フェイクニュース
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──フェイクニュース
「悪い知らせ。イドリースは核の輸送には全く関わっていない。天満のご神託は大外れだった。イドリースは戦術核に金を払っていないし、超国家主義ロシア軍にそれを運ばせてもいない」
矢代の言葉にブリーフィングルームのシェル・セキュリティ・サービスの社員たちが『マジかよ』とため息を吐く。
「そして、どうしてこんなミスが起きたのかを日本情報軍情報保安部が調査した。その結果、日本情報軍上層部の一部勢力が意図的に天満にイドリースが犯人だとする情報を入力していたことが明らかになった。つまりは裏切者がいたのよ」
その矢代の言葉にブリーフィングルームが静まり返った。
「じゃあ、日本情報軍上層部のお偉いさんたちは俺たちに何をさせようってつもりだったんですか? 戦術核が炸裂するのを眺めとけってことだったんですか?」
「恐らくはそう。一部は戦術核が炸裂することを望んでいる。理由は分からない。けど、彼らの目的は明らかに戦術核を炸裂させること」
それもポータル・ゲートのこちら側で、と矢代が言う。
「誰も得をしない出来事ですよ。日本情報軍の敗北であるし、企業たちにとっての損害でもある。確かに日本情報軍はポータル・ゲートのこちら側の企業帝国の支配を覆せとは言っていましたが、これがそれに繋がると?」
「何も日本情報軍上層部の一致した見解ではないの。あくまで一部の人間の判断」
その一部の人間は何を考えていたんだ? 戦術核が炸裂することに何のメリットを見出したんだ? 連中は俺たちが戦術核を追えないようにしただけなのか? それとも戦術核がこちら側に持ち込まれることも計画の一部だったのか?
「何はともあれ、戦術核はどこかで炸裂するのを待っている。一部の人間は既に天満から閉め出された。もう偽情報に踊らされることはないはずよ。次に入ってくる知らせは本物だと言うこと」
天満のご神託にもこれでケチが付いた。これからは天満のご神託だとしても、信じる人間は少なくなるだろう。
「何もかも吹き飛ばしちまって解決ってことなのかね……」
「そうかもな」
シェル・セキュリティ・サービスの社員たちが呟くようにそう言う。
企業帝国を企業帝国ごと吹き飛ばす。それはさぞかしいい選択肢なのだろう。何もかもが爆発の熱で蒸発し、溶解し、人間が形を失う。そのことをあまりにも日本情報軍上層部の一部の人間は軽々しく考えていないか?
「知らせは以上よ。今も天満は戦術核を追っている。日本情報軍の全部隊が戦術核の行方を追っている。もう妨害はなし。確実な成果が上がってくるはずよ。それまでは待機しておいて。天満はかなり早い段階で戦術核は見つかると思っている」
「了解。期待して待っていましょう」
そこで会議は終了となった。
「羽地君」
「はい。何でしょう、ボス?」
「アリスちゃんたちがついに魂を得たそうじゃない」
矢代は喜ばしいことのようにそれを語った。
実際に喜ばしいことなのだろう。アリスはずっと魂を得ることを望んでいた。それが得られたのだ。これを喜ばずして、何を喜ぶというのだろうか。
だが、羽地には一抹の不安があった。
「確かに喜ばしいことです。ですが、これで本格的にアリスは代替不可能になった。真島さんも言っているように魂をバックアップする手段はない。アリスの魂は、一度失われれば、それで終わりなんです。かつてのアリスには戻らないんです」
「人間はみんなそうじゃない。彼女は人間になったのよ。ついに人間になったの。喜んであげましょう。もう1年かしら。アリスちゃんがここにきて、私たちが驚いてからあっという間に時間は過ぎたわね」
「ええ。そうですね、ボス」
アリスと出会ったからまだ1年程度しか経っていないのかと羽地は思う。
この1年であらゆる物事が変わった。アリスも羽地もそれに適応しながら生きて来た。生き残ってきた。これから先も生き残れるだろうかと羽地は考える。
いいや。生き残るんだ。生き残れるかどうかじゃない。生き残るんだ。
アリスも死なせない。自分も死なない。アリスに生まれた魂を無駄にはしない。
魂がエントロピーの法則によって消滅し、科学的な天国も地獄もないならば、この魂はこの世界で燃焼させなければならない。ここで使い切ってしまわなければならない。悔いが残らないように。無駄にしないように。
「羽地君。恐らく次の作戦にもあなたちが投入される。それが天満のご神託だろうから。準備はしておいて」
「はい」
羽地は矢代にそう言ってブリーフィングルームを出た。
「先輩!」
ブリーフィングルームの前ではアリスが待っていた。
「アリス。どうした?」
「その、お話をと思いまして。私が魂を得てから何か変わったのではないかと」
「そうか。そうだな。気になるもんな。これから待機命令が出ているから、少しお喋りしておこう。すぐに忙しくなるかもしれないからな」
「ええ。分かっています」
アリスは頷くと、羽地とともに歩み進んだ。
アリスはどう思っているのだろうか。これから死というものが明確に存在するという事実をどう受け止めているのだろうか。受け止めきれているのだろうか。考えているのだろうか。もうバックアップなどできないということを知っているのだろうか。
羽地は自分が考えても仕方のないことだと首を横に振る。
アリスは羽地よりずっとしゃんとしている。アリスはちゃんと考えているのだろう。羽地が考えている以上に考えているだろう。だから、何も心配する必要はない。きっと上手くいく。きっとこれからも上手くいく。
「先輩?」
「ああ。何でもない。行こう」
それから羽地とアリスは会話を行った。
魂について話した。愛について話した。アリスは羽地への愛を語った。羽地はアリスへの愛を語った。両者は愛し合っていることで同意した。
「私にとっての初恋、ですね」
「そうだな。俺と違ってアリスは報われたわけだ」
「あ。いえ。そういうつもりでは……」
「いいんだ。アリスにはずっとずっと幸せになってほしい。これまで苦労した分、ずっと幸せになってほしい。そう思っている」
羽地はそう言ってアリスを抱きしめ、アリスも羽地を抱きしめた。
「また言葉が溢れてきそうです」
「魂だ。魂を得た結果だ。魂が言葉を生み出しているんだ。アリスはもうただの機械などではない。魂と権利を有するひとつの尊厳ある個体だ」
そこまで事態が急速に進歩するとは思わなかったが、日本情報軍がいつの日かアリスたちの事実を公表した日には、アリスたちは人間として認められるだろうか?
認められるべきだと羽地は考えている。
彼女たちは壊れた玩具のように同じフレーズを繰り返し、子供兵を戦闘に動員し、虐殺を繰り広げる軍閥の指導者や日本情報軍上層部の人間よりもずっと人間らしいのだから。彼女たちは人間以上に人間らしい。
「アリス。頼むから、俺の傍からいなくならないでくれ」
「はい、先輩。私はずっと先輩の傍にいますよ」
羽地が呟くようにそう言うと、アリスは微笑んでそう返した。
羽地にはそんなアリスが無性に愛らしくてならず、絶対に守らなければと思った。
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