ウサギ穴から這い上がる
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──ウサギ穴から這い上がる
あの時、何が起きていたのか。
羽地が国際経済センターの大井のオフィスフロアで強襲制圧用スタングレネードを使用してから、アリスが脱出するまでの時間。
アリスはエレベータ―に乗り込み、八木との合流を急いだ。
エレベーターがパーティーの開かれてる3階のフロアで止まり、アリスは駆け抜ける。太平洋保安公司の歩哨は動員されたのかおらず、パーティー会場の前には一切の障害物は存在しなかった。
八木は騒ぎを起こしていただろうか? だとしたら脱出は難しくなる。
「八木さん!」
アリスが叫ぶ。
「この男がシャンパンをかけてきたのよ!」
「そっちがぶつかったんだろうが!」
八木は騒ぎを起こしてしまっていた。
シャンパンをかけた、かけてないで会場の注目を集めている。
『ジャガー。先輩が拘束されました。すぐに脱出を。既にナイト・ファスト・ロジスティクスは疑われています』
『ジャガーよりアリス。了解、離脱する』
八木は七海の手を引いて、会場から抜け出す。
「ちょっと! あなた!」
叫ぶ女性の声を無視して八木はアリスと合流した。
『太平洋保安公司の部隊はいない。車まで走るぞ』
『了解』
太平洋保安公司の部隊はほぼ引き上げていた。まるで罠のように感じられる。
その時、エレベータ―の開く音が聞こえ、ブーツの音が響く。強化外骨格の駆動音ととともに。
「ナイト・ファスト・ロジスティクスの社員を確認」
「射殺許可は下りている。やれ」
太平洋保安公司の部隊から八木を狙って銃弾が叩き込まれるのに八木は転がるようにして遮蔽物に飛び込んだ。
『スタングレネード』
強襲制圧用スタングレネードが迫りくる太平洋保安公司の部隊に向けて投擲される。一瞬で視界が潰され、音で三半規管がおかしくなる。
『急ぐぞ。連中、俺たちを撃つことをまるで躊躇っていない』
恐らくは戦闘適応調整を受けていると八木は語った。
民間軍事企業だって痛覚をマスキングするし、体内循環型ナノマシンで速やかな傷口の止血を行うし、戦闘適応調整で恐怖を殺し、人工的殺意によって人を殺す。
八木たちに今できるのは逃げることだけだ。
走って、走って、走って、走り続ける。そして、駐車場に飛び込み車のエンジンをかける。電動エンジンがすぐさま応答し、八木は付近の車や歩行者を無視して自動車を荒っぽく道路に飛び出させる。
国際経済センターの正面に止まっていた装甲車から50口径のライフル弾が飛来するのをジグザグ運転で回避しつつ、八木はティナトスの中を逃げ回った。装甲車は追いかけてくる様子はなく、国際経済センターの前に鎮座したまま走り去る八木たちを見ていた。
八木は車を飛ばし、シェル・セキュリティ・サービスに逃げ込む前にナイト・ファスト・ロジスティクスに逃げ込んだ。ここでIDを偽装し直さなければならない。
「非常事態。状況ゴリアテ。対処を頼む」
「了解」
非常事態はいくつか考えられていた。
ひとりが拘束された場合はゴリアテ。人間がふたり拘束された場合はゴルゴタ。ミミックふたりが拘束された場合はソロモン。全滅した場合にはジェリコ。
すぐさまIDの書き換えが行われ、再びシェル・セキュリティ・サービスのIDを入手した八木たちは一気にシェル・セキュリティ・サービスまで車を飛ばす。核兵器の脅威に警戒していた民間軍事企業の部隊から威嚇射撃を受けるも、それを無視して八木はシェル・セキュリティ・サービスの社屋に飛び込んだ。
「ボス。羽地少佐が拘束されました」
「電子情報軍団が確認している。ヘリで郊外まで連れていかれている。ティナトスの郊外にはファシリティ-12っていう太平洋保安公司の捕虜収容所がある。恐らくはそこに連れて行くつもりだと考えている」
既に矢代たちは動いていた。
「空間情報宮団がドローンで撮影した最新の情報が来たわ。ファシリティ-12にヘリが着陸している。警備はみたところ1個中隊規模。対空火器はなし。空襲には備えていないように思える」
「ヘリボーンで強襲しましょう」
「無理よ。対空ミサイルがあるかもしれないし、ドローンだけじゃ火力が不足する」
「では、あれを使いましょう」
「あれってまさか、あの骨董品? まともに飛ぶかどうかも分からない。無謀よ」
「やる価値はあります。電子情報軍団は大井のデータベースをかっさらえたんでしょう? 情報を手に入れたんでしょう?」
「そうよ。その功労者である羽地君を見捨てるなというのは分かるわ。だけど、これ以上損害が増えたら元も子もないわ」
矢代は慎重だった。
「今、こうしている間にも羽地少佐は尋問されている可能性があるんです。あそこは企業の治外法権地域でしょう? 捕虜収容所がおかれるのはそういう場所だ。あそこでは羽地少佐は日本国政府に助けを求めることもできない」
「負けたわ、八木君。部隊を準備して。あなたが指揮官よ。1個小隊をあなたに預ける。それからドローンによる航空支援も。敵は装甲車を保有している。航空支援は必ず必要になるはず。それからどうあっても全員を連れて帰ってきて。死体になっていてもよ。ID検索されてうちがヒットしたら、今度はうちが民間軍事企業の資格を剥奪される」
「了解」
八木は敬礼を送り、直ちに準備を始める。
まずは部隊を呼集。1個小隊の特殊作戦部隊のオペレーターたちが集まる。古今と月城も当然参加する。スミレとリリスも同様に。
「ヘリと輸送機で強襲すると同時にドローンで装甲車を排除する。空間情報軍団が把握してる限り、敵の基地に対空火器は確認されていいないが地対空ミサイルには警戒。輸送機は予備を含めて3機動員。ヘリはあれを使う」
「あれってマジですか? あの骨董品を?」
「ああ。使えるものは何だろうと使う」
「そりゃまた随分とぶっ飛んでますね」
特殊作戦部隊のオペレーターはヒューと口を鳴らした。
「迅速な行動を心掛けろ。何事も素早く。敵を速やかに制圧し、目標を速やかに脱出させる。必要以上の交戦は控えろ。敵は押さえつけておけばいい。ヘリの火力もあるし、航空支援もある。どんどん援護は要請しろ。ただし、目標の傍では航空支援は控えるように。分かったな?」
「了解」
全員が頷く。
「月城曹長、古今軍曹。古今軍曹はヘリから支援。月城曹長は俺と一緒に来い。ブリーチングチャージはお互いが所持。どちらが死亡しても、迅速に目標を救出し、必ず死体になっていようと全員を連れて帰れ」
「了解」
月城と古今が今までにないほど真剣な表情で頷く。
「敵の装備も、全体的な規模も不明だ。何が出て来てもおかしくない。だが、こちらも火力はある。火力を叩き込み制圧し、目標を奪還するぞ。いいな?」
「戦車が出て来たって相手にしてやりますよ」
特殊作戦部隊のオペレーターたちはそう請け負った。
「それでは直ちに航空基地に移動。敵による検知を避けるために物資輸送の名目で輸送機とヘリは動かす。ドローンからはID剥いでおく。事前の準備はそれぐらいだ。さあ、装備を準備しろ。準備は5分以内だ。急げ、急げ!」
全員が慌ただしく動く。IDでタグ付けされていない銃火器と弾薬を手にし、ボディアーマーと強化外骨格を装備する。そして、全員が八木の命令通り5分以内で準備を終えて、トラックに乗り込んだ。
そして、航空基地に移動する。
「まさか、本当にこいつを使う羽目になるとはな……」
八木はそう言いながら、作戦に動員される兵器を見上げた。
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