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116 - 弁護士事務所(6)ー 合意書 ー


【合意書】とは──不倫関係解消の【合意書】だ。


(あの本格的な書面は相手方弁護士が作成したんじゃないかと思ってはいたが、紗妃の方から……)


「こんなことを紗妃の旦那さんにお伝えするのは気が引けますが……」


 池宮は一言前置きをして、話し始めた。


「……この【合意書】は4年前、紗妃から突然連絡が来て…………それまで数年、こちらが連絡しても返信が返ってくることすらほとんどなかったんですが……久しぶりに会おう、と言われて行ってみたら突然『不倫してる男の奥さんから訴えられそうだ』と言われたんです」


 池宮が、項垂れているように見えるのは決して気のせいではなかった。

 大きなため息を吐き出して池宮は続けた。


「……紗妃は、相手から動くのを待っていたようです。ですが、事情を聞いた私が『先手を打って示談書を作成して向こうに出そう』と提案しました」


 池宮の癖なのだろう。目頭をしきりに押さえて目を閉じたり開いたりしている。

 汐見と視線は合わないが、合意書の書面を眺めながら話す。


「もし向こうから出された条件に法外な金銭の請求があれば、合意できずに係争に発展する可能性もある。それなら、こちらはこういう対応ならできます、という条件を先に出した方がいい。その後、向こうの弁護士と私とで数回、FAXで書面だけのやりとりを行いました」


 事務所間のやりとりは主にFAXで行われる。大概、弁護士の肩書きが書かれた職印が押印されるため、そういう慣習になっている。


「相手方の奥さんはかなりご立腹のようでした……会社の退職の条件を皮切りに、今後一切縁を切ることと、慰謝料100万円を請求されました。ですが、紗妃自身にそれだけの貯蓄もありませんでしたので交渉して半額の50万を、毎月5万円、10ヶ月支払うことで手を打ってもらいました」


 それを聞いていた汐見は、合意書に慰謝料50万円の記載はあったが、分割支払いの部分まで書かれていなかったことを思い出す。

 紗妃がそんなことをしていたとは知らなかった。どういう思いで10ヶ月もの間、毎月の慰謝料を払っていたのか聞いてみたかった。


(退職後ってことは……うちの会社に来てから支払ってたってことか? ……いつまで? それなのに、またこんなクズ男と不倫したのか? ……それとも、切れずにそのまま続いていたのか?)


 聞けば聞くほど紗妃の行動が理解できない。それでも聞かなければどうにもならないことも知っていた。


「……汐見さんは、何も知らされていなかったのですか?」

「……はい。ほぼ、何も」

「そうですか……」


 哀しげな表情で池宮に見つめられ、だが、汐見はその視線を逸らさなかった。


「夫に話すような内容じゃないことは確かです。ですが、今回は……」

「いえ、知らなくてはいけないと思っています。でないと、紗妃の代わりに彼女がやらなくてはならないことを僕が代行できないので……」

「紗妃の、()()()に?」

「はい」


 覚悟を決めた汐見が改めて池宮と視線を合わせる。


(紗妃がああなってしまった以上、夫であるオレが、紗妃の代わりにこの件に決着をつけないと……)


 黙って汐見を観察している池宮が


「代わり、というと……?」

「まずは慰謝料の件を……どうにか片付けられたら、と思ってます。ただ、こんな大金は無いのでどうにかならないものかと思って、それで池宮先生に……」


 汐見の発言を聞きながらその表情をじっと見ていた。あまりにも突き刺さる視線に、汐見の方がたじろぐ。


「三千万ですよ?」

「はい。すぐには用意できないですし、その、できれば減額とか……紗妃がやったように分割するにしても……こういうのって、金融機関で借り入れできるものなんでしょうか?」


 若干しどろもどろになりながら汐見が言い募っている間、池宮は汐見の表情を穴が開くほどまじまじと見つめていた。


「その……僕にできることはしようと、思っています」


 その発言で、池宮がようやく視線を逸らす。そして手元の書類ホルダーの一つを取り上げて


「汐見さんの覚悟は大変素晴らしいと思います。ですが、彼女がどのような状態であれ、これは紗妃自身が解決すべきことだと私は思います」


 ホルダーを開き、書類をパラパラめくる。


(米山刑事と同じこと言うんだな……)


 自分と関わった、立場と職種と年齢と体型まで全く違う2人から同じことを言われ、汐見は内心驚いていた。


「ですので、4年前の不倫の慰謝料に関しても、私は一切援助しませんでした。彼女は私に泣きつけばどうにかしてくれる、と少しは期待して連絡を寄越したのだと思います。ですが、そういうことを肩代わりするのは、将来的に彼女のためにはならない」

「でも、そんな大金……」

「そうですね、なので、タイミングとしてはかなり良かったのかもしれません」

「え?」

「こちら、ご覧ください」

「?」


 そう言って出されたのは、池宮がめくっていた書類。先ほど背表紙に書かれた題名が見えなかった書類ホルダー。


 その表紙には『春風家・遺産分割調停事件』と書かれたラベルテープが貼られていた。






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君知るや〜 最強のΩと出会ったβの因果律 〜



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