中央アジアの悪夢
本日1回目の更新です。
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──中央アジアの悪夢
羽田からモスクワへの直行便に羽地たちは乗った。
荷物は最小限。最悪、向こうで揃えたかったが、今のモスクワの物価は凄まじいことになっており、どこも品薄だというので、月城に手伝ってもらってアリスの旅行セットを揃えた。羽地は出張は初めてではないので慣れたものだ。
遠征ではなく、出張の経験もある。羽地はこう見えて中国語に精通しており、中国の日本大使館にアタッシェとして一時期勤務していたことがあるのだ。本来の駐在武官の補佐だったが、貴重な中国の情報を集めて、中国との関係強化に向けて動いていた。
だが、彼の大部分の履歴は中央アジア絡みだ。
「先輩。少しいいですか?」
「何だい、アリス?」
離陸が終わり、シートベルトサインが消えたところでアリスが尋ねる。
「どうして先輩は四肢を?」
「それか……」
羽地は思っていた。前から思っていたこれについて話すべきか。話さざるべきか。
「長い話になる──」
そして、幾分かの機密の部分は話せない。
羽地が両手足を失った直接の原因が対戦車ロケット弾の攻撃を受けたからだ。
だが、そこに至るまではたっぷりの銃弾と、大勢の死と、盛大なる嘘偽りと、陰惨な裏切りの数々が横たわっている。
最初に中央アジアが“崩壊”したのは2030年代初頭。
中国内陸部で独立運動を活発化させていたウイグル族の軍閥がその原因だと言われている。中国は西側がこのテロリストを支援していたと非難するが、今に至るまでその証拠も出てこないし、西側は関与を徹底的に否定している。
中央アジアで活発化したイスラム原理主義運動と民族主義的運動、政治的運動が激化していき、やがて無数の軍閥の跋扈を許すことになった。それが中央アジア崩壊の序曲であった。軍閥と政府軍が戦闘を繰り広げ、どちらも先鋭化していく。
虐殺を繰り広げる過激化した軍閥。民衆を弾圧する強権的な政府軍。
だが、日本情報軍はこれを好機と見て取った。
日本は2030年に新宿駅爆破テロ事件が起きていた。
どうすれば次のテロを防げるか?
そうだ。過激派たちを誘き寄せる餌を作ればいいのだ。
その餌こそが中央アジアそのものだった。
日本情報軍でそれはこう呼ばれていた。『バートケージ作戦』と。
中央アジアの内戦は日本情報軍によって制御されるものへと変わった。正確には日米豪の三頭政治体制でコントールされることになった。
ある軍閥を滅ぼし、別の軍閥を生み出す。その軍閥を滅ぼし、また別の軍閥を生み出す。軍閥同士を対立させて殺し合わせる。政府軍を適度に支援し、軍閥の完全支配には至らないように調整する。
とにかく重要なのは人が死に続けることだった。過激派を磨り潰すように使い、軍閥に打撃を与えながらも勝利を手にさせて、次には敗北させる。
盛大な中央アジアを舞台にしたグレートゲームの最新版。
その最中に羽地もいたのだ。
羽地は当初は日本情報軍第101特別情報大隊第3作戦群所属で、中央アジアに配属されていた。初めての配属日は2055年3月1日。羽地が大尉として昇進した時に配属された。既に羽地はその時、東南アジアでの海賊に関する情報収集や大使館のアタッシェなどを経験しており、第101特別情報大隊の人的情報収集の面で活動した経験があった。
既に日本情報軍の情報大学校を卒業し、これからは将来有望なエリートとして特殊作戦部隊の分野で経験を積むことになっていた。ゆくゆくは日本国防四軍で持ち回りで担当してる日本国防四軍の特殊作戦を指揮する特殊作戦軍の司令官を目指していた。
中央アジアで4年。それだけ任務をこなせば無事少佐に昇格し、今度は現場ではなく参謀として作戦に参加し、次にもっと大規模な現場指揮官になり、また参謀を経験しの繰り返しで、将官まで登りつめるつもりだった。
4年。4年だ。たったの4年、最前線の指揮官を務めるだけでいいのだ。
だが、その4年が地獄になろうとは羽地も思ってもみなかった。
日本情報軍の基地は陸軍と同居しており、対戦車ロケット弾ですら貫けない高いヘスコ防壁の壁に囲まれており、有刺鉄線とリモートタレット、レーザー迎撃システムで守られていた。リモートタレットはAIが判別した不審な、または明確な脅威となる目標への射撃を人間が指示し、レーザー迎撃システムは上空を飛翔する鳥以外のものを全て叩き落とした。迫撃砲も、ロケット弾、ドローンも何もかも。
そこでの生活は日本と同じだった。コンビニがあって、フルダイブ型の映画館があって、ファストフード店があって、コーヒーチェーン店があって、まるで日本を切り取って持ってきたかのようだった。
羽地は着任した当時一安心したのを覚えている。
これなら安心だと。ここでの4年間は快適なものになるだろうと思った。
だが、その予想はすぐに裏切られることになる。
作戦のブリーフィングを受けたときに既に違和感を感じていた。
ここにいる兵士たちのゾンビのような感触に。それは精鋭の特殊作戦部隊の兵士というよりも、ドラッグ中毒者に似た雰囲気を放っていた。一部の将校や下士官はまともだったが、一部は明確に心病んでいたようだった。
ブリーフィングの内容もおかしかった。内容は軍閥の暗殺。それそのものに違和感はない。だが、あまりにも情報が揃いすぎていた。敵の規模も、装備も何もかもを把握しているという勢いで情報があり、不安定要素は可能な限り取り除かれていた。
それから知らされたのは子供兵の存在。
子供兵が軍閥の指導者の近衛兵をやっている。平均年齢は14歳。
子供兵の存在については羽地も知っていた。東南アジアの海賊たちも子供兵を使っていたからだ。だから、そこまで驚くべきことではなかった。しかし、彼は忘れていた。彼は子供兵の存在を知っていても、殺したことはないということを。
戦闘前戦闘適応調整は念入りに受けた。
そこで自分があいまいになるのを始めて感じた。善悪の境界線がぼやけ、正義というものが分からなくなる。ただただ、殺意だけを植え付けられた気分だった。今なら親兄弟ですら殺せそうなほどのあいまいさ。これまで戦闘任務は訓練以外では受けて来なかった羽地は、これが初めての戦闘前戦闘適応調整だった。全てが初めてのことだった。
それから強化外骨格を装備し、最新のステルス輸送機で戦地へと向かう。部下をなるべく早く把握しておこうと羽地はいろいろと会話を持ち掛けたが、乗ってきたのは比較的正気である一部の下士官ぐらいで、他は押し黙っていた。
そして、降下。
人工筋肉の耐久性に任せた自由落下降下で、敵地に降り立ち、長い道のりを進む。
そこで羽地は虐殺の臭いを嗅いだ。
カラシニコフの放つ硝煙の臭い。汚物の臭い。子供兵の使うドラッグの臭い。人の焼ける臭い。それらが合わさった虐殺の臭いを嗅いだ。
数十名の、数百名の命が失われてる臭い。
それは今でも鼻に染みついて、離れずにいる。
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