無意識の形成
本日1回目の更新です。
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──無意識の形成
羽地は矢代から命令を受けたのち、すぐに地球に行くことを全員に伝えるつもりだったが、戦闘後戦闘適応調整を終えたアリスから真島が呼んでいると聞かされて、真島の下に向かった。
「羽地君。君はとんでもないことをしてくれたぞ」
非難するような口調で真島が羽地にそういう。
「軍の任務なんてとんでもないものばかりですよ。まさか、七海の足が治らないとかですか? それにしては七海の姿は見えないようですが……」
「七海の足は元通りだ。スペアパーツと交換した。体内システムも治療した。問題はそこではない。彼女たちの無意識を君が無意味に刺激してしまったということだ」
真島はそう言う。
「どういうことです?」
「彼女たちは無意識を獲得している。そのことが分かった。七海は怪我をした時、恐怖の感情を覚えたと自己診断プログラムで告白している。恐怖をこれまでミミックたちが感じることはあったかね?」
「それはないはずがないでしょう」
「では、聞くが、君は何故任務中に感じるはずの恐怖を消すために戦闘前戦闘適応調整や戦闘中戦闘適応調整を受ける? どうして恐怖は発生する? それについて考えたことがあるかね?」
「それは……死への恐怖からでしょう」
「そう、死への恐怖だ。では、何故死を恐れる? 死は何故恐ろしい?」
「死は誰だって恐ろしいでしょう。そういうものです」
「説明になっていないぞ、羽地君。死を恐れるのは自己保存の本能からだ。生物が有している自分を守り、自分の種を守ろうとする本能からだ。自分自身の死を、羽地君が認識していないように本能で恐れているのだ」
真島はそう言いながら、デスクトップパソコンのキーボードを叩く。
「ミミックたちにも自己保存の本能という無意識が生じた、と言ったら驚くかね?」
「AIが自分を消されることを恐れるということですか?」
「その通りだ。どうすればAIは自己の消滅を恐れる? 彼女たちは生まれついてそのような本能を持っていない。我々人間には遺伝子に刻まれた本能がある。だが、AIである彼女たちにはそのような本能はプログラミングされていない。では、何故、七海は死を恐れたのだろうか? 彼女の何が死を恐怖させた?」
真島は続ける。
「それはAIが無意識を学習した証拠なのではないだろうか。自己保存の本能という名の無意識を手にし、死を恐れたのではないだろうか? 確かにAIである彼女たちには生まれたときからは自己保存の本能などプログラミングされていない。基本的な自己学習型AIとしての基盤があり、我々はそこにビッグデータを流し込んで学習させただけだ。彼女たちはその過程で死について学んだだろう。自己保存の本能についても学んだだろう」
真島はさらに続ける。
「だが、学んだだけでそれが身に付くわけではない。彼女たちを君たちは特殊作戦部隊のオペレーターとして訓練したが、彼女たちはそれ以前に特殊作戦部隊について学んでいる。だが、君たちは彼女たちの行動に納得できなかった。そうだね?」
「ええ。それなりの応用訓練は行いました。我々もVRトレーニングを行いますが、実弾と実際の環境の訓練とは違うものですから」
「そう、異なる。本に書かれていることを読むだけでは自己保存の本能を獲得するわけでもないし、死への恐怖を獲得するわけでもない」
幾分かニュアンスが違うが、真島の言うことは間違っていない。本を読むだけでそのことを獲得できるのならば、双極性障害の本を読めば双極性障害になるのか? ということなのである。
自己保存の本能も死への恐怖も、本を読んで獲得するものではない。
「さて、問題だ。どうして七海は自己保存の本能を見せたのか? いや、“ミミック全員”が自己保存の本能を見せているのか?」
「何ですって?」
羽地は思わず聞き返した。
「言った通りだ。診断の結果、全員が死への恐怖を程度にもよるが得ている。死を恐れている。それとも君はこれが七海だけの問題だと思っていたのか? 七海だけが特別な存在だと思っていたのか?」
「今回の負傷に関係していたのかと……」
「それもあるだろう。だが、思い出してもらいたい。ミミックたちは体験を共有すると言うことを。七海の体験も共有されている可能性がある。これからに備えて。いざ、自分が負傷したらどうなるかに備えて」
真島が言葉を続ける。
「七海の経験は共有された。そのことで今回のことが起きたか? 私はそうではないと思っている。負傷は直接の原因ではないと。間接的な原因だと考えている。七海に自己保存の本能は生まれたのは外ならぬ君たちとの経験値の蓄積にあるのだ思っている」
「我々が七海に自己保存の本能を呼び覚まさせたと? 経験値で?」
そんな馬鹿なというように羽地が聞き返す。
「そうだ。死ねば経験値は失われるのが生命としての在り方だ。そして、今の七海は間違いなくその思考は人間のそれだ。君たちとの経験値を重ね、AIから生命へと思考が変わった。その傾向はアリスたちにも見られているのではないか?」
確かにアリスは恋人であることを望んだあり、コミュニケーションを求めるようになった。人間の精神科医が言ったように。傷を癒すためのようにコミュニケーションを求めた。繋がりを求めた。
「それで、経験値を失いたくないために死を恐れるようになったと?」
「私はそう考えている。これがAIが人に近づいたことだとも。彼女たちにとって経験値はバックアップできるものだ。今回の作戦で七海が完全に破壊されていようとも、我々は予備もボディから七海を復元できた。それなのに七海は死を恐れた。今の自分が、今の自分だ、そう、それが失われることを恐れた。AIがバックアップの有無を関係なく、死を恐れたのだ」
真島は前々かおかしいと羽地は思っていたが、そうも言えなくなってきた。
彼はアリスたちを人間の代わりにしようとしている。人間社会にアリスたちを組み込み、資本主義に適応させ、日本の減少した人口の代わりにしようとしている。彼は自らそう語っていたのだ。AIに人権を与えずとも、人類社会に迎え入れるべきだと。アリスたちには、AIには人間の代わりが務まると。
何と馬鹿げた話だと羽地は思っていたが、ここまでの事実が示されると冗談とは思えなくなってくる。七海は死を恐れた。バックアップで復元できる存在が、今の自分の死を恐れた。バックアップを利用することを選択しなくなった。
「七海には今が、その瞬間の自分が大事だったのだ。バックアップと自己を分離して考えている。バックアップの自分は自分ではないと考えている。完全に人間の思考ではないか? 人間は自分のクローンに自分の記憶と人格を植え付けてもそれを自己だとは認識しないだろう? 七海、いやミミック全員が今やその領域にあるのだ」
真島は何かに憑りつかれたかのような表情をしていた。
まるで財宝の山を目撃した海賊のように。彼は歓喜していた。
「だが、だがだ。君たちはその生まれたばかりだろう無意識に刃を突き立てるような行為をした。彼女の足の負傷は、あれはなんだ? 地雷か? それとも銃撃か? 彼女たちの精神は発育途上だと何度もそう言っているだろう。彼女たちがあの忌々しい日本情報軍の言う人間と同等のレベルの無人機とやらになるまでには、相当な経験値が必要だ。それも彼女たち自身に自信を持たせるようなポジティブな経験値が必要だ」
「しかし、場所は戦場なのです。何が起きるかは保障しかねます。今回なんて対戦車ミサイルによる奇襲攻撃だったのですからね」
「君たちは訓練された軍人だろう。彼女たちくらい守って見せたまえよ」
「無茶苦茶を言わないでください、真島さん」
羽地は首を横に振る。
「それからわけあって一度地球に戻ることになりました。同行しますか?」
「もちろんだ。今の彼女たちからは目が離せない」
真島はそう即答した。
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