第1話
「んー」
カーテンを開けられ眩しい光が当てられ私は目を覚ました。
「もー眩しいなー。太陽は嫌いだから夜まで開けないでっていつも言ってるでしょ」
「旦那様の言いつけです。お嬢様を甘やかしてはいけないと。もう旦那様はお仕事をされています。お嬢様も起きて支度して下さい」
私の世話役はころころ変わっていた。みんな私の青い瞳を見て逃げ出した。だが、この女は私の瞳を見ても何も動じず接してくれた。無口で仕事一筋の無表情の堅物。まぁ私にはこれぐらいの奴がお似合いなのだろう。
「どこも出かける所もないしやる事もないのになんの支度をするの?」
「お嬢様、いつも旦那様が言っている事をお忘れですか?名家の娘らしく気品を持ちなさいと。お嬢様はそろそろご自身の立場を理解した方がよろしいかと思われますよ」
「私はただの捨て子。名家の娘でもなんでもない。居候が家なんか継げない。いずれ追い出される身なんだから。あなたも本当は私みたいな不気味な女の相手なんかしたくないんじゃないの?叔父様の命令だから仕方なく小娘の世話してるのが見え見え。いくら給料貰ってるの?あー吸血鬼だからお金はいらないか。だったらどんなに美味しい血を貰ってるの?ねぇ、凛?」
私は小馬鹿にしたように笑いながら尚、澄まし顔の凛に尋ねた。
本当の名前は知らない。初めて出会った時教える名前はないと言われた為私が勝手に凛と名付けそう呼んでいる、ただそれだけ。
「私で遊ぶのはかまいませんがそろそろ悠波様がいらっしゃいます。服はこちらに用意してあります。着替えて支度して下さい。では、私はこれで失礼致します」
頭を下げて凛は背を向け部屋から出て行った。
静かな部屋。憎たらしい太陽が部屋を照らす。
整頓された本棚。綺麗に畳まれた服。真新しい机。
本なんか読まないし机に座った事もない。叔父様は教養を身につけさせる為とどんどんいろんな本を買って来ては置いていくがペラペラと見て然程興味もないので読まない本が積まれていくだけだった。
「はぁ」
私は凛が整えて行った布団に寝転がった。
いい匂いがする。
優しくて温かい匂い。
「またあいつが来るんだ。今度は何しに来るんだろう」
悠波。叔父様の甥。
小さな頃から遊び相手だった。整った顔。綺麗な美声。誰がどう見ても男性とは思えないほど美しい男だ。
それゆえに私は彼が嫌いだ。
こんな不良品の私が彼と話すなど許されない。
そんな私の考えなど露知らず彼は積極的に私に話しかけてくる。
楽しい話。つまらない話。下らない話。どうでもいい話。悲しい話。辛い話。腹を立てる話。
本当にたくさんの話をしてくれる。
私が彼と話し感情を出す事を彼のお母様は許してくれない。
以前楽しく話している姿を見られて思いっきり引っ叩かれたのを覚えている。
『お前みたいな出来損ない姿を見るだけで腹立たしい』
彼のお母様は身分や家柄を凄く重視した考えのお方。
私みたいな親の顔も知らない居候などいる価値がないとでも言いたそうな目をしている。
あの目は私の全てを否定している。
それから私は彼と話すのに距離を置くようになった。
なるべく気に触れないように。
私は静かに平和に過ごしたいだけ。
なのに。それなのに。
私の考えとは裏腹に話しかけてくる彼に私は嫌気が刺している。
憂鬱だ。
「はぁ」
重たい身体を起こし支度をし私は部屋を出た。
長い長い廊下をひたすら歩く。
この屋敷は広すぎる。叔父様はかなりの実業家らしい。詳しくは知らないし興味もないから聞いた事はないけれどこんな大きな屋敷に住んでいるのだからかなりお金持ちなのかなと勝手に推測している。
凛はいつも女の子が着るようなスカートを用意して置いて行くけれど私には似合わない。それに抗うように私はいつも地味で目立たない黒いパーカーにジーパンを履いている。そして、この忌まわしき瞳が隠れるように常に前髪で瞳を隠しパーカーのフードを被っている。
「疲れた、寝たい」
重たい足を動かしながら応接室に着き部屋のドアを開けた。
そこには、悠波と悠波のお母様、叔父様、凛がいた。
「失礼します。遅くなりすみません」
私は軽くお辞儀をし足を進めた。
「やあ。元気だったかい?今日はいい天気だよ。後で散策にでも行かないかい?また異国の話をしてあげよう」
「悠。気安く話してはいけませんよ。汚らわしい」
「母さん、そう言う言い方は失礼だよ。それに僕が誰と話そうと僕の勝手だ」
この方は私をやはり否定する。
別に嫌いなら嫌いで構わない。私だってこんなイケすかないババアどうでもいい。
「悠波お兄様、お久しぶりです。せっかくのお誘いですが今日は体調が優れないのでまたの機会に。すみません。叔母様お元気そうでなによりです」
「ふん、貴方ごときに心配なんかされたくないわ。いつ見ても不気味で気持ちが悪い。貴方の声を聞くだけで吐き気がするし見るだけで目が腐り落ちそう。貴方は一体いつまでこの屋敷に居座る気なのかしらね。早く消えてくれたらいいのに」
叔母様は憎々しげに私を睨みつけて言った。
「そのぐらいにしておけ」
「ですが、お父様」
「私が好きで置いているのだ。お前にとやかく言われる筋合いはない」
「叔父さんも母さんも落ち着いて。彼女が困ってしまうよ。ね?」
微笑みながら悠波お兄様は私の肩に手を置いた。
「別に。私は大丈夫です」
「それで、今日は何しに来たんだ」
「あら、娘が父の顔を見に来てはいけないの?」
「お前にそんな優しさがあったとはな」
「私はいつだって優しいわよ」
どこが?と言ってしまいそうになったが私はその言葉を飲み込んだ。
「叔父さんの事業はどんな感じかと思ってね」
悠波お兄様は私の肩から手を離しまた元の場所に戻った。
「その話しか。はあ。お前はもう下がりなさい。凛、お前もだ」
「はい」
「失礼致します」
凛がドアを開けた為、私は部屋を出た。
「では、私は仕事に戻ります」
そう言うと私に背を向け凛は居なくなった。
「、、、」
わかってた。
知ってた。
あの場所に私の居場所なんか初めからない。
家族なんか私にはいないんだ。
ダン!
怒り任せに壁に拳をぶつけた。
壁はびくともせずただ手がジンジンするだけだった。
吸血鬼の私はこんな痛み直ぐに治る。
でも、どうしてかな。
胸の奥が痛い。
何か針で刺されているような痛み。
「むかつく」
部屋に戻る気にならなかった為私は屋敷の窓を開け近くの木に飛び移った。
「居場所がないならお望み通り出て行ってやるよ」
そのまま木を降りトボトボと歩く。
「どこに行こう」
しばらく考えながら歩く。
しかし、考えたって行く場所なんか浮かぶはずがない。
元から行く宛などないのだから。
「私ってこの先ずっと孤独のまま生きて行くのかな」
なんでこんな惨めな思いをしてまで生きていなければいけないのだろう。
そもそも私は生きているのだろうか。
吸血鬼のこの身体は元々心臓なんか動いていない。肌だって青白い。手だって冷たい。人間の死者と同じだ。
死人のような私が誰にも受け入れて貰えない私がこの世に留まり続ける意味は、、、。
どこにもない。
「笑える」
悲しみを通り越して笑えて来た。
行く場所は決まった。
誰もいない場所。
私のこの汚い身体と心を癒してくれる場所。
私の最後に相応しい場所。
そんな素晴らしい場所で私はこの価値のない人生に終止符を打つんだ。
探し回って探し回って人間の街の外れ。
あの憎たらしい太陽はどこかへ行き夕日が輝いている。
そうか。もう夕方か。
見つからなかったな。
疲れた足取りでふと見上げた瞬間。
人気のない野原。
「あっ」
野原に綺麗に咲いている桜の木。
私の目は釘付けにされた。
「綺麗」
なんて美しいのだろう。こんな辺鄙な場所なのにこんなに堂々と咲き乱れているなんて。
私は桜の木に近づきそっと手で触れてみた。
木の幹から生きていると実感出来る。なんて力強い生命力なのだろう。
美しくそして尚、気高く堂々と。
私にはない。
美しさも力強さも何もない。
私は桜の木から手を離し木の下に寝転んだ。
風がそよそよと気持ちがよくカサカサと桜の木を揺らした。
いい気分。
「私ここで貴方の下で息絶えてもいい?」
桜の木は何も言わないけれど花びらが私の頬にひらひらと散ってきた。
「受け入れてくれるの?、、、貴方だけ。私を受け入れてくれたのは」
私は微笑みながら目を閉じた。
さようなら。
「あの、、、大丈夫?」
はっと私は起き上がり声の方を向いた。
そこには心配そうに見つめる少年が立っていた。
「誰?」
私は警戒しつつ少年から距離を置くように立ち上がった。
「あ、ごめんね。怪我して倒れているのかと思ったんだ。怪我してないようでよかった」
少年は早とちりだったね、と言いながら照れ臭そうに頭を掻いた。
「血の匂いがする」
「あ、これかな?ちょっと擦りむいただけだよ」
「ふーん。貴方間抜けそうだもん」
「よく言われるんだ」
「皮肉を言ったんだけど」
「知ってるよ。君って面白いね。でも、どうして怪我がわかったの?あまり僕には匂いがしないけど?」
「私は生まれつき鼻がいいの。血の匂いは特にすぐわかる」
「そうなんだ。凄いね」
あれ?なにこれ?
私、人間と会話しているの?
人間は私達吸血鬼の食糧でしょ?生きてる価値がない無能な種族。
生きてる価値がない、、、か、、、。
それは私も同じか。
「ねぇ、大丈夫?やっぱり怪我してるの?」
何も言わず立ち尽くしてる私に少年は近づき顔を覗き込んだ。
「来ないで!!」
私は少年を突き飛ばし少年から離れた。
少年は驚きバランスを崩して転んだ。
「いててて」
「あんた、一体なんなの?」
「僕?んー僕はただ通りかかった高校生だよ。よいしょっと」
少年は立ち上がり桜の木を摩りながら言った。
「僕もこの桜大好きなんだ。辛い時や苦しい時いつもこの桜に励まして貰ってるんだ。今日も嫌な事があったから来たんだ。そしたら君に出会えた」
ニコッと少年は私に微笑んだ。
「嫌な事?その傷の事?」
私は恐る恐る聞いてみた。
「いろいろとだよ。でももういいんだ。君みたいな素敵な人に会ったらどうでもよくなっちゃった。ありがとう」
少年は腕に付けている時計を見た。
「じゃあ、僕はそろそろ行くね。また会えるといいな」
またねーと手を振りながら少年は駆けて行ってしまった。
「なんなの?」
なぜ、私は感謝されたの?
なぜ、あんなにも笑顔で話してきたの?
人間なんか。
下らないただの食糧。
そう。
ただの食糧。
食糧に優しくされたって嬉しくない。
でも、なんだろう。
なぜか心が温かい。
私には人間のような熱い血は流れていないのに。
私は鼓動がするはずもない胸に手を当てた。
「何だろう。この胸の違和感」
これは、一体なんなのだろう?
私は不思議に思いながらもうすっかり暗くなってしまった空を見上げた。
これが私と少年の最初の出会いだった。