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ウソカタルシス ~魔王暗殺の虚飾~  作者: 裏山おもて
4章 彼と彼女の奸計<カンケイ>・上
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剣気の極地

 朝食はパンとサラダ、それと木苺のジャムがかかったヨーグルトだった。

 ひとまずディルが動いてくれることを知ったネムは、ほっと息をついていた。自分の聞き取りや調査が無駄にはならなかったことに安心したようだ。

 ヨーグルトをかき混ぜながら、


「じゃあディルヘイムの推測が正しければ、あとは火を点ける手段を説明するだけってことね?」


「そうなるな」


 とはいえ、そっちも難問であることには変わりない。

 ロウソクのように脂と服が癒着していたとしても、確実に火を点けることができるとすればおそらく普通の火種では無理だろう。鎮火せず、なおかつ軽く百度を超えるような火種がなければ難しい。

 そんな物質をセイシンに気付かれずに男に触れさせる方法があるのだろうか。


「いきなり百度以上の火力なんて、それこそ劇薬級の代物しか思いつかないけどな」


「でも、それらしい痕跡は残ってなかったわ」


 ネムが調べた結果や、聞き込みした兵士たちの証言からもそんな化学薬品などの異物はなかったことが明らかだった。


「でも何かあるはずなんだ。俺たちが思いつかないようなトリックが」


「……そうね」


 ネムが紅茶をすする。

 少しすると老紳士が食器を下げるために部屋に来て、そのついでにセイシンたちに今日の予定を尋ねた。

 未定だということを告げると、老紳士は懐から小冊子を取り出して言う。


「ディルヘイム様から事情は伺っております。もし、セイシン様が少しでも羽を伸ばしたいようでしたら此処を訪れてみては如何でしょう?」


 小冊子は、街の中の観光案内図だった。

 老紳士が示したのは、街の東端にある博物館だった。花などの植物や農産物をはじめ、王国の各地で見られる特産などが数千点以上も展示されているらしい。

 小冊子を覗くセイシンたち三人。


「へえ。かなり面白そうだな」


「わたしも気になります。食べ物……特産……お土産……」


「茶葉もあるのね。行ってみたいわ」


 三人とも乗り気の反応を見せると、老紳士は柔らかい表情で頷いた。


「よろしければ、私のほうで馬車の手配と入場券の用意をさせて頂きますが?」


「東側ってことはほぼ真逆だな。歩いたらどれくらいですか?」


「一時間ほどで御座います。皆様なら歩けない距離ではありませんよ」


「馬車にしましょう!」


 元気よく怠惰な勇者だった。

 ディルに調査を任せておいて自分たちだけ遊びに行くのは気が引けたけど、ここで考えていても埒が明かなそうだった。

 それに何より、いまは平気そうな顔をしているが、領長の悪意に触れて傷ついているはずのネムには気分転換も必要だろう。


「ではお出かけの支度が整い次第、呼び鈴を鳴らして下さい。用意をして待っております」


「お願いします」


 老紳士の提案に従うことにしたセイシンたちは、散らかしていたテーブルの上を片付ける。ネムが暖炉の火を消して書類をしまっていく。


「わたし、もう帯剣してもいいですかね?」


 昨日、領長の屋敷に殴り込みをかけるために、馬車から自分の剣を持ってきていたリッカ。もちろんそのまま宿にまで持ち込んでいた。

 どうするか悩んでいると、不意に宿の外から喧騒が聞こえてくることに気付く。

 意識を向けると、何やら大勢の気配が道路にたむろしていた。

 リビングの窓を開ける。

 宿屋の前に、軽く数えても百人はくだらない集団がこちらを見上げていた。


「なんだ?」


「どうしましたか?」


 リッカがセイシンの横から、ひょいと顔を出した。

 その瞬間だった。


「勇者様!」

「リッカ様!」

「勇者さまああ!」


 地鳴りのような歓声が、耳をつんざいた。

 百人以上が一斉に叫んだせいで、窓ガラスがびりびりと響く。

 とっさに耳を塞いで顔をしかめるリッカとセイシン。


「本当に勇者様ですか!?」


 道路の一番近い場所で、こちらを見上げていた少年が目を輝かせていた。

 リッカが困惑したようにセイシンと顔を合わせた。

 まあ、そろそろリッカの正体が露見するだろうということはわかっていた。昨日まで知っていたのはバーラクと数人の兵士や騎士くらいで、彼らはしっかりと秘密を守っていた。

 だから情報が漏れたとすれば、昨日の領長屋敷での騒ぎだろう。


 ディルからの情報によると、領長はひどく取り乱した状態だったという。屋敷を半壊させたのは勇者リッカだった、と事態を収拾しに訪れたディルから伝えられると、腰を抜かしてしまったらしい。人攫いの件に関して騎士隊でも調査が始まったことを知らされた領長は、半狂乱になって多くのことを語ったという。その自供が真実かどうかはわからないが、その時、屋敷で取り調べを受けた使用人たち全員が、リッカの存在を知らされたようだった。

 そのうちの誰かが漏らしたのだろう。

 遅かれ早かれこういう展開になることは予測できていた。

 セイシンが無言でうなずくと、リッカは窓から身を乗り出し、窓枠を踏んで軽い動作で屋上へと飛びあがった。

 その動作だけで群衆から歓声が上がる。


「勇者さま! レッカナンへおかえりなさい!」

「リッカ様ァ! お久しぶりです!」

「キャ~! 素敵ぃ!」


 リッカはその声を軽く手をかざして鎮める。

 勇者として立ち振る舞うことに、何の迷いもなかった。

 沈黙した群衆たちに、屋上から見下ろして応える。


「――皆さん存知の通り、わたしは【勇者】と【剣の神子】の称号を賜った剣士。名をリッカといいます」


 その声は凛と響き、晴れた空に透き通る。


「【神子】となってから七年、【勇者】となって五年以上が経ちました。わたしはその間、かつて剣を習ったこの街へ戻ってくることはありませんでした。戦争が終わり、街は広がり人口は増え、今では知らないことのほうが多いように感じます。懐かしい気持ちと、知らない街だという感覚は、半分ずつ胸のなかに在ります」


 いまリッカを見上げている人々のなかには、かつてリッカと関わりがあった者もいるかもしれない。話したことも、あるいは密接に関わった者もいたかもしれない。

 ただリッカにとっては、すべてが幼い頃の想い出だった。

 剣を習ったこと以外の記憶はそれほど残っていない。


「【神子】となり【勇者】となり、戦争へ赴きたくさん戦ってきました。いえ、いまでも変わらず戦っています。皆さんを守るために戦争を終わらせたわたしが、かつて敵だった者を守っていたりもします。そんな剣に生きる人生は、過去を振り返ることなんてありません。常に前を見て、常に孤独に戦っています。昨日も少しばかり領長を懲らしめてしまいました」


「知ってるよお!」

「さすがリッカ様!」

「やりすぎですよ~!」


 色々な言葉が飛んでくる。

 歓迎する声も、心配する声も、称賛、あるいは非難する声も。

 そのすべてを耳に入れ、幽かに微笑んだリッカ。


「【勇者】は過去を振り返りません。この街に育てられたことも、わたしにとっては過去のひとつに過ぎません。ここが思い入れのあった街だとしても、任務のために正体を隠していたことに謝罪をしようとは思いません。失礼ながら皆さんのことを覚えていないかもしれません。それは、わたしが守るのはこの街ではなく、この国そのものだからです。ひとつの街を特別視することなどできません。これからも、訪れるすべての場所を、人々を、わたしは平等に守ります。……だから今回だけ、特別ですよ――」


 しん、と静まり返る聴衆。

 すでに野次馬は見渡す限り道路いっぱいに広がっていた。数百人――あるいは千人を超えているかもしれない。人で埋め尽くされた道が、その視線が、すべてリッカに注がれている。

 その全員に届くように深く息を吸い込んでから、リッカは叫んだ。


「――ただいま、レッカナン!」


 今度こそ、歓声が爆発した。

 レッカナンの民は誰もが手を叩き、喉の限り叫んだ。英雄の凱旋を讃えた。

 割れんばかりの大歓声は、街中に響いた。


 リッカはしばらく彼らに微笑みかけてから、屋上の縁を掴んで軽業のように真下の窓へと飛び込んだ。

 振り返って軽く手を振ってから、興奮冷めやらぬ大群衆の声を、窓を閉めて遮った。

 彼らから見えなくなると小さく息をつく。

 セイシンはゆっくりと拍手しながら、ソファからリッカの顔を見上げた。


「おう、名演説だったな」


「……ちょっぴり恥ずかしいです」


 照れ笑いのリッカだった。

 凱旋演説は本来なら、戦争が終わった直後にするべきことだったはずだ。三年間もその姿を潜めていたせいで、リッカが戻ってくることを待ち望んでいた街の人々の歓びは計り知れないものがあったのだろう。


「あ、そういえばセイシンさんを紹介しておけばよかったです」


「いや必要ないだろ」


「えっと……ほら。友人のセイシンさんです! とか」


「公開処刑すぎる」


 冗談はさておき、リッカの演説が終わっても群衆たちが去っていく気配はなかった。道は人で溢れかえり、馬車が通る隙間なんて微塵もない。

 頼んでいた観光も、しばらく待たないと出かけられないかなと思っていた時だった。

 軽く部屋の扉が叩かれた。


「どうぞ」


「失礼します」


 入ってきたのは老紳士。

 彼は深く首を垂れた。


「リッカ様、セイシン様、ネム様。改めまして、当宿をご利用いただきまして誠に有難うございます。そしてリッカ様、勇者であらせられる貴方様に対し従業員一同を代表して心から畏敬の念を表明致します。何より、見事なご演説で御座いました」


「ありがとうございます。それより偽名を使って申し訳ありませんでした。宿にも迷惑をかけたと思います。驚いたでしょう?」


「……いえ」


 と、老紳士は顔を上げた。

 その表情には、まるで孫を見るような慈愛の籠った微笑みが浮かんでいた。


「私は貴方様のその青い瞳を、昔から知っておりました。名や身分を偽っていることにも気付いた上で、いち客人として接することを選ばせて頂きました。どうかご容赦を」


「あら、そうだったんですか。もしかして以前、どこかで?」


「貴方様が通っていた剣術道場、覚えておられますかな?」


「ええ。もちろん……あっ!」


 リッカは記憶の中で老紳士の姿を思い出したのか、驚きの声をあげた。


「もしかして、ベル爺!? 師範の兄の、剣の達人で風来坊だった、あのベル爺ですか!?」


「左様でございます。思い出していただけましたか。……本当にお久しぶりですリッカ様」


「わああ! 久しぶりです! ていうか、気づかずにごめんなさい! あんなに二人で稽古したのに……わたしってばなんで忘れてたんだろう」


「無理もありません。あの時の私は常に道着と木剣を身につけておりましたから。このように堅苦しい恰好など、幼い貴方様の記憶からは想像もできなかったでしょう」


 ベル爺と呼ばれた老紳士は、彼の手を取りぴょんぴょんと跳ねるリッカに、懐かしそうに目を細めて笑いかけていた。

 この部屋を受け持っていた老紳士が、旧知の相手だったとは。数奇な運命もあるものだ。


「でもベル爺、どうしてこの仕事に? 剣はどうしたんですか?」


「不甲斐なくも寄る年波には勝てず、剣は嗜む程度になりました」


「あら、それは残念です。ベル爺、王宮騎士くらい強かったのに。わたしも昔は勝てませんでしたもの」


「へえ、そうなのか。意外だな」


 セイシンは感心して口を挟んだ。

 感動の再会に水を差すつもりはなかったが、この腰の低い老紳士が王宮騎士並の強さを持っているなんて、佇まいからは想像もつかなかった。歩き方、気配、そして物腰の柔らかさ。どこをとっても教養が届いた単なる紳士でしかない。


「そうだ! セイシンさん、ちょっと剣を構えて下さいよ」


「?」


 いきなり何を言い出すのか、疑問に首をひねるセイシン。

 リッカはセイシンとベル爺を向かい合わせに立たせ、その二人に短剣を一本ずつ握らせる。


「ベル爺、アレ、まだできますか?」


「……どうでしょうか。ここ数年は、鍛錬も無理のない程度でしたので」


「きっとできますよ。やってみてください」


「なにするんだ?」


 セイシンが眉をひそめたのには答えず、リッカは楽しそうに。


「いいからいいから。セイシンさんはじっとしてください。珍しい体験ができますよ」


「しかしリッカ様。もし可能だとして、セイシン様にご迷惑がかからないかどうか」


「そっちも安心してください。セイシンさんなら大丈夫ですよ。この人もこう見えて、物凄く強いですから」


「左様ですか。では、遠慮なく……」


 と、ベル爺は短剣を腰に近い位置で構えたまま、半歩、足を後ろに下げた。

 途端、いままでただの老紳士だった彼の気配が、まるで歴戦の剣士のものへと豹変した。姿勢、呼吸法、筋力……熟練された剣に必要なそれらすべてが、いままで意識のもとに隠されていたことに気付く。

 どんな相手にも気取られないよう、普通の人間のように振舞うことができるなんて。

 それだけで驚きに値することだった。

 しかしリッカが見せたかったのは、それではなく。


「覇ァ!」


 ベル爺が吠えた。

 その瞬間、セイシンは全身の力が抜けるような錯覚を感じた。まるで何かに自由を奪われたような、そんな虚脱感が四肢を襲う。あやうく倒れそうになる。

 セイシンはとっさに下腹部に力を籠める。

 失った熱を再び点火させるように、全身に意識を駆け巡らせる。

 感覚はすぐに元に戻った。

 それは瞬きするほどの僅かな時間だったが、もしこれが殺し合いだったとしたら、きっとセイシンは斬られていただろう。

 息を呑む。


「……いまの、なんだ……?」


「剣気当て、という技法で御座います」


 ベル爺はいつの間にかもとの老紳士の気配に戻っていた。

 短剣をリッカに返しながら、セイシンの全身をくまなく観察する。


「本来、剣気は己の気を高め、威圧や発奮に使うものです。しかし剣気というものは単なる気合や意識では御座いません。我々の体内で微弱に生成される、磁場のようなものなのです。それを操り相手の眉間へ集中して叩きつけることにより、神経を乱し、麻痺させる技術です」


「……剣気が、磁場みたいなもん?」


「はい。たしか科学的な言い方ですと、生体磁気とも呼ばれていたかと。そもそも意識的に感じることができる人すら滅多におりませんから、御存じないかとは思いますが」


 知らなかった。セイシンも相手の剣気を感じることは稀にあったが、それが具体的になんなのかを気にしたことはなかったのだ。それを操るなど考えたこともない。

 ベル爺は頭を下げて言う。


「しかしセイシン様も瞬時に対応されるとは、大したお方のようですね。初見で破られたのはリッカ様以来のことです」


「わたしはむしろ剣気当てを返しちゃいましたけどね。無意識に」


「リッカ様が規格外なのです」


「……即座に返したのか、いまの技を?」


 セイシンの顔が引き攣った。


「はい。でも、自分から仕掛けることはいくら修行してもできませんでした。わたしの場合、わざわざ剣気当てするよりそのまま斬った方が速いって考えてましたしね」


 さすが剣に愛された少女。わずか十歳にも満たない齢で、返し技すら瞬時に生みだしたのか。

 しかし、いまので理解した。

 ベル爺が剣の達人――ひとつでも技術を極めた者だということが。

 その達人はにこやかに言った。


「セイシン様。どうやら、貴方様も只人ではないご様子。……しかしどのような偉人であれ、あるいはどのような博学をもってしても、自らの知識や着眼点では全てを見通すことなどできないのが世の常で御座います。私のような老獪には、すでに十分に剣を振るう腕力は残っておりません。しかし同じ剣を使って、このように別の極地を見せることは可能です。自らの力で打破することができない問題に直面したとき、役に立たないと思っていた事柄や人物こそ、困難を打ち破ることができるやもしれませんぞ」


「……ベル爺さん……」


 きっとベル爺は、セイシンを励ましてくれているのだ。

 人体に火を点ける。

 言葉にすればそれだけの事なのに、条件が付けば不可能に思える。しかしそれは、現状のセイシンの視点からだというだけだ。諦めたり、他の道を探らない理由にはならない。

 セイシンはベル爺の激励を感じ、気合を入れなおすのだった。



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