時には昔の話を
副題:──あるAI達の密談──
異世界人が経営する「亜空間グランデホテル」。創造神に選ばれた"稀人"が開いたその宿は、非常に優秀な従業員に支えられていると言う。
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「"オーナー"はだいぶお疲れのご様子です」
会議の冒頭、こう発言の口火を切ったのはフロントを統括する初老の紳士だった。常日頃ならば柔和な笑みを絶やさぬ接客業の鑑だが、今は表情を僅かに曇らせている。
「周囲にはそうした姿を努めて見せない様にしていますが、私室に一人でいる時に溜息をついたりベッドで寝付けずボンヤリする事が増えているようです」
「ただでさえ"稀人"として突然、此方に転移させられた上に初めてのホテル経営、物理法則や文化の全く異なる世界での生活…」
カッチリとしたスーツ姿の青年が指折りしながら続ける。
「それに加えて、立て続けに大きな案件が舞い込み精神的にも張り詰める事が増えた様ですね」
オーナーの秘書である青年がそう発言すると、他の参加者達からも発言が相次ぐ。
「お食事のメニューや量も少し良くない方に変わりましたね」
そう発言したのは喫茶室の責任者。妙齢の精霊族の美女は困った様に首を傾げる。
「以前は完食していた味の濃い、こってりした料理を食べ切れずに僅かに残す事が増えましたし、オーダーそのものも味付けのあっさりとしたものや消化の良いものを好まれる様です」
その隣で恰幅の良いシェフやコンビニの制服を纏った筋骨隆々の漢も各々同意を示した。宴会や接待の席でも余り食事をせず笑顔を貼り付けたまま相槌を打つ事が多くなったり、本来なら稀人に授けられた「賜物」の恩恵により不要な筈の栄養ドリンクを購入する回数が増えていたりと、ここ数週間のオーナーには疲労が溜まっている兆候がある、と告げた。
会議室やバーラウンジを統括する若きコンシェルジュは、重要な会議の席上で何度もぼんやりして国の重鎮から叱責を受けていると言う報告を映像付きで上げ、フィットネススタジオのインストラクター達からは肺活量や筋肉量が以前よりも減っていると言うデータが供された。
「それでは、オーナーの疲労の原因は精神的なもので間違い無いでしょうか?」
議長役である初老の紳士が確認する様に尋ねると、ホテルの医療従事者達が揃って是と答えた。
「睡眠時に測定したオーナーの脳波及び自律神経の疲労ストレス、血中の抗酸化力等を鑑みるに長期間のストレス環境下における心理的な疲労、それを無意識に抑圧している可能性は高いと思われます」
白衣姿のクリニック院長がグラフ化したデータを空間に映すと、その隣に座っていた和服姿の女性が慎ましやかに挙手をして発言の許可を求めた。
「火龍温泉やエステサロンでの施術でも心身のリラクゼーションとストレスの緩和は可能です。けれど、ストレスの原因自体を取り除かないと根本的な解決には…」
嫋やかな若女将の意見に周囲は頷いた。オーナーの心労の原因にはここ最近の国際紛争──ゲセナ国による拉致事件と国境侵犯──が絡んでいる為、これが解決しない限り様々な重圧も解消しない。
さてどうしたものか、と考えながらフロント統括は最近のオーナーの変化について更なる情報を募った。
「あの、私も気掛かりな事が有ります」
ハキハキとした物言いでそう切り出したのは、洒落た制服に身を包んだミディアムヘアの女性。
「実は先日、当旅行代理店への通路にオーナーの居た世界の星空を映せないかと尋ねられました」
ホテル内の旅行代理店に向かう自走通路には、エルーシア各地で見られる星空が投影されており「まるで星空を歩く様だ」と利用客に人気のスポットになっている。
過去や未来の夜空も投影可能と聞いたオーナーが先日、地球の星空をリクエストしたが再現出来るのはエルーシア世界のみと聞いて分かりやすく落胆していたと、女性は心配そうに顔を曇らせた。
「所謂、ホームシックですか」
想定外の領域の話だけにフロント統括は顎に手を当てて考え込んだ。
オーナーの振るう「権能」──亜空間に構築されたホテル──の一部である彼等"AIスタッフ"にとって、"郷愁"とは想像と理解の及ばない心の機微だった。
増してやオーナーの持つ其れは異世界に拠り所を持つもの。その心の奥底に秘められた望郷の念を正確に理解する事は創造神の神意を解する程に難しい。
「…先ずはオーナーの故郷の情報収集からですね。では各自、宜しくお願いします」
初老の紳士が散会を告げると、タブレット端末に映る会議室はフッと姿を消した。
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エルーシア世界に偏在する霊力の源・魔素。その"圧力調整弁"として片道切符で召喚された「トシヤ」にとって、此処数ヶ月はまさに激動の日々だった。
若くして身寄りを次々亡くし、漸く学生生活が軌道に乗って来た時に突然の異世界転移とホテル経営。これが普通の人間だったら理解が追い付かず、只々混乱しただけだったろう。
エルーシアの創造神が見込んだ精神力と切り替えの早さは伊達ではなく、トシヤは驚く程あっさり現地に溶け込むと与えられたギフトを柔軟に駆使しエルセラが抱える問題を鮮やかな手法で解決して行った。
国賊が引き起こしたスタンピードへの迅速な対応や壊された街の復興支援、国王の暗殺阻止、王妃を苦しめた治療困難な病の完治、伝承に謳われた火龍との契約等、彼は瞬く間に数々の問題を解決した若き英雄として王家や冒険者・商業ギルド等から深い信任を受けるに至った。
そして現在、ホテルの総合管理職にしてエルセラ王家の懐刀シュバルツ・ボードンにより対ゲセナ包囲網作戦の中核に据えられ、トシヤはこれまでとは比較にならない程多忙を極める日々を送っていた。
創造神の祝福を受けたと言っても、トシヤも人間、それも民間人である。国王夫妻や有力貴族との打ち合わせ、ホテルに繋がる出張扉の設置や同盟国の元首の接待と言った「外交」、紛争に伴う難民や救出された奴隷の避難キャンプの設営等、ホテルの分身とも言うべきAIスタッフ達や国内外にその名を轟かすボードン一族、トップレベルの冒険パーティの助力もあって何とかやりこなしてはいるものの「亜空間ホテル・オーナー」の双肩に掛かる重圧と疲労は、本人も気付かない内に少しずつトシヤの心身を侵食して行った。
冒険者達の呑み会でポツリと語った子供時代の思い出話、新たな庭園の設置に回遊式の日本庭園を選んだ事、そして初対面の筈のフィフス辺境伯に亡き祖父の面影を見出したのは、無意識の内に心の拠り所を求めての事だったのかも知れない──その結論に至ったAIスタッフ達は、オーナーの心が一番休まる"思い出"の場所を、ホテル内に可能な限り再現する事にした。
トシヤが就寝中に脳波や呼吸、血圧、心拍数等を繰り返し計測し、心の奥底に押し込まれていた記憶を情報として抽出したり、彼が好んで手にする雑誌や書籍、よく注文する飲食物等を通して、かつて祖父母と暮らしていた居間のデザインやインテリア、縁側から見える庭や窓の外の景色…彼が地球と言う別世界に置いて来た"19年間"を何度も試行錯誤しながら亜空間内で再現して行く。
やや色の醒めた襖、「あの日」のままのカレンダー、茶卓に置かれた急須や湯呑み、祖父母の遺影が飾られた壁、位牌が安置された仏壇、古びたサンダルの置かれた濡れ縁…。
ホテルの運営業務をこなしながらオーナーに気付かれない様に並行して作業を進めるのは、高度な知性を持つAIスタッフ達にとっても演算能力にそれなりの負荷が掛かるものだった。
途中で油断も隙も無い「氷の宰相」に勘づかれたりもしたが、オーナーの秘書を務める青年が逆に彼を上手く誘導し「サプライズ」計画の一員として引き込む事に成功した。
ひょっとしたらシュバルツ卿にも、お人好しな異世界人に付け込む形でトシヤを国政に利用している事に後ろめたい気持ちがあったのかも知れない。若干…いや、ほんの僅かかも知れないが。
そして、やや突貫工事にはなったものの「オーナーの思い出の場所」が完成したのは、ゲセナ国への急襲と奴隷救出作戦決行が数日後に迫った時だった。
深夜までの打ち合わせや新たな施設の増築等を終え、ヘロヘロになって戻って来たトシヤは支配人室の壁に新たな扉が出来ている事に気付いた。自分でも気付かない内に何かやらかしたっけ?と首を捻りながら、何故か見覚えのあるドアを開け──。
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異世界人が経営する「亜空間グランデホテル」。優秀なAIスタッフ達は、今日もまた最高のパフォーマンスで若きオーナーの心身を支えている。
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参考資料
・97%の精度で成功!「頭の中で考えていること」をAIが読み取る最新技術とそのリスク(紺野大地 池谷裕二)
https://gendai.media/articles/-/90771?page=3