敗戦処理
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──敗戦処理
羽地たちは敗北した。
戦術核はポータル・ゲートの向こう側に運ばれてしまった。
「残念だが、我々の任務は失敗した」
第501統合特殊任務部隊の司令官がそう言う。
「だが、取り返しようのない敗北だとは言わない。戦術核をポータル・ゲートの向こう側で押さえればいいだけだ。確かに向こうには高度な輸送追尾ネットワークもないし、今のところ“ウルバン”が誰に戦術核を売るつもりなのかも謎だ」
司令官は淡々と語る。
「だが、我々はまだ負けてはいない。向こう側の事情に詳しい羽地少佐たちの部隊がいる。彼らに戦術核を引き続き追ってもらう。指揮系統は再び第403統合特殊任務部隊となるが、彼らが我々の意志を継いでくれることだろう」
羽地はそれを聞いて『虚無』を感じていた。
俺たちは負けたんだよ。完膚なきまでに。ポータル・ゲートの向こう側で戦術核が炸裂するのはそう遠い話ではないはずだ。軍閥の手に渡れば、軍閥は嬉々としてそれを使うだろう。それがどういう結果を生むのか、彼らは理解していないのだから。
「了解。任務に当たります」
羽地はそうとだけ返した。
「ポータル・ゲート・ワンは暫く封鎖される。警備の見直しのためだそうだ。例の戦闘の件で太平洋保安公司側が対応したというアリバイを作るためのものだろうが、そうであろうとなかろうと、ポータル・ゲート・ワンは2週間ほど使えない」
ポータル・ゲートが2週間使えなくなることによる経済的ダメージは計り知れない。
「羽地少佐たちにはアメリカにあるポータル・ゲート・ツーに飛んでもらう。そこからポータル・ゲートの向こう側に飛んでくれ。既に第403統合特殊任務部隊には、連絡が言っている。向こうからの迎えもあるはずだ」
アメリカにあるポータル・ゲート・ツーのある位置はロサンゼルス沖合だ。そこに日本と同様に人工島を作り、管理している。ニューヨークでのヴァンデンバーグ人工島建設に携わったアトランティスが建造を手伝っていたはずだ。
「偽装IDの準備はできている。シェル・セキュリティ・サービス名義で登録されているので、そのように行動してくれ。以上だ」
これで話すべきことは終わったというように司令官はデブリーフィングを終えた。
「少佐。出発は?」
「今夜だ。時間は差し迫っている。ポータル・ゲートの向こう側でいつ核兵器が炸裂するか予想できる人間なんていないだろう」
八木が尋ねるのに羽地がそう答える。
「了解。準備します」
「幸い、今回のフライトは民間機だ。快適な空の旅になるだろう。恐らく乱気流を気にしなければゆっくり眠れるぞ」
「それはありがたいですね」
作戦が連続している。悪い傾向だ。
戦闘後戦闘適応調整が行えていない。日常と戦争の境界があいまいになる。
しかし、時間がないのは事実だ。戦術核をどこの軍閥が手に入れたとしても、連中はそれを嬉々として使うだろう。人類の悪意の総決算セールの品を同じ同胞に対して情け容赦なく使用するだろう。
だが、向こう側に流れた戦術核がすぐに見つかるとも思えない。
シェル・セキュリティ・サービスの社屋に着いたら、戦闘後戦闘適応調整を受けさせよう。羽地を含め全員に。特にアリスたちにはそれが必要だ。
だが、羽地は段々戦闘後戦闘適応調整が嫌になり始めていた。あれは『痛み』を『虚構』にする技術だ。羽地の感じた『痛み』は本物だ。羽地はシベリア鉄道の作戦の最中、そして開門島での戦闘の最中、殺した敵は、殺した人間は、負傷したときに流れた血は『虚構』などではない。本物だ。
全ての感触は必要だから存在する。確かに人間は完璧な生物ではない。生物学的欠陥をいくつも抱えている。それでも人間は地球の生物学的覇権を握るまでに生き残った、成功した生き物だ。成功には理由がある。人体の機能には意味がある。
ストレスは生存本能を刺激する。“闘争・逃走反応”を脳の古い部位から呼び起こし、生命に生き残るための道を選択させる。脳内物質が分泌され、脈拍が早まり、心臓は早鐘を打ち、体は急速に反応する。
まさに生を感じさせる行動だ。それが健康に悪いとしても。
確かに長期的なストレス下にあるのは健康に恐ろしく有害だ。だから、2010年代の兵士たちは派遣された国から帰ってきたときに、そのストレスのせいで社会に馴染めなくなり、PTSDという軍の嫌う4つのアルファベットを引き起こした。
だが、有害だからと全てを取り除いてしまうことが本当に有益なのだろうか? 『痛み』と『痛い』と感じさせない痛覚マスキング。その精神版が戦闘後戦闘適応調整。それは確かに軍における自殺者の数を減らし、PTSDに別れを告げた。
だが、果たしてそれは本当に正しいことなのだろうかと羽地は時折考える。
人間が『痛み』と『痛い』と感じるのは理由があってのことだ。自分が怪我をした。負傷した。治療しなければならない。休まなければならない。そう促すために『痛み』は『痛い』と感じられるのだ。
ストレスも同じではないのか? それとも羽地が過保護な軍人であるために、昔ながらのタフな兵士に憧れているだけだろうか?
いずれにせよ本能が逆らおうとしているのか、最近の羽地の戦闘後戦闘適応調整酔いは酷い。調整を受けてから1時間から1時間30分程度の記憶が飛ぶ。脳への負荷がかかっているのだろう。本当に精神科医は自分の脳に適切な処方をしているのだろうかと疑問に感じ、その疑問が戦闘後戦闘適応調整に対する不信感をより感じさせる。
しかしながら、戦場と日常に区別を付けなければ、ストレスは貯まり続け、いずれ最悪の結果をもたらす。だが、今は常に戦場にいるような状況だ。
ロサンゼルス国際空港に向けて羽田から飛び立ち、羽地たちは民間機の中で休めるうちに休んでおく。アリスたちも羽地たちに配慮して、静かにしていてくれた。
機体は静かに静かに飛行を続け、太平洋を越えたフライトはやがて終わる。
現地のレンタカー店でそれぞれが車を借り、アメリカの治安当局を刺激しないような形で羽地たちは活動する。偽装IDを使い、日本情報軍という諜報機関の人間が動いていると知ればアメリカの治安当局も動かざるを得なくなる。
そうならないように羽地たちは慎重に行動し、軍人であることは隠さずとも、諜報機関の人間であることは隠しぬいた。軍人はロサンゼルスでは珍しくない。日本の開門島と同様にポータル・ゲートの位置するこの都市には大勢の民間軍事企業の人間が押し寄せてるのだ。ここは元軍人のたまり場だ。営利目的に軍で国を守るために教わった術を使う人間のたまり場だ。
羽地たちはアリスたちを棺桶に収め、シェル・セキュリティ・サービスのIDを使ってアメリカに位置するポータル・ゲート・ツーを潜る。
戦術核は果たして奪還できるのだろうか?
羽地は疑問と責務の間で考え込みながらも血液検査とワクチン接種の確認を始めとする検疫措置を終え、ポータル・ゲート・ツーを潜った。思えばポータル・ゲート・ツーから異世界に向かうのは初めてのことだなと羽地は思ったのだった。
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