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最初の罪

本日2回目の更新です。

……………………


 ──最初の罪



 羽地たちは夜の闇の中を行軍した。


 当時から第6世代の熱光学迷彩はあり、それが夜の暗闇の中で羽地たちの姿を完全に隠してくれた。羽地たちは羽地を含めて6名の1個班の部隊で任務に応じていた。この1個班の戦力で1個連隊規模の軍閥の相手をするのはぞっとした。


 敵は120ミリクラスの重迫撃砲からロシア製の装甲車まで保有しているそうだが、まともに運用できているのは主にカラシニコフという定番の小火器とダッシュK(DShK38)などの一部の重火器、そしてテクニカルぐらいという話だった。


 羽地たちはゆっくりと、ゆっくりと目標に向かう。


 虐殺の臭いがあちこちからする。


 羽地は別にこれが初めて人の焼ける臭いを嗅いだときではなかった。東南アジアの海賊対策の情報収集でも、海賊たちが捕虜を焼き殺すのを見ている。髪のたんぱく質が焼け、脂肪が焼ける甘い臭い。吐き気のする臭い。


 そこにカラシニコフの臭いと汚物の臭いと子供兵の使うドラッグの臭いが加わる。


 自分は今、虐殺が行われている、まさにその大地を歩いているのだと羽地は実感した。中央アジアの内戦が20年以上だっても終わらないことは前々から指摘されて知っていたし、中央アジアの内戦は地獄だとも聞いていた。


 しかし、ここでは一体何人が死んだんだと羽地は思う。


 この虐殺はあちこちで行われている。あらゆる村で、都市で、虐殺が行われている。


『まもなく目標の潜伏地点』


 ポイントマンを務めている優秀な下士官が報告する。


 自分たちは夜の影に紛れており見つからない。ならば、作戦オプションは隠密(ステルス)あるのみだ。無意味に人を殺す必要はない。子供兵ならなおのこと。


 ポイントマンの誘導で羽地たちは着実に、密かに軍閥の指導者に近づく。


 軍閥の指導者は村落のモスクに立て籠もっており、神聖なモスクを拠点と化していた。羽地たち日本情報軍の首狩り部隊はモスクの周囲の塀に有刺鉄線が張り巡らされてるのを見て、正面から踏み込むしかないと判断した。


 ここからは押し入り強盗になる。


 入り口の歩哨をポイントマンが確認し、報告するのに羽地はコンバットナイフを抜いた。そして、それを構えて正面入り口を見た。


 13歳程度の子供兵が4名。ドラッグ入りのタバコを吹かして、見張りというよりも、ただ突っ立っている。警戒も何もしていない。自分たちに命の危機が迫っていることに全く気付いている様子がない。


『3カウント』


 羽地が命じ、4名の兵士がコンバットナイフを手に幽鬼のように子供兵に近づく。


 次の瞬間、子供兵の喉笛が掻き切られ、刃が腎臓を滅多刺しにする。子供兵は出血性ショックで悲鳴を上げることもなく、数秒で事切れた。


 羽地は自分が殺した死体を見る。


 まだ幼く、あどけない顔立ちをした少年が喉と腹部から真っ赤な血を大量に流して死んでいる。羽地の突き立てた刃で、羽地が握ったコンバットナイフで、羽地自身の殺意で、少年は死んでいる。


 それを見ても羽地は何も感じなかった。


 恐怖も、怒りも、悲しみも、何も感じなかった。


 何もかもがあいまいだった。


『大尉?』


 ポイントマンの下士官が声をかける。


『行こう』


 羽地はサプレッサー付きの自動小銃を握り直して暗殺任務を遂行するためにポイントマンの下士官とともに進む。他の4名は退路を確保している。死体を引きずって隠し、光源を消し、全くの暗闇の中で油断なく銃口を巡らせて警戒している。


『マイクロドローン展開』


 ポイントマンの下士官がマイクロドローンを展開し、その映像が戦術脳神経ネットワークシステムを通じて羽地にもAR(拡張現実)上で共有される。今は脊髄反射モードだ。情報は碌に処理されず、末端の対応に当てられる。


『軍閥の指導者と思しき人物を発見。生体情報を識別中』


 ここで脳が判断を下す。


『識別完了。目標です』


『俺がやろう』


 羽地は軍閥の指導者がひとりでいること確認すると自動小銃と同じようにサプレッサーが付けられた自動拳銃を抜き、マガジン1個分の鉛玉をその頭に叩き込んだ。


 羽地は極めて冷静だった。冷静すぎだった。子供兵を殺しても、まるで何も感じなかった。それが逆に恐怖に繋がろうとしていた。だが、恐怖はナノマシンの戦闘中戦闘適応調整によって揉み消されている。そして、ちょっとしたパニックが生じた。


『目標は確実に排除。離脱する』


『了解。最初はこんなものですよ』


 ポイントマンの下士官がそう言って羽地たちは元来た道を戻っていった。


 羽地は何も言わず、モスクを正面から出た。


 モスクの壁の影には子供兵の死体が隠してあった。


 その子供兵の死体の口は僅かに開いており、こう言っているようだった。


『地獄にようこそ』


 そう、羽地には聞こえないはずの声が聞こえた。


 羽地は自分がイカれたのかと思った。帰りの輸送機内でもそのことばかりを心配していた。自分の身に何が起きたかを真剣に悩んでいた。そして、悩もうとしても何もかもがあいまいで意味不明な事実に気づく。


 戦闘前戦闘適応調整はストレスの条件をあいまいにしてしまう。ストレスは何の意味もなく存在しているわけではない。人を動かすために、人の心を動かすために存在しているのだ。有害であるものの自分の、自己の、精神の輪郭を描く一部である。それをあいまいにしてしまうというのは自己をあいまいにしてしまうのと同じことなのだ。


 戦闘中戦闘適応調整も同じだ。感じるべき感情を感じない。ひたすらな人工的殺意と適度な緊張感だけを感じさせ、他をフィルタリングしてしまう。それは痛覚マスキングより残酷な処置だ。痛覚マスキングは『痛み』を『痛い』と感じさせず、ただ引っ張られたような感触を与える。何故ならば『痛み』とは生物が自らが傷を負ったと気づかせるための大切な感覚だからである。


 戦術脳神経ネットワークシステムでも『痛み』は感じられる。部隊の損害が出ればそれはネットワークに『痛み』として感じられ、脳は『痛み』を止めるために対応する。あるいは脊髄が反射的に反応する。


 だが、戦闘中戦闘適応調整はひたすらな虚無だ。


 何も感じない。何も感じない。慟哭して、泣き叫びたくなるような感情はまるで湧いてこない。それに相応しい体験をしたのに何も感じないのだ。


 これが羽地の犯した最初の罪。


 羽地は理解した。どうしてブリーフィングルームにいた兵士たちから活力を感じなかったのか。どうして偽りの日本を基地内に再現したのか。どうして戦闘適応調整なるものが必要とされるのか。どうして脳みそにナノマシンを叩き込んでいても、人はそこに自分で鉛玉を叩き込んでしまうのか。


 地獄にようこそ。


 中央アジアの悪夢は始まったばかりだ。入り口にすら辿り着いていない。


 この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ。叙事詩『神曲』。ダンテ・アリギエーリ。


 羽地は門の前に立った。そして、門に手をかける。


 だが、その前に軍の精神科医が彼を日常に無理やり引き戻す。


 戦闘後戦闘適応調整を終えた羽地は夢を見ていたような気分を味わっていた。悪夢を見ていたような気がした。だが、司令部から作戦についての報告書を求めるメールを受け取ってそれが夢ではないと理解する。


 羽地は中央アジアの泥沼に入り込もうとしていた。


……………………

本日の更新はこれで終了です。


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