発言は池宮の本心から出たものだっただろう。
汐見は戸惑うような声を出した。
「……え、っと、その……」
「あ! ああ……そうか……紗妃は今、精神科に……」
2人で再び沈黙してしまうと、なんとも言えない空気が流れた。
「……話すべきことが多すぎますね……」
「はい……」
「ちょっと休憩にしましょう。待合室におられる佐藤さんもお呼びして……」
「え? もう良いんですか?」
「ええ、汐見さんだけにお伝えしたかったのは春風家と久住家の状況だけでしたから」
「あ、あの……」
「どうしました?」
「紗妃が今、あんな状況で……こんなことを聞くのは不謹慎かもしれないんですが……」
「?」
汐見がしどろもどろになりながら話す。
(いや、質問しにくいだろ……)
「率直に聞いても良いですか?」
「? どうぞ?」
「そ、その、紗妃は今現在、どれだけの遺産を受け継いで、その、もし現金などがあれば、それはどこに……だれが……」
それが今一番の懸念事項だ。
「あ! ああ、そうです! 申し訳ありません。そちらから先にお伝えすべきでしたね」
そう言うと、池宮は『久住家・遺産相続関連』のファイルを捲って、その中から一つの通帳を取り出した。
「美津子さん専用の預かり金口座を開設し、そちらに全額入れております。ご確認ください」
「は、はい……」
汐見がおそるおそるその通帳を開いてみると──
(え?! っちょっと待て……十、百、千、万、十万、百……?!)
通帳に並ぶ0の数を数えて汐見は目を剥いた。
「こ、これって……!?」




