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この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

女王の冠

作者: 砂原翠

 フローリングの床に、白いビニールテープを真っ直ぐに貼りつける。

「ここからこっち側には、入っちゃ駄目よ、くれあ」

「嫌だわ、玲。意地悪ね」

 そう言って優雅に目を細めたくれあは、美術画のように美しく、仏蘭西人形のように愛らしかった。

 箱園くれあ。彼女のことを、友人だと思っていた。この春、全寮制のお嬢様学校に、特待生として高等部から入った。二人部屋の同室になったくれあは、言動から生粋の上流階級の高慢と洗練を兼ね備えていたが、庶民の私に優しかった。

 寮に宝石商やデリバリーピザの宅配を呼んで寮母さんに一緒に怒られたし、お互いの髪を市販のカラーリング剤でお揃いの色に染めて生活指導の先生にも怒られたし、くれあといると楽しいことばっかりだった。

 だから、クラスメイトに「くれあさんには気をつけたほうがいいわ」と言われても本気にしなかったのだ。

「これはね、僻みや陰口ではないのよ。あなたのことを本当に友達だと思ってるから言うのよ、玲。くれあさんは綺麗で穏やかに見えるけれど、怖いひとよ。底が見えないわ。踏み込みすぎない方がいい」

 今になって、彼女の忠告をもっと真剣に聞いておけばよかったと後悔している。

 でも、と言い訳したくなる。くれあは本当に可愛いのだ。

「玲」と甘ったるい声で呼んで細い腕を絡めてくるのも、綺麗に手入れされた指先で髪を梳かしてくれるのも、「飲んでみ?」と渡した不味いジュースを疑いもなく口にする純真さも、妹みたいで愛おしい。だけど、そのすべてが決して嘘ではなく、ダイヤモンドと腐った林檎が同じ箱に入っているから問題なのだと、私はもう分かっている。


 昨日の夜八時、私は急にアイスクリームが食べたくなって、寮母さんに断わってコンビニへ向かった。両耳にイヤフォンを嵌めてたし、携帯端末を弄っていたし、だからこそ狙われたのかもしれないし、だからこそ気づかなかった。

 ひとけのない道で、急に私のすぐ側に高そうな外車が停まって、ドアガラスが開きくれあが顔を出した。

「玲」

「くれあ? どしたん?」

 私がイヤフォンを外すのと、車から黒服のボディーガードらしき男たちが出てくるのは同時だった。ボディーガードは私の後ろにいた男を取り押さえた。

「へ?」

 私は間抜け面で、すぐ後ろにいた男が羽交い締めにされ、手にしていた包丁をアスファルトに落とすのを見た。

「ひっ」

 表情を強張らせ、後ずさった私に車から降りたくれあが抱きつく。

「危なかったわ。偶然通りかかってよかった」

「嘘嘘、何この人、怖すぎる、いつからいたの」

 私はくれあに縋りついた。

「怖かったわね、もう大丈夫よ」

 くれあは甘い声で囁き、それと同じ調子で「目障りだわ、消してちょうだい」とボディーガードに言った。

「え」

 横目で見てしまった。くれあの言葉に、ボディーガードの男が一切の躊躇なく不審者を顔から地面に叩きつけるのを。

 その流れるような自然な暴力に、私は彼らがボディーガードなんかじゃないことを悟った。目の前で行われていたのは、守るためなんかじゃない、効率よく壊すための暴力だった。

「え、え、え」

 目にした光景が信じられず、うわ言のように声を漏らす私の双眸を、くれあの長い指が覆う。

「こんな汚いもの、見ちゃ駄目よ」

 視界は暗くなるが、音は遮断されない。肉が潰れる音、骨が砕かれる音、醜い悲鳴、それらが暗闇とともに体内に侵食してくるようだった。

 くれあは嬉しそうに言う。

「ああ、玲を守れてよかった。大好きな玲。安心してね、怖い人はいなくなったわ。ほら、これが悪いものが壊れていく音よ。聞こえるでしょう、ちゃんと聞いておいてね」

 それからのことはよく覚えていない。気がついたら寮の自室に戻っていたし、コンビニのレジ袋に入ったアイスがビニールの包装の中でどろどろに溶けていた。

 翌朝、私は学校を初めて休み、くれあが帰ってくる前にフローリングを真っ二つに分けるように、白いビニールテープで線を引いた。部屋に入ったくれあに、毛布を被ったまま言う。

「ここからこっち側には、入っちゃ駄目よ、くれあ」

「嫌だわ、玲。意地悪ね」

 微笑んだくれあは、機嫌を損ねた様子もなく軽い足取りで自分のベッドに制服のまま座った。

「入っちゃ駄目って、足先も? 指の一本も駄目なの?」

「当たり前でしょ」

 私は強気で言ったが、内心はくれあが本当に怖かった。彼女はおかしい。間違いない。でも、どうすればいいか分からない。先生に言う? 警察に言う? そんな勇気なかった。

 せめて部屋を替えて欲しいが、そんなこと言ったら寮母さんに理由を聞かれるに決まってる。苦肉の策が、ビニールテープでの分離だった。

「玲ったら、またおかしなことするのね」

 歌うようにくれあは言い、カバンの中から小さな包みを取りだした。まるで婚約指輪でも入っていそうな立方体。くれあがキラキラしたリボンを解き、包装を剥がすと、それは色とりどりの金平糖だった。

 いつも私にじゃれついてくる指先が、水色の金平糖をひとつ摘む。くれあはにっこり私を見て、体を竦めた私にふふ、と笑い声を零し、金平糖をぽんと放り投げた。

 床を転がった水色の星は、ビニールテープの境界をたやすく越える。

「あら、そっち側に行っちゃったわね」

 わざとらしく、くれあが首を傾げる。

「わたしは取りに行けないわ。だって、そういう決まりだものね? 玲が言ったんだもの。だから、玲が取ってくれるわよね?」

「なんで、私が」

 唐突に、くれあがベッドから立ちあがり、こちらに歩み寄る。ひ、と体を強張らせた私をよそに、くれあは白線の前で立ち止まり、床に座り込んだ。プリーツスカートが花のようにふわりと広がる。

「言いつけは守ったわよ。次は玲の番じゃない? わたしの金平糖、拾ってくれない?」

 蠱惑的な笑みに串刺しにされ、私は震えながら毛布から抜けだした。わななく指で小さな水色を拾い、「あー」と口を開けたくれあの方へ手を近づける。指先が宙で白線を越える。

 動物の餌づけのように、くれあの口内に金平糖を落とす。あ、と思ったときにはもう遅かった。

 くれあの唇が、ぱくっと私の指を包んだ。生ぬるい、粘膜の感触。ざらりと柔らかい舌が私の爪を舐め、彼女の唾液と金平糖の棘が敏感な皮膚を苛んだ。

 瞬間、痛みが走る。

 怯えて手を引っ込めた私に、くれあが妖艶に笑いかける。

「覚えておいて。わたしは境界を守ったわ。それを越える決断をしたのはあなたよ、玲」

 痛む指先を胸元に引き寄せれば、くれあの唾液でぬらぬらと光る人差し指の第一関節には、指輪のような王冠のような歯型がくっきりと刻みつけられていた。

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