第3話
夜は好きだ。
静かで醜い私を夜の闇が覆い隠してくれる。
太陽は嫌いだが月の光は私にとっては養分。
神話の狼達が月を見て遠吠えを上げ本能を剥き出しにする姿を私は何故か共感を覚える。
私も月を見ると力が漲ってくる。これが本来の私の姿なのだと思わせる程に。
「いい夜。最高の狩日和」
見慣れた景色。
いつもの私の定位置。
このビルは変わらず私の居場所であってくれる。
やはりここから見える月は格別に美しい。
あれから数週間が過ぎた。私は野原には行かなかった。
ただの気分。
私がたかが人間のガキ相手に気を遣うなどあり得ない。
本当にただ行く気にならなかっただけ。
だけど。
あの桜の木はもう散ってしまっただろうか。
木の寿命は果てしなく長寿なのになぜ花の寿命は短いのだろうか。
「来年また見に行けばいいよね」
木と同様に私も果てしなく長寿の身。
来年でも再来年でもいつでも見に行ける。
結局輸血をしていない私の喉は渇きに渇きもう限界だった。
「さてと、捕食の時間の始まり」
私は立ち上がり夜の闇に消えた。
「うわわわわわ」
逃げ惑う青年を私はジリジリと追い詰める。
「そんな遅い足で逃げてるつもり?」
「こっち来るなよ!来るな!」
青年は私に手当たり次第に落ちている物を投げつけながら必死に逃げるが私には通用しない。
どこへ逃げるの。
だってそっちは、、、。
真っ直ぐ走り、角を曲がり、さらに走り、また曲がり、そっちは、、、ほら、行き止まり。
青年は壁に手をつき絶望の表情でこちらを見ている。
堪らない。
その表情、唆られる。
「逃げるのはおしまい?私はまだ鬼ごっこしても構わないけど?まぁ、簡単に追いつけるから鬼ごっこにもならないけど」
一歩一歩私は確実に青年に近づく。
「お前なんだよ!俺がお前に何をしたんだ?俺はただ酔っ払いのおっさんに絡んだだけじゃねぇか!」
「弱者にしか虚勢を張れない弱虫がほざかないでくれる?あんたみたいな世の中のゴミにしかならないクズ生きてる価値ないから。だから私が殺してあげる」
私は微笑みすぅと姿を消した。
「え?」
青年は驚き当たりを見渡した。
私の青白い手が青年の首を確実に捉える。
「ほら、捕まえた」
「ひぇ!?」
「本当はあんたみたいなクズの血で喉を潤すのは癪だけどまぁいいわ、大人しくしててね?」
私は首筋に舌を這わせ牙を露わにした。
「ひっ!てめぇ、気安く触るんじゃねぇ!!」
ブシュッ!
瞬間。
腹部に違和感を感じ私は腹部を見た。
血が滲みポタポタと滴り落ちる。
私は一瞬よろけその隙を見て青年は私の腕から抜け出した。
青年の手には刃先が赤く染まったナイフが握られていた。
「はぁ。はぁ。はは、ざまあーみろ!俺だってな!切り札はあんだよ!てめぇみたいなガキに舐めらるとか吐き気がするんだよ!大人を舐めるんじゃねぇぞ!!」
、、、。
あー、久しぶりに痛い。
私だって一応痛覚はある。
まぁすぐ感じなくなるんだけど。
赤い血。
よく思う。
妖怪や鬼の血は緑や青が描かれているのに私達吸血鬼の血は人間と同じ赤なんだなと。
この服お気に入りだったのに。
血が滲んで破れてしまって、、、もう着れないじゃない。
「ふふふ」
私は手に着いた血を舐めた。
「切り札、、、ねぇ?この程度で切り札と言えるなんてめでたい頭ね」
「ひぃ!!なん、、、何なんだ!お前!!」
青年の持っていたナイフがカチャンと地面に落ちた音がした。
「私?」
私は落ちたナイフを手に取りパキンとへし折った。
「私はこんなおもちゃで死なない貴方をこれから殺す化け物」
私は刺された腹部を青年に見せた。
シュウウゥと音を立て徐々に傷は塞がっていく。
「気持ち悪いんだよ!!来んなよ!!この化け物!!」
「はぁ。あんたに化け物と言われなくても自覚してるけど、、、あんたみたいなクズに言われるとムカつくね、、、もういいでしょ?もういいからさっさと死んだら?」
次は逃がさないように。
私は腹部に蹴りを入れ青年は蹲り苦しんでいる。
なんて無様なのだろう。
これが人間の在るべき姿。
地に頭を擦りつけ私達吸血鬼の存在に恐れながら絶対的存在を思い知る。
下等な動物風情が私に反抗など許さない。
私は青年の髪を引っ張り片手を封じ押さえ込んだ。
青年は先ほどまでの威勢は無くなり目に涙を浮かべていた。
「な、なあ。許してくれよ?もうしないから。言う事何でも聞くからさ!頼むよ?な?」
「うるさいな。もう話さなくていい。さようなら」
私は青年のうるさい口を塞ぎ首筋に噛みつこうと牙を立てた。
青年は恐怖のあまり気を失った。
その方が好都合。
喚かれると疲れるだけ。
静かに死んでくれたらその後はもうどうでもいい。
「いただきます」
これでまた私は死にたい身体に生気を与えるんだ。
「ねえ」
私の牙は首筋に噛み付く前に止められた。
私の食事を邪魔するのは一体誰?
私は苛立ちながら振り返りその顔を見た。
月明かりが照らし顔が露わになる。
そこにはあいつがいた。
「またあんた?」
少年は何も言わず私の手を掴み引っ張りながら歩き始めた。
青年は尚、起きずその場に倒れている。
「ちょっと!放しなさいよ!どこに連れて行く気?」
「大丈夫。救急車呼んだからあの人はもう助けてくれるよ」
「はぁ?」
「とりあえず行こう」
少年はその後は何も話さず私は掴まれた手を振り解こうとしたが意外に強い力だった為大人しくついて行った。
こいつの背中はこんなにも大きかったのか。
少年の背中は想像より大きく逞しく見えた。
人気のない公園。
少ない遊具と小さな街灯があるだけの小さな公園で少年は立ち止まり掴んでいた手を離した。
「大丈夫?」
「さあね?お節介さんが来たおかげで私は絶好の食事を逃した。空腹で死んだらあんたの事祟ってやるから」
「よかった、とりあえず元気そう」
少年は安堵し微笑んだ。
「一体どういうつもり?」
「見てたから」
ドキッとした。
「へぇ。何を見てたの?男女が人気のない所で楽しい事をするのを見る趣味があったなんて。人は見かけによらないとはまさにこの事。あなた相当な変態ね」
「君の言う楽しい事がどんな事を指しているのかはわからないけど僕はあまり楽しい事には見えなかったよ」
誤魔化しても無駄だと悟った。
「どこから見てたの?」
「んー君があの人の事追いかけていたあたり?」
うん、全てを見ていたわけだ。
ならば、もう隠す必要はない。
「なーんだ、じゃあもうわかっているんでしょ?私が人間じゃないって」
「まぁお腹の傷すぐ治る所見ちゃったしね」
「はぁ。あなた本当にど変態ね。普通人の肌を見るのに躊躇するものでしょ?」
「僕もびっくりしたよ。見てたら刺されるし、助けなきゃ!って飛び出そうとしたらもう治ってるし。もう訳がわからなかったよ」
ははっと笑う少年に私は心底呆れた。
「よかったね。助けに入らなくて。入ってたら確実に殺されてたよ」
「そうだよね。刃物持ってたし。助けた後はどうしようとか全然考えてなかったよ」
こいつ、、、正真正銘の馬鹿だ。
「殺されるのはあの弱虫にじゃない。この私に」
私は被っていたフードを脱ぎ長い前髪を掻き上げ忌まわしき汚れた右目を露わにした。
月明かりが照らし私の右目は漆黒のブルーに光り輝いていた。
「私は人間じゃない。貴方達人間を食らう夜の住民。それが私達吸血鬼。貴方達みたいなひ弱な動物と違って身体は頑丈なの。刺されたぐらいで死んだりしない。傷だってすぐに塞がる。私達は不死身なの。どう?怖い?逃げ出したくなった?」
私は嘲笑うかのように少年に放ち少年は何も言わず立ち尽くしていた。
あぁ、やっぱりそう。
怖いよね。
こんな化け物。
「やっぱりあんたもそう!どうせ怖いんでしょ?こんな化け物!そうだよ!誰も受け入れてくれる筈がない!、、、はぁ。今日はもう疲れたから吸わないで見過ごしてあげる。感謝しなさい。でも次また私の前に姿を表したら次は容赦しない。問答無用で殺すから、覚悟しなさい?わかったら私の前からさっさと消えて!!」
はぁ。私はため息を吐き再びフードを被り少年に背を向け立ち去ろうとした。
だが、今まで黙っていた少年は口を開いた。
「吸血鬼、、、か」
ビクンと肩が弾んだのがわかった。
恐怖からではない。
無意識のうちに身体が震え足がすくんで動けなくなっていた。
私は恐る恐る少年の方を向いた。
すると少年はいつもの笑みを浮かべていた。
、、、。
どうして?
どうしてそんな顔が出来るの?
「僕初めて会った。存在していたんだね。本だけだと思ってた」
少年は私に近づき頬に触れて言った。
「ねぇ。もう一度右目を見せて?いい?」
私は頷き何も発しなかった。
少年は私のフードを脱がせ前髪を流した。
再び露わになる右目。
両目は目の前にいる少年を確かに映していた。
「綺麗な瞳だね」
「え?」
「赤い瞳も綺麗だけど青い瞳も凄く綺麗。サファイアの宝石みたい」
「宝石?」
「君の世界にはそういう石はないの?」
「わからない。本読まないもの」
「そうなんだ。僕も本物を見たわけではないけど本でなら見た事があるよ。君の瞳はその宝石に似ている」
そう言うと少年は手をそっと離した。
「君が吸血鬼でよかった」
「?」
「だって君に死なれたくないもん。生きていてくれてよかった」
「何を、、、言ってるの?、、、私は、、、」
「ん?」
「私は、、、もう、、、死んでしまいたい、、、」
絞り出すように私は呟いた。
「死にたいの。死にたくて死にたくてたまらない。こんな生き地獄もうたくさん。さっさと死んで消えて無くなりたいのに私は不死身だから死ぬ事すら出来ない。このままずっと独りで生きて行くなんて嫌。私はもう解放されたい」
何か温かいものに包まれた。
これはなに?
分かるのに時間は掛からなかった。
少年が優しく私を抱きしめていた。
「何をしているの!?離してよ!」
私は精一杯暴れたが少年は離してはくれなかった。
「僕は君と出会えて嬉しかった。君と話せて楽しかった。君が全てを打ち明けてくれて益々君が愛おしくなった」
少年の腕は更に力がこもった。
「君は化け物じゃない。優しい人だよ。これからは僕が君の生きる理由になる。君を独りにしない。だから死にたいなんて悲しい事言わないで?」
私の目からあの日流れた涙とは違う涙が再び流れ止まれ止まれと思うのに涙は止めどなく流れた。
少年はそれに気づいて微笑みながら離してくれた。
「吸血鬼はみんな泣き虫なのかな?」
「うるさいな」
私は流れていた涙を拭った。
「面白い吸血鬼さんだ。そうだ!」
少年は何かを思い出したように私の手を取った。
「君の名前は?」
「え?」
「名前だよ。まだ聞いてないから教えて?僕は君と仲良くしたいから親しみを込めて名前で呼びたいんだ」
目をキラキラ輝かせて見つめる少年。
私の顔は再び暗くなる。
だって、、、。
私に名前なんかないのだから。
「ない」
「え?」
「産まれてすぐ親は私を捨てた。育ててくれた人がいたからこれまで生きてきたけどその人も私に名前は与えてくれなかった。だから呼ばれる名前はない」
幻滅しただろうか。
それは、そうだ。
本来あるべき筈の名前を持ち合わせていないのだから。
「そうか、なるほど」
少年は少し考え込みそして、また笑顔になった。
「桜花」
「へ?」
不意に出た声はかなり間抜けに聞こえただろう。
「決めたよ。君の名前。桜の花と書いて桜花。君と初めて出会った時桜を見ていたから。あの桜のように君も綺麗だしね。気に入った?」
「、、、桜花、、、」
産まれて初めて名づけてもらった私だけの名前。
今まで忌み嫌われてきた私に名前を授ける者はいなかった。
腫れ物を扱うように。
ずっと独りで生きてきた。
この人間は私の正体を知って尚、怖がらず私に生きる意味を名前をくれた。
今までの人間とは確実に何かが違っていた。
少しだけ。
ほんの少しだけ。
この人を信じてみたい。
そう思った。
「ダメだったかな?」
心配そうに少年は私の顔を覗き込んだ。
「素敵な名前」
「よかった、気に入ってくれて」
私の名前。
私だけの名前。
「ありがとう」
「?」
「私に名前をくれて。あなたは人間だけどそこら辺の人間とは違うみたい」
「光利」
「え?」
「僕の名前。貴方とかあんたはちょっと悲しくなるから。僕も名前で呼んで?」
「やだ」
「えーどうして?」
「恥ずかしいから」
「あれ?綺麗だと思ってたけど可愛い子なんだね」
茶化すように私の頬を突く。
「やめてよ」
「本当に面白い。桜花といると楽しいよ」
「もう。ところでなぜあの場所にいたの?」
私は不思議に思った疑問を聞いてみた。
「あー、塾の帰りだよ」
「塾?」
「勉強する所だよ。僕今年受験生だから。勉強しないと」
「勉強する為に行く所なの?」
「そうだよ。その帰りに桜花を見つけたから追いかけたんだ。偶然だけど会えてよかった。あの人も無事だっただろうし」
「あ、、、」
そういえば人殺そうとしている所を見られていたんだった。
私の気まずい空気を察したのか光利は笑って頭を撫でた。
「もうしたらだめだよ?吸血鬼の世界は死んだりしないみたいだから悲しいとかはないんだろうけど。人が死んだら悲しむ人が必ずいるから。あの人も死んだら誰かが悲しんでいたよ。だからもうだめだよ?」
「死んだら悲しいの?」
「そうだよ」
「そうなんだ。悲しんでくれる人がいるってなんかいいね」
私には私が死んで悲しんでくれる者はいない。
「桜花にもいるよ」
「いないよ」
「僕が悲しい」
「え?」
「桜花が死にたいって言うと胸が締め付けられて凄く悲しい気持ちになる」
「どうして?私は死んだりしないのに」
「身体は不死身でも桜花は死にたいって言う度に辛そうな顔をする。それを見るのが悲しい」
「そう、、、なんだ」
「だからもう言わないでね?約束して?」
差し出された小指を私は不思議そうに見つめる。
「小指出して?」
「こう?」
言われるがまま私は小指を差し出した。
すると光利は小指と小指を絡ませた。
「指切りだよ。人間の世界では何か約束する時こうやって指切りをするんだよ。はい、これで約束したよ」
離された小指を眺めた。
「さてと、そろそろ帰ろうか。桜花も今日は疲れたでしょ?帰ってゆっくりしてたらいいよ。また明日会おう?」
「明日も会うの?」
「明日も明後日も。会いたい時に会おう」
「どこで会うの?」
「んーそうだなぁ、、、。桜花と初めて会った野原がいいかな。あそこなら誰も来ないし。嫌かい?」
少し考えて答えは出た。
「ううん。嫌じゃない」
「じゃあ決まりだね」
ばいばい、光利は手を振って去って行った。
手は振れなかった。
でも、先ほどとは違う。
胸が温かい。
空っぽの世界に光が差し込んだようなそんな温かみ。
私は胸に手を当て何度も少年が名付けてくれた名前を呟いていた。