勇者の計略
風が窓を叩いていた。
挿し込む月光が、椅子で眠るフレイの手元をぼんやりと照らしていた。読みかけの本がずるりと落ちて乾いた音をたてるが、フレイは動く気配がなかった。
一か月前、生死をかけて信頼した相手だ。関わったのは時間的にはたった数日。それほど深い仲でもないが、ディルと同じく心から頼れる男だった。
「ありがとよ」
セイシンは小声でつぶやいてからら起きあがり、机に置いてあった上着を羽織ってフレイの横を通り過ぎる。
いずれ恩を返さなきゃならないな、と部屋を出ようとしたときだった。
「行くじゃか?」
「……なんだよ。寝たふりなんてらしくねえな」
「オメェの考えることくらいお見通しじゃが」
フレイは、鋭い犬歯を見せて笑った。
「あの魔族の娘っ子のことが心配なんじゃが?」
「ああ。ネムの情報はさすがに入らねえだろうから、自分で確かめないと。それに【鎖の神子】が逃亡する時、若い王宮騎士が応援に駆けつけたって話なんだろ。それがディルだとしたらあいつの安否も確かめたい」
「ちゅうても、夜は外壁を閉ざしてるじゃが。どうやってレッカナンに入る?」
「壁を登るか、下水道探すか……それは行ってから考えるよ」
「オメェはレッカナンを舐めすぎじゃが」
フレイは大きくため息をついて立ち上がった。
「いまは厳戒態勢じゃが。侵入可能な経路は把握されとるだろうし、もし見つかったら、今度こそお尋ね者じゃが。勇者だけじゃのうて兵士からも追われる身になる。しかもレッカナンの兵士は、それこそウルスとはちごうて切れ者ばっかりじゃ。戦い以外にも優秀な兵士が揃っとる。不法侵入はせんほうが身のためじゃが」
「じゃあどうすればいいんだよ。朝まで待てってか?」
「本来ならそうすべきだと説得するんじゃがのう……オメェが朝日を待つような男でもねえっちゅうことくらい知っとるじゃが。じゃらか今回はワイに任せろ。ワイはオメェらに比べたら剣の腕は劣っとるが、ちっとは名を馳せてるところを見せちゃるじゃが」
フレイも上着を羽織り、棚に立てかけていた剣を腰に提げる。
セイシンと肩を並べた巨漢は、神妙な面持ちで言った。
「それに、ワイも【鎖の神子】のことを調べときてぇからのう」
森を抜けてから一時間ほどでレッカナンに到着した。
急ぎの夜道だったので正確な距離はわからなかったが、フレイの隠れ家は思ったよりレッカナンに近かった。都市近くの森なのによく見咎められないものだと感心する。
そのあたりも含めてフレイにはまだ秘密がありそうだったが、語るつもりもなさそうなので尋ねたりはしなかった。獣を自負する男は、その生き方は明らかに特殊だ。セイシンが触れていいものではないだろう。
そんなフレイもセイシンが思っていたより名を挙げているようで、レッカナンに着くなり閉じた門のそばに佇んでいる見張りの兵士へと近づいて行く。
兵士は夜中の客人に警戒していたものの、二人の姿がはっきりと見えると安堵の息をついた。
「フレイさんでしたか! てっきり野生の熊かと思ってしまいましたよ。こんな夜中にどうしたんです?」
「応援連れて【鎖の神子】の調査で戻ってきたじゃが。前回はこっぴどくやられたが、今度は負けはせん。通ってええじゃか?」
「それはありがたい! もちろん、義勇ギルド【炎の牙】副団長のフレイさんであれば断る理由がありません!」
兵士はそう言うと、壁に掛けていた書類から一枚紙を千切って、ペンとともに差し出してきた。フレイはその紙に署名を走らせて、
「すまんのう。夜間通行手形分の料金は、後からギルドに請求するじゃが」
「かしこまりました!」
兵士が通行書を受け取ると、その署名を確認した後、門の隣にあった小さな扉を叩いた。
ゆっくりと扉が開き、フレイとセイシンはそこからレッカナンの中へと入る。
兵士たちの敬礼に見送られつつ、セイシンはフレイの顔を見上げる。
「おまえ義勇ギルドの副団長だったのか?」
意外な所属先に驚いていた。
義勇ギルドとは、金以外の繋がりと正義を目的とした非営利目的の集団だ。あらゆる組織や個人に対して、王国が保証している各人権が守られているか監視するという、人民指導の第三者機関。
数百年前、かつての勇者が設立したという歴史ある組織だった。
一般の傭兵であれば、憧れの対象でもある。
「言うとらんかったか? ワイはこれでも群れの二番手じゃが」
「どんな権力者にでも噛みつく〝狂犬〟って……そういうことか」
たしかに臆せず、拘らず、冷静に物事を判断するフレイの性格は義勇ギルドにうってつけだ。どんな強者だとしても、フレイのような存在はかなり厄介なはずだ。しかも傭兵としても名を馳せている実力者。
「そうか、なるほど。フレイがウルスの武闘大会で権力者たちに疎まれてた理由がわかったよ」
「フン。ワイは自分より強い相手にしか噛みつかん。あんな田舎街の腰抜け共なんぞ視界にすら入れとうねえんじゃがのう」
まあ、素が短気で喧嘩っ早いのも煙たがられる理由かもしれないが。
とにかくフレイのおかげで無事にレッカナンに入れた。
これからどうするか、だが。
「まずは教会に行くじゃが。野戦病院になっとるからのう」
拘留所の崩壊に伴い、職員や兵士が数十名負傷し、近くにいた一般人も大勢巻き込まれている。百人近い人数が病院に収まるはずもなく、そのほとんどが教会で治療を受けているという。
「そこにディルがいるかだな」
「さすがに王宮騎士がいるとは思わんじゃが。こういうときも優先される騎士様じゃろう? 診療所にいるんじゃねえか?」
「だからこそ、だよ」
あいつの性格を考えたら、子どもや年寄りに良い環境を譲ると思っている。
セイシンのその予想は、まさしく的中していた。
夜中にも関わらず、教会は忙しなかった。見るからに寝不足とわかる医師や看護師たちが走り回り、粗末なベッドの間を駆けまわっていた。松明の灯りがそこら中に焚かれていて、怪我人たちのうめき声とともにゆらゆらと揺れている。
寝ている者、あるいは起きている者。あるいは付き添っている家族もいる。そんな中をセイシンとフレイは、誰に話しかけられることもなく静かに歩いて回った。
ディルを見つけたのは、比較的静かな一画だった。
怪我人がみな寝静まっているなか、セイシンたちの気配を感じて上半身を起こした王宮騎士は、その上体にこれでもかというくらいに包帯が巻き付けられていた。
「来ると思ったよ、セイシン」
「無事だったか」
死者が出た、という話は聞いてなかったけど、実際に顔を見るまでは少々不安だった。ディルの立場と性格なら【鎖の神子】を逃がすまいと全力で対峙したはずだったからだ。
ディルは顔の半分ほどを包帯で隠していた。しかし表情を和らげたのは伝わってくる。
「僕のこの有り様をみて安心するなんて、君は随分と冷酷だね」
「そう言える余裕があるならなおのこと安心だ」
売り言葉に買い言葉。
いつもの軽口を叩き合う。
「それと驚いたよ。フレイ=フレムじゃないか。久しぶりだね」
「ひと月と少ししか経ってねえじゃが」
フレイは呆れたように言う。
「そういえばそうか。ここ最近は色々あったからね」
「俺もまだ一か月か、って感じだぞ」
「とはいえ、また僕たち五人がこの大陸の逆側で集まるとはね」
ディルがどこか感傷に浸ったようにいう。
たしかに、ウルスの街で集まった五人全員が、ここレッカナンにいることを考えれば少し不思議な感覚がある。今度ばかりは、誰かの計略でないことは確かだけれど。
「仲良く同窓会ってわけにはいかないぞ」
「わかってるよ。……それで、同窓会じゃなければ僕になんの用事だい? まさか、僕の安否を確認するためだけに来たわけじゃないだろう? 君はいまリッカ様に追われている立場のはずだ。それくらい、この街の誰もが知っているよ」
「ああ」
さすがディル、話が早い。
「情報が欲しい。【鎖の神子】と、ネムのことだ。おまえなら寝てても情報が入ってくると思ってな」
「やっぱりね。さしずめ僕は新聞扱いってところかな」
「安心しろ。井戸端会議くらいしにか思ってねえよ。だから知ってることを吐かないとご近所のマダムに『ディルはむっつりスケベだ』って言いふらすぞ」
そう返すと、ディルは笑った。
「それは立派な名誉棄損だね。しかも僕は君との関わりを禁止されている身だ。情報提供となると、君に脅されたことにしなければならない。脅迫罪も追加しておこう」
「どんどん追加しろ。リッカに追われてる以上に命の危機はねえからな」
「それもそうだね。じゃあ、まずは【鎖の神子】だが」
ディルは一度言葉を切って、息を整える。
隣でフレイの背筋がかすかに伸びた。
「【暗殺教団】の頭首を連れ去った彼女は、レッカナン南部の役人邸宅を急襲し、住人全員を密かに殺害した。しかしそのまま邸宅には潜まず、それから地下を使って街を北上し、中心街に入ったようだ。足跡はそこで途切れている」
「死人が出たじゃか?」
「ああ。子ども含めて六人。……こればかりは僕の落ち度だ。【鎖の神子】と面と向かって対峙しておきながら、彼女の操る鎖に手も足も出なかった……王宮騎士失格だ」
憂いを帯びたディルの声。
セイシンは、ディルの責任だとは思わなかった。そもそも襲撃自体予想外の出来事だっただろうし、リッカやパルテナのような神子を見る限り、彼女らの特殊な力に一対一で太刀打ちできるとは思わない。
だが、ディルが欲しいのはそんな空虚なものじゃないだろう。
言葉で罪悪感が和らぐほどディルの正義はヤワじゃない。
だから、セイシンはひとりの友として質問を重ねる。
「きっと俺たちが捕まえてやる。だからおまえの考えを聞かせてくれ。頭首と神子はどこに行ったと思う?」
「……これは、僕の個人的な想像だけれど」
と、慎重に前置きをしてディルは言う。
「三年前、【鎖の神子】が神子としての責務を放棄して数名を殺害し逃走。それから少しして【暗殺教団】が生まれた。おそらくこの間に、頭首と神子は出会ったんだと思う。そうすると神子は、教団の深い部分に関わっているはずだ。なのに先日頭首が捕まったとき、神子はそこにいなかった。なぜだと思う?」
「勇者がいたからじゃが」
フレイが即答し、ディルも頷く。
「おそらく。ゆえにリッカ様が街から出たのを見計らい、頭首を救出してそのまま街から出ていく予定だったのだろう。しかしリッカ様はすぐに戻ってきた。直接対峙すれば、さすがの神子でもリッカ様には勝てない。だから頭首を助けたあとは身を潜めるしかなかったんだ。あとは一度南に向かい、無作為に選んだと思われる場所で一家殺害を成した。……でも、それは捜査を惑わすための布石だろう。本当は別の場所にあてがあったはずさ」
「それはどこに?」
「……調書によると尋問では、頭首は驚くほど正直に話してくれたようだ。【暗殺教団】の構成員から組織図、依頼された内容や依頼人まで。僕たちの目的だった王子暗殺未遂の件も、とくにこちらから聞かなくても全て答えてくれたようだ。拷問なんて必要なかった。彼は書き留めきれないほどの情報を提供してくれたんだ。一部を除いてね」
「それが【鎖の神子】の存在か」
「それと、資金提供者だよ」
ディルは小さく頭を振った。
「彼が次々と話すから、尋問官は話している内容をまとめることに精を出して彼の本当の狙いに気付かなかったのさ。必要な情報も待てば出てくるだろうと思っていたけど、その結果がこれだ。すべて彼の策略だったのさ」
ディルは膝に置いた拳を握りしめる。
「そもそも【暗殺教団】が根城にしていた建物や廃坑を買い取った財力が、どこから来たのかわからなかった。正確な情報は、また彼を捕まえるまで手に入れられないだろう」
「でも、おまえは予想がついている。だな?」
セイシンが問うと、ディルは大きく頷いた。
「立場上、僕が軽率に言えることではない。だからこれは独り言さ」
「そうか。独り言なら聞かれても問題はねえな」
「頭首と【神子】がこの西部から南に向かったということは、本来の目的地から一度視線を逸らす必要があった。そこから移動したと考えるなら、北か東。そして中央部。とはいえ曲がりなりにも王都に次ぐ巨大な都市さ。隠れられたらなかなか見つけられるものじゃない。真っすぐ向かっても見つかる危険性は低い。だけど一か所だけ、直接向かったら目立ちすぎる場所がある。膨大な財もあり、汚い噂も絶えず、そして何よりその立場から敵も多い。この街一番の場所があるだろう」
「――キッシュ=ガリアン領長か」
一度ネムを連れ去った変態誘拐犯。
セイシンが顔をしかめると、ディルは視線を街の中央へ向けた。
「僕の想像に、根拠はひとつしかない。ほぼ一日かけて色々と自白していた頭首の口から、この街の領長に関することが一切出てこなかった。これほど大きな都市の、王子すら狙うほど恐れを知らない暗殺組織だ。それなのに依頼者にも標的にも、あるいはその他の細かい情報にもキッシュ=ガリアン領長の関係者はひとつも出てこなかった。もちろん本当に関わりが無かった可能性もある……だけど僕には、それが不自然にしか思えないんだ」
ただのディルの勘だ。
しかしその勘が外れているとは、セイシンにも思えなかった。
「ちゅうことは、【鎖の神子】は領長の屋敷で匿われているじゃが?」
「おそらくね」
「じゃあさっそく確かめるじゃが。義勇ギルドが犯罪者隠匿疑惑を探るっちゅう名目にすりゃあ、ワイの権限でもすぐにでも踏み込め――」
「まちたまえ〝狂犬〟」
と、勇み立つフレイの腕を掴んだディル。
悩みの種を相談するように、言い辛そうにしながら。
「じつは君たちに伝えなければならないことが、ひとつある。あまり気が進まないけどね」
「なんじゃ。いうてみい」
「セイシンの質問の、もうひとつの答えさ……ネムセフィアがいまどこにいるのか。セイシンにとってはかなりショックなことだろうが、落ち着いて聞いてほしい」
「どこにいるんだ。教えてくれ」
「そのキッシュ=ガリアンの邸宅さ」
「……なんでだよ」
セイシンは眉を寄せる。
キッシュがネムの美しさに執心したことは知っている。しかしリッカにこっぴどくやられたから、もう手出しはしてこないはずだった。命に代えても手に入れたいという執着なら、そもそもリッカが斬り捨てていただろう。
それなのに、なぜ。
「……昨日、王都から通達があったのさ。つい先日、魔族の国に新しい王――魔王が誕生したらしい。その新魔王との議会が秘密裏に行われていたようだが、そのなかでネムセフィアについても言及があったようだ。捕虜としてこちらで管理しているネムセフィアを、新魔王は人質としての価値がないと断言した。それどころか魔王の血縁として戦争を悪化させた原因のひとつとみなし、魔族の民と認めないとまで言ってのけたらしい。我が国王もその言葉を元に、ネムセフィアへの庇護を解くことを決めたんだ」
「なん、だと」
言葉を失うセイシン。
戦争を止めようとした唯一の魔族がネムだったはずだ。あの魔王城で、あれだけ必死にリッカを説得しようとしていた。ひとりになってもなお、戦いを選ばず誰かを傷つけることを望まず、平和のために戦ってきたはずだった。
それなのに、戦争を悪化させた原因だと。
そんなバカなことが許されてもいいのか。
呆然とするセイシンに、ディルは畳みかけるように言う。
「それゆえ正式に、勇者リッカ様に命令が下ってしまったんだ。魔族ネムセフィアの庇護を解き、殺すも生かすも自由にしてよいと」
「リッカはどこだ」
「……落ち着くんだ、セイシン」
「リッカはどこにいる!」
ディルに掴みかかろうとするセイシンを、フレイが羽交い絞めで押さえつけた。
「落ち着けセイシン。君が騒いでどうなる問題じゃないんだ。リッカ様も、すぐさまネムセフィアに危害を加えようというわけでもない。だから、冷静になって話を聞いてくれ。最後まで話を聞いてくれ」
「……すまん。聞こう」
リッカの血の気の多さを考えてしまい、とっさに頭に血が上ってしまった。
セイシンは息を整えて、ディルの言葉の続きを待った。
「リッカ様はネムセフィアを捕虜として扱うことを望んだ。自由にしていいなら、という言葉に従ってね」
「捕虜? 魔族に対してその価値はないんじゃなかったのか」
「ああ。でも、君にならその価値はある」
ディルは頭痛に苛まれるように頭を押さえて言った。
「つまり僕が預かっているのは、リッカ様から伝言さ。ここに君が来たら伝えるように、と言われていた。『ネムセフィアを助けたければ、この街の領長の屋敷まで来い』ってことさ」
「あいつ……ッ!」
「リッカ様もなかなか周到なことを考えるものだ。自分が危害を加えなくても、ネムセフィアの嫌悪すべき相手が誰かを知っていて、利用するつもりなのさ」




