115 - 弁護士事務所(5)
すぐに出てきた言葉に安堵すると同時に、汐見は納得した。
「そうです……やはりご存知なんですね……」
「……」
汐見のその問いには答えず、池宮はじっと汐見を見ているようで焦点はもっと先にあった。
「正式な診断があったんだと思います。一般病棟から療養棟に移されたと今日、聞きました」
「……」
汐見の情報を頭の中で整理しているのか、池宮は微動だにせずメガネの奥の目を閉じていた。
対面で話す二人の間に数十秒の沈黙が流れる。
「あの、紗妃が……そう、だと、池宮先生は知ってたんですか?」
「……知っていた…………それとはちょっと違うと思います」
「?」
「時折、彼女の中に何かがいるのを感じたことはありますが……」
「!」
「……ですが、それが何かまでは……」
おそらくそれは真実だろう。
紗妃の別人格をはっきりと鮮明に認識したのは、汐見とてあの映像が初めてだったのだから。
「……紗妃の話は後日、また改めて詳しく聞かせてください……」
動揺を隠すためなのか、池宮のメガネは室内灯に反射して目元は見えなくなった。
「その前に、慰謝料のお話から先に伺いましょう」
「はい。その前に、これを……」
そう言って、汐見は佐藤から借りた小柄なハンドバッグから一つの封書を取り出してテーブルに置いた。
あの日届いた【内容証明郵便】だ。
「……中を確認してもよろしいですか?」
「ええ、もちろん」
組んでいた手を解いた池宮が、置かれた封筒の送り主を確認し、封筒を開いて中の書面を取り出す。
「通知書と夫婦間契約書と合意書、ですね……」
「はい……」
「……これだけですか?」
「? と、いいますと?」
「いえ、何か、他に連絡などは……」
「それ以外は特に、何も。……相手に……不倫相手の男の方に連絡しようと試みましたが、繋がりませんでした」
「……そうですか……」
池宮は中に入った書類にざっと目を通すと、メガネをずらしてまた目頭を押さえ、汐見を改めて見据えた。
「この内容証明を受け取ったのはいつですか?」
「受け取ったのは先週の木曜日です。でも受け取った場所が問題でした」
「というと?」
「僕の会社宛に……僕と職場結婚した紗妃が1年前に退職した会社宛に、送られてきたんです」
「!!」
池宮は驚きの表情で汐見を見つめると、口元を引き結んだ。
「先生なら、その意味がわかりますよね」
「……夫であるあなたに、知らせようとした……」
「ですよね……」
小さくため息を吐き出しながら池宮は質問を続ける。
「……受け取ったのは会社の人が?」
「そうです。おそらく受付窓口だと思います」
「通常、会社に送られて来たこの手の封書は受け取り拒否するか、上に相談するものでは?」
「受付嬢が、紗妃の知り合いだったので……気を利かせたか、あるいは、僕の妻だと知っている上から許可が出たんじゃないかと」
「なるほど……」
そしてまた2人の間に沈黙が流れた。
ここで、汐見が知っている全てを漏れなく話さななければ相談する意味が半減してしまう。
弁護士に事実を嘘偽りなく詳らかにしなければ、彼ら自身が持つ法知識と照らし合わせて判断のしようがないからだ。
(専門知識を持ってる先生に頼らないと解決できないだろう……それに……)
「あの……池宮先生は……紗妃の……不倫に関して……何かご存知なんですか?」
汐見は引っ掛かっていた。電話口で自分が話す前に【不倫】という一言を告げた池宮の真意を。
深呼吸をした池宮は、持っていた【合意書】の方の書面を汐見にかざし
「……この【合意書】は……」
汐見の表情をうかがう。そして──
「私が原案を出し、相手方弁護士との同意のもと作成されたものです」
「!!」




