迷宮シンクロニシティ
シンクロニシティ(意味ある偶然の一致)を、意図的に起こせる薬がある。
腐れ縁の友人、御園から持ち掛けられた時、眉唾だと思った。同じ大学で創薬の研究をしてる御園は、頭は並外れて良いかも知れないが、とかく言動が奇矯で、控え目に言って、人好きのする人間じゃない。
「ナマケモノは人類の救世主なんだ」
出会って開口一番、俺にのたまった台詞がこれだ。
「哺乳類の生涯心拍数が、種類に関わらずほぼ一定なのは知ってるよね?体重に応じて速度が変わるだけで、数は変わらない。なのにナマケモノは、規定値の20分の1以下で生涯を完走する。ナマケモノのペースメーカーを心臓と連動させて、心拍も代謝も低速にシフトチェンジして行けば、120年どころか、もっと飛躍的に寿命を延ばせるはず」
高校1年、たまたま同じクラスで前後の席に座った、挨拶代わりに選択すべき話題か?ネタとして面白いとしても、完全にマッド臭しかしない。他にも、人生はゲノムに支配された迷路で、過程がどうあれステージは決まってるとか、染色体にはHAL抗体に基づく恋愛コードが組み込まれてて、上手く利用すれば、遺伝的に落とせない相手も攻略可能だとか、与太話すれすれの科学論を本気で打つ。
じゃあお前は何で独りなんだ?反論しても煩いだけなので、いつも適当に相槌を打つ。俺以外で、仮にでも『友達』にカテゴライズされる人間を、御園の周りについぞ見た事がなかった。
意図的に起こせるシンクロニシティは、その時点でシンクロニシティじゃないだろう。そもそも科学畑の最前線で『偶然』をターゲットにするな。臨床実験を前に、俺は幾らか喧嘩腰だった。個人的には、まあ興味はあったのだが。
「……で、この薬、どういうメカニズムで、シンクロニシティを起こすんだ?」
「平たく言うと、テレパシーで人を同期させる。ESP(超能力)の一種とされるテレパシーは、神経伝達物質の放出時に発する微弱振動を、受容体を持つ他者が感知する事で起こる共振現象と考えられる。せいぜい単純な感情パルスの端子だとしても、振動の増幅と感度向上によって、ある程度、受容者の心理や行動を誘導出来ると思わない?」
「つまり、遠隔操作のマインドコントロールか?同時進行じゃない以上、シンクロと言えないし、出来事が動かせなきゃ意味ないだろ」
「テレパシーは共振だから、発信者も受容者の反応をキャッチする。双方向にキャッチボールを繰り返せば、思考回路、性格嗜好、バイオリズムも自ずと近付く。出来事は動かせなくても、相似発現率は高まるし、概念が動けば意味付けも生じる。文字通り、意味ある偶然の一致と呼べる状態を、持続的に作り出せる」
どうにもきな臭い。狐に抓まれた様な、釈然としない感が拭えないものの、今更やめるとも言えない。毒々しい赤いカプセルをためつすがめつ、肝心の件に触れる。
「相手は?俺は誰と同期されるんだ?」
「そんなの、訊くまでもないでしょう」
やっぱり。こいつなら、自分で試さない選択肢はなかったな。俺はさしずめ、御園の脳波クローン培地か、精神融合反応炉。まったく何て友達甲斐のない奴だ。ミスキャンバスとか学部のアイドルとか、もう少しときめく展開を用意してほしかった。
「効き目は約24時間。週1回、同じ時間に服用して経過観察。検証の為に、次回の服用時、先週あった事を報告してもらう。じゃあ早速飲んで。3、2、1、はい!」
カウントダウンに押され、薬を飲み込む。続いて御園も飲んだ。成分か配合が違うのか、カプセルは青い。
「……何も起きないな」
「カプセルだからね。家に帰って、違和感があったら連絡して」
「今更だけど、大丈夫なんだろうな!?」
「ラットは死ななかった」
「薬の成分は何なんだ」
「結果に干渉する可能性があるから、教えられない」
マッドめ。苦虫を噛みつつ研究棟を後にした。効き目は24時間。御園が発振源なら、大半が実験で潰れる。いつものルーチンで、そうそう大きな感情変化もないだろう。
予想通り、特筆すべき事件は発生せず1日経過、そのまま2回目の実験日を迎えた。
***
「どうだった、宮君?」
先に断っておこう。宮は俺の名前だ。初対面から、俺は御園を御園と、御園は俺を宮君と呼んでる。
「どうって、別に変わらなかったぞ」
大袈裟に両手を広げ、首を振りつつ答える。初回だからかも知れないが、本当に、ごく普通の1日だった。講義中に実験室が頭をかすめたり、白衣が着たくなったり、薬箱に異常に興味を示すくらいは覚悟したんだが。
「よし、ヒアリングに移ろう。当日の経過を、なるべく詳細かつ具体的に報告して」
朝起きてから夜寝るまでにした事、それについて感じた事を、時系列に並べていく。主眼はシンクロニシティなので、特に時間は重要だ。ある程度メモや画像も残しておいた。御園は淡々と俺のタイムテーブルを打ち込み、画像を自分の端末に落とすと、満足げに頷いた。
「実験成功!思った以上に即効性だ」
俺のテーブルの横に、もう1枚テーブルが開く。
ほとんど秒刻みの、恐ろしく几帳面なデータ。御園のその日が丸ごと詰まっていた。研究棟での実験内容などは割愛してあるが、風呂で洗った部位の順番だの、トイレの回数と中身だの、至極デリケートな情報まで。
「お前な……普通隠さないか、こういうの」
「データは正確を期さないと。それより見て」
御園が指したのは、2人の夕食だった。俺が19時10分。御園が19時10分18秒。ずれは僅か18秒。誤差の範囲と見なしていい。
「でも、時間は皆、その近辺だろ?」
「これでもそう言う?」
端末に表示された時刻付き画像。俺のと違う食器に、見覚えのある料理が、盛り付けも並べ方もほぼ一緒。
「違和感を覚えなかったって事は、宮君は普段から自炊なんだ。意外だったな」
そんな次元の話か。たった1回の服用で、感情誘導どころか、ダイレクトに行動まで一致させるなんて、超能力だってあり得ない。
「怖気づいたなら、降りても構わないよ」
「ふざけるな。怖いわけあるか!」
術中に嵌まった予感はした。俺の最大の欠点、見栄っ張り。旗色が悪い状況程、ムキになって虚勢を張る。
「続けなきゃ、結果がちゃんと出ないだろ。さっさと2回目よこせ」
「宮君なら、そう言ってくれると思った」
勿体ぶった指が、カプセルを掌に転がす。色違いで各々飲み下しながら、前回の服用タイムラグが、概ね18秒だったのに気付いて薄ら寒くなる。2枚の新規テーブルに、今の時間が打刻される。
「報告、楽しみにしてるよ。出来れば画像はもっと欲しい」
機嫌の良い御園に手を振られ、俺はまた研究棟を後にする。
そう言えば、あいつのまともに笑った顔、初めて見た。いつもああなら、友達の1人や2人出来そうなのに。ふと過ぎって、余計な世話だなと苦笑した。
***
2回目は、起床と就寝がぴったり一致した。3回目は、その日視聴したサイト動画や音楽が、再生順まで同じだった(時間は多少ずれた)。同期部分はランダムで、単純に深度を測るのは難しい。だが、あり得ないが3度も続けば十分だ。
「御園。お前、素でノーベル賞取れるぞ」
ただのネタだと思ったのに、本物だ。ちょっと俺も昂奮してきた。
「ノーベル賞?興味ないな。色々面倒臭そう」
「興味ないって、すごい才能だぞ。大々的に研究すれば、多分世の中ひっくり返る」
「テロリストじゃないんだから、転覆は狙ってないよ。それより、宮君の健全度が心配。『世界の絶景百選』に『本日のお献立(和食)』に『クラシックオルゴール名曲集』だよ。20代男子としてどうかと思う」
「人の趣味にケチ付けるな。むしろこの場合、見せたのはお前じゃないか。俺はそっちの方がびっくりだ」
そう。実験中、俺は不自然も、操縦された意識もなく生活してる。報告の段になって、初めて同期に気付くわけだ。
俺を同期させるのは御園だから、先述のラインナップは、当然こいつの趣味でもある。多少フリだとしても、ここまで共通項が多いとは思ってもみなかった。出会って5年以上なのに、俺は全然御園の事を知らないし、見てもいなかったんだと気付く。
「確かに。出会って5年以上なのに、知らない事が一杯あるね。宮君の事、もっと見てたつもりだったよ」
今のセリフは薬のせいじゃなく、純然たるシンクロニシティ。それが何だか嬉しかった。腐れ縁寄りの友達(仮)が、ちゃんとした友達に昇格しそうだ。
「ところで、さっきの話に戻るけど。将来の為に、もう少し大人な趣味も広げたら?」
「ガキ扱いするな。断っとくが、一から十まで報告してないからな。お前こそ、研究ばっかりじゃなくて、もう少し生身の相手と付き合えよ」
「宮君と付き合ってるよ?」
「友達じゃなくて、異性方面だよ。お前だって普通にしてれば、恋人くらい……」
ビーカー入りの蒸留水が突き出された。
「4回目。服用起点合わせたいから」
「せめてコップで出せよ」
「早く。こっちもデータまとめるのに忙しいんだ」
急に怒り出した理由が解らない。何が引き金か、御園が怒ったのも初めて見たと思う。解らなくて唖然として、すぐにカチンときた。人を薬の実験台にして、さんざん無償協力させておいて、忙しいだと!?ちょっと見直したらこれだ。やっぱりお前とは、決定的に合わない!
盛り上がった直後だけに、ベクトルが高度そのまま反転した。カプセルとビーカーをひったくって一気し、乱暴にドアを閉める。八つ当たりに廊下を踏み付け、シンクロなんかくそ食らえだと思った。家に帰るまで、御園への悪口をありったけ浮かべた。伝わるものならそっくり伝われ。次に行った時が最後だぞ。せいぜい後悔しろ!
4回目は最悪だった。御園が元凶か、俺自身も怒ってるからか、やる事なす事、空回って失敗した。道を歩けばつまずいて転び、新調して間もない電話は水没させ、講義は課題を忘れて教授に目玉を食らい、バイト先の居酒屋では、酔っ払った客にぶん殴られ、食器は割るわ手は切るわ、店長はキレるわ。タイプだったバイト仲間の子にも避けられ、居心地悪い事この上ない。
一体、災難の何%がシンクロニシティだ。確信犯で巻き込んでるならただじゃ置かない。これまた大惨事の得意料理を流し込み、自分の考えにぞっとした。
『テロリストじゃないんだから、転覆は狙ってないよ』
確信犯――意図的に起こせるシンクロニシティ。
遠隔操作のマインドコントロール。
与えられた結果に驚いて、根本を見逃した。その可能性は――まさかそこまでは考えなかった。そこまで出来るわけないと。
必然の一致はシンクロなんかじゃない。主と従が存在する以上、対等でもない。その気になれば、一から十まで支配し尽くす事だってあり得たんだ。
御園。お前一体、何を企んでる。
手切れにするつもりの報告日。
「御園!?……顔、どうした」
「転んだ。大した事ないよ」
目の下と顎に、Lサイズの絆創膏。転んでぶつけた?言い訳が下手にも程がある。研究以外だと、御園は途端に鈍い。だから危なっかしくて、見捨てられずの腐れ縁なんだが。
「キャビネット、割っちまったのか」
実験器具のキャビネット。ガラス戸が一枚、枠だけになってた。転んだは転んだでも、ガラスに突っ込んだのか。見れば両手も包帯が巻いてある。
シンクロは共振現象。俺が最悪なら、御園も最悪なんだ。来るまでに渦巻いた諸々が、別の感情も加わってぐちゃぐちゃになる。
駄目だ、目的を忘れるな。包帯から目を背けて報告に入る。御園の真意がどうにせよ、薬はとんでもなく物騒な可能性を孕むシロモノだ。今すぐやめさせないと、本気で世の中ひっくり返りかねない。
「今回は、ダメージ体験の同期か。範囲は広がってる様だけど、指向性が薄いな。感情や会話はどうだろう?そうだ宮君、次は録音実験…………おーい。聞いてる、宮君?」
「あ?…ああ、聞いてる聞いてる。録音なら、ESPテストみたいなやつは?1時間毎に数字かアルファベットを喋って、的中率を測るとか」
「ナイス!それにしよう。行動面のデータ収集が一段落付いたら、有効距離や波及速度も調べたかったんだ。宮君が協力的で、本当に助かる」
ぶち壊す気満々だからだよ。先週の衝突を忘れたみたいな、屈託ない笑顔に胸が疼く。今度はちゃんとコップの水が出て来た。
「はい、5回目」
――ばしゃっ!
「うわっ!あ~もう、宮君大丈夫?」
「悪い、雑巾貸して。床水浸し」
「えーどこに置いたかな。……床はいいから、宮君は自分の服」
「げ。ズボンまで行った。トイレで拭いて来るわ」
罪悪感は持つな。鏡の向こうの顔に言い聞かせる。赤と青、2色のカプセル。水を零した隙にテーブルから失敬した。
素早く、慎重に開き、中の粉末をそれぞれ薬包紙に取り出す。空にした赤と青に入れ替えて詰め、再び閉じて完了。
「済まん。仕切り直し」
ダッシュで戻る。お誂え向きに、御園はまだ掃除中だ。さりげなくカプセルを戻し、赤い方を見える様に拾う。
「調子悪いなら、日を改めようか」
「平気だって。ほら、水」
カプセルを舌裏に隠し、御園が青を飲むのを待つ。服用順に鍵がある事も考慮してだ。10秒置いて飲み込む。
これで今回は主従が逆転する。俺が何を言っても、御園が説得に応じるはずがないし、協力を拒めば、他の被験者なり手段なり講じるだろう。どの程度支配出来るか掴み、いざとなったら、薬効のある24時間以内に、御園自身に薬とデータを破棄させる。
御園の為でもあるんだ。繰り返し唱えて、洗いざらい曝したい誘惑を堪える。手遅れな事に、俺は御園を(仮)なしの友達に入れてる。友達が危ない方向に突っ走ってるのに、みすみす放っとくなんて出来るか。
「本当に大丈夫、宮君?顔が真っ青だけど」
御園が上目遣いに覗き込む。御園も長身だけど、拳一つは低い。絆創膏が痛々しくて、逃げる様に研究室を出た。
友情は成立しない?そんな事ないはずだ。でも、顔の傷に反応する辺り、所詮意識は否めないんだな。もう一度トイレに駆け込み、飲み込んだばかりのカプセルを吐き出したかった。
***
異変は30分後に現れた。
慣れない芝居を打ったせいか、胃が痛くなってきて、帰宅後布団へ寝転がった。胃薬と飲み合わせもまずいだろう。うだりと寝返りを打った視界が――
文字で埋まった。
何だこれ?目を閉じてみるが、消えない。白い背景に細かい文字列が加速度的に増えていく。英語?いや数字も記号もある。見た事ない様な、やっぱりある様な、複雑怪奇な羅列に線や図が加わり、化学式だと気付いたところで、ふっと暗くなった。
――痛い。胃じゃなくて、顔。目の脇を撫で、くっと押す。ひり付いて痛い。手を離す。きゅっと胸が縮む。動悸がする。何だこれ。何だこれ。何だこれ!?頭が完膚なきまでにパニックで、なのに口から出たのは溜息一つ。――コップ。無性にコップが気になる。飛び起きて流しに向かう。置きっ放しのガラスコップの、縁を指で軽くなぞる。どういう事なんだ、俺は何がどうなった!
ガチャン!滑ったコップが床で割れる。
『……宮君』
戻った。俺はびっしり脂汗を噴きながら硬直してた。
思い当たるとすれば、シンクロニシティだ。今までの実験で変調がなかったから甘く見てた。薬の成分なり効能なりが違えば、別の形で表れても不思議はない。だとすると、この感覚は御園のもので、あいつは毎回こんな思いしてたのか?
ますます理解不能。発振源は主格で、受容者を好き勝手に操れるんじゃないのか。正直きつい。怖いし気持ち悪い。俺だったら、まず早々にギブアップする。自分で自分が制御出来ない。ほとんど乗っ取られてる気さえする。これじゃどっちが主で従だか、
違う。頭の中で、パズルピースの填まった音がする。根本が違う。最初からまるっきり全部そっくり、前提そのものが違う!
赤と青。主と従。シンクロニシティ。タイムテーブルと誤差18秒。
『……宮君』
ふざけるな。
共振なんて、実際には起きてなかったんだ。どこがテレパシーで同期だ。何もかも、あいつの嘘っぱちだったんじゃないか。
***
「宮君?何で……」
本日2度目、夜になっての訪問に戸惑った御園は、俺の表情の険しさに、薄々察するものがあったんだろう。書き掛けのレポートを止め、テーブルへ椅子を対面に置いた。
「聞かなくても解ってるんじゃないのか」
我ながら冷たい声。怒鳴りたいのを無理矢理抑えてるんだから仕方ない。
「いつもと違うって、思ってただろ」
「何の話」
「とぼけるな薬だ。仕掛けは知らないが、あれはシンクロニシティを起こす薬じゃない。人の頭ん中を、外からスキャニングする薬だ」
テレパシーより、ESPで例えるならサイコメトリー。科学で説明付けるなら、脳波や神経伝達物質の動きから、対象の思考と体験を画像転送するCTスキャン。俺が実験中に違和感を覚えなかったのは、映される側で発振源だったから。
何の事はない。元々赤の俺が主で、青の御園が従だった。初回の18秒の遅れも、薬の服用時間は関係なかった。御園は俺のデータを受容し、それに沿って行動してたわけだ。当然、従は主の後に決まってる。
「……そうだね。おかしいと思った。水を零した時、薬の中身をすり替えたのか」
拍子抜けにあっさり認めた。まだ当日なので、薬は効いてる。ごまかすだけ立場が悪くなる事は、鈍い御園にも明白なんだろう。
「ごめん宮君。実験は大方、嘘なんだ。宮君の行った通り、シンクロニシティは起こせない。限りなくタイムラグを短くは出来るし、受容状況と場面の切り取り方で、前後して見える事もあるけど、双方向のテレパシーにはならない。発振者は読み取られるだけ。受容者は受け取るだけ。ただし、投入量や頻度を増やして感度を増せば、受容者の行動は発振者に引きずられる。無自覚に操縦すると言えなくもない」
それは俺も実感した。ここへ来る途中も、時々御園の見た景色や、考えた事が頭で再生された。直接叩き込まれるわけだから、下手な催眠や暗示よりよっぽど効くだろう。
「この薬、正体は何なんだ」
「新種の造影剤だよ。構造に改編を加えた、変性DHAを主体とする、長鎖不飽和脂肪酸化合物。人体に害なく脳に到達出来て、CT用の機材がなくても、脳波計の電極レベルで、パソコンに投影可能な触媒を研究してた。その過程で、脳波や脳内器官が可視化出来るんだから、神経の中身も、記憶も感情も、化学反応である以上、見えるんじゃないかって」
夢みたいな話だが、現実に創れたんだから否定し様がない。まさしくノーベル賞ものの大発明だ。
「初めは一人で、普通に機械に繋いで実験してた。人と人で試そうなんて思わなかった、でも……!」
魔が差した。ある程度結果が揃ってくれば、応用したいのは研究者の性だろう。そんな探究心も野心も持たずに、成功する奴は滅多にいない。
「謝って済むとは思ってないよな。俺は怒ってるんだ。お前の興味本位で、騙されて頭を覗かれたんだから当然だろ。しかるべき手段に訴えさせてもらう」
「興味本位じゃない!相手が宮君だったから」
「俺だったから何だ。俺が重度の脳機能障害で、早急に入院手術が必要だとでも?」
「だって知りたかったんだ!!」
あ~あ。とうとう白状しやがった。
「宮君の全部が見たかった。卑怯でも反則でも、宮君の中に、どれくらい私がいるか知りたかった。もしもいないなら居場所を作りたかった。最初に会ってから、ずっとずっと、私は宮君が好きだった!!」
泣きそうな顔。いや、もう泣いてる。これで御園の喜怒哀楽が大体見れた。
まったく、こんな非常手段使わなくても、他に言う事もやる事もあっただろうに。これだから天才の考える事は。
「人生はゲノムに支配された迷路で、過程がどうあれステージは決まってるんだっけ?つまり、これも予定された、大いなる回り道って事か」
むしろ、紙一重の馬鹿だなこいつ。脱走されると話が進まないので、テーブルをどけて両腕で確保した。
「さっきからうるさい、お前。何回頭で『宮君』呼ぶ気だ。お陰でペースがうつった。俺の寿命縮めた分、責任取ってもらうからな」
「あの。……ごめん宮君。いまいち意味が飲み込めないんだけど。研究の中止とか、薬の廃棄とか、大学に通報するとかの話じゃないの?」
「その辺はおいおい決めよう。俺はしかるべき手段に訴えると言ったんであって、お前に制裁を課すとは言ってない」
「でも今、責任取れって。慰謝料払えって事?」
「アホか。責任取って、俺と付き合えって事だ。友達じゃなくて、異性方面で」
腕の中で御園が固まった。薬のせいか、御園のせいかはさて置き、心臓はきっちりシンクロしてた。意味ある必然の一致。実験はこれにて無事成功。で、いいだろうこの際。
「だったら、宮君に1個、お願いしてもいいかな?」
「図々しいぞ。十分過ぎるくらい聞いてやっただろ」
「名前。私が宮君て呼んでるんだから、宮君も私の事、名前で呼んで」
宮は俺の名前だ。姓の方じゃない。実は、俺のフルネームは御園宮。偶然にも、御園と同姓だったりした。区別する為とはいえ、初対面から呼ばれ続けて、ここまで引っ張った俺も、まあ見栄っ張りで、ついでに相当鈍いんだろうな。
「迷。これでいいか?」
満面の笑顔。ああ、しつこく今更だが、ものっっっすごく可愛い。俺の彼女だと思うとなおの事。
言動が奇矯なだけで、ルックス自体は申し分ない。今まで他の野郎に攫われずに済んだのが奇跡だ。これから晴れて、思う存分ラブラブするぞ!
交際初日で押し掛け狼をやる度胸はなかったので、理性も限界だったし、今夜はハグでお別れ。果たして、男女間の友情は存在しないのか。そこについては、お互い意思がなくなったものは、検証しようにも無効だろう。
事案は迷宮入りという事で、オチを付けたいと思う。
了