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ウソカタルシス ~魔王暗殺の虚飾~  作者: 裏山おもて
4章 彼と彼女の奸計<カンケイ>・上
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燃える男

 

 バーラクと一度別れたセイシンたちは、宿屋に戻ってきていた。


【暗殺教団】の手がかりはバーラクが握っているので、ひとまず自分たちの足で探し回る必要はなさそうだった。今夜の捕物帳がうまくいけば協力者として認めると言うバーラクの言葉を信じるしか、現段階でできることはないだろう。

 どうせなら観光をしてもよかったが、余計なことに巻き込まれないためにも宿屋で大人しく過ごしているほうが無難だと判断して休息をとることにした。とくにセイシンは寝不足だったので、夜になるまで体力を温存しておきたかった。


「お茶、煎れるわね」


 ひと息つきながらリビングのソファで天井を眺めていると、ネムがいそいそと準備を始めた。炭の表面の灰を払い、再び暖炉に火をつけてその上に薬缶を吊るす。熾火(おきび)にするときもそうだったが、かなり手慣れた様子だった。魔族の国でも暖炉は主流なのだろう。


「それより、本当にあの男の言う通りにするつもりなの?」


 ネムが疑わしいものを見るような目つきで言った。バーラクのことをまったく信じていないようだ。

 駐在所で話し合っている最中、ずっとセイシンのことを不安な表情で見つめていたのは知っていた。

 セイシンは笑いながら答える。


「なんだ、心配してくれてんのか?」


「茶化さないで。あの男、言ってることが滅茶苦茶よ。差別に偏見、傲慢で不躾で自己満足……そんな男の言うことなんて信じられるの?」


「ま、信じるしかないっていうのが本音だな」


 ネムの言いたいこともわかる。

 戦争を起こすために一計を案じたパルテナは、あくまで魔族を憎むその信念に基づいて動いていた。明確な目的のために選んだ手段の結果、セイシンたちと対立した。

 しかしバーラクは違う。

 大きな信念や行動理念があるわけじゃない。そこにあるのは自尊心を満たすための断続的な動機ばかりで、今回の依頼もそもそもが自己保身のためだろう。ディルヘイムが依頼したのも、バーラク率いる遊撃隊以外に頼る身内がいなかっただけだろうし、ネムが心配するのは当然といえる。

 それを知ったうえで依頼を受けるのだ。ライナ=レストレイアをバーラクが捕らえてしまった以上、先手を譲ったようなもの。後手に回るしかないのは癪だったが、そこばかりは飲みこむしかない。


「あなた一人を誘い出された、と考えるべきよ」


「もし罠だとしてもバーラクに後れを取るようなことはしないさ。警戒は怠らない」


「そう。それならいいけど」


 不安げな表情のまましぶしぶ納得した様子のネムだった。

 この旅の間、少しは感情を見せてくれるようになったのは嬉しいことだ。セイシンは自然と頬を緩めつつ言う。


「ありがとな」


「べ、べつにお礼を言われるようなことじゃないわ」


 背中を向けて暖炉に向き合い、薬缶の蓋をあけてお湯の具合を確認するネムだった。

 お湯が沸くと、コップに二人分の茶が注がれる。

 そういえば部屋に戻ってきてからリッカの姿が見えない。


「リッカはどこだ?」


「寝室に行ったわ。あの男に上質な葉巻を貰ったから試しに吸ってみるって。……毒でも入ってればいいのに」


「物騒なこと言うなよ」


 苦笑しながら茶を一口飲んでから、部屋の奥へ向かった。

 奥には小さな廊下と寝室が三つ。ひとつは洗面所や浴室への扉で、あとの二つが寝室だ。

 一番奥の部屋に気配を感じて扉を開けると、窓に肘をかけて雨模様の空に煙を吐き出すリッカが振り返った。

 手には太い葉巻が握られている。


「何か御用ですか?」


「おう、ネムが茶煎れてくれたからおまえも飲むか?」


「ネムセフィアが? 毒でも入ってるんじゃないですか」


 どっちも似たような思考回路だった。

 冗談はさておき、リッカは火のついた葉巻を指先で弄びながら、


「セイシンさんも吸います? たまにはいいですよ」


「いや、遠慮しとく」


「あら苦手でしたか?」


「匂いがつくからな」


「そうですか。そういえば、セイシンさんってけっこうエチケットとか気にしますよね。旅の途中でも必ず水浴びしてますし。そういうところがモテる秘訣ですか?」


「そんなやましい目的じゃねえよ」


 気にしてるのはエチケットなんぞではない。

 体臭を消すのは気配を殺すためだ。幼い頃から徹底されてきた暗殺者としての習慣だった。あまり必要がなくなったとはいえ、好きでもない葉巻を吸って匂いをつけるような真似はできなかった。


「一緒に旅をしてて思いましたけど、セイシンさんってあまり酒も飲まないし葉巻も吸わないし、何が楽しくて生きてるんですか。スケベなことくらいですか?」


「うるせえ。おまえと違って酒は弱いんだよ」


 リッカは酒もよく飲むし、機会があれば葉巻も吸っている。スケベに関してはノーコメントだが、そもそもそういう娯楽を求めて生きているわけじゃない。


「今度酔うまで飲んでくださいよ。どうなるのか見てみたいです」


「やだね」


 酒は嗜む程度がちょうどいいのだ。


「それで、要件はそれだけですか?」


「ああ、いや頼みがあってさ」


「どうせネムセフィアのことでしょう?」


 億劫そうに半目になったリッカ。

 セイシンは大袈裟に驚いた。


「よくわかったな」


「このタイミングで頼まれることなんて、それくらいでしょうし」


 ため息とともに煙を吐き出してリッカは言う。


「今夜の捕物の間、ネムセフィアを守ってくれってところでしょう。そう言われると思ってましたよ」


「さすがリッカ。言わなくてもわかってくれるか」


「喜んでいいのか悪いのか……はあ。まあでも、引き受けますよ。ネムセフィアが良い子にしてればですけどね」


「それはきちんと言い聞かせておく」


「子守りの仕事は嫌いですからね、早く帰ってきてくださいよ」


 渋々というところだったが、了承を貰ったので一安心だった。

 ネムが心配していたのはセイシンが罠に嵌められることだったが、むしろセイシンが心配していたのはネムのほうだった。万が一バーラクがネムを狙っていたとしたら、セイシンを誘き出して一人になったネムを襲撃するのが一番確実だ。

 リッカならバーラクの口車に乗ることもないだろうから、護衛としてはかなり安心できる。

 セイシンは部屋を出ながら、


「じゃ、茶煎れとくから吸い終わったら戻って来いよ」


「わかりましたよ。茶菓子は残しておいてくださいね」


「あいよ」


 後ろ手で扉を閉めると、扉の向こうからひときわ大きく息を吐き出す気配と、葉巻を切る音が聞こえてきた。






 夜になっても雨は上がっていなかった。

 しとしと降りそそぐ雨のなか、街外れの寄合馬車の待合所の軒下で立っていた。


 もちろん馬車はとうに最終便を終えている。待合所は薄暗く、浮浪者かなんなのか、一番奥で男性がひとり座ってぐっすりと寝ているだけで他には誰もいない。

 セイシンは出入り口近くの軒下から、すぐ近くの商店通りの喧騒を眺めながらバーラクを待っていた。雨風を防げて待ち合わせ場所には適しているとはいえ、通行人たちには不審に思われているだろう。あまり目立つことは避けたかったが、まだバーラクが来る気配はない。

 何度も目の前の道を観光客とおぼしき人たちが通る。外壁の門は閉じているため、街の外部から訪れる人はいない時間帯だ。そんな時間に待合所の軒下に立っているセイシンをみてギョッとするのは当然の反応だった。

 居心地は悪いが、指定された待ち合わせ場所から離れるわけにもいかない。少し時間を過ぎてもバーラクが来る様子はなく、仕方なく気配も最低限に抑えながら立っていると、目の前をふらふらと歩いてきたのは酔っぱらった女だった。


「あら~なにしてるのぉ。おひまなら、これくらいで相手してくれなぁい?」


 二十代半ばくらいだろうか。胸の大きく空いた服に、くねるような動き。指を四本開いて舌なめずりする女。

 いかがわしい店の客引きだろう。そういえば近くの酒場の隣に、怪しい看板があった気がする。

 セイシンは肩をすくめた。


「遠慮しておきます」


「え~優しくするからさぁ。キミ、なかなか可愛いしぃ」


 にじり寄ってくる。

 相手にする道理はないが、どうせ待っているあいだヒマなので邪険にする必要もないだろう。もともと誰かと話すのは好きだ。


「お姉さん、この街のひとですか?」


「ええそうよぉ」


「この街の名物とかってあります?」


「名物? そうねぇ……わたしのココ、かしらぁ」


 スカートをちらりと上げて太ももを見せてくる。

 健全な男子としてはやや視線のやり場に困る。

 でもまあ、見るだけならさすがに金は取られまいか。


「ほれほれ~」


 視線を下げる直前脳裏に浮かんだのは、ネムの「スケベ」という声と呆れた顔だった。

 さすがに言い訳できないな。

 セイシンはなぜか罪悪感を抱いて、視線を女の背後――雨に濡れる街路に向けた。


「……あ、キミ、いま女のこと考えてたでしょぉ」


 なんて目ざとい。

 苦笑すると彼女はにやにやと笑みを浮かべて、


「ふふっ。キミ、好きな子いるなぁ?」


「いや、そういう相手じゃないんですけど」


「そう? ま、そういうことにしておいてあげるぅ。そしたらお姉さんもちょっかいだすのやめたほうがいいわねぇ。がんばってね~」


 女はひらひらと手を振ると、雨の中へ戻っていった。

 自分の店の近くでたむろする男たちの集団を見つけると、獲物を見つけた蛇のように音もなく近づいていった。暗殺者の才能がありそうだった。

 さすが大きな街だけあって、色んな人がいるもんだ。


 少しだけ時間を潰せたが、しかしそれにしてもバーラクの姿が見えない。先ほどからどこからか視線を感じるような気がするが、少なくともセイシンが察知できるような距離からではなさそうだった。

 もし近距離でも気取られない相手だとすると、それは相当気配を殺すのが上手いということだが、それほどのスキルを持っていたのは少なくとも今まで一人しかいなかった。

 遠方からの監視だとして、どういう意図があるのか。

 セイシンは時間を持て余しつつ思考する。

 しばらくじっと待っていると、雨足が強まってきた。さっきから何か雨の匂いに混じって妙な臭いがするような気がしたが、どこからか下水でも漏れているのだろうか。


「……来ねえな」


 もしかしたらここで合流するというよりは、セイシンがこの場所にいることに何か意味があるのではないか。バーラクの目的はセイシンをこの場所に立たせることそのものにあるのではないか――

 そう考え始めたときだった。


「きゃああああ!」


 目の前の通りを歩いていた観光客らしき女性が、セイシンを見て悲鳴をあげた。

 否、その背後をみて、だ。

 何事かと振り返ったセイシンは、その光景を見て息を呑んだ。


 ――男が、燃えていた。


 部屋の奥に座って寝ていたはずの男が、音もたてずに炎に包まれて燃えていたのだ。椅子に座ったまま、上半身を火だるまにして。

 セイシンはとっさに自分の上着を脱いで、燃えている男の顔に巻き付けた。両手が焼けるような痛みを感じたが、背に腹は変えられない。しかし男の顔を保護しようも、燃え始めてから時間も経っていたのかすでに皮膚が溶けてしまっていた。巻き付けた服が皮膚に張りつき、燃えあがる。


「くそっ! ダメか!」


 セイシンは、男から離れるしかできなかった。

 炎の勢いは凄まじく、みるみる男の体はその椅子とともに焼かれて形を変えていく。

 すでに手遅れなのは見てわかった。


「なら、延焼しないようにしないと……すみません、衛兵を呼んでください!」


 呆然と眺めている観光客に強く言うと、彼女は慌てて走っていった。飛び散る火の粉が二次災害を生まないよう、周囲にあるものをどかしていく。

 部屋にある物を炎から遠ざけながら、セイシンは戸惑っていた。

 ずっと近くにいたのに気づかなかった。背後で炎が揺らいでいるのはわかっていたが、部屋の中の松明の灯りだとばかり思っていた。音もなく、気配もなく、寝ていた男が炎に包まれるなんてことがあるのだろうか。何が起こったのか、まったくわからなかった。


 観光客が衛兵たちを引き連れて戻ってきたときには、待合所の周囲には野次馬がたくさん足を止めていた。彼らに囲まれたセイシンは、ぽつんと待合所のなかで燃え続ける炎を見ているしかなかった。

 炎が止まったのは、男の膝から上をすべて焼き尽くして炭と灰にした後だった。



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