分断された国家
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──分断された国家
「──というわけだ」
羽地は以上の話を機密になる部分は除いて、アリスに語った。
日本情報軍は気前のいいことにファーストクラスで羽地たちをモスクワに送っており、そして機内の乗客は僅かだった。
それが羽地にアリスに語って聞かせる気にさせた。
「先輩は本当に酷い状況におられたのですね……」
アリスは羽地がさっきまでそんな状態にあったかのような顔をしてそういう。
「もう何年も前の話だ。そろそろ俺も中佐に昇格していいと思うんだけどな」
このミミック作戦が終わるまでは羽地は昇進はないだろうということを覚悟していた。中佐になれば最前線の現場指揮官から全体的な現場指揮官に変わる。あるは参謀か。羽地は参謀の道が高いだろうと思っていた。
そうなればミミックであるアリスのバディは務められない。
後任人事を日本情報軍が決めるか、あるいはアリスが成長を終えて、日本情報軍が納得するまでは、現場を離れられない。だが、もう羽地が少佐になってから3年が経つ。日本情報軍の昇進が早いという話を聞けば聞くほど、少佐のままで留まっていることに不安を覚えてしまう。とは言え、羽地は同期と比べればかなり昇進は早い。
この世界的軍縮化にある世界で、軍人であると言うことは大変だ。部隊は削減され、ポストは減り、将校たちは出世の道を閉ざされてしまう。
それでも羽地はまだ出世欲があった。
この困難なプロジェクトを成し遂げれば、出世の道は開けると信じていた。
「その、先輩はその四肢になられてどう思われていますか……?」
「これかい? まあ、今はアリスたちと同じで、アリスたちの気持ちが分かる気がしていいんじゃないかな。それともアリスは俺の四肢が生身の方がよかったかい?」
「いえ。そんなことは……」
アリスは正直、羽地はそう言ってくれたことが嬉しかった。だが、羽地自身は自分の生まれ持っての四肢を失ったのだ。それを少しでも嬉しいなどと思ってしまったことをアリスは恥じる。
「アリス。空港に着いたら普通の子供のように振る舞ってくれ。俺は大使館のアタッシェになるが、アリスはその家族だ。軍属でも、軍人でもない」
「了解」
羽地は窓の外の光景を眺める。
母なるロシアの大地。
分断された大地。
ロシアが分断される状況に至るまでは長い道のりがある。
2020年代に起きたウクライナを中心とする局地紛争での西側の経済制裁。アジアの戦争のどさくさに紛れてウクライナを奪おうとしたロシアには厳しい制裁が課され、ロシアは外貨を手に入れる術を失っていた。
そして2030年代に起きたエネルギー革命。核融合発電の成功だ。
世界はエネルギー政策を一斉に転換し、ロシアはこれまで頼りの綱だったガス外交が行えなくなった。それでいて制裁はずっと続いていた。ロシアは世界中でのけ者にされ、中国ですらロシアを一時的に見限った。中国は中国で西側との交流を取り戻すのに忙しく、ロシアとの友情より西側との友情が利益になると判断した。
ロシアは孤立し、経済力はますます低下していった。
気づいたときにはロシアは第三世界の水準どころかもっと下に落ちていた。
そして、市民たちが立ち上がって暴動を起こし、長らくロシアを支配していたい強権的指導部──最高位の指導者はナノテクによって100歳を越えても指導者であり続けていた──は退陣を余儀なくされ、新政権が生まれた。
新政権は西側よりで、ベラルーシのNATO入り認めたし、ウクライナから完全に撤兵した。中東から兵を引き上げ、世界的な軍縮というものに同意して見せた。軍は大幅に削減され、同じく西側に寄った中国と軍事同盟を再締結することでそれを補った。
だが、軍縮がどう影響するかは日本情報軍の例で示した通りだ。部隊は削減され、ポストはなくなり、将校の行き場はなくなる。
経済的大打撃を受けていたロシアは資源輸出どころか、ヨーロッパ諸国から電力を買わなければならない立場に陥っており、軍のリストラはそれだけにとどまらなかった。
軍人を強制的に除隊させ、ロシアは軍縮を図った。ロシアの新指導部は本当に西側よりであり、ロシアの脅威はもはや存在しないと必死にアピールし、それでようやく経済制裁が段階的に解除されていった。
だが、ロシアのリストラされた兵士たちはそんなことに納得しなかった。
新政権は西側に尻尾を振る犬だと断じ、彼らの言う“強いロシア”を目指して、超国家主義派ロシア軍が反乱を起こした。リストラされた将兵が集まり、ロシアの輝かしき栄光をもう一度と反乱を起こした。
彼らの言うロシアの栄光というのが帝政ロシア時代のことなのかソビエト連邦としての栄光なのかは分からないが、とにかく今のロシアではない、新しいロシアの栄光を求めた。彼らはロシアという国土を分断し、殺し合いの準備を始めた。
同じロシア軍同士で殺し合う。
忠誠派ロシア軍は今も首都モスクワを押さえているが、そこがいつ陥落してもおかしくないことを人々は知っていた。そして、超国家主義派ロシア軍がモスクワに乗り込んだ場合の最悪のシナリオも日本情報軍はAIで分析していた。
90%の確率で殺戮の嵐が吹き荒れる。
忠誠派ロシア軍の関係者を超国家主義派ロシア軍は皆殺しにするだろう。彼らはそれほど西側に“媚びた”今の政権を憎んでいる。骨の髄まで、脳の奥底まで、憎しみが染みついている。
彼らは自分たちの凋落の原因は西側の陰謀のせいであり、その西側に媚びを売る今の政権を売国奴と見做していた。今もこの分断されたロシアのどこかで戦闘が起き、殺し合いが続いているのだ。
何もロシアだけが特別なわけではない。
軍人への補償を求めるボーナスアーミー事件はアメリカでも起きた。ロシアでも同じことが起きただけだ。ただし、ボーナスアーミー事件と違うのは反乱を起こした将兵が武装していることと、その武装の中にひとつの国を滅ぼせるだけの核兵器が含まれているだけの違いである。
反乱は海軍にも波及し、忠誠派ロシア軍は超国家主義派ロシア軍についた戦略原潜を自分たちの手で撃沈するような羽目に陥っていた。
それが分断されたロシアの大地。
忠誠派ロシア軍は自分たちは優勢であると世界に訴え、超国家主義派ロシア軍は自分たちこそがロシアの正統な指導者だと訴える。殺し合いは続いているが、今のところどうなっているか分からない。どちらのロシア軍の核兵器や生物化学兵器も使用されたという情報はない。ロシア人もその点では線引きが出来ているらしい。
ただただ人殺しだけが、虐殺だけが続くロシア。まるで中央アジアの狂気が感染したようだた、少なくとも羽地が知る限り、日本情報軍はこの内戦に関与しておらず、忠誠派ロシア軍を日本政府は支持している。その支持の見返りは北方領土か。
まもなく機体はモスクワのシェレメーチエヴォ国際空港に着陸する。
モスクワを押さえているのは忠誠派ロシア軍で、それは信頼できるものたちのはずだが、羽地たちは万が一に備える。
そして、機体はゆっくりと着陸していき、大地にその巨体を横たわらせた。
今から羽地とアリスの新しい戦いが始まる。
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