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ウソカタルシス ~魔王暗殺の虚飾~  作者: 裏山おもて
2章 絶望の中の鬼謀<キボウ>
18/56

過去と、現在と


「勝者、セイシン=アスニーク!」


 王家の使者が決着を告げた。

 地面に仰向けで倒れるレナと、その首に短剣をつきつけるセイシン。


 時刻はすでに夜半を過ぎていた。半日以上も戦い、そしてようやくセイシンが勝ちをおさめたのだった。

 見守っていた両家の者たちは、みな無言だった。

 静寂のなかで虫の鳴き声だけが響く。


「……なんで……」


 震える声を漏らしたのはセイシンだ。


「なんで本気を出さなかった! レナ!」


 レナのことなら幼い頃からよく知っている。破天荒で、意地悪で、賢くて、そして何より強かった。身体能力や暗殺技術だけじゃなく、大人たちにも秘密にしている彼女だけの奥の手もあるはずだった。

 すべてにおいてセイシンに勝てる要素などなかったはずなのに。

 レナは照れたように笑いながら言った。


「だってさ、レナが勝ったらセイシンたち殺されちゃうかもでしょ?」


「っざけんな!」


 セイシンは腹の底から怒りを叫ぶ。


「弱いからって同情すんじゃねえよ! 手ェ抜いてんじゃねえ! 俺は、おまえに生かされたかったわけじゃねえ! 生きるなら自分の力で生きたかった!」


「でも、レナが本気出したらセイシン死ぬし」


「それでいいだろ! 俺を助けて、自分が死ぬつもりだったのか!? それこそふざけんじゃねえ! 俺は、お前を殺して……それで……」


「嘘ばっかり」


 レナは微笑んでいた。

 沈黙が似合わない暗殺者は、まるで太陽のような笑みを浮かべていた。


「セイシン、ずっと迷ってたじゃん。態度ではレナのこと殺そうとしてたけど、刃は嘘をつかないからわかるよ。レナのこと本当に殺せるのか、ずっと迷いながら戦ってたでしょ」


「……っ!」


 見透かされていた。

 迷いも、動きも、そして殺意も。


「レナはセイシンと違って、任務もたくさんこなしてるし殺すことに慣れてるの。だから、殺すときは殺せる。でもセイシンは違う。迷いはすぐに刃に出るんだよ」


「それで、俺が勝てないって確信したのか。だからわざと負けたと」


「うん。だって、レナは殺し屋だよ? ステイルス家は積極的に暗殺をしてきた殺し屋一族。でもセイシンやシズちゃんのアスニーク家は守りの忍び屋一族でしょ。死んだ方がいいのは、どう考えても殺し屋一族だから」


 あっけらかんと言うレナ。

 ステイルス家最恐の暗殺者が、そんなことを考えていたとは誰も思わなかったに違いない。両家の当主も、ステイルス家の一族もその言葉を聞いて息を呑んだ。


「だからさ、セイシンは生きるの。死ぬのはレナ」


「でも、俺は……」


「――今の言葉、本当か?」


 それまで黙って見ていた使者が、口を挟んだ。


「勝ったのはアスニーク家。しかし、真に強いのはステイルス家と? 君が手を抜いていたから、セイシン=アスニークが勝てたと?」


「うん。レナが本気出したら誰も勝てないもん」


「であれば、勝者はレナ=ステイルスとするべきだ。手を抜いてなおいまの戦いを繰り広げられるとすれば、君の実力は勇者リッカを超えている。この王国においてそんな才覚は二人といないはずだ。必ずや勅命をまっとうし――」


「何言ってるの?」


 一瞬のことだった。

 レナは使者の背後に立って、その剣を喉元に突きつけていた。

 地面に組み伏せていたはずのセイシンでさえ、その動きについていくことはできなかった。あまりに早い移動術。その極地を垣間見た。

 もちろん使者もレナの移動を捉えられはしなかった。いつの間にか背後に回り込んだレナに対して畏れ、硬直して冷や汗を流していた。


「最初に言ったのはあなたでしょ。勝ったのはアスニーク家だから、王家に仕えるのはアスニーク家じゃん? それとも約束も守れないの? ここで死にたいってこと?」


 にっこりと笑うレナ。

 太陽のような輝きを少しも失わないまま、その笑みには圧倒的な闇がまとわりついている。

 これがレナ=ステイルス。すべてを備えた暗殺者。


「わ、わかった……宣言通り、アスニーク家を勝者とする」


「うん、それでいいよ」


 レナは使者を放して、セイシンの隣に戻ってくる。


「それで使者さん、勅命ってなに? どんな暗殺させるの?」


「それは極秘任務だ。アスニーク家当主と、セイシン=アスニークだけへの密勅だ。この場で言えることではない」


「どうせすぐに話広まるよ。狭い村だもん、隠したって意味ないよ」


 視線で威圧するレナ。

 使者は大きく息をついて、諦めるしかないことを悟った。


「……魔王の暗殺だ」


 百年以上前、人間と魔族が争いを始めた。

 大陸を南北に二分した両種族は、それから長きに渡って戦争を続けてきた。

 王国は戦争の間に五度も王が変わったが、魔族の王は百年以上前から変わっていない。どれだけ多くの魔族を滅ぼそうが国境沿いに鉄壁の結界を築こうが、戦争を終わらせるためには魔王を殺すしかないことを悟ったのだという。


「セイシン=アスニーク。君には魔王城へと単身で乗り込み、魔王を暗殺してもらう。報酬は君たち一族がこれから三代に渡って遊んで暮らせるほどの額を与えよう」


「そんな貯蓄、戦争続けてる王家にあるの?」


 レナが横から言葉を挟む。

 使者は少し躊躇ったが、答えに淀みはなかった。


「もちろんだ。王族の隠し財源を使うのでかなり痛手にはなるが、背に腹は変えられない。このまま戦争がさらに十年二十年と続くよりはいい。ここで終止符を打つつもりだ」


 覚悟の籠った目で訴えかけてくる使者。

 セイシンに断る権利などありはしないだろう。アスニーク家の存続――ひいては妹のシズのためにも断る気はなかった。

 ただ少し、気になったことだけを口に出した。


「ステイルス家はどうなりますか? やっぱり、負けた家の人たちは始末するつもりですか」


「ああ、当初の予定はそのようになっていた。しかし君が魔王暗殺に成功したら、考えてもいいかもしれない。あるいは君たち次第では無条件に存続してもいい」


「俺たち次第?」


「君たちのような勇者に匹敵する才覚を一人でも失うのは、王国にとって痛手だ。君たちアスニーク家とステイルス家に禍根があることは知っている。だが、もし……」


 使者はレナとセイシンを交互に見比べ、


「もし両家がひとつになれば、それも解決するのではないかと考える。もちろん、これはまだ私の個人的な意見だ。だが宮廷士官たちに話を通せば、君の暗殺任務が終わるまでにはおそらく承諾もされるだろう」


「両家がひとつに、って……」


「あ、なるほど。レナとセイシンが結婚すればいいってことだよね?」


 なぜか嬉しそうに言うレナ。

 セイシンは声を裏返す。


「はあ!? 結婚!?」


「うん。セイシン=ステイルスになればいいんだよ。そしたらみんな親族じゃん。どっちの家とか言わなくて済むね!」


 なぜレナ=アスニークじゃないのか、とは言えなかった。レナは自分が嫁入りするなど考えたこともないだろう。

 使者はかすかに笑った。


「いがみ合ってきた君たちにとってはかなり抵抗があるだろうが、良い考えだとは思う。ぜひ検討していてくれ。君たちが互いにそれを願えば、両家のしきたりも意味を成さないとみた。君たちは歴史や掟などに囚われないだろうからな」


 セイシンはともかくレナはその通りで、今まで掟を破り続けてきた傾奇者だ。それを見抜くとは、使者も単なる使い走りじゃないようだった。よく観察している。


「他に質問はあるかね。無ければこのまま任務について、細かく話し合いをさせてもらおうと思うが」


「あ、そうだ。勇者は? 俺が暗殺任務をするってことは、勇者たち討伐軍はどうなるんですか?」


 噂では、すでに勇者リッカが討伐軍を率いて王都を出立したはずだ。

 魔王を倒すための侵攻は初めてではなかったが、今までで最強の軍隊になっていると聞いている。

 使者は首を横に振った。


「もちろん、勇者を筆頭に実力者が揃っている。魔王を討ち取るのも可能だろう」


「じゃあ、暗殺いらないんじゃ」


「だからこそ、だ少年。本命は勇者と思わせておいて、その裏から寝首を掻く。それが軍略というものだ。勇者たちには悪いが、囮として使わせてもらう」


「……そうですか」


 自分たちが囮だと知ったとき、勇者はどんな風に思うのだろうか。

 その時セイシンは、まだ見ぬ勇者に少しだけ想いを馳せたのだった。






 やけに体が重いな、とセイシンは思った。

 昔から寝起きは良いほうだ。睡眠と覚醒の間がほとんどない体質で、すぐに目が冴える。寝坊することは滅多になかった。

 人から羨ましがられることも多かったが、そうなった原因ははっきりしている。幼い頃、修行と称して親から寝込みを襲われ続けたからだ。

 ある程度成長するまで、夜寝るのが怖かったものだ。

 おかげで目が覚めたら時にはすぐに反応できるようになっていた。たとえ寝首を掻かれる直前であっても、反撃できるほどには。

 しかし、今回ばかりは戸惑うしかなかった。

 起きたら体の上に山盛りの果物が乗せられている、なんて経験は初めてだったから。


「な、んんっ!? なんだコレ!?」


「起きたんですねセイシンさん」


 あっけらかんと言ったのは、手に林檎とナイフを持っているリッカだった。

 セイシンが寝ているベッドの横で林檎の皮を剥きながら、勇者は言った。


「動かないで下さいね。崩れちゃうんで」


「え、あ、はい」


 わけがわからなかったが、とっさにうなずいた。

 リッカは目にもとまらぬ速さで林檎の皮を剥くと、食べやすい大きさに切ってセイシンの口まで運んだ。


「はいどうぞ。林檎は寝起きにいいですよ」


「んむ、んぐんぐ」


 避ける間もなく口に放り込まれた林檎を咀嚼する。そういえば喉も渇いているし、腹も減っていた。甘い果汁を思う存分に堪能する。

 みずみずしくて美味しい林檎だった。そういえばこの街は林檎の街だったか。


「セイシンさん、どこか痛むところはありませんか? おおかた傷は塞がってますし、一流の医師たちが手当てをしたので問題はないと思いますが」


「いや……ちょっとよくわからん」


 さすがにベッドに寝ころんだまま果実の山に圧迫されていては、体の確認もろくにできなかった。

 左右を見渡すと、どうやらどこかの診療所だということはわかる。いくつかベッドが置かれているが、他に患者はいないようだ。

 気を失った後、運ばれてきたのだろう。


「あれからどれくらい経った?」


「二日です。ちょうど二日後の昼ですね」


 リッカの視線につられて外を見ると、まばゆい太陽が青空に上っていた。

 二日も寝ていたのか。かなりの重傷だったらしい。


「けっこう危なかったんですよ。血が流れ過ぎて体温下がるし、ショック反応もでてましたし。でも王都の医者はすごいですね。わたし、輸血って初めて体験しましたよ。自分の血を抜いて誰かにあげるなんて想像もしていなかったです。医療の進歩を実感しました」


「輸血か。リッカ、血液型一緒だったのか」


「あら、セイシンさんは輸血知ってたんですか? わたし血液型っていうのも初めて知りましたよ。四つくらい種類があるらしいですね」


「おいおいおい。血液型わからないのに輸血したのか? もし違ってたら死んでたぞ」


 背筋が寒くなった。

【血の神子】の誕生により、数年前から王国では医療研究や外科技術が急速に発達しているのは知っていた。そのおかげで助かったとはいえ、そもそも血液型はその場で判別できるものではない。暗殺には血を使ったものもあるから自分の血液型は知っていたけど、普通の一般人は知っているものではないらしい。

 顔を青くしたセイシンを見て、リッカはくすくすと笑った。


「でもセイシンさん、放っておいても死んでましたからね。どうせ死ぬなら、と医師が一番近そうな人を選んで輸血したんです」


「近そうなひと、か。でも勘だろそれ」


「はい勘です。それがわたしでした。血液型が合っててよかったですね、セイシンさん」


 人生最大の危機は、眠っているうちに乗り越えたらしい。

 セイシンは話を聞いただけでどっと疲れた。


「……どんだけ綱渡りすれば気が済むんだよ」


「それで具合はどうですか? わたしの血、ちゃんと働いてます?」


「ああ。たぶんめっちゃ働いてる。ありがとな」


「えへへ」


 嬉しそうなリッカだった。

 こうしてみると、歴戦の勇者もただの無邪気な少女だった。

 そりゃあ診療所なんてのは戦いとは一番無縁な場所だから、当然と言えば当然なのだが。


「で、この果物はなんだ」


「フレイさんからのお見舞いです。『ちと少ないが食っとけ』だそうですよ」


「これが少ないって、あいつ本当に熊かよ」


 軽く数えても三十個くらいはある気がする。


「それで、そのフレイは?」


「もう旅に出ましたよ。今朝、行商人の寄合馬車の護衛として出発しました」


「そうか。もう行っちまったか」


 セイシンは窓の外を眺める。

 旅日和の晴天だった。

 今回すべてが無事に済んだのは、フレイがいたからだ。感謝してもし足りないのに、結局礼も言えなかった。 


「意外と良いやつだったな」


「そうですか。わたしはちょっと苦手でしたけど」


「それで、ネムはどうした? あいつは無事か?」


「……またネムセフィアの心配ですか?」


 とたんに頬を膨らせたリッカだった。


「あの子なら隣の部屋にいますよ。いまは外出禁止です」


「まさか、まだ拘束してんのか?」


「してませんよ。もう犯人じゃないのはわかってるんですから。あくまで軟禁です」


 あからさまに不機嫌だった。

 セイシンがそわそわしていると、リッカはため息をついて。


「呼んできましょうか?」


「いいのか? いいなら頼む」


「わかりました……なんであの子ばっかり……」


 小声で文句を言いながら席を立った。そのまま扉から出ていく。

 その前に果物をどけていって欲しかったが、しかたない。

 しばらく待っていると扉が叩かれ、ネムが警戒しながらゆっくとり入ってきた。


「お、服縫い直したのか」


 ディルに斬られたフードも元に戻り、深く被って顔を隠していたのではっきり表情を見ることはできなくなっていた。しかし思ったより顔色は悪くはなさそうだった。

 ネムはベッドの隣の椅子に座ると、体の上の山盛りの果物を眺めて。


「……変態」


「そういうプレイじゃねえよ!?」


 一体ネムにどんな人間だと思われてるのだろう。

 セイシンは少し不安になるのだった。


「ま、でもあれだな。おまえが元気そうでよかったよ。リッカやディルに虐められてないよな?」


「それは平気」


「ならいい」


 安堵するセイシンだった。

 二日間何がどうなったのかはわからないが、とにかくネムに危害を加えるようなほど愚かなやつらじゃなかったということだ。

 せっかく身を挺して守ったんだ。私怨でどうこうするほど短慮なら、あの時パルテナ側についていただろう。


「あなたも、思ったより元気そうね」


「ああ。たっぷり寝たしな」


「ほんとよく寝るわね」


「俺の意思じゃないんだけどな。それで悪いけどさ、林檎どけてくんない? 重くてさ」


 頼むと、ネムはうなずいて手を伸ばした。

 一番上の林檎に触れようとして、ハッとする。


「……変態?」


「だから違うっての!」


 というか、わざわざ体の上に置く意味があったのだろうか。


「男の体に果物持って何が楽しんだか」


「女の体なら楽しいの?」


「そりゃあ……って違う! 違うぞ!」


「変態」


「違うからな! 言葉のアヤだ」


 いまのは言い逃れできない気がした。

 一応言い逃れしておくけど。


「傷がうずいてわけのわからないことも口走っちまう。頼む、どかしてくれ」


「仕方ないわね」


 ネムは果物が崩れないように、ひとつずつ手に取って机にあった籠のなかに置いていく。

 籠があるなら最初からそこに置いておけばいいのに。


「ねえ」


「ん?」


 丁寧に果物を運ぶネムは、その速度を少し落として言った。


「どうして、あなたはあたしを助けたの?」


 いままで気にしていない素振りをしていたが、ずっと気になっていたのだろう。

 あのとき誰もがネムを敵視するなかで、セイシンだけが味方になっていた。

 騙し、嘘を並べ、裏切ったフリをしてまでなぜ彼女を助けたか。

 それは単純なことだった。


「まあなんだ。同じだったんだよ。戦う理由がな」


「あたしは魔族よ。あなたとは違うわ」


「そういうことじゃねえよ。俺だって私怨だとか、憎しみだとか、そういうのを持ってないわけじゃないけどさ。でも何かを守るために目の前のものを守る、っていうのは同じだろ」


 具体的なことを言うと、違うのかもしれない。

 だが争いを止めようとし続けているネムと、争いから遠ざかろうとするセイシン。

 解り合う理由としては、充分に思えたのだ。

 セイシンは肩をすくめた。


「それに、俺が人間でおまえが魔族だろうが、あるいは敵同士だろうがどうだっていいんだよ。俺がおまえを守るのは、俺がそうしたいと思ったからだ。それは誰にも否定させない。俺は俺が守りたいと思った相手を守るし、俺は自分で好みを決める。『俺の感情をおまえが決めるな』……とまあ、つまりそういうことだろ?」


「……ばか」


 顔を逸らしたネムだった。

 その表情はフードに隠れてほとんど見えなかったが、隙間から覗いた口元がかすかに赤く染まっていた。怒りや恐怖以外で、ネムの感情らしい感情を見たのは初めてだった。

 綺麗な微笑みだと、セイシンは思った。

 

 つい、ネムに手を伸ばしてしまう。こればかりはあまり考えての行動じゃなかった。

 だけどなぜか、彼女に触れたいと、そう思ってしまったのだ。触れたら壊れてしまいそうなほどの儚いその笑みに、壊さないようそっと手を近づける。


 セイシンの指先がフードからはみ出した綺麗な白い髪に近づいてゆく。それに気づいたネムも、その指からあえて遠ざかろうとはしなかった。

 指先がかすかに髪に触れる。

 ひんやりとしていて、絹のように滑らかな髪だった。


「ネム」


「……なに」


「あのさ、おまえさえよければ――」


「はい終わりです! 面会時間終了!」


 乱暴に扉が開かれて、鼻息荒く入ってきたのはリッカだった。

 ネムがとっさに離れ、その手に抱えていた林檎が落ちる。


「ほらほら終わりです終わり! ネムセフィアは帰ってください! これからセイシンさんは診察があるんです!」


「診察? 医師は非番じゃ――」


「診・察・な・ん・で・す! だからお帰りはあちら! それにそろそろ昼食ですから部屋で待っててください! いいですか? いいですね!」


「……わかったわ」


 強引なリッカに背中を押されて部屋を出ていくネム。

 ちらりと振り返ったその目と視線が合う。

 少しだけ、名残惜しそうだった。


「はー、どっこい!」


 扉を閉めたリッカは謎の掛け声を上げると、睨みながら振り返った。


「セイシンさん!」


「なんだよ」


「ああいうか弱い系の女性が好みなんですか!?」


 言葉にはかなり棘があった。


「好みっていうか……まあ、お近づきにはなりたいと思うけど、そういう目的じゃなくてだな」


「これだから! 男は! 単純で! 騙されやすいんですよ!」


「いや、だからそうじゃなくて」


「あーやだやだ! セイシンさんも所詮は馬鹿な男なんですね!」


 聞く耳を持ってくれない。


「セイシンさんは魔族とか人間とか気にしてないでしょうから、まあそこは自由ですよ! 価値観の問題です! でも騙されちゃダメですからね! ネムセフィアは魔王の娘ですよ。弱肉強食群雄割拠の魔族のなかで、流されず自分の主義を貫いてきた、いわば強者です。たしかにわたしに比べたら弱い存在ではありますよ。でも、か弱い系な見た目に騙されて押せば通ると思ったら大間違いで――」


「いや聞けって。違うんだって」


「そもそもセイシンさんはわたしに対して雑すぎるんですよ。わたしだって女ですよ? もっと褒めるとこ褒めてもいいじゃないですか。今日だってオシャレしてるんですからね。ほらネックレスとか見てくださいよ髪留めも可愛いでしょう。なのに一言もなくて誰も褒めてくれなくて、道を歩けばみんな勇者様勇者様って剣のことばかりで、どうせわたしなんて魅力ないんですよ。しょせん戦いでしか役に立たない脳筋ですよーだ」


 なぜか少しずつ自虐が始まっていくリッカ。

 セイシンは顔を引きつらせながら、思わぬ一面を見せた勇者が落ち着いて我に返るまで、途方に暮れていたのだった。



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