地下空間と時計台
フッサから森へ出るための北東の道は、坂というより崖を登っていかなければならないほど急斜面だった。そのせいか、誰かがこの東の道を使っているような形跡はなく、荒れた地面と岩が無造作に混ざり合っていた。
そんな見上げるほどの急坂の近くに、周囲の建物よりひときわ古く、いまにも崩れそうな家がぽつんと建っていた。
家の前の立て札には、消えかかった文字で《ドロッグ=ニベスの鉄工所》と書かれていた。どうやらここで間違いない。
家に近づくと、ひっきりなしに家の中から鉄を打つような音が聞こえてくる。ちょうど作業中のようだった。
扉を叩いてみても鉄を打つ音にかき消されてしまう。何度か叩いても返事はなく、セイシンはしかたなく扉を開けた。
鍵はかかっておらず、玄関には明かりが灯っていなかった。奥の部屋から音がしているので、薄暗い中に呼びかけてみる。
「すみませーん!」
鉄を打つ音がぴたりと止んだ。
しばらく待っていると、奥の部屋から出てきたのは白髪を角刈りにした男だった。火のついた煙草を咥え、手には鉄製の槌を持ち、上半身裸のまま玄関に顔を出した。顔には深い皺が刻まれており、たしかに爺さんと呼べるほどの老齢ではあるのだが、首から下は引き締まった筋肉が全身を包んでいて心身ともに年寄りと呼べるほどではなさそうだった。
腹には赤いさらしを巻いていた。
「なんだテメェ。うちに何の用だ」
鋭い目つきで睨まれる。
見慣れない客に警戒心剥き出しになった老父。その手の鉄槌を投げて来そうなほどの剣幕に、セイシンは慌てて答えた。
「いきなり訪ねてすみません。セイシン=ステイルスといいます。今日はアーデルハイド前領長のお話を伺いたくて参りました。ドロッグさんで間違いありませんか?」
「……アーデルハイドの?」
ドロッグは口を曲げ、その端から白い煙を吐きながら訝しんだ。
セイシンは続ける。
「ええ。勇者リッカと共に王家の遣いとしてこの街を訪れたんですが……噂は聞いておりませんか?」
「知らん。家から出てねえからな」
しかめっ面を一層険しくしたドロッグ。
今朝から街中に噂が広まっているはずだったけど、どうやらここへは誰も来ていないらしい。街の端だという以外にも理由はありそうだったが、とにかくいまはドロッグの不信感をどうにかしないと話を聞いてもらえそうになかった。
セイシンは懐からアーデルハイドの手記を取り出した。
「もともとアーデルハイドさんと約束があってこの街に来たのですが、あいにく亡くなった後でして……彼が残した手がかりがないか探していたところなんです。そしたら、彼が亡くなる前にこっそりと手記を残していたみたいで、そこにあなたの名前がありました」
アーデルハイドの手記を渡した。
ドロッグは手記を手に取り目を通す。
何度も何度も、その数枚の紙を噛みしめるようにじっくりと読んで、
「……あの大馬鹿者が」
ぽつりと呟いた。
罵っているようで、少し暖かみのある言葉だった。
ドロッグの眉間に寄った皺は変わらなかったものの、その瞳がかすかに揺らいでいた。セイシンは彼が息をつくのを待ってから、率直に聞いた。
「ドロッグさん。アーデルハイドさんにとって、あなたは唯一心を許せる相手だったのではないでしょうか」
「だとしたらなんだってんだ」
「俺たちは、彼が亡くなった理由を調べて回っています。何か心当たりはありませんか?」
秘密主義の男だとしても、ただ一人の友人には話していたのではないか。
そう期待して投げた質問に、ドロッグは答えず質問で返してきた。
「兄ちゃん、アーデルハイドがどんな男だったか知ってるか?」
「どんな、ですか?」
少し答えに迷う。
街の人たちの評判では、アーデルハイドはかなり悪いものだった。口や態度が悪く、敬意を持たず、領長として傍若無人に振舞っていた。そんな印象だった。
だがそれを正直に言うべきかどうか考えると、それは否だろう。
目の前にいるのは、そんなアーデルハイドの友人だった老父だ。
セイシンは慎重に答える。
「隠し事が多くて、少し頑固だった人、ですかね」
「他には?」
「そうですね……この街が嫌いな人、だとか」
当たり障りのない答えが思い当たらず、手記に書かれてあったことをそのまま言った。
するとドロッグは鼻で笑った。
「あいつは性格が最悪な、嫌われ者だよ」
なんの誤魔化しも手加減もない言葉だった。
「若い頃から頭が固くて根性がひん曲がっててな、親の七光りで領長になったような馬鹿息子だった。誰からも好かれず、誰も好かず、ただひたすら自分のことばかりな男だったさ。たいしたこともできねえってえのに、他人には求めてばかりの最悪なやつだった。オレも何度あいつを叱ったか覚えてねえほどだ。テメェ、街のやつらから話は聞いてるんだろ? あいつがどれだけ嫌われてたか」
「……ええ、まあ」
「そんなやつだ。どんな死に方をしてもおかしくはねえ。死を悟ったかなんだか知らねえが、遺言めいたもん残して自己陶酔するような男だろ? 時計塔で首吊ったってのも、どうせ殺されたか何かだろう。街のもんは『悪霊』だどうだって言ってるが、ありゃあ間違いなく人の仕業だ」
ドロッグはそう言いつつ手記をセイシンに返すと、おもむろに懐から鍵の束を取り出した。
その中から一本を選んで手に取り、背を向けて歩き出す。
「ついてきな」
「え?」
返事も待たずに奥の部屋へと消えていくドロッグ。
慌てて追う。隣の部屋は作業場のような場所で、鉄や石の塊が並んでいた。何かの装置を造っているようで、机の上には小さな歯車が散らばっている。
その部屋の奥――石が積まれた場所の隙間の、なんの変哲もないただの床によく見れば鍵穴があり、ドロッグがそこへ鍵を差し込んだ。すると重い音を立てて床板が跳ねあがり、現れたのは暗くて深そうな穴だった。
隠し部屋でもあるのだろうか。梯子が延々と下に続いており、底は見えない。
「落ちたら死ぬから、慎重に降りろ」
そう言いながらドロッグが先に梯子を降りて行った。
明らかに怪しい雰囲気だ。警戒する必要はあるだろうが、ドロッグ自身からは悪意めいたものは感じられなかった。
この先に、アーデルハイドが残した何かがあるのだろうか。
まだわからないが、ついていかないという選択肢はなさそうだった。
セイシンはドロッグに続いて梯子を伝って降りる。
穴は相当深そうだ。足元のかなり遠くから、風の唸り声が聞こえてくる。
縦穴の通路には灯りがほとんどなく、視界は真っ暗だった。そんな中を手探りで梯子を降りて行かなければならず、慣れた様子で進んでいくドロッグから遅れることしばらくして、ようやくセイシンは穴の底に辿りついた。
「ほう、根性あるじゃねえか。あの馬鹿は何度来てもビビってたっていうのに、テメェはまだ若いのに肝が据わってやがる。たいしたもんだ」
壁に明かりを灯しつつ言うドロッグ。
セイシンは振り返り周囲を眺め、ドロッグの言葉に答えることも忘れて、呆然としてしまっていた。
灯りが照らしたその場所に広がっていたのは、予想だにしなかった風景だった。
そもそも壁に設置されていた梯子はゆうに数十メートルにも及んでる。体感していたよりもずっと高いところから降りてきていた。
その鉄の梯子の全容が見えるということは、つまり天井もそれくらい高いということで。
「……なんだ、ここ……?」
天井だけじゃない。
数十メートルの高さにあるのは鉄でできた天井。そして周囲には、見渡す限りに広がる地下空間だった。至る所に直径二メートルほどもある太い鉄の柱があり、鉄の地面と天井を頑強に繋いでいる。
たしか、アーデルハイドの噂のなかに『殺した死体を埋めるために地下を掘っていた』というものがあったか。
……死体なんてものじゃない。
街そのものが入りそうなほどの規模の広大な空間だ。
「なあ、兄ちゃんよ。これがなにかわかるか?」
ドロッグが睨みつけるように言った。
セイシンは答えられない。
鉄でできた天井に、遥か奥まで続く空間。それらを支える幾つもの巨大な柱。踏みしめる地面も鉄で固められている。
すべてが鉄に囲まれたそこは、明らかに昨日今日で造られたものじゃない。何年も――あるいは何十年もかけて造ったのだろう。想像していたアーデルハイドの秘密、というには少々、いやかなり勝手が違いすぎる。
なんなんだ、ここは。
ドロッグは煙草をくゆらせて頷いた。
「わからねえか。なら、テメェはここまでだ」
何も言葉が出なかった。
アーデルハイドの死の秘密に関わってくるのか、それともまったく別のことなのかすらわからない。街の人々はこのことを知っているのだろうか。自分たちが棲んでいる街の地下に、鉄の空間が広がっていることを。
ドロッグはあっけにとられるセイシンの背中に向かって呟いた。
「これを見て何もわからねえんじゃ、アーデルハイドのことを教えることはできねえ。テメェがあの馬鹿となんの約束をしてたか知らねえが、どうやらオレの思ったこととは違うようだな」
何かを期待していたのは、ドロッグも同じようだった。
その声にかすかな失望が混じっていたことに、セイシンはようやく気付くのだった。
ドロッグからたいした話も聞きだせず、ひとまず家を後にした。
一体、あの空間はなんだったのだろう。何も解決しないまま、わからないことが更に増えてしまった。アーデルハイドの死、彼が知っていたという【暗殺教団】の手がかり、悪霊の正体に、そして謎の地下空間。
唯一繋がりそうなのは【暗殺教団】とアーデルハイドの死だ。彼が【暗殺教団】に殺されたとすれば、彼の死そのものが手がかりになる。
「とはいっても、とっくに遺体も埋葬した後だしな……状況から想像するしかないか」
時計塔で首を吊っていた。いまのところそれだけしかわかっていない。
一応、医師にはネムが話を聞きに行っているはずだった。もし死因を特定していればかなり大きな手掛かりになるのだが。
集合場所に決めていた広場で待っていると、先に姿を見せたのはリッカだった。
「あら、お早いですね。追い返されましたか?」
「まあそんなところだ」
もぐもぐと何かを頬張りながら歩いてきた勇者。宿屋でもらった菓子はとっくに食べていたはずだけど、買い食いでもしたのだろうか。
「そこのパン屋のオジサンの握手に応じたらドーナツくださいました。こう見えてわたし、けっこう人気あるんですよ?」
口に砂糖をつけながら嬉しそうにしていた。
褒めると調子に乗りそうだったので聞き流して、ドロッグの家であったことを順を追って話した。
謎の地下空間の話にはリッカも目を丸くして地面を見つめて、
「へえ。そんなものが足の下にあったんですね」
「たぶん何十年もかけて掘ったんだろうな。それくらい広かった」
「何十年……あ、もしかしたら、それってこれのことかもしれませんよ」
リッカが何か思いついたように、鞄の中から紙を取りだした。
新しい手記だった。
『 4.
もし私が死に、これを読んでいる者がいれば、私の意思をドロッグ爺さんに伝えてほしい。爺さんも私と同じくこの街を嫌う、何十年も付き合いのある爺さんだ。
しかし私はここ数日、ドロッグ爺さんを避けている。理由は、万が一にも爺さん巻き込まないためだ。そして死ぬ前に最後の仕上げをするためだ。
これを読んでいる者に願う。私たちが長年計画していたことを、実行してほしい。そのための【鍵】の場所は最後の紙に書かせてもらう』
長年の計画、そして【鍵】か。
リッカが一緒に手記を覗き込みながら言う。
「それ、食品店の棚の隙間にありました。たぶんドロッグさんとアーデルハイドさん、地下で何かやろうとしてたんですかね」
「おそらくな」
「計画、地下空間……鉄で囲まれた……違法闘技場とかですかね?」
リッカは自分の経験則から想像したようだったが、さすがにそれはないだろう。
なんにせよ少し繋がった。何十年と準備してきたことが、アーデルハイドの死によって無駄になるかもしれないとドロッグは危惧していたのだろう。
アーデルハイドはドロッグに伝えることなく死んでしまった。【暗殺教団】に殺される予兆があったとするなら、計画のためにドロッグに近づくことも危険と考えたのかもしれない。
先ほどドロッグがセイシンに期待していたのは、この【鍵】の在処だったのだろうか。
「最後の紙に書いている、か。探すしかないな」
「もしかしたらネムセフィアが見つけてるかもしれませんよ。ほら、噂をすれば戻って来ました」
広場の入口から近づいてくる小柄なフード姿。
ネムはセイシンたちを見て少し安心したのか、歩く速度を緩める。
すぐそばまで来ると息をついて手記を取り出した。
「お疲れさん。どうだった?」
「まずまずよ」
「知らない人ともちゃんと話せたか? 道に迷わなかったか?」
「ばかにしないで。それくらいひとりでできるもの」
差し出された手記を受け取って開くと、そこにはこう書かれていた。
『 5.
不器用な私は、自分の感情をうまく伝えることができない。つい目の前のことに悪態をついてしまうし、誰にとっても気持ちのいい人間にはなれなかった。それは重々承知している。
だから私は、誰かに好かれたいなどとは思わない。
カウラやヒルダのように仕事で支えてくれる者たちを、あるいは街の人たちの未来を、私は守る責務がある。それだけが私の理由だ』
少し短かったが、いままでとは少し傾向が違っていた。
過去のことでも直接的な手がかりでもない。しかし明確に『守る責務』と書かれている。
「守る責務、か」
手記から察するに、アーデルハイドはこの街の行く末を憂いていた。正体のわからない『悪霊』に、枯渇していく鉱石。
しかしあの地下空間がそれとどう繋がってくるのかがわからない。それと【鍵】もだ。
「……やっぱり最後の紙を探すしかないか」
「みたいですね。ただ、カウラさんから聞いた場所はこれですべて回りました。あとはアーデルハイドさんがどこに行ったのか、ですが……」
リッカがちらりとネムをみる。
ネムは首を横に振った。
「聞き込みはしたけど、この手記以外には目ぼしいものはなかったわ」
「医者は? 検死はしたのか?」
「していないらしいわ。どうみても首を吊って死んでいたから、と」
やはり、か。
他の死因が噂にもなっていないことから想定はしていたけれど。
彼の死から手がかりを得ることは難しそうだ。
「他に何か聞かなかったか? 時計台の違和感、とか」
「わたしのほうはさっぱりです」
「そう言えば、石工職人がひとりそのことを言ってたわ」
と、ネムは頷いた。
「やっぱり領長が亡くなる数日前に時計台を見たら、少し変だったって」
「どう変だったのか、覚えてたか?」
「時間がズレていたような気がした、と言っていたわ。ただ体感だったから気のせいかも、とも」
「……時間が?」
他の街では鐘の音などで時間を教えるようにしているが、ここには時計台がある。生活の中心となるその時計台が狂っていたら、そりゃあ違和感を覚えるだろう。むしろ時計台を見て違和感があるなんて、見た目の変化か時間の変化くらいしかない。
「……じゃあ俺は、なんで違和感を……?」
しかし、セイシンは別だった。街に滞在していたわけでもない。それまで数日、時間に縛られない旅をしてきたはずなのに、もし時間が狂っていたとしてなぜそれを感じ取れたのだろうか。
だから時計台に覚えた違和感は見た目の問題かと思っていたのだが、もし時間を見てズレていると感じたとすれば。
「――そうか!」
閃いた。
よくよく考えれば不自然なことがひとつある。セイシンはそれを見落としていた。
「なにかわかったんですか?」
「ああ。だがその前に、確かめなければならないことができた」
セイシンは時計台を眺めた。
そもそも時計は完璧なものじゃない。脱進機も調速機もよほどの精度がなければ、動くほどにズレが出るはずだ。あの大きな時計台も一日で数秒は誤差が出るだろう。となると誤差を修正するための人がいるはずで、そしてその時間を計算するために、日時計などの自然時計が必要なはずだった。
その自然時計をもとに時間を合わせたのがいつだったか、そして誰が合わせていたのか。それを聞く必要がある。
「役所に戻るぞ。ヒルダさんを訪ねる」
前領長の秘書なら、それも知っているだろう。
セイシンたちはすぐに荷物をまとめて、時計台へと戻るのだった。




