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それは5月の風に似ていた

作者: 角谷

5月も中頃になり夏の匂いが風に混じり出した頃のキャンプ場の空気感は高揚と落ち着きの両方を与えてくれる。

それが好きでその頃にはよくキャンプに行く。

ゴールデンウィークの連休も良いがその頃は混む。

人混みは好きではないから、大抵は高校が休みの土日に訪れることになる。


その日はいつもの所よりも標高の高い、星が綺麗と有名なキャンプ場に来ていた。

近くには温泉もあり、そこで入浴を済ませてからキャンプ場で夕食を食べた。

キャンプではBBQも良いが一人でやるには少し片付けが面倒くさい。

大抵はカセットコンロを持って行ってそれで焼肉をする。その日もそうだった。


片付けまで終える頃には既に8時を回っていた。

キャンプ場での8時は暗く、想像以上に夜を思わせる。普段家にいたならまだ寝るような時間ではないのに、自然と瞼が重くなる。体というのは太陽と共にできている。


でも今夜は星を見る予定で、夜8時のキャンプ場の周りは明るい。家族連れのBBQやら大学生の花火で星が霞む。

綺麗な星を眺めたいならもう少し遅くまで起きている必要があって、それでランタンの光で本を読んでいた。


ふと、違和感で顔を持ち上げる。人工的な光はランタンだけで、その周りだけが明るく照らされあとは夜の闇に沈んでいた。


ポケットから腕時計を取り出す。残念ながらスマホは持っていない。契約すらしていない。現代で生きていくならそんなことは言っていられないのかもしれないが、どうにも扱いに慣れないのだ。


アナログな時計の針は午前2時を示していた。どうやら寝落ちしてしまったらしい。だが、星を見るには素晴らしい時間だ。そう思って顔を上げると、そこには鹿の頭をした人が立っていた。


頭から上は鹿で、そこから下は人間。

あとから思い返せばそれはお面かもしれなかったがその時は本物の鹿の頭にしか見えなかったのだ。

その時の感情は今思い返しても言語化することが出来ない。驚き、だけではなかった。不気味、恐怖、一方で根拠の無い高揚感。それらは混ざり、ある種の凪を生み出していた。


「少し、隣をよろしいかな。」


その鹿面が言った。頭の中に響くような喋り方。

思いのほか丁寧な姿勢が混乱の渦中にまた一つ新たな感情を放り込む。


「ええ。どうぞ。」


声は思ったよりも澱みなく、温度なく響いた。


「ありがとう。」


答えた鹿面はアウトドアチェアの隣に立ち空を見上げる。つられて空を見上げたのは星を見る予定を思い出したから。


「星が美しい。眩いのでは無く、押しつぶされるような静かな物量。思わず立ちすくむ。」


「子供の頃を思い出します。まだ街灯がLEDで無かった頃を。夏と冬は夜空に圧倒された。」


隣で鹿面がこちらを振り向く。気配がした。


「分かるのかね。」


「ええ、まあ。星みたさにこんなところまでくるようなものですから。」


「約束は、いまだ継がれているのだな。」


「約束?」


「生きるはすべて自然の中。人の行いとて自然の営み。ただそれだけのことだよ。」


「…はあ。」


意識のほとんどは星に向いていた。会話どころではない感動を味わっていた。


「しかし未だ実験は続いている。人と自然どちらがより大きな集合なのか。モルモットとしてはいい迷惑だが。」


「なんの話しです?」


「いや。なんでもない。明日は電車に乗ろうと思う。」


そこでようやく現実に引き戻される。横には鹿の頭をした人間のようなものが居てそれと話しているのだと思い出す。


「そのままでは少し、目立つかもしれないですね。」


「何構わない。大抵は人に見える。君には悪い事をした。」


鹿面が申し訳なさそうに言う。


「記憶は頭に残るものだ。しかし強烈なそれは体験へと引きずり下ろす。」


「どういう意味ですか。」


「囚われるのだ。だが、まあ、そう悪いものでもない。既視感を持てば道を変えられるだけだ。」


何を言っているのか分からないのは鹿面の言葉選びの所為だけではなかった。さっきから尋常でない眠気に襲われている。


「さようならだ。新たな道か辿った軌跡か、まあ、それは誰も知らんのだから意味は無い。では。」


その言葉を合図に意識が飛ぶ。ちかくで動物の匂いがした。



**



目を覚ませばそこはテントの中だった。キャンプ特有の朝の寒気と澄んだ空気が目に刺さる。外へ出るとそこは惨状だった。人の気配が一切なく、テントは全て倒れている。一つずつ中を確認して確信する。このキャンプ場から人だけが消えている。


だが、そこに驚きはなかった。何度も見た景色かのように心の中で消化できた。

テントを畳み、帰り支度をする。この先ここにいても何も無い。全ては初めから無かったかのように、ここは自然に還っていく。


見慣れた景色を後に、私はリュックを背負って山を降りていく。


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