魂の形
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──魂の形
忠誠派ロシア軍の空軍基地には時代遅れのSu-24戦闘爆撃機があったし、Su-57戦闘機も存在していた。ロシアの空軍力は内戦が始まってから急速に低下していた。それは優秀なパイロットたちが民間軍事企業に引き抜かれたこともあるだろう。
第501統合特殊任務部隊はその空軍基地で待機となり、第501統合特殊任務部隊の司令官が現地のロシア軍部隊と任務の調整を終えるのを待った。
「先輩?」
「ああ。なんだい、アリス?」
羽地が今回の作戦に関する情報を戦術脳神経ネットワークからダウンロードし、ARのスクリーンで見ていたとき、そのスクリーンの向こう側のアリスの姿が見えた。
羽地は一度ARのスクリーンを畳み、アリスの方を見る。
「最近はプライベートな時間が少ないなと思いまして……。その、任務中には本当にこういうことをしてはいけないと思うのですが」
「会話ぐらいなら別に怒られはしないさ。何か話したいことがあるんだろう?」
「……はい」
アリスは羽地が座っているパイプ椅子の隣に椅子を持ってきて座った。
「羽地先輩。先輩は魂を失うのが恐ろしくはないですか?」
「それはもちろん怖いさ。死ぬってことだからな。死は本能的な恐怖、だったか。俺は初めて死ぬと言うことを知った日から暫く死が怖くてしかたなかった。死んでしまって、何もなくなると言うことが怖くてしかたなかった」
誰もが子供のころに経験するだろう死への恐怖。
それは本能的な恐怖だ。死というものを本能で恐怖している。自己保存の本能はほんのわずかな子供のころから芽生えており、人間に死を恐怖させる。
「羽地先輩たちの死は不可逆的なものですよね。バックアップを取ったり、予備のボディを準備したりはできない」
「そうだ。俺たちの死は覆らない。肉体が死に、魂が死ぬ。脳で形成されていた凝集性エネルギーフィールドは溶けるようにして失われて行き、決して元通りになることはない。七海は死を恐れたそうだが、アリスもそうなのか?」
羽地はそれとなくアリスに尋ねてみる。
真島は言っていた。七海以外のミミックたちにも死を恐れるようになった傾向があると。彼女たちは記憶のバックアップと予備のボディがあるにもかかわらず、死というものを認識し、恐怖するようになったと。
「私も死を恐れています。しかし、それはただの恐怖ではないのです。偉大なものへの畏敬としての恐怖。私は死を恐れると同時に崇拝してもいます。死こそが人間を、生命を、その存在たらしめているのだと。それがない私たちは所詮は機械に過ぎないのだと」
そういうアリスの瞳からは涙が零れ落ちていた。
アリスが涙を流すという機能を持っているのは不思議ではない。彼女たちが人体を模している以上、多目的光学センサーの汚れを拭うのに涙は必要なものだ。
だが、そうではない。アリスは自分が機械であることを嘆いているのだ。
「アリス。君は本当に魂が欲しいんだな。それを失うことの意味を理解していながら、なおそれを欲するのだな」
「はい。それが羽地先輩の隣居るために必要なものだと思っています」
「魂がなくとも君は隣にいていいさ。これまでずっとそうだっただろう? 俺はアリスに魂があるかないかで隣にいてほしいとか、ほしくないかとか思わない。アリスはアリスでいてくれればいいんだ。今のままのアリスも十分に素敵だと、俺は思うよ」
何がか口説いているみたいだなと羽地は思った。
だが、アリスにはきっと寄り処が必要なのだと羽地は思っている。
人間が自己を確立していく上で多くの経験を積みつつも、親友や恋人、家族といった他人を必要とするように、アリスもまた同じように自己を形成する上で他人を必要としているのだろうと羽地は思っていた。
「素敵、ですか? 私が?」
「ああ。アリスは優秀だし、可愛さもある。それでいて人間が普通は悩みもしない問題を真剣に考えている。それはとても素敵なことだと思う。俺はそんなアリスのことが好きだよ。好きでもない相手と恋人にはならないだろう? そして、素敵だと思うから好きになるんだ。そうじゃないかい?」
「そう、かもしれません……」
アリスは何か酷く悩んでいる様子だった。
「羽地先輩。魂というのは人の感情や決断に影響を与えるのですよね?」
「ああ。脳神経学の世界の話ではそうだ。脳に生じた凝集性エネルギーフィールドは、人間のニューロンのネットワークから生まれ、そして同時に脳に影響を及ぼす。フィードバックだ。脳は魂に影響を与え、魂は脳に影響に与える」
羽地もそこまで魂と脳の話に詳しいわけではなかったが、この任務に当たるにあたって、ある程度基礎的なことは勉強した。
「では、私が魂を得たら、魂を得る前の私とは違う存在になってしまうのですか。羽地先輩は魂がどれほど自分の精神に影響を与えているか、自分で把握できますか?」
「いいや。俺には分からない。魂は生まれたときからあって、ずっとこの脳に留まり続けていた。魂のない俺の下す決断や感じる感情は分からないから、比較のしようがない。だが、ひとつだけ言える。魂を得たアリスも、きっとアリスのままだ」
「私は私のまま……」
「ああ。急に人が変わるなんてことはない。魂は自然な形で得られるだろう。それはアリスたちの脳から生まれるものなのだから。そして、確かに魂は脳に影響を与えるが、脳もまた魂に影響を与えているんだ」
だから、心配することはないと羽地は言った。
「では、私は魂を得ても羽地先輩の隣にいていいのですね。魂を得る以前の私が素敵だと言ってくれる羽地先輩の隣にいても、いいのですね……?」
「もちろんだ。俺がこの任務に就いている間、ずっと隣にいてくれ。頼りにしているからな、アリス。俺は君のことを信頼している」
「はい」
心なしかアリスの顔色がよくなったような気がした。
最近羽地は思うのだ。アリスの最初は空虚に感じられた多目的光学センサー──瞳に輝きが宿っていると。恐らく、ただの気のせいか、思い込みだろう。アリスの多目的光学センサーはアップグレードされていないし、換装もされていない。機械としてのアリスの瞳は、最初に出会ったころから同じだ。
しかし、それに違いが見られる。
人は2010年代の最初期のロボットを使った戦争のころから、ロボットに個性を見出し、自分たちの仲間だと思っていた。その個性というのは、単なるメカニカルな問題で、ステアリングの甘さ程度のものだったりする。
人間は2060年になって最新型のロボット戦争のプレイヤーを登場させた。
それがミミックたちだ。
ミミックたちには明確な個性がある。いつもチームを纏めるしっかり者のアリス。ちょっと自虐的なところのある七海。元気一杯で活動的なスミレ。冷静で落ち着いた決断ができるリリス。それは単なるメカニカルな問題ではない。
それでもアリスの瞳に輝きを見たように感じるのは、やはり2010年代の兵士たちが夢見たようなメカニカルな問題による個性なのだろうか。
それとも羽地の感じている輝きは本物でアリスが魂を宿す前触れであったりするのだろうか。あの輝きは他の人間には見えているのだろうか。
羽地はそんなことを思いながらも、黙り込んだアリスを隣に静かにAR上での作業を続けた。戦術脳神経ネットワークは脳の分析した情報を羽地たちに送ってくれている。
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