難病にかかった幼馴染との約束
春。
それは出会いの季節だ。
そして別れの季節でもある。
この季節になると、あの約束を思い出す。
それは小学生の頃にした約束。
僕と彼女が初めて交わした約束。
始まりは僕が9歳の頃のことだった。
僕が9歳の時。
ある日、僕は急にお腹が痛くなった。
最初はただ食べすぎだと思っていた母さんも、僕の痛みが相当のものだとわかるとお父さんがすぐに車に乗せて病院へと連れて行った。
「虫垂炎ですね」
検査の結果は虫垂炎。
いわゆる盲腸という病気。
重い病気じゃない。
というかわりと簡単に治るものらしい。
数時間で終わる手術のあと、2~3日ほど入院することになった。
「暇だなー」
初めての入院。
初めての手術。
僕は最初はそれに興奮していたが、そんなものはすぐに飽きた。
学校に行かずに済む喜びはあったけれども、友達と遊べないからマイナスの方が大きい。
しょうがないから持ってきてもらったゲームをする。
「やーめた」
そして僕は1時間もしないうちに飽きた。
元来飽き性だったというのもあるが、一人ですることが一番の原因だった。
どちらかというと外で友達と遊ぶことの方が多い方だから、一人で部屋にこもってゲームをやるのは味気ない。
ゲームをやる時も、大体は友達の家に行って一緒にプレイすることが多かった。
「そうだ。探検しよう」
部屋を抜け出して僕は病院内を歩き回ることにした。
最初は自分のいたフロアを探索。
次に他の階のフロアを探索。
探索と言っても、別に歩いて見て回るだけなのだが。
そうやって歩いて回っていると。
「あ」
ソファに座っている女の子に出会った。
僕と同じくらいの年齢の子供。
ソファに腰かけて暇そうに外を見つめる小学生くらいの女の子がそこにいた。
僕が思わず声を上げると、彼女はこっちを見て目が合った。
「おはよう」
「……おはよう」
お互いにぎこちなく挨拶をする。
普通であったならば話はそれで終わり。
挨拶をした後に通り過ぎるはずだったのだが。
「ねえ。僕いま暇なんだ」
僕は彼女に話しかけることにした。
理由は暇で、遊び相手が欲しかったからだった。
「一緒に遊ばない?」
「うん!」
そう僕に言われた彼女は心の底から嬉しそうに笑って返事をした。
遊ぶとはいっても、外で運動することはできない。
僕は手術の後だから運動することはしないように言われているし、女の子の方も激しい運動はしてはいけないらしい。
ドロケイとかドッチボールはできそうにもなかった。
というかそもそも、ドロケイもドッチボールも二人じゃできなかった。
しょうがないから外に出るのは諦める。
ちょうど二人とも同じゲームを持っているとわかったから、二人でゲームをして遊ぶことにした。
病院のソファでゲームを持ってきて二人でゲームをする。
一人でやっていた時はすぐに飽きたゲームも、二人で話しながらやると全く飽きることはなかった。
「上手だね」
僕が女の子にそう言うと。
「こればっかりやってるから」
女の子は照れくさそうにしながらそう答えた。
その日、僕たちは一日中一緒に遊んだ。
普段は夕方になれば家に帰るのだが、病院ではそうでもない。
二人とも入院しているため、時間はめいっぱいあった。
消灯時間になるまで一緒に遊ぶ。
「そういえば、君の名前なんていうの?」
消灯時間になる前に僕は尋ねた。
「僕は夏樹晶っていうんだ」
「私は春野優奈」
お互いに名前を知ったのはこれが初めてだった。
そうか。春野さんというのか。
「明日も遊ぼうよ」
「うん」
そう言って僕たちは別れた。
翌日の朝には待ち合わせをしていた。
そしてその日も一日中ゲームをして遊ぶ。
昨日とは違うゲームだったが、それはそれで楽しかった。
そして春野さんはそのゲームも上手だった。
何日かそうやって遊んだ後、僕が退院する日になった。
「そうなんだ」
そのことを告げると、春野さんは寂しそうな顔になった。
それを見て僕は一つの疑問がわいた。
「春野さんはいつ退院するの?」
「わからない。ずっと入院してるから」
「ずっと?」
「うん。小さい時からずっとここにいるの」
「学校は?」
「行ってない。一回も行ったことない」
春野さんは学校に行かずに病院にいるらしい。
勉強は病院の中で教科書の問題を解くことで行っていた。
それに週に二回ほど入院している子供のための先生が来るらしい。
それでも学校に通うよりもずっと時間はある。
暇な時間はゲームをして過ごしていたらしい。
だからゲームが上手だったのかと僕は納得した。
「病気なの?」
「うん。重い病気なんだって」
「いつ治るの?」
「……治らないんだって。生まれつきの病気だからって先生は言ってた」
「そうなんだ」
先生が治らないと言っていた。
それがどういう意味をもっていたのか、よくわからなかった。
だから――
「じゃあ僕が治すよ」
他の人が治せないなら、僕が治せばいい。
治す方法がわからないなら、僕がそれをみつければいいのだ。
「僕が大きくなって、お医者さんになって、春野さんのことを治してあげる」
「でも、治らないって」
「僕が治す方法を見つけるよ。それならいいでしょ?」
それを聞くと春野さんは目を大きく見開く。
「ほんとに? ほんとに治してくれるの?」
「うん。任せて。約束だよ」
小指を出して指切りをする。
「ゆーびきりげんまん。嘘ついたら針千本のーます。指切った」
そして指切りをしたあと。
「あきら君」
顔を見てみると、春野さんの目に涙がたまっていた。
そして涙を流して、静かに泣いていた。
「……ありがとう」
涙を流しながら笑って、春野さんは僕にお礼を言っていた。
「あり、ありがとう。ほんとに、ほんとに。ありがとう……!」
上手くろれつが回っていなかったけれど。
何度も何度もお礼を言って笑っていた。
僕は退院した後もその病院に通っていた。
理由は春野さんのお見舞いである。
行く頻度は週に1回か2回ほど。
学校がある平日は学校の友達と遊んでいたが、土日は病院で彼女と遊んでいた。
僕が会いに行くと彼女はいつも嬉しそうに笑ってくれる。
お見舞いですることはゲームか会話のどっちかだ。
会話の内容は主に僕の学校での話だった。
「あきら君の学校の話が聞きたい」
その注文にこたえて、僕は学校でのことを話す。
友達のこと。
授業のこと。
最近学校で起きたこと。
先生のグチ。
美味しかった給食。
そういう僕にとっては普通のことをとても面白がってきいてくれた。
週に何回かお見舞いに行く。
その日々は何年も続いた。
そして僕は小学校を卒業して中学生となった。
「制服似合ってるよ」
学校終わりに学ランを着てお見舞いに来た僕を見て、笑いながら春野さんは言う。
「からかってんの? からかってるでしょ」
中学生になった僕は今でも彼女のお見舞いをしていた。
成長するにつれてその頻度は下がるどころかむしろ増していった。
今では毎日来ているほどだ。
「いいなあそれ。私も来てみたいなあ」
「学ランを?」
「そっちじゃなーい! セーラー服の方だよ!」
「おばさんに頼めば買ってきてくれるでしょ」
「えー。でも一回着てみたいだけだからなー。それだけのために買わせるのも悪いし」
「そう? おばさん喜んで買うと思うけどね」
僕と春野さんは家族ぐるみの付き合いとなっていた。
まあ、なにも不思議な話ではない。
小さい頃から入院して友人のいない娘のところに毎日お見舞いに来る男のことを気づかないほど鈍感な親はいない。
それを喜ばないほど鈍感な親もいない。
初めて会った時は泣いて喜ばれたほどだ。
「ねえ」
中学生になって何か月かした時。
春野さんが雑誌を読みながら言った。
「晶はさ。女の子と付き合ったことある?」
なんで急にそんなことを尋ね出したんだろう。
雑誌に何か書いてあったのだろうか。
彼氏彼女のこととか。
「ないよ。あったらお前にもわかるだろ」
毎日通っているんだから。
そんな素振りを見せたら確実にわかるはずだ。
「ふーん。そうなんだ。青春してませんなあ」
「いーのいーの。別に。俺は硬派な男だから」
「そんなこと言って。ほんとは彼女できないだけじゃないの?」
「は、はあ? なな何を根拠に言っていらっしゃるのでしょうか?」
「上手く喋れてないじゃん。図星か」
ふふふ、と春野さんは笑った。
「じゃあ私と付き合おっか」
「……え?」
何を言われたのかわからなくて一瞬呆ける。
「私もさ。彼氏いないから」
だからね――、と続ける。
「付き合おっか。ちょうど私、晶のこと好きなわけだし」
そして僕たちは付き合うことになった。
僕は春野さんではなく優奈と呼ぶようになった。
初めて恋人ができた。
そして、初めてキスをした。
付き合ってから3年が過ぎた。
僕は高校1年生となった。
相も変わらず僕は毎日優奈の元へと通っている。
「また来たの? もう、プライベートな時間がないんだけど」
照れながらも嬉しそうにして、優奈は言う。
「私のこと好きすぎじゃない?」
「うん。大好きだからね」
「……すぐそういうこと言う。からかい甲斐がないなぁ」
「僕をからかおうなんて十年早い」
「じゃあ十年後にはからかってあげる」
毎日こんな風に他愛ない話をしていた。
学校が終わってから面会終わりの時間まで彼女の病室に来て話す。
僕はこの時間が人生で一番好きだった。
「ねえ晶」
話の中で優奈が言う。
「部活とか入らないの?」
「んー。興味あるものがないからね」
「お試しとかで一回なにか入ってみたら? 入ったら興味出てくるかもしれないし」
「いやいいよ、そういうのは」
「高校生活は一度しかないんだよ。だったら部活とか入って楽しく過ごした方がいいよ」
「僕は一番楽しいことをしているからいいよ」
「……そんな風に気を使わなくていいよ」
悲し気に目を伏せながら優奈はぼそりと呟いた。
嘘をついたつもりはないし、別に気を使っているつもりはない。
本心だったのだけれど。
「晶ってさ。将来の夢とかあるの?」
「あるよ。医者になること」
「……まだそんなこと言ってるんだ」
「そんなこと、ってなんだよ。人の立派な夢を」
僕には夢がある。
医者になること。
そして優奈の病気を治すこと。
本気で信じているし、本気で叶えたいと思っている。
そのために毎日勉強している。
部活なんてやっている暇もないし、興味もない。
クラスメイトから遊びに誘われることもあるが、それも全て断っていた。
努力のおかげか、勉強の成果だって上がっている。
学年試験ではいつも1位だし、高校一年生の全国模試ではかなりいい偏差値をとっている。
国立の医学部だって目じゃない。
「小学生じゃないんだから、晶だってわかってるでしょ。私の病気のこと。治らないって」
「治るよ。治らないのなら治る方法を見つけるだけだ」
「……」
優奈は少しの間何も言わずに黙っていた。
そして。
「あの約束ね。忘れてくれていいからね?」
と僕に言う。
あの約束というのは、もちろんあれのことだろう。
僕が優奈の病気を治すという約束。
「ほら、私も小学生だったからああいう約束しちゃったけどさ。忘れてくれていいから」
「なに言ってんだ。僕からした約束だぞ。破るわけないだろ」
「……だから、破ってくれていいの」
ぎゅっと、拳を握る優奈。
「わかって。私は晶の負担にはなりたくないの」
「負担になんかなってねえよ。なっているはずがない」
「負担になってるでしょ。部活に入らずにお見舞いに来たり勉強したりさ。それで晶が普通の高校生活を楽しめないんだったら、そっちの方が私は嫌だ。来なくてもいい」
「高校生活は俺なりに充実してるからいいんだよ。そもそも部活だけが高校の楽しみじゃないし」
部活入っていない奴は僕だけじゃない。
そういう奴は自分なりの日々の楽しみを見つけているものだ。
僕だって、自分なりの楽しみを見つけている。
彼女に会うこととか。
「僕はけっこう楽しんでいる方だと思うよ。彼女はいるし、成績はいいし。客観的に見たら僕ほど充実している高校生もそうはいないはずだ」
「……そう。でもね、晶。いやになったら全部忘れて普通に生きていいんだからね? これだけは覚えておいて」
「覚えておくよ」
そんな日は来ないだろうけどさ。
そして3年が経過した。
僕はといえば、毎日彼女のお見舞いをして毎日勉強していた。
高校3年間の中でついぞ遊びに行くことはなかったけど、かなり充実して楽しい日々だったと自分では思う。
勉強してきたおかげで医学部に見事合格した。
国立の医学部で、自宅からでも十分に通える距離にある。
医学部に合格したことは親よりもまず先に優奈に報告した。
「すごい! すごいよ晶!」
そのことを彼女はとても喜んでくれた。
その一言を聞けただけでも、3年勉強した甲斐があったと思うことができた。
だが、いいことばかりではなかった。
3年で優奈の容態は悪くなっていった。
前までは病室を出て病院内を歩くことも自由にできたのに、それができない日が多くなっていった。
素人目に見てもわかる。
限界が近づいているってことを。
そしてその限界が来るまで、そこまで時間はかからなかった。
僕が20歳のとき。
大学2年生になったばかりの春だった。
優奈の容態は一気に悪くなり、血を吐いて倒れた。
●
「手術しなきゃいけないんだって」
病室で優奈が僕に告げた。
「まあ、むしろ今までが安定していた方らしくてさ。私の病気じゃ普通だったら今くらいの症状になっているらしいよ?」
「そう、なのか……」
知っている。
仮にも医者志望なのだ。
彼女の病気のことは、調べつくしてよく知っていた。
「成功する確率、知りたい?」
「どれくらいなんだ?」
「なんと10%なんだってさ」
優奈は笑顔を作る。
それが作り笑顔であることはよくわかっていた。
「10%か」
僕も強がりを言うことにした。
「ならまあ、大丈夫でしょ。ほら、10%って結構高い確率だし。ソシャゲのSレアが出る確率の10倍だよ」
「Sレアって。あれ中々でないでしょ」
「いや、実は結構出る。この間も僕は一発で引き当てた」
「うそ。ソシャゲなんかやってないくせに」
「実は隠れてやってたんだよ」
まあ嘘だけど。
ソシャゲなんてやったことなかったけど。
「だから安心していいよ。大丈夫大丈夫」
「ふーん。まあ晶がそういうなら安心しておこっかなー」
そしてまた、いつも通りの他愛ない会話をして家に帰る。
途中からは僕ではなく優奈のお母さんやお父さんが中心となって話していた。
今日は面会時間じゃなくて消灯時間までいることができた。
それが、最後の時に少しでも長く話せるようにしたいという病院側からの配慮だとわかって辛かった。
家に帰ってから、僕はインターネットで調べ物をしていた。
10%の確率を調べていた。
10%
左利きになる確率がそれくらいらしい。
僕は左利きだ。
あはは。
なんだ。全然珍しくもない確率じゃないか。
「全然。たいしたことじゃないよ。10%なんて。全然、大した、ことじゃ……」
そして僕は部屋の中で泣いた。
翌日。
手術の直前の時。
僕は優奈と会話をしていた。
「ねえ晶」
「なに?」
「あの約束、やっぱり忘れてよ」
「……え」
「いや、そりゃそうでしょ。もう約束とか言ってる段階じゃないし」
優奈の言葉に俺は何も言えない。
確かにそうだ。
今日生きるか死ぬかの段階なんだ。
もう、そういう段階じゃないのはわかっている。
でも、なんでいまさらあの約束の話を。
「あの約束のことはもう忘れて。それで、私のことも忘れて」
「優奈? 何を言っているんだ」
「晶は医学部に受かったんでしょ。国立のすごいところ」
「優奈。僕は――」
「忘れてよ」
「私のことは忘れて、自分の人生を生きて」
「医学生だから、将来はお医者さんだよ」
「すごいよね。晶ならすごいお医者さんになれるよ」
「お給料もたくさんもらえるよ。お金持ちになれる」
「そうなったらモテ放題だよ。彼女なんていくらでもできるよ」
「合コンとかしてさ」
「高い車とか乗ってさ」
「いい家に住んでさ」
「美人の奥さんとかもらってさ」
「美味しいもの食べてさ」
「それで」
「それで、幸せになるの」
「晶は幸せに生きていくの」
「幸せに暮らして」
「それが私の願いだから」
「約束ね」
●
そして、24歳になった。
春。
3月。
卒業の季節。
彼女と会った季節。
僕は医学部を卒業していた。
国家試験も合格した。
医師免許を取ったのだ。
これで名目上は医者になったというわけだ。
まあ研修医という立場だから、胸を張って医者を名乗るのはまだ早いかもしれないけど。
僕は医師免許を取ったことを報告に来ていた。
お墓に。
そこには、春野家の墓と書かれていた。
今日はお墓に報告に来ていたのだ。
「一昨日結果が届いてね。国家試験に合格してた。ようやく医者になったよ」
僕はお墓の前で、医師国家試験の合格証書を掲げる。
「結局、僕が医者になった姿は見せられなかったね」
それに――。
「優奈との約束も守れなかったよ」
最初の約束。
僕が医者になって優奈の病気を治すという約束。
医者になることはできたけど、僕は彼女を治すことはできなかった。
最初の約束はもう守ることはできない。
絶対に。
「でも、他の約束は守るからさ」
それは手術の前にした約束だ。
幸せに生きていくという約束。
「幸せに生きる、か」
それはとても難しいことだろう。
ひょっとすると医者になることよりもそっちの方が難しいかもしれない。
だけど僕はやらなければいけない。
それが優奈との約束なのだから――。
●
「報告は終わった?」
目を閉じながらお墓の前で手を合わせていると、声が掛けられる。
「ああ。おわったよ」
振り向いた先には。
「優奈」
とっくの昔に病気から快復した彼女が立っていた。
結局、約束は守られなかった。
僕が優奈の病気を治すという約束は守られなかった。
「まあ、私を治したのは病院の先生だったからね」
そう。
手術は成功した。
そして優奈は生き残ることができたのだ。
「まさかたまたまアメリカの名医が来日していたなんてねー」
「すごい偶然だよな」
優奈の容態は突然悪化したのだが、前日に学会で近くに来ていたアメリカの名医がいたおかげで助かったのだ。
その名医は鮮やかな手際で手術を行うと、瞬く間に成功へと導いたのだった。
一命をとりとめた彼女の体調は回復した。
しかもその名医は優奈の病気を根本から治療するプランを考え、一年かけてそれを実行したのだ。
彼は優奈のかかっている病気の治療法を研究していたのだ。
優奈の病気は、彼女が生まれたころは治療法の確立されていない不治の病だった。
しかしアメリカで最新の研究がなされ、有効な治療法の理論ができてきたらしい。
おかげで優奈はもう病気が完治し、病院を出て自由に外で過ごすことができるようになった。
「おじいちゃんに手を合わせないとね」
「ああ」
春野家の墓。
それは優奈の祖父の墓だった。
僕は優奈と家族ぐるみの付き合いをしていたから、当然彼女の祖父とも知り合いだった。
おじいさんも僕が医者になる姿を楽しみにしていたのにな。
まあ、彼が亡くなる前に優奈が回復した姿を見られただけでも良かった。
「もう行きます。おじいさん」
「じゃあねおじいちゃん。加奈も行こうか」
「はーい」
優奈に話しかけられ、加奈が返事をする。
加奈というのは僕と優奈の娘のことだ。
僕と優奈は結婚していた。
彼女の病気が完治した後、僕がプロポーズしたのだ。
僕はそのときまだ医学生だったのだが、彼女の両親――今では僕の義両親――が結婚を許してくれたのだ。
優奈の名前は夏樹優奈となっていた。
そして今は娘が一人いる。
優奈に似て可愛い娘だ。
「幸せに生きる、か」
妻と娘が手をつないでいる姿を見て、僕は一人呟く。
手術の前に優奈が告げた約束。
幸せに生きること。
さっきは難しいと感じたが、それは案外そこまで難しくはないのかもしれない。
「ねえ知ってる? お母さんね。昔は病気だったんだよ。でもねでもね、お父さんがお医者さんになって私のことを治してくれるって言ってくれたの」
「その話何回も聞いたー」
春。
この季節になると僕はあの約束を思い出す。
それは小学生の頃にした約束。
僕と彼女が初めて交わした約束。
なぜ思い出してしまうのか?
それはこの季節になるたびに、病気から快復した優奈が娘や知り合いに約束のことを嬉しそうに言うからだった。
ハッピーエンド