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水流添高校水泳部の濫觴(夏)  作者: 一ノ瀬 水々
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緒墓の正体


 地下鉄を乗り継いで京都駅までやってきた。俺自身は水流添高校に入学する4月に、地元の駅から8時間ほどバスと電車を乗り継いでこの京都駅に来ているのだが、その時は高校への希望とかワクワクとかで頭がいっぱいだったため駅なんて視界にも入っていなかった気がする。


 改めてじっくりと駅構内を見回すと、なるほど緒墓の言うことも一理あるなと思わされる。地上1階の正面出口を抜けると目の前には京都タワーがでかでかとお出迎えしてくれて、京都に来たという高揚感を高めてくれる。駅ビル自体も上がガラス張りの屋根で覆われた吹き抜けの構造をしていて、何とも現代アートの様相を呈している。


「確かに見ごたえあるな、京都駅」


「こんなものじゃないのよ。着いてきて」


 緒墓に案内されるままにエスカレーターを上っていくと、頂上には空中庭園が設えてあり、壁がこれまたガラス張りで京都市内を遠くまでぐるりと一望できるほど景色が良い。


「あれが我が水流添高校よ」とガラスにおでこをくっつけながら指を差す緒墓。


「こっからでもハッキリ見えるな。やっぱデカい」


「あら、校舎から誰かが手を振っているわ」


「マジ!?って絶対ウソだろ。手前のビルの中も見えねーよ」


「造作もないこと。私の視力は京都タワーと同じ131mよ」


「俺の知らない間に視力検査革命でも起きたか?」


「知らないのね、目が良すぎると単位が繰り上がるのよ。億、の次の単位が兆、に繰り上がるように」


「日本医師会のHP確認してみるわ」と言いながら携帯のブラウザを立ち上げて調べようとすると、すかさず緒墓が横から余計な文字をタップしてきて上手く入力できない。


「知らない方が幸せなことってあるものよ」


「そーですか」


 やり取りの間、緒墓の手が少しだけ俺の手と触れ合う瞬間があった。緒墓は無邪気に俺の携帯の画面を連打しているし何の意識もしていないだろうが、思春期ド真ん中ボーイな俺は手が触れる度に、その色白でほっそりと長い指に釘付けになった。


 おかしなもので、今となっては緒墓の代名詞、無表情ですら可愛く思えてくる。そもそもの容姿自体は抜群に整っているのだから、こうなると俺の心に芽生えてくるのはこのデートのミッションと同じことだった。


―――緒墓の笑った顔を見てみたい。その笑顔は俺が笑わせたものでありたい。


「お前の視力が本当に兆クラスなのかテストさせてもらうぞ!」


「兆?さっきのは例えであって、私は恒河沙、阿僧祇、那由多クラスよ」


「お前はほんとにあー言えばこー言うやつだな。では第一問!」


 俺は自然な感じで緒墓との距離を縮めようと、真横に立ち片手を腰に、もう片方の手を窓ガラスにつけて1人壁ドンのようなポーズを取り、ちょっとカッコつけた体勢をとろうとした。すると、手がガラスをすり抜けた。


「え?」


 ぐらつく視界。世界が斜めに倒れていく。


 カッコつけたポーズは重心のほぼすべてを片腕に依存していたため、その手が窓ガラスに触れず支えを失ったらどうなるか。もちろん俺の全身は激しく窓ガラスに叩きつけられる。こともなく、手首、肘、肩と順を追って俺の体はガラスを通り抜けていった。


 緒墓が見たことのない驚愕の表情へと変わっていく。表情といっても目と口が大きく開いただけのことだが。


 ついに頭が窓ガラスを通り抜ける瞬間、緒墓の顔がガラス越しへと変わっていった。「亜介っ!!」と小さく叫び緒墓がまだすり抜けていない俺の腕を掴む。しかしその掴んだ腕の部分が窓ガラスをすり抜ける時、緒墓の手はすり抜けずガンっと音を立ててぶつかる。スローモーションに風景が見えていたが、恐らく5秒程度で俺はガラス張りの外へ完全に放り出された。


 このままでは地上数十メートルの高さからコンクリートの地面に落ちてしまう。必死で手を伸ばし、何かを掴もうともがくと、たまたま細い排水管に指が引っ掛かり、右手だけだが掴むことができ落下を免れた。だが俺は元サッカー部なので、残念ながら上半身の筋肉はそれほど発達していないので自力で体を引き上げられない。そして致命的なことに、窓ガラスをすり抜けた時に負傷したのか、左腕は感覚がなくピクリとも動かない。


 足元を見ると、遥か下には人が米粒のようなサイズで見える。この高さなら今この手を離せば確実に死んでしまうだろう。ついこの前もこんな風に高いところから落ちてなかったか?これが俺の運命だとしたらあんまりに酷過ぎる。落下した俺の体はコンクリートの地面に激突し、見るも無残な残骸となるだろう。


 せっかく暗闇の中から抜け出せたと思ったのに。俺には幸せになる権利がなかったのか。


「亜介くん」


 頭上を見上げると、ガラス越しの緒墓が笑っていた。


 俺が見たかった表情がそこにあった。美人の緒墓が笑うと、まるで見事に咲き誇る花畑を見ているような感覚になった。とても美しく、そして儚げな笑みが俺を見下ろしている。


「亜介くん、今助けるから」


 ガラス越しにそうハッキリ聞こえた。緒墓が少ししゃがんだかと思うと、その場でジャンプする。


「なにしてん・・・えええええ???」


 ジャンプした緒墓が地面に着地することはなく、そのまま空中に飛び立つようにして目の前の窓ガラスのある壁を容易に飛び越えた。壁はどう見積もっても3メートルはあり、常人の跳躍力でどうこうなるものではない。


「どうなって・・・でぇえええええええ!!??」


 壁を飛び越えた緒墓が、俺の真上で空中に浮いていた。そしてその見た目がさっきまでとまるで違っている。急に緒墓が太った。お腹とか二の腕とか局所的な太り方ではなく、全体的に丸みを帯びて、球体に近い体形になっている。その姿はもはや風船のようだった。


 どういう仕組みか緒墓風船バルーンは器用にふわふわと俺のところまでゆっくり下りてきて、「私に捕まって!」と普段より少し高い声で俺に呼びかけてきた。


「お前!何なんだよォ!」


「だから!由緒正しいの緒、にマンモスの墓場、の」


「それはもういいよ!違くて、今のお前さぁ、うーん、とにかく、助けてくれ!左手が動かないから右手は離せないんだっ!だから捕まれない!」


「じゃあ!」と叫んだ緒墓風船バルーンがまたふわふわ移動し、俺の真下にやってきた。微妙に方向転換を加えて横向きなり、俺にお腹の部分を向ける格好になった。そして「そこから私に飛び込んできて!」と無茶苦茶なことを言う。


「お前!俺の体重受け止めきれんのか!?」


「分かんない!人乗せたことないの!」


「あー、下見ちゃった!無理!手離すの無理!」


「危ない!!」


 うだうだ情けないことを言っているうちに、手汗が俺の手のひらをじっとりさせ、つるんっと右手が排水管から離れてしまった。


「うわあああああああ!あぼっ!」


 下で待ち構えていた緒墓風船バルーンにボフンッと直撃した俺の体は、そのまま緒墓の体の中に沈み込んだ。


 本当に風船のような体の構造になっているようだが、その感触を一言で言い表すならば、めっちゃ気持ちいい、だ。


 ゴムのような肌触りではなく、人間の肉体がふんわりと膨らんでいるのだと直感で分かるほどに柔らかで繊細さだった。若い女性の肉体にこれほどまで密着したことが人生でないため判断しかねるが、これが女性のもつ柔らかさなのか。それとも緒墓が膨らんだからこの肌触りが生まれたのだろうか。そして今俺が頭を包まれているこの箇所は、もしかして緒墓の胸なのではないだろうか。それで特別ここは柔らかいのか?全神経を頭部に集中させ、この今の感覚を肌で記憶しようと決めた。


 俺を包み込んだ緒墓風船バルーンは、一瞬こそ下に向かってグンと動いたものの次第に浮力を取り戻し、安定感のある飛行へと舵を切った。横目で確認すると、もうさっきの壁よりも高いところまで来ている。


「じゃあさっきのとこに着地するから、機内のお客様はシートベルトを着用ください。ポーン」


「安全着陸で頼むぜ、パイロットさんよ」


「了解よ、ハイジャック犯さん」


 2人とも助かることを確信して軽口をいうぐらいに安心していたが、それは甘かった。上空およそ100mは気流が激しく乱れ、加えてビル風が俺たちをさらなる高みへと突き上げた。


 緒墓風船バルーンが風に煽られて上下左右でたらめな方向に揺さぶられる。中の俺は振り落とされまいと必死で、つい緒墓風船バルーンをギュッと掴んだ。


「ああっ・・・」


「え?」


 一瞬、緒墓が変な声を出すから、反射的に手を離した瞬間、ここまでで一番強い風が緒墓風船バルーンの横っ面に吹き荒れた。俺は空中に投げ出され、またあの気持ち悪い落下の感覚を下っ腹に覚える。今度こそ、終わった。


 観念して目を閉じようとしたその時、周囲の視界が歪んで、空間が裂けた。その裂けた隙間から知った顔がニヤニヤと俺を見ていた。


「間に合ったー!遅くなってすまない!ちょっとトラブルに巻き込まれててね」


 特進科の担任、上矢かみや嗣朗しろうが俺と緒墓風船バルーンの手を掴み、そのまま空間の裂け目に引っ張りこんだ。2人が完全に見えなくなるとすぐに、裂け目は閉じて、そこにはいつもと同じ景色が続いていた。


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