旅のはじまり
「すまん! 仕事、クビになった!」
小さな街の隅にある小さな家屋で、少年がひとり土下座の勢いで頭を下げていた。
空は晴天、小鳥は歌をさえずり、心地の良い風が街を吹き抜けていく。
そんな爽やかな朝の街で必死に謝る少年は、名をセイシン=ステイルス。
齢は十八、少し痩せた小柄な体型。どこにでもいるような特徴のない風貌が特徴という、地味な男だった。
「久々に帰ってきたと思ったら、なんで?」
そんな彼の後頭部を見つめつつ、朝食を運ぶ手を止めて目を丸くしたのは、こちらも小柄な少女。セイシンと同じ艶のある黒髪を伸ばし、片目だけが前髪の隙間から覗いている。
顔を上げて少女と目を合わせたセイシンは弁明する。
「すまんシズ。最近、このあたりの街や村にもどんどん王国兵の駐在所が建てられてて、もう俺みたいな傭兵を雇う必要がなくなったんだって村の領主が……」
「そうなんだ。そういえばシズの職場にもそんな連絡来てたなあ」
この街の雑貨屋で働いているシズは、思い出したように言った。
「魔王が死んで、百年続いた戦争も終わって、このあたりも治安は良くなったらしいからいいことばっかりだと思ってたけど……そっか。お兄ちゃん傭兵だもんね。平和だとお仕事無くなっちゃうんだね」
「面目ない」
「謝らないで。それで、お兄ちゃんはどうするの? ここも平和だし傭兵なんて雇ってないだろうから、また別のところに行くの?」
「ああ。だから、すまん。しばらくは仕送りできんかもしれん」
セイシンが働いていたのは近隣の小さな村だった。
傭兵として住み込みで働いて三年近く世話になったが、それで働き口がないならどうしようもない。時々この街のシズのところに帰ってきては、仕送りとしてシズの生活費を置いて帰る生活をしていたのだが、それも変えなければならないだろう。
「あのね、お兄ちゃん」
シズは呆れたように言う。
「シズも安月給だし、いつもお兄ちゃんが面倒見てくれるのに感謝してるんだよ。この街に家も借りて、家賃と水道代も払ってくれてるし」
「そりゃあ当然だ。お前の兄なんだから」
「だからお兄ちゃんがムリするくらいなら、シズ、自分でもっと稼ぐよ。こう見えてもシズだってもう大人だし、最悪、夜は女として働けばかなりまとまって稼げるし……」
「それだけは絶対ダメだ! そうするくらいなら俺が臓器を売り飛ばす!」
勢いよく叫んだセイシン。
シズの体を売るなんてもってのほかだった。
「え、臓器なんて売れるの?」
「最近、どこかの街で臓器を高価で買い取ってる変わり者の医者がいるんだって。おまえのためなら内臓のひとつやふたつどうってことない」
「うわあ。お兄ちゃんってば重い」
「これくらい普通だろ」
「そう。じゃあシズがお嫁に行くとき死なないでね」
「うぐっ……!」
花嫁衣裳のシズを想像し、胸を押さえて膝をついたセイシンだった。人生で一番深い傷を受けたかもしれない。
シズは苦笑いで続ける。
「まあ、お兄ちゃんの内臓のためにも女は売らないことにするけど……お兄ちゃんのおかげで少しは貯金もあるし、なんとかしばらくやってくよ。だから、ムリしないでね」
「ああ。わかった」
セイシンはうなずいて立ち上がり、荷物を担いだ。
シズの貞操のためにもゆっくりしていられない。
早速家を出て行こうとするセイシンに、朝食の手を止めたシズは近づいてくると背中にくっついた。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「今度は、しばらく会えないんでしょ?」
声には寂寥が溢れていた。
普段からずっと一緒にいられるわけじゃない。傭兵としての生活も長く、顔を合わせるのも月に一度か二度だった。それぞれ別々の生活には慣れているとはいえ、しばらく離れるとなるとセイシン自身にも寂しいものがあった。
「つっても、なるべくすぐ帰れるように努力はするけどな」
「もしかしたら、もう会えないかも」
ぎゅっと腰に手を回すシズ。
「大袈裟だな。心配してくれてんのか」
「だって最近、色々怖い噂があるんだよ。どこかに魔族の隠れ里があるとか、変な流行病で何人も人が死んでるとか。王国のおかげで治安が良くなってきてたりお兄ちゃんがいくら強かったりしても、油断したらすぐ死んじゃうんだから」
「大丈夫だって。シズこそ気をつけろよ」
「むう」
シズと離れたセイシンは、その頭をぽんと撫でる。
シズは不満そうにしていたが、あまり長居するのはよくない。これからシズも仕事だろうし、なにより出発したくなくなってしまう。
セイシンは荷物を担ぎ直す。
「じゃ、行くわ」
「……いってらっしゃい」
シズの見送りを背に、家を出たセイシン。
街は少しずつ賑やかになっていく。そろそろ市場も開くだろう。
たしか、昨日の野営地で会った商人の話では、今日の午後から行商人たちが寄合の馬車を使って西の方に向かうという。
ここから東へ行くと王都方面だ。なら、西に向かった方が都合がいい。
セイシンは行商人たちの馬車に便乗させてもらおうと、商会へと向かうのだった。
「なあおい。おめえさん、傭兵だってな?」
馬車は揺られて道をゆく。
うまく寄合馬車に乗せてもらえたセイシンは、行商人たちに囲まれながら旅路を進んでいた。
王国が進めている政策のおかげで最近は道も整備され、いまではほとんど悪路はない。各地に王国兵の駐屯所も出来て旅の安全性は増し、おかげで街から街への行商は人気の職業になった。
寄合馬車の車内は商人たちで満員に近く、足を伸ばして座ることは難しかった。誰かが近くに座ることに文句は言えなかったが、隣に乱暴に座ったのは蛙のような見た目の行商人だった。
「そんなちっせえナリで傭兵なんかできるのか? オレだったら雇わねえなあ」
セイシンの体を舐めるように眺め、鼻で笑う。
「そもそも傭兵なんてシケた商売、もう流行らねえだろ。百年戦争も終わって魔族たちが北に追いやられたいま、だーれが人間様を襲うってんだ。これからは頭を使って生きなきゃならねえんだよ。ま、傭兵なんて底辺のやつらに使う頭があるかって話だけどなあ! ガハハハ!」
大声で笑って膝を叩いた蛙商人。随分と失礼な物言いだったが、こんなところで余計な火種は生みたくない。セイシンは曖昧にうなずいて話を聞き流していた。
「しかし魔王がおっ死んで平和が訪れたっていうのに、だーれもオレたち商人に感謝しやがらねえ。まったく、誰が武器を流してやったんだっていうんだ。街から街へとせっせと運んだのはオレたち商人だぞ? 騎士やら勇者やらばっかり注目されやがって、おめえらが戦えたのは誰のおかげだってんだ。平和を守ったのはオレたちのおかげだっつうんだ」
「はあ」
戦争が終わっても誰からも感謝されなかったようで、自分の発言で気分を害している蛙商人。こういう相手にはあまり関わらないのが身のためだ。
距離を置いておきたがったが、セイシンの反応が気に食わなかったのか蛙商人は目尻を吊り上げて睨んでくる。
「なーに気の抜けた返事しやがる。なあおい、おめえ齢いくつだ? 十七、八くらいか? 目上の相手には礼儀を欠くなって教わらなかったのか?」
「まあまあ、それくらいにしなさいな」
割って入ってきたのは、隣にいた別の商人だった。
笑った犬のような顔をした商人は、困っていたセイシンを庇う。
「なんだおめえ。見たことねえ顔だな」
「まあまあ。我々商人が戦争を支えたことは、我々自身よーくわかってますから。そうやって若者をいびっても何にもなりませんよ」
「ああ? オレが何をしてるって?」
「まあまあまあ。我々同士で揉めてもいいことなんてひとつもありません。それこそ、傭兵さんたちが止めに来ますよ」
犬商人がちらりと視線を後ろにやると、そこにいたのはいかにも屈強そうな男。剣を肩に担いで、こっちをじろじろ見ている。
そう広くない車内だ。喧嘩でも始めたら力づくで止めに来るだろう。剣で斬られることはなくても、剣の腹で叩きつけられるくらいは覚悟しなければならない。残りの旅路を頭痛と仲良く過ごすのは遠慮したいだろう。
蛙商人は舌打ちをして黙り込み、乗客の隙間を縫って犬商人から離れて行った。
セイシンは犬商人に頭を下げた。
「あの、ありがとうございます」
「いいんですよ。何事も穏便が一番ですから。これからの旅路、よろしくお願いしますね」
差し出された手に応じて握手をする。温和な表情とは裏腹に、硬くて鍛えられた拳だった。
にこにこ笑う犬商人は、それから特に話しかけてくることもなく外の風景を眺めていた。
セイシンも同じように車外の風景を眺める。
災難と言えるほどじゃなかったが、静かに過ごせるに越したことはない。ゆっくりと流れていく草原や林の景色を堪能しながら、それからしばらくは何事もなく馬車は進んだ。
大陸の西側へ向かっているこの馬車は、深い森を進むと小さな村や街がいくつもあり、そのままずっと進んでいくと最後に大きな川を越え、大陸西端の街ウルスに着く。
ウルスに着くまでに仕事が見つかればいいんだが。
セイシンは祈るように願いながら、少しずつ木陰が増え葉の匂いが強くなるのを感じていた。
異変を感じたのは、前も後ろも深い緑に囲まれた頃だった。
木々のざわめきのなかに、妙な気配を感じた。最初は野犬や獣かと思ったが、その気配は馬車と並走するように森の中をゆっくりと進んでいく。
セイシンは短剣を鞄から取りだして腰に装着した。
直後、馬車の前に飛び出してくる影がひとつ。
「その馬車、止まれぇ!」
御者がとっさに鞭をうち、馬は嘶いて二の足を踏んだ。
馬車が大きく揺れて止まる。乗客たちは何事かと身を乗り出して道の向こうを見た。
そこにいたのは剣を携えた男だった。筋肉が膨れ上がったような体躯に血走った目をしていて、車を引く馬たちに剣を向けて立ち塞がっていた。
「野盗か?」
誰かがつぶやいたとき、馬車の後ろ側にも男が数人飛び出してきた。
同じように剣を抜いて威嚇してくる。
「てめぇら荷物を置いて出てこい! 一人残らずだ!」
前にいた巨体の男が叫ぶ。
間違いなく野盗だ。
行商人たちは固唾を呑んで黙り込んだ。
唯一震える声を発したのは、蛙商人。
「お、おまえたち傭兵だろう! 野盗どもを退治して来い!」
馬車に乗り合わせた傭兵たちに唾を飛ばす。
すると傭兵たちは立ち上がり、その手に持った剣をあろうことか蛙商人に向けた。
「悪いなおめえら。俺たちもあいつらの仲間なんだわ」
「なっ!?」
息を呑んだ商人たち。
寄合馬車では数人の傭兵を雇っている。今回も、街を出発する前に雇った傭兵たちが三人、同じ馬車に乗ってきた。
その傭兵たちが仲間だってことはつまり、かなり計画的に襲撃をしているわけだ。
野盗がそこまでして馬車を襲うことなど、いままで聞いたことはなかった。野盗が狙ったとしても個人の行商だ。まあ、そもそも寄合の馬車で行商人たちがまとめて移動することも少なかった、というのもあるだろうが。
「なあ、おめえさっきナメたこと言ってたなあ?」
傭兵のひとり――一番屈強な男が剣を蛙商人の頬に当てて、額に青筋を立てる。
「頭を使え、だったか? 傭兵には使う頭もねえってなあ? ああ、そうかい。それなら頭で考えず真っ先に手が出てもおかしくねえよなあ?」
「ひいいいっ」
蛙商人は青ざめて後ずさり、セイシンの近くまで寄ってくる。
ゆっくりと近づいてくる傭兵の男。他の行商人たちも怖がって、端まで寄っていく。
「戦争を支えたのはおめえらだ? ああ、そうかい。おめえらは血も流さず、武器だけ運んで英雄気取りか。実際に戦って死んでったのは俺たち兵士だったってのに、それに感謝もせず利益だけ掻っ攫って、それでもなお名誉が欲しいと? ざけんなクソ野郎!」
剣を床にたたきつける。
木張りの床が音を立てて割れた。
蛙商人は震えあがり、股間から小水を垂れ流してしまう。
「道も整備され王国兵が派遣されて、治安も景気もよくなった? ああ、そうだろうな。魔族もいなくなって平和になって、過ごしやすくなったのは誰のおかげだ? 俺たち地方の兵が血を流したからだろうが! なのにおめえらは用済みとなりゃ平気で見捨てやがるんだ! だから、これは正当な行為だ。戦争に尽くした俺たち傭兵の、正当な報酬だ!」
頭に血が上った男は、その剣をまっすぐに蛙商人の脳天に振り下ろした。
とっさに目をつぶった行商人たち。
しかし彼らの耳に聞こえたのは、金属音だけだった。
「なんだ、おめえは」
傭兵の男の剣は、横から差し出された一本の短剣に止められていた。
その短剣を手にしていたのはセイシン。
泡を吹いた蛙商人を見て、ため息をつく。
「どうせ守るなら可愛い女の子がよかったよ」
よりにもよって口の悪い蛙顔のおっさんだとは、世も末だ。
「おめえ、そいつに馬鹿にされてたんじゃねえのか! なんで邪魔をする!」
「たしかに馬鹿にされたけど、馬鹿にされただけだろ。それで見捨てられるほど人の命は軽くねえよ」
言いながら剣を弾く。
傭兵の男の剣は天井に刺さった。慌てて引き抜こうとする男だったが、深く食い込んだのかなかなか抜けない。
こんな狭い場所で刀身の長い剣を持つからそうなる。
「クソ!」
男は諦め、腰に挿していた護身用の剣を抜こうとして、
「遅い」
セイシンに短剣の柄の部分で腹を強打され、体をくの字に折り曲げて倒れ込んだ。口から泡を吐き、痙攣する男だった。
急所を叩いたからしばらくは起き上がれないだろう。
「て、てめえ!」
「よくも兄貴を!」
車内にいた別の男二人がセイシンを睨みつけて剣を抜いた。
彼らは野盗というより傭兵の集まりだった。仕事もなく、こうして野盗まがいのことをして金を手にする傭兵崩れの男たち。
仕事をクビになったセイシンには他人事とは思えなかったが、それはそれだ。
こっちに向かってくる男二人に構わず、馬車の後ろから外へ飛び出したセイシン。後ろで様子を見ていた野盗まがいの男たち三人の前に着地し、
「悪いな」
とっさに斬りかかってこようとした彼らの剣が振り上げられる前に、それぞれの膝を剣の鞘で叩いた。
鈍い音を立てて、彼らの膝が割れる。
うめき声をあげて倒れた彼らをよそに、セイシンはそのまま馬車の上に飛び乗って前方まで駆ける。馬を止めた男は、後ろの状況を飲みこめておらず当惑していた。
馬車の上から跳びあがったセイシンは、そのまま背後に着地して肘を男の首に叩き込んだ。
意識が寸断されて倒れる男。
これで残すは、馬車の中にいた傭兵崩れが二人だけ。
「う、動くな!」
その二人は、商人の首を掴んでその顔に剣を突きつけながら、車内から降りてきた。
そのまま逃げるように馬車から遠ざかっていく。
「こっちに来るなよ! こいつがどうなっても知らねえぞ!」
「…………。」
人質に取られていたのは、犬商人だった。
犬商人は困った顔で無抵抗。剣を突きつけられているから当然といえば当然なんだが。
セイシンはため息をついた。
「あのさ、嘘をつくならもう少しうまくやれよ」
「な、なにがだ!」
明らかに動揺する彼らに、セイシンは言った。
「そいつもお前らの仲間だろ? たしかに、行商人に紛れて万が一の時に人質になるフリをして逃げるっていう手段は悪くない。悪くないが、少し演技が足りなかったな。そいつの手には剣ダコがあったし、何よりお前らが襲ってきたときそいつはお前らの近くまで移動しただろ。立ち向かうでもなく、逃げるでもなく、ただお前らの近くに寄ったんだ。なんのつもりかとおもったが、人質役になるためだったらうなずける」
「う、く……」
言葉に詰まった傭兵たち。
もう車外だ。盾にする他の行商人たちも近くにおらず、目論見もバレてしまった彼らは、現状を打破するためにセイシンに斬りかかってきた。
ヤケクソでひっくり返るような戦いではない。
セイシンは一足飛びに傭兵たちの懐まで飛び込んだ。不意を打たれた彼らは反応が遅れ、一瞬体が硬直する。セイシンにはその一瞬で事足りた。
一人は柄でアゴを打ち、一人は鞘でこめかみを叩き、そして犬商人の顔面に蹴りを叩き込もうとして――
「ひいいっ!」
寸前で止めた。
「そういや、あんたには助けてもらった借りがあったしな」
まさかこの展開を予想していたわけじゃあるまいが、借りは借りだ。
「そっちがやる気なら容赦しないけど、どうする?」
「め、めめっそうもございません!」
引きつった笑い顔で土下座する犬商人。
まあ、たった一人で全員を難なく打ちのめした相手に反抗する気概があれば、野盗なんてものに成り下がらなかっただろう。
結局、気絶した傭兵たちを縄で拘束し、近くの街へ寄って兵士に引き渡すまで犬商人も抵抗はしなかった。
セイシンは行商人たちに賛美され、感謝と礼を述べられた。
このまま誰か雇ってくれないかな、と甘い希望を抱いたが、残念なことにそんな機会は訪れなかったのだった。