ドクター・ストレンジラブの右手と左手
本日2回目の更新です。
……………………
──ドクター・ストレンジラブの右手と左手
日本情報軍の部隊が軍閥の指導者を暗殺して、そして軍閥の指導者を育てている間に、日本陸軍の部隊はアメリカ軍を中心とする有志連合と国連平和維持軍による難民の保護活動に参加していた。
国連安全保障理事会は中央アジアの内戦を積極的に止めることにロシアと中国が拒否権を発動し、棄却されていた。そのためアメリカ軍を中心とする有志連合が『テロリストの脅威を抑制する』という目的で活動していた。
日本情報軍の外科手術的作戦と違って、日本陸軍の作戦は昔ながらの戦争だった。歩兵が陣地を制圧し、ゲリラを包囲し、殲滅する。本当の駒としての兵士たち。荒々しい戦争と呼べる戦争。
彼らが自走榴弾砲で、無人攻撃ヘリで、アーマードスーツで、戦車で、そして歩兵の握る自動小銃でテロリストをいくら倒していても、それらは無駄だった。
彼らが倒している間に日本情報軍が新しいテロリストを軍閥として養成したからだ。羽地たちは軍閥の子供兵を訓練し、自動小銃の撃ち方を教え、対戦車ロケットの扱い方を教え、戦術的な行動について教えた。そして、日本陸軍は日本情報軍の養成したテロリストを殺害し、時に殺害される。
まるでスタンリー・キューブリックの映画に出てくる車椅子の男だ。右手と左手でやることの違う狂った状況。まさに日本情報軍と日本陸軍はそのような状況にあった。一方はテロリストを制圧するために派遣され、一方はテロリストを養成するために派遣される。どうかしているとしか思えない。
そして、忌まわしき国連平和維持軍の活動。
その任務に就いていた日本陸軍の兵士が羽地には哀れでならなかった。
彼らは必死になって難民を保護しようとしていた。できる限りの物資を使い、軍閥の跋扈によって故郷を追われた難民たちを保護しようとしていた。医療品も、食料も、テントすらも不足する中で、乳児死亡率は30%近く、助けようとした命が零れ落ちていく。
難民が発生する原因を作ったのも日本情報軍ならば、難民がより困窮する状況を作ったのも日本情報軍だった。
難民たちは日本陸軍の保護下に入った。日本陸軍は国連平和維持軍の名の下に彼らを保護していた。ブルーヘルメット任務だ。今ではこの手の任務すらも民間軍事企業にアウトソーシングされる時代だが、日本陸軍は努力していた。
しかし、情勢は彼らに報いなかった。
難民保護を名目に中央アジアで西側の勢力が増すことを恐れた中国とロシアは、中央アジアで活動する国連平和維持軍に重々しい枷を付けた。武器使用や交戦規定をがちがちに縛った。
結果、素敵で、紳士な国連平和維持軍の兵士たちは軍閥が難民キャンプに乱入してきても反撃する許可を受けられなかった。
軍閥の兵士たちがごく少数の日本陸軍の兵士たちの守る人口過密の難民キャンプに押し入り、サブラー・シャティーラ事件を繰り広げたレバノン軍団も真っ青の虐殺を繰り広げた。病人を撃ち殺し、女性を暴行し、そして子供たちを子供兵として連れ去った。
その軍閥こそ、日本情報軍の育てていた軍閥であったりするのだから、まさに右手と左手が矛盾した行動を取り続けているのだ。
結局のところ、日本陸軍は有志連合には参加し続けたものの、国連平和維持軍のブルーヘルメット任務からは離脱した。後を太平洋保安公司に任せ、彼らは難民キャンプを守れという任務を与えられながら、その権限は与えられなかった不毛な任務から離れた。
後釜に座った太平洋保安公司は日本陸軍ほど仕事熱心ではなく、難民キャンプが襲われるならばそのままにしておいてもまるで気にしていなかった。彼らは可能な限り、難民とは関わり合わず、戦闘適応調整を受け、軍閥に殺される難民の死をさらさらとしたBGMとして聞き流した。
難民は保護されず、虐殺だけが続く。
虐殺だけが、虐殺だけが、虐殺だけが。
羽地たちは軍閥の指導者を暗殺し、軍閥を育て、軍閥を潰し、軍閥を生み出し、段々とこの中央アジアを部隊にした壮大な戦略ゲームの意味を理解し始めていた。
日本情報軍はここに永遠の虐殺を、永遠の内戦を描きたいのだ。
2030年に起きた新宿駅のテロを繰り返さないために、中央アジアの憎悪を中央アジアに留める。テロとの戦争に前線というものを存在させる。本来ならば存在しないはずの非対称戦に戦線を存在させる。
憎悪を一点に集める。戦うべき場所を示す。
それが日本情報軍の目的。憎悪の拡散と浸透を防ぐために取った処置。
そして、殺される難民も、子供兵も、何もかも、その付随的損害。
羽地は全てを理解した。その上で命令に従い続けた。
羽地は駒だ。日本陸軍の歩兵のようなポーンほどの駒ではないが、ルーク程度の駒だ。駒は結局のところ、盤上でプレイヤーによって操られるしかない。
日本情報軍上層部と分析AI“天満”のご神託に従って、その手によって、羽地たち駒は動かされる。
軍閥の指導者を、子供兵を、鉱山奴隷を、難民を、一般市民を、殺す。
鉛玉で、ナイフで、爆薬で、対戦車ミサイルで。
羽地は戦場に向かうのに戦闘前戦闘適応調整を受け、子供兵に無心に鉛玉を叩き込む際には戦闘中戦闘適応調整を受け、戦場から戻れば戦闘後戦闘適応調整を受ける。
ストレスがあいまいになる。殺したという感覚があいまいになる。恐怖があいまいになる。罪があいまいになる。
それでもしっかりと精神科医は兵士である羽地を日常に引き戻してくれた。
羽地は日常と戦場の境目だけは見事にあいまいにさせない精神科医の技術というものに驚くばかりだった。戦場から帰ってきて殺気だった男たちも、軍の精神科医から戦闘後戦闘適応調整を受ければ、あっという間にドラッグ中毒者のようにだらりとした様子で外に出てくるのだ。
戦闘後戦闘適応調整を受けた後は、気力が抜けたようになる。何か長い夢を見ていたような、そんな気分になり、前向性健忘とでも言うべきものが一時的に発生する。後で司令部からメールが送られてきたり、装備の確認をしていると次第に自分が何をしたか思い出すが、それはやはり夢のような気分であり、日常に戦争が入り込まないようにブロックしてくれる。
ポイントマンの下士官が対戦車ロケット弾で“弾けた”後も、死体を持ち帰ってから、体にまとわりついた血を流し、戦闘後戦闘適応調整を受ければ、やはりそれは夢のようであった。酷い悪夢を見たような気分だった。
だが、それは夢ではない。現実だ。
羽地はポイントマンの下士官の家族に向けて、お悔やみの手紙を書いたのだ。『あなたの夫は勇敢に戦われ、名誉の戦死を遂げられました。日本情報軍は彼の貢献に対し最大限の敬意を払うとともに、その貢献を決して忘れることはありません』と。
それで羽地は思い出した。
べっとりとした臓物と血の生暖かい感触。生命が生命でなくなった瞬間の感触。ヒヨコをミキサーにかけた瞬間。
確かにそれは存在した。夢ではない。現実だ。現実に起きたことなのだ。
人は死んでいる。
だから、大勢の人々が苦難の中にあるのだ。
だが、羽地が感じるのはポイントマンの下士官の死だけ。大勢の難民や、子供兵や、鉱山奴隷たちの死は感じない。それは『痛み』にならない死だ。そよ風のように吹き去っていく死だ。いや、羽地はポイントマンの下士官の死すら『痛み』にはなっていない。心は彼の死を『痛み』として認識するべきだというが、戦闘適応調整が戦友の死をあいまいにしている。
ストレスを感じることは健康に害悪だ。
だが、ストレスを感じなければならないのにストレスと感じないのはもっと害悪だ。
……………………
本日の更新はこれで終了です。
では、面白いと思っていただけたらブクマ・評価・励ましの感想などお願いします!




