不可逆的喪失
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──不可逆的喪失
戦略爆撃機の軍勢が迫りつつある。
B-52爆撃機からTu-160まで世界中の退役した戦略爆撃機が結集し、ともに王都を無差別爆撃している。まだそこには暮らしているものたちがいるというのに、まだそこには命があるのというのに、爆弾が降り注ぎ、全てを薙ぎ払っていく。
羽地たちにいる王城にも戦略爆撃機は迫りつつあった。
『作業中止、作業中止。地下に避難しろ。この爆撃を生き延びられなければおしまいだぞ。急げ、急げ、急げ!』
『了解』
羽地たちは大急ぎで戦闘の螺旋階段を取り降りて地上に着陸し、どんどん下へと下りていく。下へ、下へ、下へ。
『城の見取り図はあるか?』
羽地は戦術脳神経ネットワークにそう尋ねる。
すぐに情報が表示される。地下室のもっとも強固な場所は宝物庫だった。
『全員、地図のデータを共有できたか? そこに向かって急ぐぞ。爆撃までもう5分を切った。すぐにでも爆撃が始まる』
全員が了解し、地下に向かって突き進む。
もう神聖王国騎士団のゲリラたちと出くわすこともない。ただひたすら走り続けるだけだ。地下へ、地下へ、地下へ。
『宝物庫まで残り400メートル』
『爆撃まで2分を切った』
羽地たちは人工筋肉が裂けんばかりに走り、宝物庫の前に立つ。
『ブリートングチャージ、セット!』
『点火!』
爆発音とともに宝物庫の扉が吹き飛ぶ。
『全員中に入れ! 急げ、急げ!』
全員が宝物庫に入ろうとしたとき地響きが城を揺らした。そう思った次の瞬間、天井が崩れ落ち、爆弾の炸裂する音が連続して響いていた。
羽地は瓦礫の下で意識を失い、そのまま視界は真っ黒になった。
羽地は夢を見ていた。
目の前に精神科医がいる。
「羽地さん。あなたの魂は失われてしまいました」
残念そうに精神科医が語る。
「どのような薬を使えばいいのですか?」
羽地はそう尋ね返す。
「幾分かの向精神薬と安定剤、それから犬の尻尾にカタツムリ。これで概ねよくなるはずですが、魂の喪失というのは不可逆な反応です。魂に似た何かをこれから宿すことができたとしても、魂そのものにはならないでしょう」
それでは魂はもう戻ってこないのですかと羽地が尋ねる。
「戻ってきません。魂は失われたままです。魂の消失は死を意味します。あなたに必要なのは死を受け入れるということです」
ああ。自分は死んだのかと羽地は思い、手を見た。
手が腐っていっていた。腹に何発もの銃創が刻まれ、血が滴り落ちていた。全ての感覚が鈍いものへと変わって行っていた。手の感覚も感じない。足の感覚も感じない。何も感じない。
「死を受け入れるのです。魂の消失は死そのもの。魂の喪失は不可逆的反応なのです」
ですが、先生。魂というのは脳の電気信号が特殊なエネルギーフィールドを構築したものでしょう。人工的にでも電気を脳に流し込めば“再起動”できるのではないですか? 羽地はそう尋ねていた。
それか代わりの脳みそを植え付けるか。手足や内臓だって人工のものにできる時代なんですから、脳みそだって人工のものにできるのではないですか?
「人工の脳というのはミミックのような?」
そう、ミミックのような。
「ですが、ミミックは魂を有していません。彼女たちはある意味では死んでいるのです。彼女たちは生きてはいない。死んでいる。歩く死者。ゾンビ映画みたいですね。死者が歩いて回るなんて」
そうか。アリスたちは死んでいるのか。
そう考えると羽地は無性に悲しくなってきた。彼女たちは死んでいる。誰も生きてはいない。みんな死んでいる。ゾンビ映画のゾンビのように死にながらにして歩き回っている。それが無性に悲しかった。
彼女たちが全ての生命が息絶えた世界で4人だけで廃墟になった市街地を徘徊している様が思い浮かぶ。いつもように民生品の戦闘服を身に着けて、ボディアーマーを身に着け、タクティカルベストのポーチにたっぷりのマガジンを入れて、サブコンパクトモデルの自動小銃を抱え、廃墟を歩き回っている。
死体の山が見える。虐殺で死んだ死体だ。神経ガスに殺された死体だ。核爆発で死んだ死体だ。銃弾に殺された死体だ。爆薬で死んだ死体だ。死体だ。死体だ。死体だ。
アリスたちはその死体と同じ。
彼女たちは生きてはいない。死んでいる。
羽地は涙が流れるのを感じた。
「さて、羽地さん。死を受けられそうですか?」
羽地は『はい』と答える。
「では、次は煉獄についてお話しましょう。煉獄への手続きは罪深さのスケールによって異なります。羽地さんはかなり罪深いですから、煉獄で長い時間を過ごさなければならないでしょう。救済の日が来るまでの間、カウンセリングを継続しましょう」
羽地は『はい』と答える。
「次のカウンセリングは2週間後の──」
「……輩! 先輩! 羽地先輩!」
不意に懐かしい声が聞こえてきた。
「羽地先輩!」
そこで羽地の意識が戻る。
羽地は瓦礫の下にいて、アリスが必死にそれを押しのけようとしている。
「アリス。大丈夫だ」
羽地は瓦礫をアリスとともに抱えると押しのけた。
「体内情報タグで2名死亡となっている。先遣隊だ。俺の右足も人工筋肉がエラーを吐いている。爆撃は終わったのか?」
「はい。爆撃はつい先ほど終わりました」
「そうか」
羽地は天井を見上げる。爆弾によって破壊された王城の天井が見える。堂々たる建物だった王城は完全に破壊し尽くされ、滅茶苦茶になっていた。
『タイタンよりレオパード。生きているようだな。回収の輸送機の手はずが整った。回収予定地点を送る。戦術核の破壊も確認されたそうだ』
『了解、タイタン』
そこで羽地は空間情報軍団のドローンにアクセスする。
上空を飛行するドローンは破壊し尽くされた王都の様子を写していた。いたるところで火災が発生し、瓦礫の山になっている。軍も、警察も、消防も機能しているようには見えず、全てが破壊されたのだという事実だけが突き付けられた。
「俺たちはこれを防げたはずだ」
羽地がぽつりと呟く。
「最善は尽くしました。企業側の落ち度も大きいものです」
「そうだな。連中がもう少し待ってくれたらな」
羽地はそう言って周囲を見渡す。
「八木大尉たちは?」
「宝物庫です。爆撃に巻き込まれた先遣隊の応急手当を行っています。とは言え、この状況では我々にできることはあまりにも少ないのですが……」
「そうだな」
魂の喪失は不可逆。魂を失ったものは死んでいる。
羽地は夢の中で聞いた精神科医の話を思い出す。
今日、いくつの魂が失われただろうか。再起動もできず、人工物に置き換えることもできず、ただただ寒天が溶けるように失われた魂がいくつあるだろうか。
そえれはひとつふたつではないはずだ。
多くの魂が不可逆に失われた。もう元には戻らない。
『畜生。死んだ』
八木の声がする。
彼の手当てしていた先遣隊の隊員が死亡していた。彼の腹には大きな穴が開いていて、それを塞ごうと八木は努力したようだが、無力だったようだ。
またひとつ魂が不可逆に失われた。
『ジャガー。こっちに手を貸してください。こっちはまだ助かりそうです』
『分かった』
羽地はそのような八木たちの話を聞いて思った。
俺たちは負けたのだと。
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