大井の内情
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──大井の内情
太平洋保安公司が大井のシステムに外部から侵入する原因を作った人間を拘束したと聞いて、大井リサーチ&コンサルティングの情報保全部の職員が飛んできた。
「間違いなく日本政府の送り込んだ人間?」
「恐らくは。これは君の専門だろう、ガブ」
情報保全部の担当者はガブリエラ・マックスウェルという情報保全部次長だった。
アメリカ人の元国家安全保障局所属の軍人。例によって出世欲が強いがあまり、国家安全保障局を飛び出してきた女性である。
ナノマシンによるアンチエイジングで30代ほどの若さを保っているが、大佐まで出世しているので、見た目ほどの若さではない。
「ええ。私の仕事ね。被疑者の取り調べはもう始めている?」
「被疑者は取り調べない。我々は日本情報軍との関係を悪化させたくはない」
「本気で言ってるの? 連中は我々のシステムを物理的に遮断しなければならない状態に追い込んだのよ。その上、どこでどう情報が盗まれているかも分からないのに。それなのに、その原因を作った人間を取り調べない?」
ガブリエラは信じられないという顔をした。
「取り調べない。日本情報軍との関係を悪化させて得をするのは他のビッグシックスだ。日本政府との関係悪化は招くべきではないし、そのためには日本情報軍との関係を悪化させるべきではない」
「言っておくけど、関係を悪化させようとしたのは我々の側じゃない。向こうよ。向こうが我々のネットワークにウィルスを流し込み、ファイアーウォールを無力化した。明白な敵対行為ということはあなたも認めるわよね?」
「認めよう。我々は一時的に日本情報軍との関係が悪化した」
「理事会は一時的にとは思っていないようだけど」
「理事会と話したのか?」
「あなたが話さないから私が話した。それだけよ」
ガブリエラはそう言ってのけた。
「全く。ただのぼやを大火事のごとく言い広めるのは止めてもらいたいものなのだが」
「ただのぼやでも大火事になり得るのよ。理事会は日本情報軍がポータル・ゲートのこちら側で仕事をしていることに苛立っている。それは明確な横浜条約違反だから。だから、日本情報軍への制裁に賛成している。件の被疑者と日本情報軍の関係を明白にし、この事実を白日の下に晒す」
「そうすれば日本情報軍はあらゆる手段を使って我々を叩き潰すだろう。彼らを侮ってはいけないよ。彼らは世界でも有数のブラックメールリストを持っているのだから」
「我々も今、日本政府に対する切り札を持っているのよ?」
「使ったら終わりのね。それに彼らは表向きは民間軍事企業だ。それを主張されたら、我々としては何の抗議もできない。この世界で民間軍事企業同士が殺し合っていることが、国連包括的平和回復及び国家再建プログラムが偽りであることが、白日の下に晒されるだけだ」
そう言って司馬は肩をすくめた。
「そして、彼らにこちらへの敵意はない。彼らはロシアから流出した戦術核を探しているだけだ。我々がHRTSTC作戦で探しているように。そういう意味では我々は共通の問題を抱えていると言ってすらもいい」
「我々の掴んだ情報だと日本情報軍の狙いはポータル・ゲートのこちら側における我々の支配体制を破壊することにあると聞いたけれど? そのために軍閥の指導者を暗殺し、軍事顧問団を暗殺して回った、と」
「優先度が変わったんだよ。誰も戦術核が爆発することなんて望んでない。誰もだ。そのために彼らは戦術核を探し、無力化しようとしている。私としては彼らが悪いロシア人の尻ぬぐいをしてくれることには賛成だがね」
司馬はそう言ってガブリエラを見る。
「それとも君は何かい。国家を相手に企業が本気で戦争を始められるとでもいう妄想に憑りつかれているのかね? 相手は国家だ。企業は確かに巨大化し、国家に与える影響も大きくなった。だが、相手は正当な自由民主主義のプロセスを経た上で成立した政府を冠する国家なんだ。我々が敵う相手ではないよ」
軍隊の規模も忠誠心も何もかも我々とは桁が違うと司馬は言う。
「では、我々はあなたの言うハイブリットな主権国家においてどのような立場になるの? 国家の使い走り?」
「そういう言い方はよくないね。彼らとは協力関係を築くんだ。政府が経費削減と効率化のために我々を必要とし、我々は国家から事業を得ることで確かな立場を得る。関係を深めれば深めるほど、我々はひとつの存在となっていく。それが私の考えるハイブリットな主権国家だ」
「結局のところ、一事業者の域をでないわけね」
「出る必要があるとでも? 出たところで責任ばかりが増えて、いいことなど何もないよ。馬鹿馬鹿しい。理事会は何の野心を抱いているか知らないが、主権国家には責任が伴う。その責任を我々までもが背負う必要があるとは思えない」
「けど、権力は次の富を生み出すことに使える」
「権力は責任なくしては手に入らない。無責任な権力は早晩失われる。イギリスの陥落の後をみたまえ。アトランティスはイギリスを陥落させた。彼らはそれによって確かに富を得ているが、養わなければならない国民ができた。日本ならば1億人の国民。ぞっとするよ。それだけの国民を養わなければいけないとは」
司馬はガブリエルをそう説き伏せる。
「そこまで権力欲のないあなたがよく今の立場に就けたわね。心底不思議だわ。あなたは理想的なことを口にする。昔ながらの古典的国家に新しい企業という主体を付随させると。乗っ取るとは決して言わない。そこまで権力に否定的なあなたがどうして大井のポータル・ゲートのこちら側における最高権力者になれたのか不思議だわ」
「欲がないからこそだよ。欲のある人間を植民地の総督にするべきじゃない。それは汚職の蔓延を招くだけだ。私ぐらい無欲で、頭の足りない人間が総督をやっている方が、企業としても安心できるんだよ。どうせ、実務を仕切っているのは君のような優秀なスタッフだ。私は彼らに方向性を示し、見ているだけでいい」
権力欲のある総督はいずれ親からの独立を試みる。それは企業にとって望ましくないとも司馬は付け加えた。
「それじゃあ、あなたのキャリアはこれでお終い?」
「だろうね。私のキャリアはこれが最高だ。後は本社勤務に戻されて、何やら適当な仕事を割り当てられて、定年が過ぎればさようならだ。これ以上昇進することはないだろうし、そうなることを望みもしないよ」
「本当に無欲ね、あなた。だけど、私はあなたがそれで本当に納得しているとは思えない。あなたは何か考えてるのではないかと思っている。そして、その何かは誰にとっても不都合なことなのではないかと」
「酷いなあ。そんな疑いを掛けられるなんて」
ガブリエラが見つめるのに、司馬は苦笑いを浮かべた。
「とりあえずは戦術核だ。これをどうにかしない限り、日本情報軍の干渉は止まらない。そして、我々が戦術核を持っていると彼らは疑っている。この疑いは早期に晴らさないとそれこそ誰にとっても不都合なことになる」
「同意する。それはそれとしてあの男は尋問するわ。明日から始める」
「お好きにどうぞ。警告はしたからね」
「ええ。聞いたわ」
そしてガブリエラがファシリティ-12に残るのに司馬はヘリで去った。
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