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【番外編】はじまりの雨夜 ③

 エイダンの私物と鞄を、ストーブの前に干しながら、テイラーはつらつらと物思う。


 気の毒ではあるが、やはり彼は、故郷に帰るのが一番良いのではないか。身元ははっきりしているから、役場か正規軍の詰所に行けば、ある程度は助けて貰えるだろう。


 あるいは、この街で腰を据えて働くつもりかもしれない。

 余所者で、知人もおらず、現住所不定となると、すぐ定職に就くのは難しい。日雇い労働者向けの斡旋所に行くか……『冒険者ギルド』にでも、加入するか。


 正規軍に守られた町や村の、外側の世界を探索し、諸々の厄介事を請け負う旅人は、俗に『冒険者』と呼ばれる。

 これだけ文明が発達してもなお、危険と未知に溢れた土地であるシルヴァミストでは、需要の尽きない稼業だった。

 彼らの設立した相互支援組合が、冒険者ギルドだ。


 魔術や剣技など、特別な技能を持つ人間にしか務まらないイメージがあるが、聞いた話では、荷運びや馬の世話の補助、野営時の炊事洗濯係などの仕事も、募集されているらしい。

 要は、魔物モンスターに遭遇した時に、パーティーを捨てて逃げ出さない度胸と知識と技量さえあれば、冒険者は務まる――と言われている。それが結構な難関なのだが。


 何にせよ、今日はもう休ませて、明日、当人の意志を確認するとしよう。


 そう決めて、寝床の準備にかかっていたテイラーは、突然、風呂場からのけたたましい叫び声を耳にした。


「何だ!? 今度はどうした!?」


 風呂場に向かうと、丁度、エイダンの方も飛び出してきたところだった。素っ裸の上、びしょ濡れである。何故か長杖だけ持っている。


「こら、タオルと服は渡しただろう!」

「テイラーさん、治った! 治せた!」

「『治せた』……?」


 興奮しきったエイダンが、手の甲を眼前にかざしてみせた。

 二日前、路地裏で強盗に襲われた時に負った傷が、そこにはあったはずだ。()()()()になったばかりで、まだ痛々しい状態の。

 しかし今見ると、手の甲の傷も、頬の擦り傷も、微かな赤い痕跡を残して、すっかり塞がっている。


「治癒術を――使えたのか?」

「そうです! テイラーさんの言うたとおりじゃった。魔力の捧げ方が、間違っとったんです! 捧げるんは『肺』じゃのうて、『血』と、五感のうち『触覚』! あの治癒術は、血流と皮膚に作用するんです!」


 つまり、治癒術版の『火精の吐息(フレイム・ブレス)』の呪文は、これが正しいのだと、エイダンはその場で詠唱してみせた。


「賢猿の末裔よ。

山より出づる、天より降る、

叡智と義憤の理を布く御霊みたまよ。

義を以て無辜の定命救うべく、

ここにく、一吹きの御力を顕したまえ。

我が身四十四にいて、血と皮を捧げん。

……『火精の吐息(フレイム・ブレス)』!」


 何か起きるかと、テイラーは注意深く見守ったが、数秒経っても、特に二人やその周囲に変化はない。


「あ、やっぱ、大量の水かお湯がなぁと、駄目じゃな……」


 エイダンは頭を掻きかけ、そこで、目眩めまいでも起こしたように、唐突にその場にへたり込んだ。


「なっ……大丈夫か!?」

世話せあな……いや……魔術って、疲れるもんですね……」


 眠気混じりの声音で、エイダンが曖昧に応じる。

 統計調査により、魔力消耗に不慣れな魔術使用者は、すぐ気分が悪くなる、という複数の証言が得られている。なるほどデータ通りだ、とテイラーは感心しかけて、それどころではないと思い直した。


「全裸で寝るんじゃない! 春とはいえ、風邪引くぞ! 服を着てきなさい!」


 肩を揺さぶると、エイダンは半ば這うようにして、風呂場に戻って行った。


 全く、この家の中がこうも騒がしくなるのは、テイラーが住むようになって以来、初めての事ではないだろうか。普段は、ろくに郵便屋も来ない家だ。


 それで良いのだと――最早波風も騒音も、自分の人生には必要ないのだと――今朝まで、そう確信していたというのに。

 どうした訳か、今日に限って、波風が立ちっぱなしだ。



   ◇



 翌朝、早めに起き出したテイラーとエイダンは、身支度を済ませて外に出た。


 夜のうちに、雨は上がっていた。しかし地面はまだぬかるんでいて、大きな水溜まりがあちこちに広がり、白み始めた空を映している。


 これからの身の処し方について、時間をかけて考えても良いと、テイラーは助言したのだが、エイダンは昨晩のうちに心を決めていた。


 治癒術士として、冒険者ギルドに登録すると言うのである。


「やっぱり、治癒術で人を助けられるようんなって、ほんで、村のみんなにもろうた学費も、そっくり返せるように貯め直して……それから帰ろうと思います。じゃったら、冒険者になるんが手っ取り早いかなぁて」


 治癒術に成功して光明が見えたので、故郷の人々の期待や義理とは関係なく、自分の中で区切りが付けられるまでは頑張る、とエイダンは張り切っている。


「確かに、街の中での仕事よりは実入りが良いだろうが……しかし、危険も多いと聞くぞ。ギルドへの紹介や推薦状も持っていないとなると、登録にも苦労するかもしれない」


 テイラーとしては心配だ。

 傷が治ったのは間違いないが、実際に、エイダンが治癒術を使った所は見ていない。水か湯が必要だとか言っていたが――そんな具合で、本当に治癒術士として、冒険者稼業が務まるのだろうか。

 それに、街の外の危険度は、路地裏の比ではない。彼はつい先日、強盗に襲われたばかりだというのに。


「言うても、護身術くらいは身についとりますけん。最初は荷物運びとか、そういう仕事から始めます。でも絶対、いつか一人前の治癒術士になってみせます」


 呑気なのだか頑固なのだか。

 エイダンの回答に、テイラーは首を振るしかない。若い時分とは、こういうものだ。


「そこまで決心を固めているなら、仕方ないな。ギルドの場所は分かるか? ここから南に下って……」

「ええと、蚤の市通りを抜けた先の、『跳ねる仔狐亭』ちゅうお店に頼めばええんでしたっけ」


 南を指差して、エイダンが続ける。

 そうだ、と相槌を打つと、エイダンはテイラーに、改まった態度で向き直った。


「テイラーさんには、ほんまに、なんちゅうてお礼したらええか分からんです」

「大袈裟だな、屋台のミートボールを食べさせたくらいで」


 照れ混じりに、テイラーは応じる。しかしエイダンは、大真面目な顔つきのままだ。


「でも、助けられました。魔術の方でも……あの、テイラーさん、偉い学者さんじゃったんですか?」


 何気ない問いかけに、我知らずテイラーは、顔を曇らせていたらしい。エイダンが慌てて、「すんません、余計な事……」と付け加えた。


「――いや、謝るような事じゃない。そうだな、偉いって程じゃないが、そういう世界にいた」


 軽く肩を竦めてみせる。


「数字に囲まれているのが好きでね。ただそれだけの人間さ」

「数字に……ええですね。好きなもんに囲まれるんは」


 エイダンは、笑顔になった。


「俺は本が好きだけん、図書館好きじゃな。また本読みに行きたいです。ああでも……」


 昇りゆく朝日に軽く目を細めてから、エイダンは東の空とは逆の方向へ、何か思いを馳せるように視線を飛ばす。


「一番好きなんは、イニシュカ村です」


 あまりに真っ直ぐな眼差しと言葉に、虚を突かれてテイラーは彼を見つめた。


「……じゃあ、いずれは元気な姿を見せないとな」


「はい。胸張って帰らなぁです」


 エイダンは、強く頷く。

 彼はきっと、この言葉を嘘にはしないだろう――不思議な確信をもって、胸の内でテイラーはそう呟いた。


 そうしてエイダンが、街の南に続く通りを一歩、踏み出しかけた時。

 通りの前方から突如、ただ事でない物音が上がった。馬のいななきと、車輪の軋む音。そして甲高い悲鳴。


「何じゃろ?」


 エイダンが不安げな面持ちで、走り出す。テイラーもその後に続いた。


 通りの隅、建物に挟まれた陰に、乗合馬車が一台停止していた。車体が傾いている。どうやら、雨水の溜まった窪みに気づかず、車輪を突っ込ませてしまったらしい。


「マリー! やだ、マリー! しっかりして!」


 十歳くらいの少女が、スカートの汚れも気にせず、水溜まりの中に膝をついている。彼女は、ぐったりした仔犬を抱えていた。後ろ脚のあたりから、血が流れている。

 道を逸れた馬車の、後輪に撥ねられたのだろうか。


「ああ、お嬢ちゃん……すまない、こんな事に……!」


 馬車から降りてきた御者も、真っ青になって帽子を握り、頭を下げるしかない様子だった。


「うわ、いたしげな……」


 エイダンが息を呑み、続けて「そうじゃ!」と呟くなり、少女と仔犬に駆け寄る。


「……その、マリーちゅう子ですか? ちょっとせてもろうてもええ?」

「えっ?」


 少女が面食らっている間にも、エイダンはざっと、仔犬の容態を見定める。


「脚じゃな。ひっくり返った拍子に、頭も打ったかも……そこの水溜まりの深さは」


 ばしゃりと、エイダンが左手を水溜まりに突っ込んだ。馬車の車輪がまる程の窪みだから、かなり深い。手首まで浸かっている。


「こんだけ水がありゃあ、やれる……多分やれる! お嬢ちゃん!」


 少女に向かって、エイダンは呼びかけた。背中に挿していた長杖を取る。


「ここで、風呂を焚く! 悪いけど、マリーをその位置で抱えとって!」


「え、えぇ!?」


 あまりにも予想外のエイダンの言葉に、テイラーも少女も、御者も啞然とした。

 しかし、エイダンは躊躇う事なく、水溜まりの表面に杖先を触れさせ、呪文の詠唱を開始する。


 火の精霊に助力を呼びかけ、治癒術の効果を提示。

 「……無辜の定命、より小さきものを救うべく、これなる浅瀬に……」と、呪文にアレンジが加わった。治療対象は動物で、魔力を伝導させる先は水溜まりだ、という程の意味だろうか。


「……我が身四十四に割いて、血と皮を捧げん。『火精の吐息(フレイム・ブレス)』!」


 詠唱が完了した。

 刹那、杖の触れる水面から、ふわりと波紋が広がる。

 土の色に濁っていた水溜まりが、波紋の広がるのに合わせて、清流のような澄んだ色へと変化していく。同時に、周囲に薄っすらと湯気の立ち昇るのが見えた。


 路上の水が、湯に変化したのだ。


 突然、少女の抱えていた仔犬が、尻尾を振りながら頭を持ち上げた。

 主人が涙を流していると気づいたのか、くんくんと鳴いて、少女の頬に鼻先を擦りつける。

 傷ついていたはずの後ろ脚に湯と蒸気がかかり、傷も血も、綺麗に洗い流されていった。


「マリー!?」


 少女が驚きと喜びに目を見開く。仔犬ははしゃいだ様子で、彼女の周りを跳ね回った。水溜まりの湯が、飛沫しぶきを上げる。


「マリー……良かったぁ!」


 仔犬を抱きしめ、一緒に飛び跳ねる少女を見て、エイダンは大きく息を吐いた。


「成功した……!」



 ――火の治癒術。


 呆気に取られたまま、ただ成り行きを見守っていたテイラーは、驚くと同時に認めざるを得ない。

 エイダンは、確かに治癒術を使いこなした。彼は紛う事なく治癒術士、それも卓越した実力の持ち主だ。


「使えるんだな、本当に……!」

「はい、何とかなりました」


 感嘆を漏らすテイラーの前で、エイダンは長杖を重たげに持ち直す。また、かなり消耗してしまった様子だ。

 気が抜けたついでに、腰も抜けてしまったのか、しゃがみかけた彼は、うっかりと路傍に尻餅をついた。そこもまた、水溜まりである。


「あああ! テイラーさんのズボン!」


 あたふたと、エイダンが立ち上がる。時既に遅し、ズボンはすっかり濡れてしまっていた。


「ああああ……」

「大丈夫か?服の事は気にするな」


 しょげるエイダンの前に進み出て、テイラーは言う。


「それより、エイダン……。もう何時間か、待って貰えるだろうか。冒険者ギルドに行くのを」


 エイダンは顔を上げて、情けなく眉尻を下げた。


「や、やっぱ服を洗い直した方が?」

「いや、それもいいんだが。ギルドへの加入がスムーズに通るよう、私が推薦状を書こう。ぜひ、持って行ってくれ」


 彼が治癒術を行使する現場を、この目で見た。間違いなく冒険者に値する使い手であり、また善意の人間である。

 その旨を、証書に一筆記しておけば――この街で、特に顔の広い方ではないが、とはいえ町立施設勤務のテイラーである。治癒術士としてギルドに登録する手続きの上で、大きな助けになるだろう。


 エイダンはテイラーの言葉に、返答も出来ないまま何度か目を瞬かせ、それから感極まった表情を浮かべる。


「あっ……あんがとうございます、テイラーさん!」


 両手を取って、拝まんばかりに上下に振られ、「大袈裟だよ」と、テイラーはぼやいた。

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