崩壊した王都
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──崩壊した王都
ティル・アンジェル王国における作戦は終了した。
結果は企業連合軍による王都への無差別爆撃というものだった。
羽地たちは戦術核を確保していたというのに、それを解体していた途中だというのに、企業連合は爆弾の雨を降らせて、羽地たちの試みを粉砕した。
輸送機から見た王都の様子は酷い有様だった。
市街地は完全に破壊され、全てが瓦礫の山になっている。
瓦礫の下敷きになったものを助けようとしているものがいる。何が起きたか分からず呆然としている子供がいる。廃墟の中で人々はまだ生きている。生きて、苦しんでいる。
苦しむことすらも生者の特権だ。死者には苦しむ権利すら与えられない。ただただ、彼らは瓦礫の下で腐敗していき、腐り、ネズミの餌となり、昆虫の餌となり、骨だけが残るのである。
魂は不可逆に失われる。
ミッドラン──この世界の亜人たちにも魂があることは知られていた。だから、今日は多くの魂が不可逆的に失われた日として記録されるだろう。それを記録するものがいるならば、だが。
どのメディアもこのような暴挙が行われていることを報道しない。
メディアは真っ先にビッグシックスの買収対象になった。今や公営放送や国営放送は存在せず、全ては企業がメディアの首を握っている。もし、ビッグシックスに不都合な報道をすれば、会社の人事は総入れ替えになる。
ネットメディアでも同じこと。全てをビッグシックスが握っている。未だに個人で配信しているネットメディアもあるが、そういう人間に対するビッグシックスの攻撃は凄まじいに尽きる。ディスインフォメーション戦略、訴訟戦略、企業の飼っているというヒットチームによる物理的排除。
日本情報軍も日本国における情報戦の最前線に立ち、日本国のための、日本国の自由民主主義のための、日本国民のための戦争を繰り広げてきただけに企業の情報戦略を完全には否定できない。日本の国のため、日本国の自由民主主義のため、日本国民のため、それらのためのそれらを犠牲にしてきたのが日本情報軍という組織なのである。
日本情報軍の情報統制は厳しかった。企業のそれよりも厳しい。メディアがメディアを次々に買収したいったのちでもそれは変わらず、日本国に、日本国防四軍に、日本情報軍に不利益な報道がなされる気配があれば、即座に行動に移った。
脅迫。暗殺。社会的信頼の失墜。
だからこそ、日本情報軍は知っているのだ。メディアを掌握したビッグシックスの脅威を。彼らは自分たちに不都合な報道があれば、日本情報軍と同じように行動するだろうからにして。それは日本情報軍にとっての不利益になるかもしれない。
思えばこの戦争は日本情報軍とビッグシックスの縄張り争いなのかもしれない。日本国の情報インフラを手中に収めておきたい日本情報軍と、それを覆そうとするビッグシックス。そのクソみたいな縄張り争い。
羽地は廃墟になった都市を見て思う。
誰のせいでこうなったのか、と。
これで得をする人間がいるとすれば、王都を計画都市として再建し直したい連中だけだろう。その連中にしたところで強引な買収と立ち退きによってそれを成し遂げかけていたのだ。わざわざ爆撃で瓦礫の山を増やす必要などない。
戦術核の炸裂をどうしても防ぎたかった、というものにも疑問符がつく。
王都を灰塵に化しておいて、その理由が通るのかと。
王都の被害は戦術核の炸裂が起きたときと同じ規模の被害だ。放射性物質の発生こそなかったものの、それは今はナノマシンで中和できる。長期的にはそこまで深刻な影響にはならない。短期的には急性放射線症の患者も生じるだろうが、どうせ航空爆弾で吹き飛ばされているならば、何が違う?
ただきのこ雲が立ち上ったか、立ち上らなかったかの違いだ。それだけだ。
きのこ雲が立ち上ったとしても、企業にはそれを報道させない権力がある。映像のインパクトの影響を防ぐという意味でも今回の絨毯爆撃の意味は分からない。
天満はどう分析している?
過激派大井派閥は何の目的で神聖王国騎士団に戦術核を渡し、それでいて穏健派大井派閥は太平洋保安公司の特殊作戦部隊を動員してまで戦術核を奪還しようとした? 右手と左で別々の行動を取っている状態ではないか。ひとつの企業、ましてビッグシックスの取る行動とは思えない。
何かが食い違っている。天満の分析結果を間違わせている何かが存在する。それが羽地たちの集めた情報から生じるノイズなのか、日本情報軍上層部の考えている何かなのかは分からにが、ノイズは確かに存在し、天満の分析結果を狂わせている。だが、ノイズが生じる原因も、そのノイズがどういうものなのかも、全く分からない。
ただ、何かがおかしい。
羽地たちは空軍基地でシェル・セキュリティ・サービスが寄越したC-2輸送機に乗り込む。羽地たちは搭乗前に放射線値の測定を受けたが基準範囲内だった。
「会社に帰ったら健康診断ですね」
「ああ。そうだな」
古今が言うのに羽地は無理にでも笑顔を浮かべてそう返した。
笑う気すらしなかった。太平洋保安公司の特殊作戦部隊と合同で戦術核を確保できていたら、今ごろは焦土になった都市など見ずに済んだのだ。多くの魂が不可逆的に失われた光景など見ずに済んだのだ。
魂は不可逆に失われる。
一度失った魂を元に戻すことはできない。魂の死は、肉体の、脳の死だ。ライフル弾が突き抜けていった脳に、ライフル弾が搔き乱していった脳に、また魂を宿らせることなどできるはずがない。
人が死を恐れるのは、自己保存の本能だと真島は言っていた。まるでそれが理由のない食欲や性欲と同じであるかのように。だが、人が死を恐れるのにはちゃんと理由があるではないか。それが元に戻せないからだ。一度破壊されてしまえば、もう元には戻せないからだ。
羽地はアリスたちを見る。
彼女たちは魂を有していない。むしろ、有さない方がいいのかもしれない。これだけ恐ろしい不可逆的事象に怯えるくらいなら、最初から魂など持っていない方がいいのかもしれない。
無知は力である。『1984年』。ジョージ・オーウェル。
時として確かに無知であることは力だ。人は知恵の実を食べたが故に裸を恥じるようになった。それは巡り巡ってアパレル産業の勃興に繋がり、少数民族の強制労働と児童労働と石油製品の廃棄問題に繋がることになった。
ファストファッション。使い捨てのブーム。企業の都合で間隔が縮み続ける流行。それに踊らされるものたち。それを生み出すために安い賃金で働く第三世界の住民。生まれる大量の廃棄されたブームの廃れた衣類という名のゴミ。
アリスたちも無知であるならば救わるかもしれない。魂がなければ救われるかもしれない。魂は、魂があるということは、それだけの不可逆な死を迎えるという恐怖を抱くことになるのだ。魂の死は向精神薬でも、安定剤でも、どうにもならない。魂は寒天のように溶けていき、どこかへと消える。
科学的な魂があるのならば、科学的な天国や地獄があるのだろうかと羽地は思う。
科学的な天国や地獄。化学的に、物理的に、生物学的に、数学的に説明できる天国と地獄。天国と地獄が化学式と数式で示され、ホワイトボードに描かれるのを羽地は想像した。それは存外悪いものではなかった。
生命が数式と化学式で表されるのに、どうして死後の世界が数式と化学式で表せないと言える? 人間も突き詰めてしまえば化学式の集合体で、体で起きているのは全て化学式で表せる化学反応で、その化学反応から魂は生まれたのだ。
化学的、物理的、生物学的、数学的生命の末路を想像する。
これが死の化学反応で、罪人は罪の関数の結果そのエネルギーは地獄に向けてベクトルを描きます。
そういう説明が羽地は欲しかった。
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