そして、独房の中で
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──そして、独房の中で
羽地はまたVIPルームに戻された。独房だ。
ここは企業にとって治外法権が働く地域である。忌まわしいCPA17号命令状態の場所である。シャルストーン共和国はおろか、日本国政府も手出しできない。そんな権利を得るまでに企業は巨大化したのだ。
羽地はただ考えていた。
ハイブリッドな主権国家。司馬はこともなく語った話。
それから、食の話。
昔、倫理の授業で教わったことがある。牛一頭を育てる穀物で一体何人の中央アジアの飢えた難民を救えるだろうかという問題。牛一頭も豚一頭も飼育にかかるコストは馬鹿にならない。だから、日本は昔肉食ではなかったのだ。別に仏教が肉食を禁じていたからだけではなく、牛というものを労働力として扱うのと、食料として扱うのとでは、前者の方がコストパフォーマンスが高かったのだ。
今はヴィーガン向けの食料も充実している。人工的に栄養素を付加し、遺伝子組み換えで育ちやすくした小麦や大豆、米。動物を殺さずに済むのならば、その方がいいじゃないかと思う人は昔よりも増え、彼らは専用のクリニックで栄養バランスをチェックしてもらいながら、菜食主義の生活を送っている。
だが、それは決して自然などではない。人の一部は言う。『連中は自分の慈悲深さに酔っているナルシストだ』と。確かにそうとも言えるだろう。結局のところ、メティスが食料プラントで育成するヴィーガン向けの作物のコストを、難民支援のための作物に割り振ったら、もっと大勢の難民が飢えずに済むのだ。
だが、今の時代、慈悲とはファッションであり、自分のリベラル寄りな政治的立場を主張して回るのはクールなことだった。まさに『自分たちは動物を助けている素晴らしい人々だ』と慈悲に酔ってるというわけだ。
だからと言って、昔ながらのジャンクフードの代表品である馬鹿デカいハンバーガーを頼んで、ナノマシンに脂肪を除去してもらい、それでいて食べ過ぎたと途中で捨てるのはそのハンバーガーの肉の原材料である家畜を育てる穀物を完全に無駄にしている。
家畜用の穀物を提供しているのも大体はメティスで、彼らはヴィーガン向けの作物を人工栽培している隣で家畜の穀物を育てていたりするのだから、酷いジョークだと思う。優先度が一番低いのは難民向けの作物でほとんどヴィーガン向けの栄養素添付で遺伝子組み換え作物ではあるのだけれど、コストはギリギリまで削られていて、酷い味と臭いだという話だった。
実際に羽地は国連の保管庫に収まっている化学臭のするそれを見たことがある。
難民向けの作物はとにかくコスト重視で、その地域の伝統や文化になんてまるで配慮していないから、難民が生まれるような地域からは徐々に伝統料理が消えていき、彼らの生きて来た証が消えて行っているのだ。
世界的な均一化。グローバリゼーション。
ビッグシックスが脅威なのは一国の主権を脅かすとかいう小さな問題ではない。世界をあらゆるグリッドで繋げてしまい、そしてプレス機で押しつぶしたように均一化してしまうことにこそある。
ビッグシックスは巨大資本だ。一昔前に流行ったGAFAなんかとは規模が違う。彼らはITインフラを握っているし、実際の物流を握っているし、その商品の製造過程を握っているし、商品の原材料を握っているし、原材料の採掘技術を握っている。
それはGAFAが子供の企業ごっこに見えるほどに独占的で、寡頭的で、圧倒的だった。彼らは世界のあらゆる場所の商品の価格を自由に操作することができて、彼らが本格的にコストを削減しようと思ったら、伝統や歴史などは一瞬で葬り去られる。それどころか政府が転覆し、クーデターが起き、革命が起き、内戦が起き、お決まりの国連包括的平和回復及び国家再建プログラムが発動する。
国家の主権が脅かされている?
既に連中は国連包括的平和回復及び国家再建プログラムによっていくつもの国家を支配下に置いているじゃないか。それともそういうものの対象になる国は、結局のところ先進国にとって『痛み』にならない国家なのか?
ボスニアが戦火に晒されたとき世界は動いた。ウクライナが侵略されたときも世界は動いた。だが、ビッグシックスが国連包括的平和回復及び国家再建プログラムで旧時代的な植民地支配を行うことには誰も抗議の声を上げない。
それもそうだろう。彼らは国連の名の下に動いているのだ。
正義は我々にあり、というわけだ。最強の正義の御旗を掲げたビッグシックスの軍隊は有志連合に過ぎないアメリカ軍を中核とした軍隊より強力な倫理的優位を持っている。それが何をしていようとも。
民間人に向けて機関銃を乱射していようとも、彼らの言う国家再建プログラムというのは旧時代の植民地支配と同義であったとしても、軍閥がいなくなり、飢えて死ぬ子供たちがいなくなり、選挙が形だけでも行われるようになるならば、国際社会は彼らの行動は成功だと判断していた。
そして、西側基準の文化と倫理と政治体制を持った国々を判を押したように量産し、世界を均一化する。野蛮な文化や倫理と決めつけられた行為は徹底的に弾圧され、歴史から消滅する。西側の人間が理想とする『模範的国家』には伝統も文化も継承されない。
アフリカから狩猟の伝統は消えた。それが野蛮だから。自然保護の見地から見て悪だから。これまで先祖代々行われてきた伝統は各地で倫理を理由に消えて行っている。ビッグシックスの恐ろしい点はこれだ。価値観の均一化の強制。
彼らは倫理を振りかざし、国連の名の下に文化と伝統を消し去る。対テロ対策の名の下に個人情報を収集し、国民を監視する。均一に整えられた自分たちの商品を押し付け、競合する商品に非倫理的、デューデリジェンス問題に抵触するとのレッテルを貼る。
プレス機があらゆるものを押しつぶしていく。ガチャンガチャンと音を立てて、グローバリゼーションという名のプレス機が価値観を、文化を、伝統を、倫理を、考え方を押しつぶしていく。愛情省の101号室より慈悲深く、オブラートに包みながらも、その本質はジョージ・オーウェルが描いた全体主義国家のそれを変わりない。
全ては会社の利益のために。
国連包括的平和回復及び国家再建プログラム。
実に慈悲深く、実に残酷なシステム。
今、異世界で同じことが行われているが、そこでは平和は回復されていないし、国家は再建されていない。完全な嘘っぱちだ。
こう呼ぶべきだろう。国連包括的紛争発生及び国家スクラッププログラムとでも。
日本情報軍が日本の利益しか気にしないのはしょうがない。彼らは日本を守るために宣誓した軍人の集まりだ。日本以外の国がどうなろうと二の次だ。日本は覇権国家ではないし、世界の警察でもない。
だが、ビッグシックスの真の脅威は異世界にすら西側が理想とする『模範的国家』像を押し付けるところにあるのではないだろうかと羽地は思った。
それこそが冷酷にして、残忍な行いのように羽地には思えてならなかった。
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