4年目
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──4年目
着任から4年。
配置転換や昇進の類はなかった。勲章もない。
ユダヤ人たちを虐殺した悪名高いアインザッツグルッペンは、同じように悪名高いナチス・ドイツの親衛隊大将ラインハルト・ハイドリヒがインテリやキリスト教徒などの彼の気に入らない部下を送り込んだことでも知られている。アインザッツグルッペンのような虐殺部隊に配属されることは、その気に入らない部下がナチスに忠誠心を示すための条件となっていたと言われている。
思えば中央アジアの任務もそうなのかもしれない。
羽地はエリートだった。昇進はスムーズで、情報大学校も優秀な成績を修めて通過した。これまでの任務の第101特別情報大隊という特殊作戦部隊に所属していながら、人的情報収集の任務ばかりだった。
だから、汚れ仕事をさせる。
日本情報軍の将官たちは秘密結社のような秘密主義と結束を示している。彼らの輪に入るには、秘密結社的な通過儀礼が必要だと言うこと。秘密の告白、あるいは罪を背負う。そう、羽地は罪を背負わされている。
虐殺に続く虐殺。子供兵の死体の山。
戦闘適応調整があろうとも罪は罪だ。ただ、それを罪と感じないだけで。
羽地は昇進するつもりだった。大佐止まりではなく、将官になってやるつもりだった。そのためにはここで4年過ごさなくてはならない。その4年で精神がどうにかなってしまったのならば、羽地はその程度の人間と言うこととなり、大佐止まりの人間で終わる。
出世欲があったからこそ日本情報軍を選んだ。若きエリートでありたいからこそ、日本情報軍を選んだ。社会的なステータスとして日本情報軍を選んだ。
だが、こんな地獄が横たわっているなど羽地は聞いていなかった。
今さら泣き言を言っても遅い。とにかくタフであれ、とにかく無神経であれ、とにかく国家の無謬性をひたすらに信じろ。国家は正しく、自分は正しいということを、自分のやったことは全て正しいのだと信じろ。
信じろ。信じろ。信じることを信じろ。
「羽地大尉」
新しくポイントマンになった下士官がやってくる。
「なんだい?」
「仕事です。いつも通りの首狩り任務。ブリーフィングルームに」
「ああ」
そして、今回もまたいつもの首狩り任務になるはずだった。
軍閥の指導者の情報が詳しい理由は分かった。それは日本情報軍がその軍閥の指導者を育てていたからだ。知っているのも当り前だ。日本情報軍が軍閥の発足から育成までを手伝い、そして始末しているのだから。
今ならこのキャッチ=22も理解できる。中央アジアが常に混乱状態にあり、ひとつの軍閥が他を圧倒しないように、ひとつの軍閥が勝者とならないように、常に中央アジアが混乱し続けることが重要なのだ。
虐殺が続き、難民が止まらず、子供が戦闘に動員され続けることが、人々が止めようとするそれらの残虐な行為が続くことが重要なのだ。
それがこの非対称戦の前線を定め続ける。テロリストたちに戦うべき場所を提示し続ける。存在しないはずの戦線を形成する。
首狩り──暗殺作戦のブリーフィングを受ける。
目標はいつも通り詳しい情報が提示され、プロファイリングは完璧に行われる。なんならその軍閥の指導者が子供に寝る前に読んでやる本の名前だって当てられるくらいに情報はたっぷりとあり、AIによって分析されていた。
作戦もいつも通りの夜襲。ステルス輸送機で目標傍に乗り付け、行軍し、目標を暗殺し、帰還する。あたかも幽霊のように行動して、敵に気づかれずに脱出する。いつも通り、いつも通り、いつも通り。
あまりにもいつも通り過ぎて欠伸が出そうになるほど退屈な仕事になるはずだった。
羽地たちは戦闘前戦闘適応調整を受けてまたあいまいな存在になり、輸送機の中で戦闘中戦闘適応調整が作動して人工的な殺意と人工的な緊張感が生まれる。そうやっていつものルーチンをこなしながら、輸送機から降下し、目標に向けて行軍する。
軍閥の指導者を殺すのは一瞬だった。
喉笛を掻き切り、腎臓に数回ナイフを突き立てる。それでお終い。
問題は脱出だった。
ステルス輸送機は熱光学迷彩で姿を消した羽地たちと違ってレーダーに映らないだけで、目視することはできるのだ。それが問題になってしまった。
軍閥のパトロール部隊が輸送機を発見し、丁度降下した羽地たちを回収して飛び上がろうとしたところに対戦車ロケット弾を叩き込んだのだ。輸送機はローターのひとつが吹き飛ばされ、バランスを失い、地上に向けて降下した。
羽地はその瞬間に思いっきり地面に叩きつけられ、輸送機の残骸の下敷きになった。
それから先のことは羽地は覚えていない。
ただ、羽地は助かった。
輸送機が墜落したという『痛み』は戦術脳神経ネットワークシステムで把握され、即応部隊が直ちに派遣された。それまで羽地の部隊は指揮官不在のまま軍閥の部隊と交戦し続けた。誰もが何らかの形で負傷していたが、負傷が深刻だったのは外ならぬ羽地自身だった。彼の手足は輸送機の残骸で押しつぶされ、切断され、体内循環型ナノマシンが辛うじて止血しているような状況だった。
即応部隊は羽地たちを救い出し、彼を野戦病院に後送した。
羽地は脳にも損傷を負っていたが、それは体内循環型ナノマシンが治療しつつあった。だが、彼の手足は完全に潰れ、切断されていた。止血は成功していたが、ナノマシンが止血しても無駄だと判断された場所は腐敗を始めていた。
体内循環型ナノマシンは敗血症なども予防してくれるが、腐敗した組織を元に戻すことはできなかった。そんなことができる医療用ナノマシンは今のところ、2060年代になっても発明されてはいない。
野戦病院の方でもそれは同じことだった。羽地の手足は切除され、彼は一瞬にして四肢を失った。そして、彼が目覚めたときには日本情報軍第101特別情報大隊の大隊長である大佐──第101特別情報大隊は欺瞞名称であり、実際の規模も、指揮系統も異なる──が羽地のベットの横に立っており、彼に決断を迫った。
このまま軍を傷病除隊するか。あるいは脊椎と骨盤を含めて、人工のものに置き換え、第4作戦群に配属されるか、と。
第4作戦群のことは羽地も当時から知っていた。脊椎と骨盤、そして四肢を人工のものに置き換えた傷病兵部隊。傷病兵とはいっても、より強力な人工筋肉と頑丈な骨盤と脊椎を有する彼らは普通の兵士では行えないような任務をこなす。
だが、第4作戦群はヘマをした連中の集まりだと羽地たちは普段から言っていた。
まさかそれが自分に返ってくるとは思わなかった。
だが、羽地は昇進を諦めたわけでもなければ、日本情報軍以外の場所でキャリアを作っていくつもりもなかった。
羽地はふたつの返事で第4作戦群への配属に同意し、本国に送られ、そこで手術を受けた。彼はより強力な四肢と落下や衝撃に耐える脊椎を手にし、日本情報軍での新しいキャリアをスタートさせた。
羽地の中央アジアでの最後の1年はそうして終わった。
そして、彼は無事に少佐に昇進した。
たとえ手足を失っていようとも。
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