戦闘後戦闘適応調整酔い
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──戦闘後戦闘適応調整酔い
アメリカを始めとする先進国の軍隊は過保護な嫌いがあると羽地は前々から思っていた。戦闘適応調整などその極致だし、戦闘後戦闘適応調整を受けて、ぼんやりと夢見心地で過ごしていられる時間など、まさに過保護の現れだ。
だからと言って軍隊の仕事が楽なわけじゃない。
ただ、先進国では兵士の価値があまりにも高価なものになってしまったがために、過保護にせざるを得ないのだ。1ダース6ドルの子供兵と違って、羽地たち先進国の特殊作戦部隊のオペレーターの財政的、政治的、社会的価値は計り知れないものがある。
肉1ポンドでは多すぎるほどに膨大な価値が。
羽地たち日本情報軍特殊作戦部隊が戦闘後戦闘適応調整を受けている間、作戦に参加したアメリカ情報軍特殊作戦部隊のオペレーターたちもほぼ同様の措置を受けていた。彼らはあの命の危機があった戦場のことを夢か何かだと思っている。だが、あれは間違いなく現実だったのである。
アメリカ人の好きなFPSをプレイしたような感触だとアメリカ情報軍インディゴ特殊作戦群の指揮官は語っていた。凄くよくできていて、のめり込んでしまうようなフルダイブ型のFPS。それをプレイしていたような感触だと。
だが、あれは夢でもなければ、フルダイブ型のゲームでもない。
間違いなく現実で、羽地たちは悪いロシア人を殺し、殺されかけて戻ってきたのだ。
そんな西側の過保護な軍隊と違ってロシア人たちは昔ながらの兵士たちのストレス解消をやっていた。ウオッカで乾杯。戦友たちと酒を飲み交わし、愚痴り合い、生存を喜び合い、生を確かめる。
「思うんだが」
アメリカ情報軍インディゴ特殊作戦群の指揮官が語る。
「あっちの方が俺たちが受けている戦闘後戦闘適応調整より遥かに健全なんじゃないか? 俺たちもビールでも飲みながらああして話していたら、夢だのゲームだのと現実で起きた戦争を否定せず、受け入れることができるんじゃないか?」
「それができなかったから、こうして戦闘後戦闘適応調整が生まれたんだ。確かに仲間内で車座になり、酒を飲み交わし、戦場で起きた出来事を語る。2020年代まではそれで凌いできた。だが、アメリカの退役軍人のホームレスと自殺者の数は増え続けた。日本も同様だった。だから、戦闘後戦闘適応調整が生まれたんだ。脳みそを覗いてもらい、薬と言葉で溺れさせる。慈悲のオーバードーズが俺たちには必要だったんだ」
「慈悲のオーバードーズか。面白い表現だな」
面白いものか。深刻な問題だぞと羽地は思う。
慈悲のオーバードーズは冷酷のオーバードーズと同じくらい痛ましい。心の『痛み』を『痛い』と感じさせず、脳みそを覗きながら、患者の権利である『痛い』と感じる権利を取り上げるのだ。『痛み』を『痛い』と感じさせることなく、『虚構』へと変えてしまう。『虚構』は現実を夢やゲームのように思わせ、戦友たちの死すらあいまいな物に変えてしまう。事実、羽地は最初に自分の前で死んだポイントマンの下士官が死んだ時、涙のひとつも流さなかった。
残酷ではないか。あまりにも。
「しかし、“ウルバン”ね。こっちも探っていたところだ。奴にはジェノサイド幇助罪がかかっている。ジェノサイド幇助罪なんて俺も初めて聞いたが、国際法的に認められた罪らしい。奴は異世界で軍閥によるジェノサイドを幇助しているということらしい。だったら、ジェノサイドを実際に行っている軍閥たちはどうすんですかって俺が尋ねたら、返ってきた言葉が分かるか?」
「国連包括的平和回復及び国家再建プログラム」
「よく分かったな。それだよ。向こうの罪人は向こうで吊るし首にするとさ。国連から委託された民間軍事企業が」
だったら“ウルバン”も民間軍事企業に任せちまえばいいじゃないかとアメリカ情報軍インディゴ特殊作戦群の指揮官は愚痴った。
「国際法なんてものは形ばかりの代物で戦争を吹っ掛ける口実くらいにしか使えないのさ。それか誰かを真剣に国際刑事裁判所送りにしたい場合。それでしか物事が収まらない場合。だが、結局のところ、虐殺をやっている人間も、それを助けている人間も罪名を付けて手配されるが、与えられるのは法の裁きではなく、俺たち殺し屋の鉛玉だろう?」
「全くだ。国際法なんてクソッタレだ」
羽地とインディゴ特殊作戦群の指揮官がそんな愚痴を話していたとき、アリスがやってきた。アリスを羽地はぼんやりと見る。戦闘後戦闘適応調整の影響がまだ抜けていない。アリスの存在が夢の中の存在のように感じられる。
「アリス。よく頑張った。いい子だ」
「はい」
何と言葉をかけていいか分からず、羽地の口から出た言葉は飼い犬でも褒めるような言葉だったが、アリスの反応も大型犬のような反応だった。
「日本情報軍が子供を使っている噂は本当だったんだな」
「ああ。そうさ。俺たちはクソッタレだ」
羽地は戦闘後戦闘適応調整でぼんやりとする頭で基地の中を歩き始めた。
つい数時間前まで戦術核から10メートルも離れていない場所にいて、超国家主義派ロシア軍の攻撃ヘリに追い回され、アリオール・タクティカルという民間軍事企業の戦闘機に助けられるまで死ぬかもしれない状況だった。
だが、羽地にとってそれは『虚構』になってしまった。
残酷な慈悲のオーバードーズ。
畜生。俺は優しさで絞殺されちまうぞと羽地は思った。
「羽地少佐?」
「月城曹長。君はしゃんとしているようだな」
「戦闘後戦闘適応調整酔いですか? 確かに何度も受けると脳への負担が大きくなり、ふらつくような症状が出ますが……」
「それから前向性健忘。そして、末期になると脳死状態になると俺は聞いたよ。脳波がフラットラインを描くってね。あまりに何も感じず、脳死と同じ状態になると。それに近づいていっているのだろうかね」
「大丈夫ですか、羽地少佐?」
「アリスを知らないか?」
「アリスでしたら、真島さんのところで処置を受けていたと思いますが」
「いいや。もう終わったみたいなんだ。ああ。ちょっと頭がしっかりしてきた。慈悲のオーバードーズで死なずとも済みそうだ」
「慈悲のオーバードーズ? 本当に大丈夫ですか、羽地少佐?」
段々頭がちゃんと働いて来た。
戦場から日常に戻るのは戦場で感じた負担が大きければ大きいほど難しいという。羽地は指揮官という立場上、月城たちよりも受ける負担は大きかった。戦場から夢の国を経由して、日常に戻るのに山手線を一周しなければならない。
「月城曹長。上は何か言ってきたか。戦術脳神経ネットワークには何の情報もない」
「分析AIの解析待ちです。例の戦術核のIDをトレースしているところだと聞いています。戦術核が現れた場所は分かりましたが、そこからどこに消えたのかを追っている最中だと。羽地少佐。一度、カウンセリングを真剣に受けられた方がいいですよ」
「いつも俺は真面目に精神科医と話しているよ」
羽地はそう言ってこの臨時の基地での自分のテントに向かっていった。
今はただ、眠りたい。
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