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AIの恋と言葉と魂

……………………


 ──AIの恋と言葉と魂



 イドリースの血液からバトラコトキシンが検出された。


 バトラコトキシン。天然に生息するヤドクガエルが生成する毒物であり、日本情報軍が暗殺に使用する毒物だ。これはまずバトラコトキシン誘導体としてナノインジェクターで相手の体内に送り込まれ、体内で緩やかにバトラコトキシンとなる。


 そして、毒性を発揮する。


 恐らくはホテルのロビーで撃たれて、それから部屋に向かったときに毒性が発揮されたのだろう。イドリースは完全な密室殺人で殺害された、というわけだ。


「これが意味するところは」


 矢代がブリーフィングルームで語る。


「ビッグシックスが我々と同じ方法を取り始めたのか。あるいは日本情報軍の一部部隊が我々には何も知らせずに動いているということ」


 シェル・セキュリティ・サービスの社員たちが唸る。


 日本情報軍の一部が裏切った説というのは否定できないからだ。


 彼らは日本情報軍が引き起こしてきた様々な矛盾を見ている。右手を押さえつけようとする左手と、勝手に動こうとする右手。


 だからこそ、否定できずにいる。日本情報軍の一部が暴走しているという可能性を。


 なんなら“ウルバン”の正体は日本情報軍のオペレーターである可能性すらある。


「今のところは日本情報軍上層部を信じる。彼らがどんな裏切りに手を染めているか分からないけれど、彼らのことを信じる。それしか方法はないから。日本情報軍上層部を疑って、得をした人間がこれまでいる?」


 誰も答えない。


 いないからだ。日本情報軍上層部に逆らうと言うことは破綻を意味する。


「我々はこのことを天満に知らせる。彼女の“ご神託”がどういうものになるのか。それを待つことにしましょう」


 そう言って矢代は会議を解散させた。


「先輩」


「アリス。どうした?」


「その、プライベートな時間を、と……」


「ああ。最近は時間が取れなくてすまない」


「いえ。皆さん、お忙しい様ですから」


 確かに忙しいと言いえば全員が忙しい。矢代は日本情報軍上層部を相手にすることになるかもしれない。暴走した右腕を止める役割を求められるかもしれない。シェル・セキュリティ・サービスの社員たちも、暴走した右腕のやらかしたことを隠蔽する任務を仰せつかうかもしれない。


 今がとても忙しいのは事実だ。


「アリス。少し話そう」


「はい」


 アリスは相変わらずぎこちない笑みを浮かべる。


「部屋に行こう」


 羽地とアリスは羽地の部屋に向かう。


「さて、何から話したものか。アリス、あれから俺も勉強したんだが、魂というのは言葉とともに発達するかもしれないんだろう?」


「はい。アダム・クライン教授の説では。ですが、我々は言葉を生み出しています。こうして羽地先輩と会話できているように」


「うん。会話はできている。それはアリスが後天的学習で得た成果だ。求められているのはもっと本能的な、心から来る言葉なんじゃないだろうか?」


「心からくる言葉、ですか」


「そう。アリスが今何を感じているのか、後天的な学習によらない言葉で表してみたらどうかな。とは言えっても、難しいよな。俺たち人間には生得的に言葉を生成するモジュールがあるって説だけど、そんなものを意識して俺たちは会話したりしないし」


「私は今ぽかぽかした気分です。胸の内が温かく、それでいて複雑なものを感じます。これが何なのか私には分かりません。ですが、ここから導き出される演算の結果は分かっています。私は──」


 アリスが羽地を見る。


「羽地先輩を愛しています」


 アリスは真っすぐ羽地を見てそう言った。


「そうか。それが君の答えか」


 羽地は頷いた。


「俺も君を愛してるよ、アリス」


「先輩……」


 アリスがそこで涙を流す。


「今、留めなく言葉が溢れてきています。愛している。嬉しい。温かい。けど、怖い。それでもやっぱり嬉しい。これからもずっと羽地先輩と一緒にいたい。この絆を手放したくない、絶対に終わらせたくない」


「そうだ。それだ。その言葉こそが魂を生み出すのかもしれない」


 羽地はハンカチでアリスの多目的光学センサーの洗浄剤を拭う。


「言葉が自然に湧いて出た。これこそが魂を得たということじゃないのか? アリス、君の夢はもしかすると叶ったのではないか?」


「私の夢が……」


「俺たちはみんな操り人形だ。俺たちは戦闘適応調整という魔術で動くブードゥー人形だった。だが、アリスはそれに逆らって見せた。自分の感情を発露できた。だからこそ、君は魂を得たのではないか?」


「まだ、何も分かりません。今はただ、言葉が、言葉がいくらでも湧き起ってきて」


「いいんだ。それが普通だ。俺も初めて恋をした時に、言葉が溢れて出てきた。それを伝えることはできなかったが、これこそが俺たちが持っている生得的言語モジュールというものなのだろう。そして、今や君もそれを手に入れた」


 羽地がアリスをそっと抱きしめる。


「アリス。君は常に頼りになる戦友だった。常に道を示してくれる存在だった。『罪』を抱えた俺に『償い』のチャンスを与えてくれる存在だった。そんな君を、俺は心から愛そう。君がそれで幸せでいてくれるならば」


「はい。羽地先輩。愛しています。とても、心から、本当に愛しています」


 ふたりはそうやって互いを抱きしめ合っていた。


「君は人間と同等の存在になれる。君は希望だ。他のミミックたちにとって。俺たちがこれまで乗り越えてきたものは決して無駄ではなかった。絆を育み、本当の愛を与えてくれた。たとえ、それが今から思えば幻のようなものであったとしても、俺たちは現実に戦場を駆け抜けてきたんだ。それがきっと、きっと……」


 羽地も言葉が溢れてくるのを感じていた。


 自分の『罪』は『償い』を得たのだろうか。アリスは本当に魂を得たのだろうか。アリスはこれからも自分を愛してくれるだろうか。アリスは魂を得て本当に幸せになれるのだろうか。疑問と言葉が溢れ出てくる。


「真島先生に見てもらおう。君が本当に魂を得たのか。今はそれが気になるだろう?」


「はい。ですが、今はこのままの方がいいです」


 アリスはそう言ってぎゅっと羽地を抱きしめる。


「そうか。この時間が大事なんだろうな」


 アリスは黙ったまま羽地を抱きしめ続け、羽地もまた黙ったままアリスを抱きしめ続けた。お互いに言いたいことはたくさんある。だが、たくさんありすぎて、何を伝えればいいのか分からない。今はただ黙って無言のうちに自分の心中を相手に知ってもらうことこそが重要であった。


 アリスと羽地はお互いを抱きしめ合い、無言のままに時を過ごした。


 羽地はアリスの幸せを望んでいる。アリスが魂を得ることを望んでいる。ただ、それだけを望んでいる。だが、それが果たされるかどうかは分からない。


 今の言葉の洪水が必ずしも、アリスが魂を得た結果だとは言えない。まだ今の段階では何も言えない。


 だが、羽地は望んだ。


 アリスが魂を得て、自分たちと同じになることを。


 そのことによって命を奪い続けてきた自分の『罪』が『償い』を得ることを。


 身勝手だが、今はそう望む。


……………………

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