容疑者A
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──容疑者A
「イドリース・イノニュ。通称赤いトルコ人」
ブリーフィングルームで矢代がそう言う。
「本名は不明よ。偽装IDの名義はこうなっているけれど、この名前以外にも複数の名前を持っていると思われる。第二次冷戦時代にロシアと中国に関係していたことから、赤いトルコ人の名前を授かっている」
3Dプロジェクターに男の顔が映し出される。
「第二次冷戦後も超国家主義ロシア軍と取引をしていた形跡がある。天満はこの男が“ウルバン”である可能性を示唆している。そして、この男はティル・アンジェル王国が絨毯爆撃される3日前にポータル・ゲートのこちら側に来ている」
「マジですか?」
「マジよ。可能性としては極めて高くなってきたわね?」
“ウルバン”はオスマントルコ帝国に大砲を売った男だ。トルコ人ではない。
だが、天満はこの男こそ“ウルバン”であると示唆している。
まあ、赤いトルコ人という異名も、“ウルバン”という異名も、さほど変わりないと言えば変わりない。
「彼なら超国家主義ロシア軍から戦術核を購入できる。そして、大井の野心的な誰かを利用して戦術核をポータル・ゲートのこちら側に持ち込み、炸裂させる準備を整えている。今、電子情報軍団と空間情報軍団が総力を上げてこの男を探しているわ」
もちろん、特別情報軍団も、と矢代は付け加える。
「大井に派遣した連絡将校によれば、イドリースの行方は一時期向こうの情報保全部が把握していたそうなの。だけど、途中で糸が切れた。というのも、追跡作戦中に私たちが大井にサイバー攻撃を仕掛けたせいなんだけれど」
「なんてこった」
シェル・セキュリティ・サービスの社員たちが唸る。
「この男を途中まで追ったデータは残されている。大井の生体認証スキャナーと街頭監視カメラの情報によれば、この男はティル・シグラー共和国に向けてシャルストーンから出国してる。そこから先は不明」
「ティル・シグラー共和国っていうのはティル・アンジェル王国と国境紛争が起きそうだった国ですよね?」
「そう、その通り。彼の見立てでは、ティル・アンジェル王国は戦術核で王都が吹き飛ばされたのちに、企業の投資をティル・シグラー共和国に呼び込むつもりだったと見ている。彼はティル・シグラー共和国で新しいビジネスを始めるつもりだったというわけね」
ティル・シグラー共和国の地図が3Dプロジェクターに表示される。
「ティル・シグラー共和国はプラチナとリチウムの豊富な土地よ。それでいて、開発はあまり進んでいない。企業連合は国境紛争をそのまま拡大して、ティル・アンジェル王国にティル・シグラー共和国おを併合させてしまうつもりだったとみている」
「投資価値がある国がこれまで放置されていた。そして、企業は利益を得るために何かしらの方法を取る。もちろん、競合する他社を蹴落とすために平和的ではない方法で。またぞろ軍閥ですか?」
「それ以外に企業が取る方法があると思う? 企業連合は一時的に結託して、ティル・シグラー共和国を落とすつもりだったけれど、情勢が変わった。今度はティル・シグラー共和国でビジネスを展開するために軍閥の樹立を始めるはず」
ビジネスのお供に軍閥を。
軍閥を飼いならし、揉め事を起こさせ、同じ民族同士を敵対させ、そしてその戦いのためにかかる経費を資源としていただくという不条理な構造。
それを描かせるためにイドリースは戦術核をティル・アンジェル王国に送りつけた。そして、自分はティル・シグラー共和国でビジネスが始まるのを待った。ティル・シグラー共和国でビジネスが始まれば、武器が必要になる。超国家主義ロシア軍と繋がりのあるイドリースは喜んで武器を提供する、というわけだ。
全く以てよくできたシナリオではないか。
「我々の目的はイドリースを拘束し、最後の核を回収すること。ティル・シグラー共和国では既に軍閥の下準備が始まっているはず。これを強行突破するのは難しいわよ。それでも我々はティル・シグラー共和国でイドリースを拘束しないといけない」
「我々の仕事なんですか? 大井にも責任があるんでしょう? 連中にやらせたらどうです? 戦術核が炸裂して困るのは連中も同じはずですよ」
「文句を言わない。大井は所詮は民間企業。軍隊も軍隊ごっこをしている民間軍事企業を有しているだけ。我々がやらなければいけないの」
「了解、ボス」
軍隊ごっこ。軍隊ごっこ。軍隊ごっこ。
軍閥も軍隊ごっこだし、諜報機関の準軍事作戦要員とやらも軍隊ごっこだし、民間軍事企業だって軍隊ごっこだ。世界はそんなに軍隊ごっこが楽しいのかと思うほど、この世界は軍隊ごっこに溢れている。
無垢な子供のように玩具の兵隊を動かして、敵を倒すのは楽しいことだろう。だが、現場では血が流れているのだ。無数の死があるのだ。
それを軍隊ごっこで片付けられては困る。
軍隊ごっこも戦争ごっこもあり得ない。どちらも軍隊だし、戦争だ。
羽地はそう思いながらも矢代の話を聞いた。
「正直なところを話すわ。ティル・シグラー共和国に戦術核はない。ただ、イドリースがありかを知っているものと思われるだけ。そのイドリースにしたところでティル・シグラー共和国のどこにいるのか分からない。上は少しばかり自棄になっているように思える。これまでの作戦は失敗続きだった。挽回しないといけないことは分かるけれど、これはかなり無茶な要求よ」
矢代はかなり率直にそう意見を述べた。
「それでもやらなければならない。我々がやらなければ、他の誰もやってくれはしない。大井は必然性に迫られているけれど、その大井が馬鹿正直にイドリースを拘束して、素直に事実を伝えるとは思えない。彼らは彼らにとって都合のいい事実しか伝えない」
日本情報軍がそうしてきたようにか、と羽地は思った。
「何としても大井より早くイドリースを拘束する。そして尋問する。戦術核のありかを吐かせる。そうすることでしか我々はこの事件を解決できない。もし、戦術核が過激派大井派閥の手にあるならば、それは企業帝国を揺るがせるスキャンダルに繋がるわ」
羽地はここで思った。
自分たちの仕事は戦術核の回収ではなく、企業の異世界支配を終わらせることだったはずだ。それがどういうわけか、戦術核の回収任務に変わり、本来の任務は今や有耶無耶になっている。これはどういうことだ?
「羽地君。あなたの部隊をまたつかわせてもらうわ。コンディションは?」
「スミレに言わせるならオールグリーンです。ですが、少しばかりメンテナンスは必要でしょう。我々も軍隊ごっこをするわけにはいかないのですから」
「部隊の運用は任せるわ。もう1個小隊とともにイドリースを拘束してきて。そして、戦術核のありかを聞き出す。任せたわよ」
「了解、ボス」
羽地はそう返しながらもこの任務に何かの違和感を感じていた。
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