第4話
桜はやはりすぐ散ってしまった。
鮮やかなピンク色の花を見れるのはまた来年になるだろう。
今は緑の葉達が綺麗に生い茂っている。風に揺られてカサカサと歌っているみたいだ。
これはこれで心地よく気持ちが穏やかになる。
私はあれから幾度となく野原に向かい光利に会った。
光利はいつも本を持ってきて短い時間だが私に本を読んでくれる。
最初はつまらなかった。でも、物語が完成して行くと自分の中の新しい世界が出来て楽しかった。
不思議な感覚だった。
あんなにも毛嫌いしていた人間と今こうして出会い話し共に時間を共有しているのだから。
「ごめんね。結構待たせた?」
「ううん。今来たよ」
「嘘でしょ。桜花嘘つく時下向くの気づいてる?」
「え、そうなの?」
「嘘」
「騙したの!?」
「ごめんごめん。お返しだよ。もう嘘つかないでね」
微笑んで私の頭を撫で私は不満を隠しながら木の下に座った。
それを見て光利も隣へ座る。
「今日はちょっと子供っぽいけど面白いかなと思って絵本持ってきたよ」
「絵本は読んだ事ある。昔よくお兄様が読んでくれた」
「へぇ、桜花にはお兄さんがいるんだね」
「本当の兄じゃないよ。ただの遊び相手だった人」
「仲はいいの?」
「わからない。でも私はお兄様のお母様に嫌われてるから仲良くしたらだめなの」
光利は不思議そうに首を傾げた。
「桜花が仲良くしたいなら仲良くしてもいいと思うよ?いくら母親でもそれを止める権利はないよ」
「だめだよ。私は吸血鬼の中で忌み嫌われてる存在だから。誰とも仲良く出来ないし資格もない」
「またそうやって悲しい事言うんだから」
「ちゃんと私を見てくれる仲良くしたい人が出来たから今はそれでいいよ」
「え?」
「あなたの事」
私は光利を指差した。
「え!ほんと!嬉しい」
頬を赤らめて光利は本当に嬉しそうに笑った。
「そういえばさ」
「ん?」
「桜花は最近は大丈夫?」
「何が?」
「血を吸わなくて」
「あー」
私は結局あれからも吸血はしていない。
不本意だが。指切りとやらをしたから。
私はこれでも約束は守る方だ。
「大丈夫だよ。ちゃんと輸血欠かさずしてるから。元々血が好きなわけでもないし今は落ち着いてるよ」
「そうなんだ!ならよかった!約束守ってくれてるんだね」
何回か会った時に私は輸血の事も事細かく光利には説明していた。
光利は人間の血を吸わなくていいなら輸血を欠かさずしてほしいと言っていたので約束通り輸血をしている。
そのためかあの異常な喉の渇きも落ち着き吸血衝動もなくなった。
「あなたこそ大丈夫なの?」
「え?」
「また傷だらけ。最近更に増えてない?」
「あー、、、えっと、、、ほら!最近部活を始めたから毎日走り込みとか筋トレとか色々してるんだ!だから、多分その時に出来たんだよ」
僕ってドジだからと笑いながら誤魔化す光利に私は納得した素振りを見せた。
「そうなんだ。勉強もして部活もしてあなたも大変だね。なんの部活を始めたの?」
「えーっと、、、バスケ、、、うん、バスケ部に入ったんだ!」
「ふーん、私球技得意なんだ、今度お相手してくれる?」
「えっあっうん!いいよ、いいけど、、、でもほら!まだ始めたばかりだからもうちょい上手くなってからで」
「わかった」
「えーっとじゃあ僕はそろそろ塾の時間だから行くね!またね!」
逃げるように立ち去る光利を私は軽く手を振った。
光利は一瞬驚いたようだが、笑顔で振り返して駆けて行った。
、、、。
ねぇ、気づいてる?
あなた嘘をつく時下唇を無意識に噛む癖があるんだよ。
私はあなたの嘘を初めから見抜いていたよ。
あなたは一体何を隠しているの?
「少し調べてみるか」
私はパチンと指を鳴らし程なくしてコウモリは姿を現した。
「うん。少し調べて見てくれる?」
キキっとコウモリは鳴き飛んで行った。
「さてと、嫌な事がなければいいんだけど」
私は空を見上げてため息をついた。
初めてのことだった。
私はずっと待っていた。
だが、いくら待ってもあの野原に光利は現れなかった。
何かあったのだろうか?と脳裏に浮かんだがその時私は気づいた。
私は光利の事を何も知らない。
家も学校も家族すらも。
何も知らないんだ。
「あれ?まただ」
最近おかしい。
吸血衝動が起こる時は心臓が痛くなり動悸もしていた。だが、それは明確な理由が判明していたから私はいつもの事だと受け流すことが今まで出来ていた。
だが、最近のは明らかに違う。
痛くて苦しくて辛い。
こんな事今まで生きてきた中で一度もなかった。
私は痛む胸を抑えながら野原を後にした。
「ただいま」
「おかえりなさいませ」
屋敷のドアを開けるとそこには凛が立っていた。
私が帰ってきたからと言って誰かが出迎える事などほとんどなかったので不信感を覚えた。
「なんか言いたそうね?何のよう?」
「旦那様が連れてくるようにと」
あー、なるほどね。
叔父様の命令なら逆らえないものね。
「叔父様が何のために呼んでるの?私部屋行きたいんだけど」
「理由は存じませんがお嬢様が一番わかっているのではないでしょうか?」
心当たりはあった。
凛も勘づいている。
だからいくら私が誤魔化そうとも意味はない。
「はぁ。あんたも叔父様も情報網が広すぎ。仕方ない。行くか」
観念した私は叔父様の部屋へ向かった。
後ろを数歩離れて凛が歩く。
別に逃げたりしないのに。
そう思ったが凛は馬鹿が付くほど真面目な性格なので私の言う事など聞かない。
だから、気にしないでほっとくことにした。
「失礼します」
「逃げずに来たな」
部屋に入ると叔父様は私に座るように促した。
私は叔父様の座っている椅子の正面にあるソファーに腰を下ろして座った。
「何のようですか?」
「戯言を話しながら談笑するのも悪くはないが今はそのような気分ではない。単刀直入に言おう。いつからあの人間の小僧と親しいのかな?」
身体が跳ね上がったのがわかった。
恐る恐る叔父様を見ると口角が上がり笑ってはいるが目は全然笑っていない。
明らかに叱責しようとしている事は一目瞭然だった。
「なぜ、知っているんですか?」
「コウモリが最近不審な動きをしていたからな。それに伴い今まで対して出かけようとしなかったお前がやたら出かけるようになったので調べたまでのこと」
「私を監視していたんですか?」
「まだ子供に過ぎない貴様を保護者同然の私が監視して何かおかしいか?」
「私はもう一人で生きて行けます!」
「付け上がるな」
普段聞かない低く鋭い声に私は何も言えなくなった。
「世間も何も知らない小娘が生きて行けると戯言を抜かすな。我が屋敷に居座って居る限りは私の監視化という事を忘れるな」
「、、、ですが、、、」
「人間と親しくなるなど言語道断だ。二度と関わるな。いいな?」
「、、、嫌です、、、」
「何?」
「嫌だと言ったんです」
私は今まで叔父様に逆らった事はない。
絶対的強者の叔父様に逆らえばただでは済まない事ぐらい百も承知だ。
だから、逆らう気も起こらずただ従順に今までは従ってきた。
だが、これまでとは違う。
私も今回は引き下がれない。
「お前のこれまでの我儘は多少の事は許してきた。たが、今回は違う。人間は我々吸血鬼とは相容れない下等な存在だ。食糧に心を惑わされるな」
「全てが全て下等ではないと知りました。叔父様は今まで人間と関わった事などないのに人間の何を知っているんですか?」
「私も舐められたものだ。お前より遥かに長生きしている私が何も知らずにただの想像のみで否定しているように見えるか?」
「え?」
「人間は私を利用し殺そうとした」
叔父様は静かに語り始めた。
「昔は私も吸血鬼より人間の方を好んで選び関わっていた。共に語り共に寄り添い人間は私の世界を広げていた。ある時だ。私は人間の女に恋をした。小柄で清楚な女性だった。私の心は彼女で夢中だった。彼女は私の全てだった」
「叔父様は人間が好きだったのですか?」
「お前の考えを推奨してやるならそうだな。だが、あの女は私の心を弄び挙句刃物を向け殺そうとした」
「なぜ?」
「所詮女の思考などその程度。私が吸血鬼だと知られて恐るどころか目を輝かせ永遠の命を欲した。我が血を飲めば不老不死になれると考えたんだろうな。卑しく浅ましい考えだ。私の血を飲んだところで不老不死など手に入る訳もなく身体は血を拒絶し女の身体は弾け飛んだ。ただ目の前にある肉片をただただ見ることしか出来なかった。身体は不死身でも心は永遠に癒えることはない。私は人間に絶望した。これが私の全てだ」
叔父様の話は衝撃だった。
あの人間嫌いの叔父様が人間に恋をしていた。その叔父様を人間は散々弄び永遠の命が欲しいがために殺そうとした。
そんなのあまりにも叔父様が不憫だ。
「人間など信用するだけ無駄だ。信用出来るのは同種のみだ。お前も私のように傷つく前に目を覚ます事だ」
「、、、彼は、、、違います、、、」
「随分とご執心のようだな。まぁいい。好きにしてみろ。一度痛い目を見なければお前は目を覚まさないだろう」
「お前ではありません」
「ん?」
「桜花です。彼が私に名前をくれました。叔父様でも名前はつけてくれなかった。私の大切な名前。だから私は彼を信じてみたい!」
「、、、桜花、、、」
「誰も私に目もくれなかった。死んだように生きてきた。ずっとずっと蔑まれ生きていくのが辛く苦しかった。彼は私を受け入れてくれた。私を見てくれた。唯一の大切な人なんです!」
「そうか。ならば今後どうなるか実物だな。もういい。下がれ」
「失礼します」
私は部屋を後にした。
「桜花、、、か。良い名だ」
叔父様が不気味に笑っていた事を私は知らない。
「はぁ。はぁ。どうしよう。心臓が変」
私は痛む心臓を抑えながらふらつく足取りで自室に戻ろうとしたが身体が言う事を聞かずその場で意識は途切れた。
夢を見た。
暖かく誰かに抱きしめられている夢。
それが誰なのかはわからないし顔も声も知らない。けれど、凄く暖かい。
誰なのだろう?
「、、、あ、、、れ、、、?」
何か冷たいものが頬に当たり私はゆっくりと重たい瞼を開けた。
最初に目に映ったのは自室の天井。辺りを見渡すとそこには凛がいた。
「お嬢様、大丈夫ですか?お部屋の前で倒れていましたよ」
「、、、あー、、、そっか、、、なんか、、、心臓が痛くなって、、、それで、、、」
私はゆっくりと起きあがろうとした。
「まだ寝ていてください」
凛はゆっくり背中を支えながら私を寝かせ布団を掛け直した。
「もう大丈夫だよ」
「極度の緊張からくるストレスですよ。今日は安静にお休みください」
「、、、ストレス、、、」
「一つよろしいですか?」
「?」
「旦那様とのお話を失礼ながら少々立ち聞きしていました。良い名をいただきましたね」
「え?」
私は驚いた。
無表情で仕事の事しか考えていない凛が今まで見た事がない表情で笑っていたから。
「私はお嬢様とお会いした時のことを鮮明に覚えています。小さな身体で自身の全てを否定し生きる事すら諦めてしまっていました。旦那様も誰もお嬢様を見ていない。独り孤独に耐えていた。私はただ面倒を見ろとだけ命令されました。情が沸かぬよう私は敢えてお嬢様と距離を置きました。お嬢様からしたら辛かったはずなのにまだ小さかったお嬢様は私に凛と名前を下さいました。私は凄く嬉しかった。小さな貴方を抱きしめてしまった。私のたった一度の過ち。貴方は大きく立派になられた。少し捻くれてしまいましたがこのような辛い環境の中貴方は独り逞しく成長してくれました。私は影でしか貴方を支えて来れませんでしたがようやく大切な方が出来たんですね」
「凛、私の事怒らないの?たかが人間にうつつを抜かしてと攻め立てないの?」
「大切な方に吸血鬼や人間という括りは必要ですか?私はお嬢様を幸せにして下さる方なら人間だろうと悪魔だろうとお任せ出来ます。本当によかったですね」
凛は優しく私を抱きしめてくれた。
あー、思い出した。
夢に出てきた温もりは凛だったんだ。
小さい頃からずっと一緒にいてくれた。褒めたり優しくされた記憶はなかったけれど誰もが相手をしなかった私を傍で見守ってくれていた。
「私彼を信じてみたい。こんな気持ち初めてだからよくわからないの。彼の事を考えると心臓が痛くなる。これは何?」
「その方に恋をされたんですね」
「恋?」
「うまく説明は出来ませんがそれが恋と言うものらしいですよ。私も経験がないのでわからないのですが」
「人間に恋をしたなんて」
「先程も言いましたが種族は関係ないですよ。お嬢様がいいと思った方を信じてください」
「凛、、、ありがとう」
「桜花、、、良い名前です。もし許してくださるならば私もこれからはお名前でお呼びしてもよろしいですか?」
「うん、いいよ」
「ありがとうございます。では、私はこれで失礼致します。今日はゆっくりお休み下さい。桜花様」
布団を直して凛は部屋を出て行った。
まだ、暖かい。
今までに感じた事のない暖かみ。
私は温もりを感じながら再び眠りについた。