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ウソカタルシス ~魔王暗殺の虚飾~  作者: 裏山おもて
1章 とある運命の巧詐<コウサ>
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地下室の暗殺未遂

 


 そこは小さな部屋だった。


 装飾もなにもなく、中央に一組だけ机と椅子が置かれている。机の上には装飾の凝った白い水差しとコップがひとつずつあり、かすかに水滴のついたコップが机を濡らしていた。あと目につく物は壁にかけられた灯りくらいで、それ以外には何もない。通気口すらない閉鎖空間だった。


 王子が奥の壁の前に立ち、その隣でディルがこちらを眺めている。

 部屋にはセイシン、リッカ、フレイ=フレム、ネムの順に入った。そのままの並びで入り口側の壁に沿って立っていた。

 王子に付き添っていた若い騎士が部屋の外から扉を閉める。鍵は内側にはついていないようで、むしろ外から施錠される音が聞こえた。


「さて、副賞とはなにか。その話をする前に、私がここに来た理由を説明しよう」


 王子が甘い笑みを浮かべた。

 その美しい微笑みは多くの人を虜にするのだろうが、残念なことにその笑みに惑う者はここにはいなかった。むしろ全員が警戒していた。

 誰の反応もなく少し落胆した王子は、気を取り直して話し始めた。


「改めて名乗ろう。私はカーキン第一王子。正統なる王位継承者だ」


 王位継承者。つまり次の国王。

 そんな大それた人物が、数人の護衛しかつけずにここにいるという事実を考えると、なるほど主催者の人たちが大慌てになるのも無理はない。

 王子はディルと念入りに打ち合わせしてきたのだろう。この部屋に入る流れもそうだし、なにより話す口調に淀みがなかった。

 真剣な眼差しで語る。


「君たちも知ってのとおり、我が王国は先の百年戦争で勝利したことにより、多大なる繁栄の最中にある。国土の拡充、人口の増加、経済の発展など、各地の状況が目まぐるしく変わっている。こうして領土が増えたことにより、地方の統率の指揮系統も大きく変わった。……君は、たしかリカーナと言ったな。何かわかるか?」


「領長・領主官制度ですか?」


 指名されたリッカは、迷うことなく答えた。


「左様。いままで曖昧に自治を任せていた各村や街を正式に王国国土として定め、その長としての責を負う者に領長という称号をあたえ、さらに地域ごとに十から十五の村や街をひとつの領圏とする。その領圏をまとめる役職――各地の領長たちを統率する者を王都から派遣し、領主官として各領圏にひとりずつ任命している。領圏制度とも呼ばれておる」


 さっきいたマトレテ領主官とやらは、やはりかなり偉い人だったらしい。


「それが、どうかしたのですか?」


「その領主官制度を採用する際に、領主官制度を行政のどの分野で運営するかという問題が生まれたのだ。地方の各領圏とはいえ、王国の土地を治めるという意味では本来王族たちの仕事だ。だがそこまで王族や宮廷士官が管理していては、とてもじゃないが手が回らない。そこで行政としては、領主官制度を宮廷外――つまり民主士官たちで運営しようという試みを行っている。政治を学んでいる者なら既知であろう」


 リッカはうなずいた。

 それ以外の三人は目を伏せた。明らかに知識の差がわかる反応だった。


「問題はそこであった。細やかな制度ならまだしも、基幹制度を民主的に運営する知識や経験など、我々にはなかった。当時、宮廷士官数人の意見を出し合って決めたのだが、そのとき利権問題と税制管理を適正に明文化しなかったことによる弊害が生まれたのだ」


「……もしかして、利益の横領ですか?」


「その通りだ。領主官制度における税制として、王都からの距離における変動式の地方税というものを新たに導入したが、数年前からの爆発的な人口増加に伴いその金額も多大なものになっている。もはや領主官たちだけでなく、王宮に務める施政官たちもまた、私的にその税の恩恵を預かっているという噂がある。いわゆる賄賂や横領が跋扈している状態だ」


「でも、それを取り締まれば……」


「恥ずかしい話だが、すでに試みた。だが腐敗は深く、見えぬ段階にまで達していたのだ。私自身、行政内で管轄している分野も多く多忙を極めていて、すべてを自分の目で確かめることはできぬ。結局は士官たち任せになり、その指示系統のどこかで賄賂が生まれ、報告書では問題無しという回答しか私のところまで上がってこない。人口統計から計算する納税目安額とは、明らかに差異が生まれているというのに、だ」


 王子は悔しそうに眉間に力を込めた。


「しかしその調査だけなら、これからじっくりと時間をかけてしまえばどうとでもなろうもの。更なる問題は、膨大な金を持った者が数多く潜んでいるということだ。金とは怖いものだと、私は痛感してしまったのだ」


「お金……ですか。そうですね」


 リッカも思い当たるフシがあるのか、顔を曇らせる。

 王子は少し躊躇ってから、言葉を続けた。


「金があればあらゆることが可能になる。そして金が悪意を育てるのだ」


「――先日、王子が殺し屋に狙われました」


 ディルが静かに言い放った。

 一堂に緊張が走る。


「僕が偶然王子を救っていなければ、王子の命はなかったでしょう。殺し屋の息の根を止めましたが、首謀者はわからずじまいでした。腕の些末な殺し屋だったので事なきを得たのですが、つまりは王族を殺そうと目論む国民がいるということでもあります」


「時期的におそらく、私が指示している内偵を知った何者かが、自分の利益を守るために雇ったのだろう。あるいは私から王位継承権を奪うことで更なる利益を生む理由があるのか」


 金の力は恐ろしい、か。

 セイシンも他人事じゃない。ここに来たのも理由は金が欲しかったからだ。

 この時代、金がなければ生きていけないことは痛感している。


「私は決意した。金を利用されるのなら、こちらも利用すればいいと。私は王族だが、王族だからといって人の心まで動かせるわけではない。騎士たちをつかまえ忠義のために命を懸けて守ってくれ、などと誰にも言うつもりはない。ゆえに、金で雇うことにしたのだ」


「つまり、傭兵ですか?」


「ああ。王宮騎士もすべては信用できない。だから私専用の騎士隊を作る。ここにいるディルが、その隊長となってくれる予定だ」


「なーるほどのう」


 いままでまったく口を開かなかった大柄の青年――フレイ=フレムが言葉を発した。


「そんで、この大会で目星をつけたワイらを勧誘したいって腹積もりじゃか?」


「そういうことだ、〝狂犬〟フレイ=フレムよ」


 なにやら物騒な二つ名でよばれたフレイは、牙のような犬歯を見せて笑った。


「カッカッカ! そら笑い種じゃのう! 王族が民に助けを乞うじゃが!」


「よさないか! 不敬だぞ!」


「よい、ディルよ。事実だ」


 怒りの表情を浮かべたディルを、王子が片手でたしなめる。


「無論、報酬はかなりの額を出すと約束しよう。〝狂犬〟であろうが〝地下闘技場の姫〟であろうが、出自や性質、また善悪は問わない。私の盾となり、剣となってくれる仲間の騎士が欲しいのだ」


「それは騎士じゃのうて戦士じゃろうて」


「言葉の問題に固執はしまい。君たちはまだ若く、成長もできるだろう。功績次第では将来王宮騎士となることもできるかもしれん。金も、将来も、さらには名誉も手に入れられる機会になるだろう。君たちにとっても悪い話ではないと思うが」


 なるほど、とセイシンは納得した。

 いかにもな政治の問題だ。戦争がなくなったいま、つぎの敵は内側にいるということだろう。ディルが強さを求める理由もうなずける。


「そりゃあ、一介の傭兵にとっちゃあ悪い話じゃねえがのう……じゃが、即決するにはちと重い話じゃが」


「わたしも同意見です」


 フレイは本気で悩んでいるようだったが、同意したリッカは明らかに嘘だった。

 リッカが危惧していた想像は、少なくとも間違ってはいなかったようだ。想像してたこととは違い金で雇われるとはいえ、さっき言っていたとおり断るつもりだろう。

 もちろんセイシンもそんな話を受ける気などなかった。いかにして迅速にここから帰るか、そればかり考えていた。


 部屋の隅で縮こまるネムはどう考えているのかわからないが、ひたすらに無言だった。

 王子とディルのこちらの顔色を伺う様子からみるに、そろそろ話も終わりだろうか。背中が少し汗でべたついてきた。

 王族が目の前で内部事情を暴露しているからか、喉も渇いていた。


「もちろん、この場で決めてもらう気はない。私はこの街で三日待つつもりだ」


「そらあよきじゃ。ゆっくり考えさせてもらうじゃが」


「だが、他言は無用と心得よ。首が飛ぶことになる」


「カッカッ! 王族の脅しは神より恐ろしいじゃが!」


 そう言いつつも笑い飛ばすフレイの豪胆さは、セイシンにとって尊敬すらしてしまいそうだった。

 ディルがセイシンたちにも視線を配り、


「そういうわけで、僕たちは三日間この街に滞在するつもりだ。是非、前向きに検討してくれ。特にセイシン、君が来てくれることを期待している」


「なんで俺だよ」


「君とは仲良くできそうだからさ」


「男にウィンクされる趣味はねえよ」


 毒づいてもディルは笑みを崩さなかった。

 そうしてようやく、セイシンたちは解放された。

 後ろの扉の鍵が開き、外から騎士たちが神妙な視線を送ってくる。彼らとしてはあまり喜ばしい話じゃないだろう。この話が進めば、いずれ傭兵に王子の警護を任せることにもなるのだ。自分たちの力不足と誇りを傷つけられている気分になるに違いない。

 それでも何も言わないのは、それ以上に王子を大事に思っているからだろう。たしかに彼が王族でさえなければ、仲良くしたいとセイシンでも思うほどに善良な人間のように思えた。


 そのまま階段を上り、大広間へ戻る。

 大広間ではすでに片づけが始まっていて、並べられた机や料理が順番に撤収されていた。

 飲み物くらいはもらいたいものだったが。


「……ま、はやいとこ帰るか」


「セイシンさん」


「うん?」


 横に並んで声をかけてきたのはリッカだった。


「どうしたリカーナ……いや、〝地下闘技場の姫〟さん」


「そっ、それは! 忘れてください!」


 さっきは聞き流したが、言葉から察するに違法な賭博闘技場で稼いでいたのだろう。足を踏み入れたことはないが、そういった施設が点在しているとは聞いている。

 そんなところで金を稼ぐなんて思いついたことなどなかった。リッカなら負けるはずもないだろうし、うらやましい。

 もっとも、冷静に考えればセイシンができる手段ではない。そういうところは人気商売だだろうし、パッとしない地味で小柄なセイシンが人気を獲得できるなんて夢のまた夢。美人で強いリッカだからこそできる芸当だ。


「それで、どうしたよリカーナさん」


「約束、忘れないでくださいね」


「念を押さなくても覚えてるって」


 勇者相手に裏取引。金の魅力に意思が負けそうだが、これ以上勇者なんぞに関わる気もない。

 このまま誰にも知られずに別の街に逃げるつもりだった。


「――危ない!」


 と。

 鋭い声を出したのは、それまで黙っていたフード姿のネムだった。

 その声を聞く直前、セイシンも視界の端で察知していた。

 抜き放たれた剣の刃が、迷わずこちらに向かってくるのを。


「……なんの用だよ、〝狂犬〟」

「ほおう! ワイの不意打ちを食器ごときで止めるとは、さすが準優勝者じゃが!」


 フレイが抜いた剣を、セイシンはテーブルにあったフォークで止めていた。


「殺意でバレバレだっつうの」


「カッカッカ! こればっかりは隠せんのじゃ!」


 いきなりなにをする、と怪訝にフレイを振り返る。

 まるで獣のように研ぎ澄まされた殺意と、背後からでも躊躇わない剣筋。そこまで本気じゃなかったようだが、卑怯と罵られても仕方のない急襲だった。


「で、なんの用?」


「気に食わんのよ」


 フレイがセイシンを指さす。

 その次はリッカ。そしてネムまでも。


「オメェも、オメェもオメェもじゃが! オメェらは腑抜けかァ! あァ!?」


 なんで怒ってるのか、まったく身に覚えがない。


「その澄ました顔がムッカつくんじゃが! 闘技場でも、祝賀会でも、さっきの話の最中でもじゃ! オメェら自分には関係ありませんってな顔しやがって、じゃがんナメくさっとんのか!? オメェらの強さは飾りか! 誇りはないんっちゅうんじゃか!」


「誇りって、なんのだよ」


「獣じゃ! 獣の誇りじゃ! オメェら家畜じゃか? 貧弱なやつらが家畜なんはムカつくけどしゃーない。獣になっても狩られるだけじゃ。じゃがオメェらは狩る力がありながら、なんぞ誰に飼われとんじゃ! それがムッカツつくんじゃが!」


「……つまり、何が言いたいんだよ」


「ワイはなあ、家畜が嫌いなんじゃ! 〝狂犬〟が嫌いなやつをどうするか、オメェら知ってるじゃかァ?」


「やめて!」


 と、ネムが割って入る。

 相変わらずフードは外さず表情は見えないが、大声で主張する。


「喧嘩はやめて! 何の意味があるの!」


「オメェも、そういうところが、ムッカつくんじゃァ!」


 フレイが剣を振りかぶり、今度は本気で振り下ろした。

 剣に触れた大型の机が吹き飛び、柱に当たって粉々に割れる。

 振り下ろした風圧で周囲の物が転がるほどの威力だった。力だけなら、それこそ大型の獣すら凌ぐ腕力だろう。

 とはいえ、準決勝まで残ったセイシンたちには難なく躱せる速度だ。ネムも斬線から身を逸らして後退していて、フレイを言葉で止められなかったのが悔しかったのかまた手を握り締めていた。


「気に食わん気に食わん! かかってこいじゃがァ!」


 吠えてこっちに突っ込んでくる〝狂犬〟。

 ただ帰りたいだけなのに、大人しく帰らせてもくれないなんて。

 少し目立ってしまうが、しかたない。

 セイシンがフレイを迎撃しようとしたその瞬間だった。


「――貴様ァアアア!」


 突如、怒号とともに襲ってきた横からの衝撃がフレイの鎧を叩き、吹き飛んだ。

 フレイは受け身も取れず料理の残る机に激突。食器や椅子を巻き込んで跳ね、壁にぶつかってようやく止まった。

 殺意を伴った凄まじい威力だった。さすがの大男フレイも失神してしまう。

 その一撃を繰り出したのは、見間違いようもない若き王宮騎士。


「ディル!」


 その眼は血走っていた。


「貴様……貴様が、やったのか!?」


 倒れてピクリともしないフレイに向かって、鬼の形相で突き進むディル。

 さっきまでの優雅な騎士とは思えない様子にセイシンが困惑する中、またもや彼の前に立ち塞がったのはネムだった。


「それ以上はダメ!」


「貴様……そこをどけ!」


「ダメ! あなた、この人を殺す気でしょう!」


「それがどうした! そこをどけ!」


 あまりのディルの変貌に呆然としていがセイシンだったが、ネムが少し震えていることに気付いて我に返る。

 ……そうだ。

 ネムは準決勝でディルに負けたのだ。彼女は自分の実力ではディルには勝てないことを知っていて、それでもなお止めようとしている。明らかに様子がおかしいディルを。


 セイシンは迷った。

 すでに周囲の注目はセイシンから外れている。このままそっと消えても誰も気付かないだろう。賞金は手に入れた。黙って去っても良かった。目立たず騒がず、ここから消えてシズが待つ街まで帰るべきだった。

 なのにセイシンはそうしなかった。

 つい前に出てしまう。

 誰かに突き動かされたのなんて、いつ以来のことだろう。 


「待て、ディル」


 ネムの隣に立ち、ディルと向き合う。


「君までか……邪魔するなセイシン!」


「断る。どうしたってんだよ一体」


「どうもこうもあるか! まずはその野良犬を斬ってから――」


「ふうん、犬を斬るのか? じゃあおまえは騎士じゃなくて猟師だ」


「なっ、僕を侮辱するか!」


「ああするね。気絶した相手に斬りかかるお前は、一体全体どこのどなた様なんだ?」


「僕は騎士だ! 誉れある王宮騎士のひとり、ディル、ヘイム……で……」


 ハッとして、少しずつ声が小さくなっていったディル。ようやく頭に上っていた血が下がっていき、まだ怒りに震える手で振るった剣を、きつく握りしめた。


「すまない。我を忘れていた」


「おう。それで、何があったんだ」


「……話すより見てもらったほうがいいだろう。だが、セイシン……ついてくるのは君だけだ。僕は君しか信用していない」


「俺だって信用されることした覚えはないけど」


「無論、暫定的な話だ。僕も友情を安売りする気はない。とにかく僕についてきてくれ。それと領主官殿、僕が戻るまでこの会場から誰も出さないで頂きたい」


 少し気丈な態度は戻ったようだ。的確に指示を出していくディル。

 とはいえ、動揺している様子は変わらない。手は震えたままだった。

 案内されたのはまたもや地下室だった。出てきたばかりの地下室では、慌ただしい声が聞こえてきた。

 扉から入ると、視界に飛び込んできたのは倒れているカーキン第一王子だった。

 顔は蒼白で血の気は失せ、口の端から泡を零して苦しそうに呻いている。王子に救命措置を施しているのは、さっきまで騎士たちの後ろで控えていた壮年の女性だ。医師だったらしい。


「……何が……?」

「僕としたことが、不覚だった」


 頭を抱えるディル。


「君たちが部屋を出て行った後、王子は喉が渇いたと机にあった水を飲んだのだ。その直後、胸を押さえて激しく嘔吐し、痙攣し倒れてしまった。医師が即座に対応してくれたため、心臓は動いているようだが……どういう変化が起こるかわからない。胃の中の物はすべて吐かせたのだが、遅かった」


「毒か?」


「だと思う。僕の失態だ」


 歯噛みするディル。


「じゃあ、フレイが毒を盛ったと?」


「……すまない。毒を盛った犯人を逃がすまいと駆け上がったら、暴れているフレイが見えた。そこからは怒りに任せて動いてしまった」


「まあ、気持ちはわからなくもないけどな」


 王子は苦悶の表情を浮かべて倒れたままだ。生死の狭間をさまよっていることくらい、ここから見ているだけでもわかる。そして、あまり分がいい状況でもないことも。

 騎士が冷静さを失うには十分な理由だ。

 ディルは悔しそうに歯噛みした。


「王子がこうなっていても、僕には見ていることしかできない。あまりに自分の不甲斐なさに嫌気がさす。僕こそ毒を飲むべき人間だった」


「……毒、ねえ」


 転がっているコップと、机の上に置かれたままの水差し。

 なにか違和感を覚えたような気がするが、その正体を考える前に、


「それよりセイシン、君の意見が聞きたい」


「なんだ?」


「先ほど、この部屋に入ったのは僕と王子以外に君たち四人だ。もちろんこの水を給仕して置いてくれた者や準備をしてくれた者も含めると、それ以上だが」


「それがどうした」


「僕は授与式の少し前にも、あらかじめこの部屋に来ている。そこで、この水を一口飲んでいる。喉が渇いていたからね。注がれていたコップの水を飲み、また水を注いでおいた」


「……ほう」


「だが僕はなんともない。つまりその時点で毒は入っていなかったということだ。その後授与式が行われ、王子と共にこの部屋へと再び戻ってきたのだが」


 そう言ってディルが掲げたのは、一本の鍵。


「この部屋は外からしか鍵をかけられないし、開錠もできない。そしてその鍵を持っていたのは僕だ。合鍵はない。つまり――」


「毒は、俺たちが部屋に入ってから王子が水を飲むまでに入れられた、と?」


「そのとおり」


 もしそうなれば、想定以上に由々しき事態だった。

 ついさっきの記憶だから覚えている。

 ディル以外では、セイシン、リッカ、ネム、フレイ。

 毒を入れられる可能性があるのはこの四人だ、ということだ。


「……セイシン、僕はどうすべきだと思う?」


 ディルは倒れた王子を心配そうに眺め、それからゆっくりとセイシンの目を見つめてきた。

 もうやることは決まっている、と言わんばかりの強い視線だった。



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