交差する運命
セイシンが大広間に戻ると、その場にいた全員が一斉にこちらを向いた。領主官や領長を筆頭に、ほとんどが不安そうな様子で待っていた。
ディルが指示を出したとおり広間の扉はすべて閉まっていた。出て行った人もいないようだ。
フレイは誰かに起こされたのか、しかめっ面で上半身に包帯を巻いるところだった。痛そうにしてはいるものの、大きな怪我はなさそうだった。
「なにがあったのですか?」
リッカが近づいてくるのを、セイシンは手の平をかざしてその歩みを止める。
今後の展開を考えれば、誰かと距離を詰めるのは得策じゃない。セイシンにとってもリッカにとっても、だ。
「ディルから説明があるから、ちょっと待っててくれ」
何か言いたそうなリッカだったが、追及はしてこなかった。
しばらくするとディルが階段を上ってきた。
王子の容態は安定せず、精神的に辛いものがあるだろう。しかしそれでも気丈に振舞おうとする騎士は、壇上からリッカ、ネム、そしてディルを睨みつけているフレイを一瞥してから、
「マトレテ領主官殿。申し訳ありませんが、我々授与式参加者の五名だけをこの広間に残して、あとは全員退出してもらえませんか。そしてよければ、扉の鍵を外から閉めて頂きたい」
「あ、ああ……わかった」
領主官は驚いていたが、すぐに了承して給仕たちや他の皆に声をかける。
言われた人たちがぞろぞろと部屋を出ていく様子を振り返って、リッカが唇を尖らせた。
「わたしもそろそろ帰宅したいのですが」
「リカーナ嬢、無理を承知でもうしばしお付き合いください。ネム嬢と〝狂犬〟も」
「……わかったわ」
「チッ」
不満そうな三人。気持ちはわかるが、ここまで来ればもう後には戻れない。
扉が閉じられると、この広い空間に残ったのはたった五人になった。
ディルが壇上で地下への扉を背負い、他の四人を見渡した。
「まずは〝狂犬〟、あなたへ謝意を。そして釈明を述べたいと思う」
そういってディルが話したのは、セイシンたちが地下の小部屋を出てから後のことだった。もちろん王子の現状は伏せている。毒を盛ったことが事実なら、目的は殺害だろう。自らの身を顧みないつもりなら、まだ死んではいない王子のもとへ無理やりにでも攻め込む可能性はある。
セイシンは話の途中で、ネムのかなり動揺した様子に気付いた。彼女はそわそわと扉に顔を向けている。逃げたいのか、それとも別の理由があるのか。
「つまり、あなたはわたしたちを疑っているんですね」
「単刀直入に言うと、その通りです」
「そうですか。まあ、状況を考えるとそうなりますよね」
リッカはため息まじりで納得していた。
「ムッカつくのう。ワイをぶっ飛ばしたオメェもじゃが、毒を盛った輩もじゃ。見つけたらワイがぶっ殺してやるじゃが」
そう言ってセイシンたちを睨んでくるのはフレイ。
常に殺意を漂わせている〝狂犬〟は、迷惑千万といわんばかりの表情で包帯の上から鎧を着こみながら、
「じゃがのう、記憶が正しけりゃあワイらは誰も机に近づいとらんじゃが。それでもオメェは、ワイらの中に犯人がいると?」
「その可能性が高いという話だ。断定しているわけではない」
「疑われてるこっちからすりゃあなーんも変わらねえじゃが」
「それで、これからどうするんですか? わたしたちを拷問でもする気ですか?」
「滅相もない。ただ、祝賀会が始まってから授与式があるまでの、各々の行動を話してもらいたいと思いまして」
水差しに毒を盛ることができたのは、おそらくこの五人だけだった。
ならその前に、何か不審な動きがないかどうかを話から推察したいのだろう。
「ちなみに他の方々にも後で話は伺いますので、嘘はつかないほうが身のためですよ。矛盾が生じたとき、印象が不利になるのは避けたいでしょう?」
ディルは念を押して、自分から話し始めた。
「ちなみに僕は乾杯の挨拶の後、この街ウルスの領長から労いの言葉を頂いて、それからセイシンと歓談して、食事を手に取りに行きました。軽く食べた後は給仕から鍵を受け取って一度地下室へ入って部屋の安全を確認し、王子と合流。その直後に授与式があったため、そのまま広間に戻りました。授与式が始まってからは君たちが見てのとおりです」
さっき話していたとおりの流れだった。
ディルはセイシンと目を合わせてうなずく。
「つぎはセイシン。君だ」
「俺は挨拶が終わったあと、すぐに料理をとって隅っこで食べてたよ。領主官とディルが話しかけてきたあとはトイレに向かって、その途中でリカーナと会って少し話して、戻ってきた。その後は料理の残りを食べて授与式を大人しく待っていた。こんなもんでいいか?」
かなりかいつまんで話したが、特になにかあったわけでもない。
話す必要がないことは話さなかった。
「ああ。では次はリカーナ嬢」
「わたしも挨拶が終わったらすぐに料理を食べていました。偉そうなオジサンたちが何人も話しかけてきたけど、料理に夢中で誰だかは覚えていません。三回ほどおかわりしたところで、広間を出て行ったセイシンさんを追いかけて少しだけ話しました。戻ってきたあとはまた同じ場所で料理を食べてました。合計で五回ほどおかわりしました。一番おいしかったのはチキンのトマト煮でしたね」
余裕がある様子で話すリッカ。
意外と大喰らいな勇者だった。
「では、ネム嬢」
「……あたしは」
ネムは言い淀んだ。
「あたしは、挨拶が終わってすぐにお腹の調子が悪くなったから、しばらく席を外したわ。戻ってきたら、もう授与式だった」
「ほう。それを証明できる者は?」
「……いないわ」
ディルの鋭い視線が、俯いたネムのフードに突き刺さった。
授与式までは割と長い時間だったはずだが、たしかにそれまでネムの姿を見た覚えはない。リッカの視線を気にしていたから意識していなかったというのもあるが。
追及するのは後にして、ディルはフレイに話を振る。
「なるほど。……では、最後は」
「ワイじゃが。ワイはずっと喋ってたじゃが」
「相手は?」
「他の大会参加者たちじゃが」
「それでよく騒ぎにならなかったものだね。君は誰彼かまわず噛みつく〝狂犬〟じゃなかったのかい」
「オメェ阿呆じゃか。ワイはワイより弱い相手には喧嘩売らん」
呆れたように言うフレイ。
それは意外だった。
てっきり無差別に攻撃するものだとばかり。
「獣には、獣の矜持があるっちゅうだけじゃが。……そんなつまらん話より、とっとと進めるんじゃ」
「ああ。言われなくとも」
ディルはすぐに視線の先を戻した。
言うまでもなく、唯一怪しかったネムへ。
「ネム嬢」
「なにかしら」
「この街に来る前はどこに? どこで生まれ、どこで育ちましたか?」
「……それは、今回の件と関係あるのかしら」
「それを知るためにお聞きしたい。もちろん、すでに調べさせてもらっているので、何名かは既知ですがね」
ディルはちらりとこっちに視線を通した。
〝狂犬〟フレイ=フレムは傭兵としては名が売れているらしい。
リッカはリカーナという偽名で〝地下闘技場の姫〟として活動しているようだから、ある程度は知られている。
セイシンとネムはどうだろうか。
「大会参加に当たって、怪しい人物がいないか王子から調べるよう通達があったから、軽く調べさせてもらった。領主官の官邸には、各領圏民の登録簿というものがあってね……この領圏の住民も、氏名や生まれの年月などはほとんどが記録されている。じつは、そこにはセイシンの名前もあったんだ。三年ほど前から、百人にも満たない小さな村で傭兵をしている記録がある。出生の記録はなかったけどね」
「へえ……そんなことまで調べられてんのか」
「国とは民だ。まずは民のことを知るべきだというのは、国王の政治理念でもある」
最初に話した時、ディルがセイシンの言葉を疑わなかったのは、事前情報をある程度知っていたからなのか。
あまり嬉しいことではなかったが、そのおかげで話したことも信頼されていたということだろう。
「だがしかし、ネム嬢……あなたの名前はどこにもなかった。準決勝まで勝ち上がる実力を持ちながらまったくの素性不明。そしてさらに、誰にもその顔を見せないときたものだ」
ディルの目がどんどん鋭くなっていく。
「王子への狼藉を行うつもりがある者なら、素性を偽って参加するだろう。そう疑いながら準決勝で戦ったとき、僕はあなたから悪意や敵意などまったく感じなかった。振るう剣は急所を狙わず優しく、戦い方は慈愛さえ感じるほどの真っすぐだった。だから僕は、素性のわからなかったあなたを疑う必要はないと思った。何か事情があって顔と名前を隠しているのだろう、と」
ネムがまた、ちらりと扉を意識する。
「だがそれもここまでだ。顔を見せたまえ、偽りの少女よ! 王子へなんの不義も抱いていないというのなら、それができよう!」
「……っ!」
明確な疑いを向けられたネム。
この状況になってしまえば、もはやフードを脱がざるを得なかった。
しかし彼女はあろうことか、とっさに背を向けて扉へ走った。
「っ! ここで逃げるか愚か者! 正体を現わせ!」
ディルが抜剣し、跳んだ。
扉は外から鍵をかけられている。フレイほどの剛力があれば、あるいは一撃で壊して逃げられたかもしれない。だがネムは細腕の少女だ。そんな強引な突破などできるはずもなく。
扉に手をかけて開けようともがく彼女のフードを、ディルが背後から斬り裂いた。
「きゃあっ!」
露わになったのは、雪のように白い髪。
美しい娘だった。
小柄で細く、力強さというものはどこにも感じなかった。儚いといってもいいのかもしれない。絹のように透き通った肌に、人形と見紛うほどに整った顔。齢はセイシンより少し年下か、あるいは同じ程だろう。
追いつめたディルですら見惚れるほどの容姿は、一瞬、この場の空気を止めるには充分だった。
しかしその薄幸の少女は絶望に満ちた表情をしていた。顔を見られることをこの上なく恐れていたのがわかる。切れて飛んだフードの切れ端を、とっさに手で追おうとしていた。
「……え……」
その時が止まったと思うほどの刹那、セイシンは目を疑っていた。
甦る記憶。
その顔には、見覚えがあった。
三年経ったいまでも以前見たときの面影がまだハッキリと残っている。
「ネム、ネム……? まさか……」
「なっ……なぜ、おまえがここにいるのですか!?」
その事実に気付いたのは、セイシンだけじゃなかった。
驚愕に目を見開いていたのはリッカだった。
彼女はリカーナではなく、勇者リッカとして、その事実に気付いてしまった。
ネムを見据えたその双眸に、熱い炎を宿す。
セイシンにはわかった。その瞳に宿る炎の名前は、憎しみだ。
あるいは嫌悪、そして敵意。
それが明確に見て取れるほど、リッカの表情は歪んでいて。
抑えられない激情から漏れた無意識に剣を抜き、体をうち震わせていた。
全員から顔を逸らしたネムに向かって、彼女ははち切れそうな声で叫ぶ。
心の底に溜まっていた憎悪を、叩きつけるように。
「答えなさい! 魔王の娘、ネムセフィア!」
ネムセフィア。
それは三年前、魔王城で勇者が殺し損ねた唯一の魔族だった。