第8話
私には家族と呼べるものはいなかった。
叔父様は私を育ててはくれた。だが、そこに愛情は存在しなかった。
父とはどんな存在なのだろう。
母とはどれほど尊い存在なのだろう。
私にはわからない。
知る方法がない。
産まれたばかりの赤子に手をかけ殺そうとした親の事を私は今まで憎んでいた。
殺すなら最初から私なんて作らなければいいのに。
そうすればこんな辛く惨めな気持ちを抱きながら生きなくてもよかったのに。
そう思っていた。
だが、今は少しだけ、ほんの少しだけだが、私を産んでくれた事に感謝しようと思う。
母が産んでくれたから私は今ここにいる。
多くの事を知りたくさんの人に出会い温かみを知った。
それは、とても貴重であり私のこれから生きていく糧となる。
「んーこれは何をどうすればいいかわからない」
「これは小数点をずらして計算すればいいんだよ」
「なるほど、なんとなくわかった。これで合ってる?」
「うん、正解」
「よかった。じゃあ次は?」
あれから光利の家によく行くようになった。
最近は光利の勉強を見ていても退屈な為参考書を読んだり光利の問題集で勉強するようになった。
初めは理解出来ず一問も解く事が出来なかった。光利は懇切丁寧に教えてくれた。
徐々に意味は理解出来解ける問題も増えた。
「あら、二人とも頑張ってるわね」
光利のお母さんがお茶とクッキーを持って来てくれた。
「お邪魔してる」
「今帰ってきたの?」
「そうよ。そしたら楽しそうな声が聞こえて来たから。桜花ちゃん、いらっしゃい」
「うん。ママの足音聞こえて来たから来るってわかった。甘い匂いしたし。これは何?」
数回顔を合わせた際私は彼女をなんと呼んだらいいかわからず悩んでいると『ママって呼んで』と言われた。
娘が出来たらそう呼ばせたかったらしくその夢は叶う事はなかったが私に理想を被せているのだろうと思った。
別に何も思うこともなく呼ぶのに好都合だった為言われた通りに呼ぶようにしている。
「鼻がいいのね。これはクッキーよ。食べたことなかった?」
「ないよ。私基本人間の食べ物は口にしないの」
「そうなの。じゃあ初めて食べるのね。はい、どうぞ」
差し出されたクッキーを私は一つ取り口に入れた。
サクサクしていて、ほんのりバターの風味がして初めて食べる味なのにどこか懐かしくて。
「すごく美味しい!」
「よかった!桜花ちゃん喜ぶと思って多めに持ってきたからいっぱい食べてね」
「ありがとう」
満足そうに笑って彼女は部屋を出て行った。
「母さん、桜花と話すの楽しいみたいなんだ。仲良くしてもらってありがとうね」
「別にいいよ。私もママと話すの楽しいし」
「それならよかった」
彼女に娘はいない。
私は彼女の娘になる事は出来ない。
それは私自身も彼女自身もわかっている。
でも、この心地よい居場所にもう少しだけ。もう少しだけ居座っていてもいいだろうか。
人間とか吸血鬼とかそういう括りを全て払い一人の女の子として彼女の側にいる事を許してはもらえないだろうか。
長い夏が終わりを迎え肌寒い季節がやってきた。
光利はもうすぐ希望の大学に行く為の受験がある為気持ちが落ち着かずなんだかそわそわしている。
私も光利に会う日数を減らした。
今日は3日ぶりに光利に会う。
今まで寂しいとかそんな事思わなかった。
会いたい時にすぐ会えたから。
いつもの野原で私は待っていた。
光利が遠くから駆けてきた。
私は光利に手を振ったが光利は気にせず走って向かってくる。
不信感を覚えた。いつもと様子が違う。
急いで来たのだろう。息を整え何か話そうとしている。
「大丈夫?」
「おう、、、か、、、母さんが!母さんが倒れた!!」
「え?」
「今病院にいるから!桜花もすぐ来て!早く!」
私の手を強く引っ張るので私は追いつかない思考のまま病院へと向かった。
病院に着くと私は光利と共に病室へと急いだ。
アルコールや薬品の匂いが鼻を刺す。
病室に着き開けると青白く横たわる彼女の姿があった。
「母さん?」
光利はゆっくり近づき手を握るが反応はなかった。
「相当無理されていたようです。肺に腫瘍があり他臓器に転移していました。今日が山場かと思います」
「そん、、、な、、、」
医者と見られる人は淡々と説明だけすると病室を出て行った。
「なんで、、、?なんも聞いてないよ、そんなこと、、、。いきなり言われたって、、、。癌だったなんて、、、」
光利は現実を受け入れる事が出来ず悔しそうに拳を振るわせていた。
「、、、ひかり、、、」
「母さん!?」
「黙っていてごめんね。心配かけたくなかったの」
「知っていたら母さんに無理させなかった。もっと身体の事考えれた。勉強なんかしないでもっと母さんに」
「光利。勉強して叶えたい夢あったんでしょ?私はそれを邪魔したくなかった。だからずっと黙ってたの。優しいあなたは知ったら全てを捨てて私の看病すると思ったから」
「そんな事、、、当たり前だろ」
「その優しさだけで充分。大切な守りたい人がいるんだからしっかりしなさい。、、、桜花ちゃん、こっち来て?」
私は弱々しく微笑む彼女の側へ行き差し出された手を握った。
「来てくれてありがとう」
「ママ、本当に死んじゃうの?」
「そうみたいね。もっと光利やあなたの事見ていたかった。ごめんね」
「謝らないでよ」
「あなたは、、、人間なのか凄く疑問に思う事があったわ」
彼女は気づいていた。
私が人間ではない事に。
「私は、、、人間じゃないよ。無力な吸血鬼だよ。永遠に生き続ける癖に生を与えることすら出来ない」
彼女は怖がるだろうか。
彼女は驚きもせず微笑んでいた。
「素敵ね。人間だろうと吸血鬼だろうとあなたはあなた。私の可愛い娘」
「、、、ママ、、、」
彼女の手から力が抜け気づいた。
幾度となく見て来た。
自分で手に掛ける事の方が多かったが肉体から魂が抜ける瞬間。
死の匂い。
私は理解した。
彼女が息を引き取ったのだと。
「母さん?ねぇ、母さん!!」
光利の鳴き声が病室中に響き渡りその声を聞き医者や看護師が忙しなく何かをしていた。
私の手を握ったまま旅立ってしまった彼女。
手の中にはまだ微かに温もりが残っていた。