大罪
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──大罪
食事ついて語る司馬。
「肉を得るために、人間がどれほどの穀物を消費しているか。良質な肉を得るために、人間がどれほどの資源を消費しているか。人間は美食のためにあまりにも多くの資源を無駄にしている。そう、今はメティスが食料プラントでいくらでも穀物や人工肉を生産する。この世に食料は有り余っているかのように錯覚する」
けど、実際はそうじゃないと司馬は言う。
「メティスとて無から有は生み出せない。彼らは食料生産のために資源を必要とする。穀物を育てるための有機物。それはどこから持ってくるのか? 私は彼らが死体からそれを得ていると聞いたことがあります。人工肉など欺瞞の象徴。人工肉を培養するために、どれほどの資源が消費されていることか」
「何が言いたい?」
羽地は司馬の言わんとすることが分からず、そう尋ねる。
「需要と供給の問題ですよ。人間は栄養素を摂取しなければ死んでしまう。それが需要。我々は様々な形でその需要を満たす供給を行う。A5ランクの和牛から人工肉まで。味気のなさそうな宇宙食からフランス料理のフルコースまで。美食は罪だ。だが、人間が生きる上で栄養を摂取することは、ただの生存のための活動でしかない」
司馬がそう言う。
「私は何を食べても美味しいだとか、不味いだとか感じない。この感覚の不全を治すつもりもない。ナノマシンがあれば人工の味覚が手に入るでしょう。あなた方が人工的な殺意で人を殺すように、私は人工的な味覚で栄養を摂取することになる。だが、そんなのはごめんだ。私は栄養が摂取できていさえすればそれでいい」
それと同時に、と司馬は付け加える。
「我々企業においても同じことが言える。我々はただ単に需要と供給の関係にあるだけです。人間が欲する栄養素を需要とし、我々は人体を生かすために供給する。もちろん、我々の使っている人体は質素倹約な暮らしをしているわけじゃない。些か贅沢な暮らしをしている。それでも需要に対して、供給は行われる」
経済的には消費が拡大する方が望ましい。栄養素を摂取するためにサプリメントとゼリーだけを摂取するのではなく、暴食という罪を犯し、贅沢な美食をして貰う方が、健全な経済が維持できるのだとも司馬は語った。
「であるからにして、あなた方が巨大企業を目の敵にするは筋違いというものなのです。確かに我々は巨大化した。だが、それは必然だった。地球の人間が求め、我々が与えてきた結果だ。我々は肥大した。だが、同時に地球の経済も肥大した。我々は皆が肥え太った豚だ。他者のことなど考えず、貪り続けてきた豚だ。だが、我々はそれを恥じてはいない。所詮は栄養素のバランスの問題であり、豚とは些か肥え太っても、それが本来の姿であり健康に害はないのだから」
にこりと微笑んで司馬はそう言ってのけた。
「地球の国家の主権を脅かしているのではないか?」
「主権とは何のためにあるのです? 国家のため? 政府のため? それとも国民のため? 主権をどうこうというのはもう随分と古臭い発想ですよ。今やその主権を持った国々はその主権に伴う義務を放棄し、我々に外注している。国連のブルーヘルメット任務から国民の安全保障に至るまで。あらゆる分野で国家は自ら主権を放棄している。主権に伴う義務を果たしていない。国際的にも、国内的にも」
確かにその通りだ。国家は主権を主張する一方で主権に伴う義務を果たしていない。主権とは権利であり義務だ。国民を保護することや、国際的な貢献を果たすこと。それらを行ったうえでの主権だ。
だが、今の国家はなんでも民間企業にアウトソーシングしてしまう。国連のブルーヘルメット任務からなにまで、企業に外注し続けている。それでいて、主権を主張することがあっていいのだろうか?
「だが、主権とは尊重されるべきものだ。企業のための国民ではない。企業のための政府ではない。自由民主主義によって選ばれた政府であり、国民の政府が有する権利だ。それをいくら国家の仕事を引き受けているからと言って、企業が主権を奪っていいものではない。主権は国家のものだ」
「もちろん、その通り。我々は何も積極的に国家の主権を奪おうとしているわけではないのです。結果としてそうなっただけ。国家は、主権を主張するならそれを堅持する姿勢を見せるべきだった。だが、国家はそうしなかった。企業に主権を小売りにした」
司馬が語る。
「国家はひとつの生物の群れです。人間というのがいくら高等な生物になろうと、我々が生物的な群れとして行動しているという事実は覆らない。そして、主権とは何か? ヴェストファーレン的な古典的国家のあり方であれば、絶対的な群れの中での権力。他の群れから干渉を受けることなき、群れとしての権利」
ヴェストファーレン──30年戦争の結果の末に生まれた国際法のあり方。
「だが、今やその国家という群れは分裂している。あなた方は巨大企業が全ての元凶だというが、そうではない。価値観の多様性だ。立派な角を持ったリーダーがいいのか、体格の大きなリーダーがいいのか、あるいは狩りの上手いリーダーがいいのか。群れの中で多様性が生まれた。群れの、国民の意識の変化だ。国家が国民のためにあり、主権が国家のためにあるのならば、主権とは国民のためにあるものだ。国民が新しい国家の在り方を望むのであれば、それに応えるべきでしょう」
だから、国家は主権を切り売りした。国内の治安維持──いや、主権としての法の執行に民間警備企業を導入し、主権を持った国家の果たすべきブルーヘルメット任務を企業に外注し、主権を守る国防の一部を企業に委託した。
「それでも企業が悪いのだと言いますか? 国家が自ら、国民の賛同を得て主権を切り売りしたのに? 古典的国家観から我々はそろそろ新しいステップに進むべきだ。ハイブリットな国家。これからポータル・ゲートの有無にかかわらず、企業は存在感を増していくでしょう。国家はもっと様々なものを自らの意志で企業に委託する。だが、企業が国家を乗っ取るわけではない。ハイブリットな国家では主権は政府の主導するヴェストファーレン的なものと、企業が主導する新しいものが組み合わされる」
司馬は続ける。
「何も国家の在り方を400年も昔の条約に拘って定める必要はないでしょう? 400年前にも傭兵集団はいましたが、今のようにハイテク機器を取り扱う専門家たちじゃなかった。今の傭兵──民間軍事企業は国家だけでは扱えないハイテク兵器の整備・運用・管理を行っている。そして、昔はエネルギー政策においても企業の手を借りる必要はなかった。そもそもエネルギー政策というものの比重は大きくなかった」
だが、今の時代においてエネルギー政策を無視することは決してできないし、エネルギー政策において企業の存在は不可欠だと司馬は語る。
「400年前とは何もかもが変わったのです。400年前の国家の在り方を今も続けるというのは無理がある。我々は世界が変わったことを受け入れ、新しいステップに進むべきだ。もちろん、国家は国家であり、企業は企業だ。企業は選挙で選ばれたものではない。だが、資本主義という名の洗礼を受けている。今のデューデリジェンス問題に機敏な消費者たちの洗礼を受けている。それが企業が国家と並んで主権を維持する上での建前です」
長話が過ぎましたね、と司馬は立ち上がる。
「私はあなたを尋問する気はないし、させないつもりだ。だが、私の同僚はあなたのことを調べたがっている。あなたも身の振り方を考えるべきだ、羽地悠日本情報軍少佐」
司馬そう言って取調室から出ていった。
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