名も無き吟遊詩人が語る勇者譚
「――それは、とても激しい戦いでした。魔王の魔力は凄まじく、圧倒的な暴力の前に勇者達も全滅の危機に瀕したのです。しかし、我等が勇者ユーディットは決して諦めません。長く続く戦いの中で死の淵に立たされながらも魔王の癖を分析し、ついに彼の弱点を発見しました」
王都プリべラムの一角にある広場にて。吟遊詩人は、まるで見てきたかのように勇者達と魔王との戦いを語る。まず彼女達の活躍を称える詩を吟じた後、詳細な状況を語るのだ。彼の語り口は不思議な臨場感にあふれ、人々は勇者達の冒険を追体験しているかのような感覚に酔いしれた。
「ゆうしゃさまは、まおうをたおして、どこにいったの?」
一人の子供が彼に尋ねた。魔王を倒した勇者の事は世界中の誰もが知っている。だが、魔王討伐後に彼女達の姿を見た者は一人もいなかったのである。
「実はね、私達が住むこの世界の他にも別の世界があって、そこでも別の魔王が人々を苦しめている事が分かったんだ。彼女達は神のお力でその世界へ向かったんだよ。向こうの魔王を倒したら帰ってくるかも知れないね」
「えーっ、おれいがいいたかったのに!」
吟遊詩人は微笑み、その子の頭を撫でるのだった。
その日の夜。
彼は人気のない森の中にいた。目の前には一本の若い木が生えている。
無言でその木を見つめ、佇む吟遊詩人。しばらくそうした後、彼は詩を詠んだ。
――――――
ついに魔王は敗れ去る。
世界を覆う邪悪な気は雲散霧消し、人々は平和の訪れを悟って大喜び。
町には笑顔があふれ、いずこも活気に満ち満ちた。
魔王を倒した勇者の帰還を今か今かと待つ人々。
しかしいつまで経っても勇者達は帰って来ない。
どうした事かといぶかしむ者達の前に、名も無き吟遊詩人が現れる。
まるで自分が体験したかのように語る彼の勇者譚は、勇者の身を案じる人々を安心させた。
吟遊詩人が語るには、勇者達は新たな世界に向けて旅立った。
さすがは勇者と安堵するも、みな礼を言えずに不満顔。
風よどうか伝えておくれ、私達の感謝の言葉を。
あなた達のおかげで、今日も平和に暮らしています。
いつの日か戻って来たら、盛大にお祝いしましょうね。
例え時の流れが違っても、子々孫々に語り継ぎ勇者の帰還をお待ちしています。
――――――
「誤魔化しても、察しのいい人には気付かれているようですね。もう帰って来る事はないと」
誰にともなく言う彼の耳に、微かな声が届く。
――ありがとう、本物の勇者様。
男の頬を、一筋の涙が伝い落ちた。
名も無き吟遊詩人が語る勇者譚 ~完~