チェックイン、チェックアウト
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──チェックイン、チェックアウト
イドリースはビッグシックスの一角であるメティスの経営するホテルに宿泊しており、そこのスイートルームに入ったまま出てきていない。電子情報軍団によれば外部との連絡を取っている様子もないそうだ。
イドリースを拘束するために羽地たちはまずはホテル内を自由に歩き回れるように、偽装IDでチェックインする。処理は自動的に行われ、羽地たちは自由にホテル内を動き回れるようになった。
「イドリースはどうしてこんなに静かなんですかね?」
古今がふとそう尋ねる。
「死んでるのかもな」
羽地はやる気なくそう返した。
「けど、確かにイドリースの生体認証でチェックインしていて、宿泊した記録があるんです。そして、電子情報軍団によればイドリースの部屋を出入りした人間はいないし、イドリース自身、どこまでも静かにしている。外部とのコミュニケーションもなし」
「確かにおかしいとは思うが……」
イドリースの様子はおかしい。
それは羽地も認めるところだ。
イドリースは電子情報軍団のオペレーターが言っているように『死んでいるかのように静か』であった。兵器ブローカーが紛争地帯に来て、電話の一本すらもかけないなどどうかしている。
既にイドリースは多くの顧客を得るチャンスを失いつつある。複数の兵器ブローカーがティル・シグラー共和国に入国しており、彼らは既に企業と契約を結びつつあるのだ。戦術核問題で企業側が撤退していく中、このままだんまりでは、イドリースは儲ける機会を完全に失ってしまう。
それは確かにおかしい。だが、イドリースは現に静かにしている。動く様子はこれっぽちも見られない。既に何か大きな契約を抱えていて、そのために奔走しているにせよ、外部との連絡は取るだろう。だが、それがない。
イドリースは何をしている? なにをぼけっとしているんだ? 何のためにわざわざ紛争地帯にやってきたんだ?
やはりイドリースと“ウルバン”の間には違和感がある。
「聞けばわかることだ。奴が握っている戦術核の情報も」
羽地はそう言って個人防衛火器に初弾を装填した。サプレッサー付きの個人防衛火器と散弾銃でイドリースの部屋に押し入り、奴を拘束する。作戦は一瞬で終わる。少なくとも同業に出くわしたりしなければ、だが。
大井の情報保全部は競合他社によるイドリースの拘束作戦の妨害の可能性を示唆していた。戦術核があるわけだから、それを購入しようとする企業もいるはずだ。その可能性を大井は示唆していた。
それと大井内部の派閥争い。
大井の内部で何かしらのトラブルが起きている可能性を彼らは示唆していた。過激派大井派閥説はあながち冗談でもなかったようだ。何者かが大井の名義を利用して、アリオール・タクティカルを雇い、戦術核を運んだことを彼らは認めた。
だが、彼ら自身が核武装しているということについてはその一切を大井は否定している。そのような事実はない、と。
それが事実かどうか確かめる術として残されているのはイドリースの拘束と人物だけ。イドリースを拘束して、戦術核をどのような手順で手に入れたのか、誰が関わっているのかについて暴露させなければならない。
それを過激派大井派閥が妨害する可能性があったとしても。
「全員、準備はできたか?」
「完了です」
「俺と月城曹長が突入する。八木大尉と古今軍曹は援護と増援の阻止だ。ドアを開けた瞬間、どこかの民間軍事企業のコントラクターがなだれ込んでこないとも限らない」
「了解」
少なくともここはメティスのホテルだ。それもそれなり以上に上等なホテルだ。メティスの飼っている民間軍事企業──ベータ・セキュリティが介入してこないという保障はなかった。
どのような状況にも備える。常に最悪を想定する。それが指揮官の仕事だ。
そして、得てして現実は最悪以上の最悪を招いたりするものだから手に負えない。
『レオパードよりタイタン。これより作戦を開始する。部屋の扉を』
『タイタン、了解。準備はできている。マスターキーは必要ないぞ』
『念のため、にな』
マスターキー──スラッグ弾を込めた散弾銃をアリスが持っている。
『タイタンよりレオパード。開錠準備完了。いつでもいいぞ』
『了解。3カウント』
3、2、1。
『行け、行け、行け1』
羽地たちが部屋の扉を開けて、イドリースの部屋に押し入る。
『レオパード。イドリースを発見。死亡しています』
『何だって?』
リリスが報告するのに、羽地が耳を疑った。
『死因は循環器系の問題のようです。血液サンプルを分析中』
『オセロット。今はいい。ラボに回せ。撤退だ』
畜生。死んでいるようだというのは比喩じゃなくて、本当に死んでいるとは!
『ジャガーよりレオパード。ベータ・セキュリティのIDを付けたグループが接近中。イドリースの部屋に向かっているようです。電子情報軍団が通信傍受中』
『ジャガー。撤退だ。イドリースは死亡、繰り返すイドリースは死亡。ここにいる意味はない。とっとと逃げ出すぞ』
『了解』
羽地たちはイドリースの部屋を飛び出して、自分たちの部屋に向かう。
『こちらクーガー。お客さんたちは急いでます。間に合いません。交戦許可を』
『畜生。交戦を許可する。メティスの民間軍事企業を排除しろ』
『了解!』
サプレッサーに抑制された個人防衛火器の音が聞こえる。
非常に微細な音でようやく聞き取れる程度だ。
『ジャガー、クーガー。撤退だ。チェックアウトするぞ』
『了解。これ以上敵が来る様子はないようです』
『これで一時的にとは言えお尋ね者だ』
羽地たちは装備を隠蔽し、ベータ・セキュリティのコントラクターの死体が転がる中を移動し、チェックアウトの手続きを済ませて、撤収する。
幸いにしてスイートルームフロアにはAI分析型監視カメラしか装備されておらず、その記録も電子情報軍団が消し去った。
羽地たちはホテルを出て車を飛ばし、空軍基地に舞い戻る。
「少佐。イドリースの死体ですが、ナノインジェクターの痕跡がありました。軍用化されたナノインジェクターです」
「痛みのしない注射器か。確か暗殺に使用されていたな」
「ええ。イドリースも消された可能性があります。あれは自然死ではありません」
「今は何とも言えない。血液サンプルをラボで分析する」
イドリースを追いかけてここまで来たのに、肝心のイドリースは消されている。それも日本情報軍のやり方で。ナノインジェクターを使用した暗殺は日本情報軍が過去に何度も行っていることだ。
「イドリースは何かしらのミスリードか……?」
それとも奴は本当に“ウルバン”で、誰かが戦術核の情報を隠蔽するために消されたのだろうか?
それすらも分からないままに羽地たちはシャルストーン共和国への帰路についた。
ラボで血液分析を行えば、何かしら分からることもあるかもしれない。
ここでも日本情報軍という名の軍隊の右手と左手が喧嘩していないとも限らないのだ。中央アジアがそうであったように。
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