結束
「そもそも、おかしいと思わなかったか?」
セイシンは語る。
静聴するすべてに向けて、疑惑の顛末を。
「こんな大陸西端の街に、王子と勇者と魔王の娘が、偶然集まってくることなんかあるのか? そこをまず疑ったことからだった」
王子は極秘の会議。
リッカは人探し。
ネムは誰かとの約束。
偶然、三人の運命が交差したとは考えづらい。ならばこの運命は、誰かの功詐によるものだとセイシンは考えた。
「もし、これをある人物が一度に画策していたとするなら、そいつは王子とリッカとネムがこの場に集まることを知っていた。当然、事情を知り得る立場にあり、かなりの情報操作能力に長けているだろうこともわかる」
たとえば軍師。
たとえば士官。
ディルがセイシンの言葉を首肯した。
「たしかに、パルテナ様は宮廷士官――施政官最高位の立場にございます。王子の行動の予定をもとに護衛の予算編成、立案まで任を負う方です。今回も王子の旅程を立てたの面々のなかにパルテナ様はおりましたが……」
「ちょっとまってくださいセイシンさん。わたしはどうなんです? たしかに、わたしはパルテナさんを探していましたが……でも、それは偶然です」
リッカが慌てて口を挟む。
「わたしは誰に言われるでもなく、自分の意思でこの街に来ました」
「本当にそうか? おまえがパルテナを探し始めたのはいつからだ?」
「……三か月ほど前です」
「その間、俺以外の誰かに目的を話したか?」
「それは、もちろん。十名ほどには」
頷いたリッカ。
それだけ知っている者がいれば想像に難くない。
人の口には戸が立てられない。
「『リカーナがパルテナを探している』。この情報さえわかれば容易い。そもそもリッカ、おまえがリカーナという偽名で活動していたのはいつからだ?」
「三年前です」
「勇者リッカが行方をくらませてからすぐだな?」
「ええ、はい」
「当然、王都ではリッカを探す任務を課せられた者たちもいたはずだ。なんせ戦争の英雄だ。探さないほうがおかしい。そしたら、最初からリカーナがリッカだという情報を王都側が掴んでてもおかしくないだろ」
「……それは、まあ、そうですが」
考えてみれば当然だった。
いまでこそ三年が経ちかなり落ち着いた風貌になり、見た目ではそうとわからなかったが、戦争直後は姿も変わらない少女のままのはずだ。そんななか、地下闘技場に凄腕の剣士が現われた、となればリッカを探している者は気づくだろう。
気づいてなお、勇者の選択を尊重して黙っていた。そんなところだろう。
「なら、リッカをこの街におびき寄せることは可能だ。『パルテナがこの地域にいる』『闘技大会が開かれ、各地から情報が集まる』。この情報を誰かを使って伝えれば、自然と足が向くだろうさ。あとは問題のネムだが」
まだ広場でこちらを黙って見ているネム。
この距離を縮めるには、まだまだ遠い。
「ネムだけは直接連絡をとるしかない。どうやったのかはわからんが、手紙か何かで要求したのだろうな。違うかネム?」
「……そうよ。宮廷士官数名の連名で、協定の誘いが来たわ。魔族の王族としてのあたし宛てに。一か月ほど前よ」
「目的は?」
「魔族領の一部返還と、その条件の談合」
なるほど、そりゃあ応じないわけにはいかない。
ディルをちらりと見ると、彼は首を横に振った。もちろん知らない話だろう。本当に宮廷士官たちの間で計画されていたことなのか、あるいはパルテナの偽計かはわからないようだ。
まあ、その話自体が嘘か本当かはこの際どうでもいい。
大事なのはそれがパルテナから送られてきたということだ。
セイシンは、こっちを図るような冷たい視線のパルテナと向き合った。
「あんたは知っていたな。三人がここに揃うことを」
「知っていたら、どうというのかしら」
「王族が倒れたら、当然疑われるのは魔族だ。まだまだ偏見や差別もある。俺とフレイがいなかったら、ネムは私刑にあっていてもおかしくなかった」
「……それで?」
「じゃあ、ネムが疑われるようにするためにはどうするか。談合の条件の一つとして、武闘大会に出場させる。ネム、大会参加の目的は金だと言っていたが、本当は違ったんだな?」
「ええ。この大会の授与式の途中で、このパルテナと会う約束をしていたわ」
やはりそうだったか。
最初、ネムが怪しく見えた理由は授与式での行動を隠していたからだ。ネムを疑わせたいパルテナにとっては、その空白の時間を作るのは最も大事な部分だったのだろう。自らが出張ることで確実にネムを疑わせるように仕向けた。
セイシンは続ける。
「ネムの防御の強さを考えるとある程度勝ち進むのは予想できるだろう。だからこそ、王子とリッカとネムが一度に会する授与式に焦点を当てて計画を実行した。それでようやく、今回の目玉――王子に飲ませる〝毒〟が登場する」
「……。」
もはやもったいぶる必要もない。
犯人が目の前にいるのだから。
「仕込みは二つ。一つは、あんたは変装して会場に紛れ込むか、他の給仕を使ってあらゆる水差しに【神子】の力を込めている〝塩〟を入れた。入れるのはほんの少しの量でいいだろう。味も変わらないくらいの量でいい。そうしてそのどれかを王子が飲むように仕向ける。飲ませたのは時間的に、おそらく授与式の前――士官たちとの会議の時だろう。どこかで王子が水を飲んだことを確認したあんたは、ゆっくりと【塩の神子】としての力を使えばいい」
パルテナの誰でも知っている逸話。
誰でも知っている、膨大な塩の防壁を国境に築いて魔族の侵攻を止めた話だ。
「【神子の力】は、無から有を生むことはできなくても、一を百にすることはできる。リッカがそう言っていた。あんたも当然、塩を増やすことができる。間違いないな?」
「……そうね、できるわ」
「ならあとは、塩を相手の胃袋のなかでゆっくり増やし続ければいい。異変に気付かない速度で徐々に増やしていけばいいんだ。塩は吸収されつづけ、やがて塩分過剰により内臓に多大なダメージが出る。数時間以内に脳などの臓器は脱水症状や痙攣、意識障害に見舞われるはずだ」
そう、王子を苦しめたのは毒じゃない。
塩だった。
「もう一つの仕込みは、王子の胃に塩が溜まっている状態で、なんの変哲もない水を飲ませることだった。胃の壁に塩が大量に付着した状態で水を飲むと、当然水に塩が溶けて胃や腸に広がり、急激に変化が起きる。直後に訪れるのは不快感と吐き気だ。そうやって体を蝕んでいた無自覚下の脱水症状を嘔吐や拒絶反応により表層化させ、これにより王子はあたかも毒を盛られたかのように倒れるという寸法だ。意識まで失ったのは、とりわけ幸運だったといっていい展開だろう」
「しかしセイシン、あの時パルテナ様は地下室にいなかった。王子が水を飲むかどうかなんて狙ってできるはずがない」
「ああ。でも、別にあの地下室で水を飲ませる必要はなかった。喉を渇かすだけでよかったんだ。べつにその後に飲んで倒れても、犯人探しをする結果になるから大差ないしな」
「それもそうだが……しかし、どうやって他人の喉を渇かすことができる? たしかにあの地下室では、僕も喉が渇いた記憶があるが」
「乾燥していたからな。それも異常なほどに」
地下室での違和感が、まさにそれだった。
「地下室の机にあった水差し、覚えてるか?」
セイシンが問いかけると、あの場にいた全員がうなずいた。
「俺たちが地下室に入ったとき、コップがわずかに結露していたのに水差しは結露していなかった。水の量が多いはずの水差しは常温で、コップの水はまだ少し冷えていた。なぜそんな現象が起きるか、その答えはひとつ。空気中の水分があの水差しに集められていたからだ」
「空気中の水分が? どうやって?」
「例えば、あの水差しの蓋に大量の塩が張られていたとすればどうだ。蓋じゃなくてもいい。内側の上の部分でも問題はない。水に触れなければ溶けることもない塩だ」
「……塩?」
「ああ。昔から塩は除湿剤としても使われるほど湿気を多く吸い、集めた湿気を瓶などに貯めることもできる。水差しが置かれてから、時間をかけてゆっくりと部屋の湿気は塩に吸われて水滴となり水差しに落ちる。当然、除湿されて発生したのは室温と同じ温度の水だ。冷水と混ざればぬるくなっていく。対してコップの水は自然な速度でぬるくなっていくから、あの時はまだわずかに結露の跡が残っていたんだ」
あるいは除湿剤として使われたのは水差しだけじゃなかったのかもしれない。
天井や壁にも予備として塩が張られていたとすれば、その効果は絶大だろう。
「極度に乾燥した部屋で話していれば喉は渇き、話が終われば水を飲むだろう。かなり雑な説明になったが、このすべてが『塩』で理屈が通る。俺の推理はどうだ【塩の神子】?」
話を振ると、パルテナは腕を組んで嘆息した。
「馬鹿馬鹿しいわ。塩が使われた証拠でもあるのかしら」
「ない。残念ながら」
「証拠もないのに、想像だけで人の力を犯罪の道具のように語らないでもらえるかしら」
たしかに証拠はない。
王子が倒れたら、胃に残っている塩を減らせばいいだけの話だ。除湿に使った塩も同じこと。増やすことが可能なら元に戻すことも可能だろう。
しかし、もし証拠が残っているとするなら。
「ここ最近、周辺の地域で原因不明の流行病があったらしいな。症状は嘔吐や眩暈、痙攣や意識障害。原因は不明で、死者も出ていると。しかもこの数か月の話だ」
シズやフレイが教えてくれた流行病のことだ。
唐突に話を変えたセイシンに、パルテナの背筋が少しだけ伸びた。なぜいきなり流行病の話をするのか他の人たちにはわからないだろうが、パルテナだけは別のはずだ。思い当たる節があるはずだった。
「……それが、どうかしたのかしら」
「あんたがやったことだな、パルテナ?」
自分の能力の使い方を思いついても、試してみないとわからない。なんせ見えない場所の塩を増減させるのだ。効果が出る時間や症状を確認するために、いくつもの人体実験と検証が必要だったはず。
「万が一にも失敗しないよう、あんたは色々な街で試す必要があった。だからこそこの数か月行方をくらませて、各地で実験して回った。あとで調べてみればわかるだろうが、あんたが王都からこの街までに辿った順番と時期が、流行病の推移と同じことになるだろう。あんたの目撃証言を探せば一致するはずだ」
「…………。」
「それともう一つ。あんたはなるべく多くの症例をつくるため、小さな村でも実験したはずだ。だが最近はどこの集落にも国兵の駐屯所が作られ始めている。それゆえ、一か所にあまり長い時間留まらなかったはずだ。住民に紛れられないような小さな村ならなおさらだろう。そういう場所で亡くなった村人の遺体を解剖すれば、何件かにひとつは胃の中から大量の塩が出てくるだろうさ。隠れて移動する旅路のなか、すべての村や街で完全に後始末をする時間があったとは思えない。証拠はまだどこかにあるだろう」
もしそれがわかれば、犯人はこの世界に一人しかいない。
他人の胃の中で塩を自在に操れるのは、【塩の神子】だけだから。
「もしそうだとして」
パルテナは思考を巡らせ反論する。
「そこまで実験したのに、王子は死んでいないわ。そこはどう説明をつけるのかしら。私が犯人だとしたら、王子を殺すことは確実にできたのじゃないかしら」
「王子を殺すことが目的じゃなかったからだろ?」
そこが、二つ目に感じた違和感の正体だった。
犯人が誰であれ、毒を飲ませられた時点で殺す気があれば殺せたはずだ。
だから王子が死んでいないのは、そもそも目的が殺害じゃなかったからだと考えた。
「あんたは王子が死のうが死ぬまいがどちらでもよかった。王子が倒れた時点で【塩の神子】の力を解除したから、塩は消えて王子はギリギリ死なずに済んだ。目的はほぼ達成したようなもんだからな。あんたの目的は最初から、この状況をつくりだすことだった。王子が倒れ、ネムが疑われることだ。ネムが全員に糾弾されて犯人にされることだった」
だからネムを呼び寄せ、ネムを疑わせるために空白の時間を作り、逃がさないために約束を取り付け、確実にネムを殺させるためにリッカを誘き出した。
おかしいと思った。まるで誰かに意図されたかのようにネムが疑われていく。ネムが魔族だということを隠していたはずなのにそれができたとすれば、最初からネムの正体を知っていた者だけだ。
「もしリッカがネムの正体に気づかなければ、あんた自身が登場人物となってネムを犯人に仕立てあげればいい。あんたはずっと、隠れて近くで見ていたはずだからな」
「本当なんですか、パルテナさん」
リッカがパルテナの背後に立った。剣をその首筋に突きつけている。
「あら。【剣の神子】ともあろう者が、その出まかせを信じたのかしら?」
「出まかせだったら、よかったですが」
リッカはちらりとフレイを見て言った。
「昨晩、フレイさんがわたしの宿屋に訪れて言ったんです。『いまは信じてくれなくていいが、勇者は抑止力だから伝えておく。明日セイシンを追いつめたとき、もし最後の最後に彼を助けようとする相手が現われたら、そいつこそ真犯人だ。そしておそらく、そいつは勇者と同等の相手だから頼ることになるかもしれん』と。彼らは最初から、あなたを表舞台に引きずり出すために、さきほどの展開を演じていたんです。断じて出まかせなどではありません」
驚いた。
それはセイシンが頼んでいないことだった。おそらくフレイの独断だろう。
もしセイシンの賭けた通り、パルテナがこの場に現れたとき味方になってくれると期待していたのだ。
パルテナはセイシン自身で追いつめるつもりだったが、まともに動けなくなるまで鞭打ちをされるとは予想してなかったから、その采配はかなり助かった。
「……そう。あなたたちは、私がここに来ることをわかっていたのね」
「ああ。あんたの目的はネムを犯人にすることだ。だから俺は、俺が犯人になることでそれを防いだ。この場の全員が俺を疑い、俺こそが犯人だと信じたとき、俺を助けることができるのは、真実を知っている真犯人のあんただけになるからな」
それこそがセイシンの策略だ。
パルテナがこの場で助けに現れるかどうかは賭けだった。賭けに勝つために、最後はセイシンの味方がいない状況でなければならなかった。パルテナが割り込まなければならない状況を作ることだけが、セイシンの起死回生の一手だったのだ。
「それで、あんたは認めるのかパルテナ。認めなくても拘束させてもらうけどな。他の村や街の調査が終わるまで大人しくしていてもらう必要がある。それでいいな、ディル」
「勿論だ。君の推理は理に適っている。パルテナ様、どうか真実を」
「……ええ、そうね」
リッカに剣をつきつけられ、ディルは拘束するために近づいてくる。
もう逃げ場はない。
パルテナは肩の力を抜いて降参の意を示した。
「あなたの言う通りよ。まさか、この私が罠に嵌められるとはね」
「なぜ、ですか?」
ディルが眉間に力を込めた。
「なぜあなたが、王子を傷つけてまでそんなことを? 地位も名誉もある、あなたがなぜ?」
「ディルヘイム。あなたにはわからないでしょうね」
パルテナは悲しそうに言った。
「戦争はまだ終わってないのよ。魔族は人間を憎み、人間は魔族を嫌悪している。魔王が殺されてからは国境が北に移動しただけで、水面下では争いは続いているわ」
「しかし、国を挙げての戦いはもう……」
「ええ。それが表向き。和平条約が締結され、国家として侵攻はできなくなったわ。だから、」
パルテナは視線を広場の中央に移した。
そこで静かに立つ、白い少女に目を向けて。
「だから魔王の娘を罪もない人間たちの手で殺させて、戦争を再開させるつもりだったのよ」
「なっ!?」
ディルは言葉を詰まらせた。
「魔王の娘が王子を毒殺しようとした。その情報が広まれば、和平条約も意味を成さないわ。魔族側も魔王の娘が市民たちに私刑で殺されれば同様よ。今度こそ、どちらかが滅ぶまで徹底的な殲滅戦になるはずだったわ。あなたは生贄になるはずだったのよ、魔王の娘」
パルテナの瞳には憎しみなどなかった。
まるで義務感のように、ただ使命感のような妄執が写されていただけだった。
「……あたしは」
ネムはその視線に、短く答えた。
感情を抑えた、哀愁の深い声で。
「戦争を止めるつもりだった。それはいまも変わらない。だから、あなたの謀略に殺されるつもりはないし、これからだって殺されないわ」
「そうね。それがあなたの役割だもの、ネムセフィア」
パルテナは杖をゆっくりと掲げる。
「あなたは魔王の娘なのに、一度たりとも他人を殺すための武器を持ったことはなかった。戦争中は何度も私たちに手紙を送り、休戦協定を申し出ていたわね。魔王の娘とはいえまだ幼い娘の戯言に、付き従う魔族も人間いなかったようだけど」
「それでも、あたしは……」
「戦争が終わるまでは、あなたの戯言は魔族から疎ましいとさえ思われていたわね。そのせいで、あなたを守ろうとする者はいなかった。だからあなたが魔王城で生き残ったのには驚いたわ。よほどの強運だったのね」
パルテナは杖の先をネムに向けて、嘲笑した。
「魔族も人間も、心の底では殺し合うことを望んでいる。それでもなお平和を願うなんて甘すぎるわ。……もっともそのおかげで、こうして誘き出すことができたのだから感謝しないとね」
「ネム!」
嫌な予感がして、セイシンはとっさに杖とネムの間に身を滑らせた。
瞬間、杖の先から矢のように鋭く白い塊が飛び出した。不意打ちの攻撃だ。
盾になったセイシンがそれを肩で受けて吹き飛んだ。血飛沫が舞う。
パルテナが舌を打った。
「あなた、本当に邪魔ね」
「セイシンさん!」
リッカがパルテナの背中に剣を振るう。
しかし、突如現れた白い壁が剣を阻んだ。
薄くとも頑丈な、細やかな塩の結晶で固められた防護壁だ。
リッカが何度も斬りつけるが、まるで微動だにしない。
「このっ!」
「無駄よ。私の結界は魔族の大軍勢も押しとどめるの」
「〝狂犬〟は民衆の誘導を! 僕がパルテナ様を抑える!」
ディルが指示しつつ跳びかかった。
杖を掲げるパルテナに対して、ディルは恐れることなく正面から剣を叩きつける。
その剣戟も、パルテナの体に触れる前に白い結晶が出現して拒まれてしまう。
死角へ回り込んで挟み撃ちにするリッカの剣も、さっきと同じように防がれた。
「自動結界――っ!」
「【塩の神子】の得意分野は増幅と防衛なの。術式さえ組んでしまえばこれくらい容易いわ」
鉄壁の防御結界に対して、ディルとリッカは前と後ろから同時に剣を振るい続ける。
その二人の猛攻をものともせず、パルテナは懐から小瓶を取り出した。塩の粒で満たされた透明な瓶。
それを広場の上空に向かって放り投げた。
「本当は市民の手で殺させたかったけれど……。死になさい魔王の娘――《天白槍》」
突然、影が落ちた。
ネムの頭上に飛んできた瓶が割れると、そこから生まれたのは無数の塩の槍だった。わずかな隙間もなく整然と並んだ槍はまるで雨のように一斉に降りそそぐ。
「させません! 《剣舞・昇天》!」
リッカが手をかざすと、それまで広場を囲っていた剣の結界がネムの頭上に集まり、落ちてくる槍に向かって下から激突した。
槍と剣が、ともに砕け散る。
「やるわね。でもこれはどうかしら――《白蛇》」
パルテナが杖の先から塩の蛇を生むと、蛇はディルの足もとを素早く抜けてネムへと進む。リッカが余っていた剣を操作して突き立てようとするが、蛇はするすると動いて剣を避けてネムに迫る。
とっさに盾を取り出し、構えたネム。
「この期に及んでまだ守るための武器? 笑わせないで!」
パルテナが叫ぶと、蛇は二匹に分裂して左右から同時にネムに跳びかかった。どちらを防ぐべきか迷い盾が定まらないネムの喉元に、蛇は喰らいつこうとして――
「させんじゃが!」
蛇二匹を同時に斬り裂いたのは、フレイの大剣だった。
民衆の避難を終えたフレイは滾る殺気をパルテナ一点に集中させ、ネムの前に立ち塞がる。
「ぬるい攻撃じゃが。オメェそれでも【神子】じゃか? 栄養士でも名乗ってたほうがええんじゃねえかのう」
「んなっ……ただの、傭兵ごときが!」
フレイの挑発につい苛立ったのか、眉間に皺を寄せて叫ぶパルテナ。
実際のところ、パルテナの誤算はその台詞に集約されていた。
王子と騎士、勇者、そして魔王の娘を同時に集めて互いを疑わせる。そうすることで疑心と憎悪が連鎖し、彼らは勝手に殺し合うはずだった。それ以外に誰が集まろうが、その流れは止められないはずだった。
それを防いだのはセイシンとフレイだ。宮廷士官という国家の重役からすれば取るに足らない立場の傭兵たち。
いまは全身傷だらけで地面に倒れているセイシンはもちろん、フレイも立場や地位に拘るような人間ではなかった。傭兵であることを卑下したり、相手が宮廷士官で【神子】だからと臆するような人間ではなかった。
それがパルテナの誤算だろう。
「勇者の嬢ちゃんに王宮騎士、オメェらが結界術士相手に無駄に戦う必要はねえ! ワイらがやるべきことはいま、そいつを殺すことじゃねえじゃが!」
フレイが冷静に言うと、リッカとディルはうなずいてパルテナから距離を取った。そのまま警戒しつつ、ネムのもとへと駆け寄ってくる。
盾を構えたネムを、フレイ、ディル、リッカが守る陣形となった。
守りを固めた四人。
「そんでセイシン、オメェはもう限界じゃか?」
「んなわけ、ねえだろ……」
こんな大事な場面で、痛いからって寝てるわけにはいかない。
セイシンは歯を食いしばって腕をついた。手足はふらつき傷から血は流れ出る――しかし、それでも立ち上がらないわけにはいかなかった。
「ネムは殺させねえよ、パルテナ=アッカーナ。戦争は終わった……いや、これから俺たちが終わらせる。お前の思い通りにはさせねえ」
「……本当に、あなたは一体なんなのかしら」
魔王の娘を守るのは、傭兵ふたりに王宮騎士と勇者。
パルテナの計算では、五人が協力する展開など思い描かなかったに違いない。実際、途中まではセイシンもそう思っていたし、いまでも全員が互いを信頼し合っているわけでもなかった。リッカやディルは魔族であるネムが憎いし、ネムも同様だろう。フレイは憎しみがあるわけでもないが、決して命を賭して守ろうとしているわけでもない。
そんな彼らがネムを守る理由はただひとつ。
彼らを繋ぎ止めた少年が、その前に立つからだ。
「俺が誰かなんてどうでもいい。ただ俺は、こいつらを守るだけだ」
「一番死にそうなオメェが何言ってんじゃが」
フレイが茶化して笑った。
「こいつの言う通りじゃ宮廷士官。ワイらはオメェの策略には乗らんし、ここでオメェを殺す気もない。その隙にやられちゃたまらんしのう」
「あら、私を見逃すっていうのかしら?」
「そもそもオメェを捕まえるのはワイじゃのうて兵士の仕事じゃが。金を貰えるなら別じゃがのう、まだそんな確約はねえじゃが」
「確かに君の言う通りだな、〝狂犬〟」
ディルが頷いた。
「パルテナ様。あなたは王子を毒殺――いや、塩殺しようとした。僕たちに魔王の娘を殺させて戦争再開を目論み、さらに魔王の娘に宛てて国家の名を騙り、偽の約定を制定しようとした。そこに間違いありませんね?」
「それを馬鹿正直に尋ねるから、あなたはまだまだ青いのよディルヘイム騎士」
パルテナはつい笑みをこぼす。
否定も肯定もしない彼女の反応に、ディルは一呼吸ついてから返した。
「――では、これよりあなたを王族殺害未遂と国家反逆の疑いにより、第一級指名手配とします。【塩の神子】パルテナ=アッカーナ」
いままで数々の功績で国を守ってきた守護者パルテナに対して、王宮騎士は宣言する。
「利用するため王子を傷つけた罪、決してぬぐえないものと知れ」
「……そうね。あなたたち騎士に理解できるとは思っていなかったけど、改めてそう言われるとカーキン王子には悪いことをしたと思うわ」
「そう宣うのであれば、大人しく罪を認めて捕まるべきだ」
「でも後悔はしていない、ですね?」
横からリッカが口を挟んだ。
そう言われたパルテナは、意地の悪い笑みを浮かべる。
「ええ。よくわかっているわね【剣】」
「あなたは最初からそういう人ですから、【塩】」
かつて戦争では仲間同士だった彼女たち。守りを得意とした【塩の神子】と、攻めを得意とした【剣の神子】。ともに戦争勝利の立役者だと言われた英雄だった。
そんなふたりが対峙する。
「せっかくの機会、ひとつ聞いていいかしら勇者リッカ」
「なんでしょう」
「三年前、なぜ姿を消したのかしら。王都に戻らず忽然と姿を消した理由は?」
パルテナが語ったのは魔王が死んだ直後。
最も武勲を多く手にしたはずの勇者は、その栄誉を授かることなく表舞台から消え去った。そのまま王国軍に残れば士官の地位は確実だったはずだ。
地位も財も受け取ることなく去った理由は、誰もが気になっていたはずだった。
リッカは首を横に振った。
「個人的な感傷です。話しても、あなたにはわかりませんよ」
「わかってほしくない、の間違いじゃないかしら?」
パルテナが見透かしたように言う。
戦争時、最前線で剣を振るい続けたリッカと、最後尾で戦略家として考え続けたパルテナ。
仲間だったが、まったく違う場所に立っていたのだ。
「……そうかもしれません。だからこそ、話すつもりはありません」
「後悔しているのかしら」
パルテナはリッカの背後――魔王の娘を見た。
誰よりも多く魔族を殺した勇者と、その魔族の生き残りであるネム。
そのネムにわざと聞かせる意図があったのだろう。意地の悪い質問だった。
「人間や魔族に限らず、です」
リッカは素直に肯定した。
そんな質問は幾度となく自問自答を繰り返してきたことが、ハッキリとわかる口調で。
「誰かを殺して後悔しないなんてことはありません。その罪が消えることもまた、ありません。わたしは勇者――つまり、誰よりも相手を殺す技術に長けた剣士。わたしの歩む道は修羅の道です。この力で、これからも誰かを殺すでしょう。だからその罪と後悔も、一生背負って生きていくつもりです」
「……そう、つまらないわね」
冷ややかな目でつぶやいたパルテナだった。
興味を失くして視線の先を変えようとした彼女だったが、思い出したように言った。
「ああそれと、そうだったわ。あなたは私を探していたのよね。何か用事でもあったのかしら」
「いま、答えてくれるのですか?」
「それは質問次第ね」
パルテナが首をすくめると、リッカは迷わず言った。
「魔王を殺した者を、知っていますか?」
なんの誤魔化しも迂遠もない、直接的な質問だった。
パルテナはその守りに特化した力と頭脳をもって戦略家として戦争に関わっていた。リッカたちが軍行した魔王討伐も彼女たち士官の軍略のひとつだ。
だとすれば魔王暗殺もまた、彼らの作戦のひとつだったのではないか。
どちらかが失敗したときのために、保険として賭けていた。その立案に彼女が関わっていてもおかしくない。
そう考えてパルテナを探していたリッカだったが、そのリッカの思惑は、
「ええ、知っているわ」
パルテナは頷いた。
「っ! それでは――」
「ただし」
と彼女は薄く笑った。
「私が知っているのは【暗殺教団】と呼ばれた者たちが、その作戦に従事したことだけよ。構成人数、個人名、作戦内容までは知らないわ。極秘中の極秘任務だったから、それを知り得たのはほんの数人の軍属士官のみだったはずだわ」
「……では、その士官たちに聞けば、」
「死んだわ」
パルテナは隠すことなく言い放った。
「【暗殺教団】のことを詳しく知っていた士官たちは皆、殺されたのよ。殺害は宮廷内にもかかわらず、その犯人を誰も目撃していない極めて優れた暗殺だったから、彼らの仕業で間違いないでしょう。王宮騎士たちをもってしてもその痕跡ひとつすら見つけられなかったと聞いているわ」
「そう、でしたか」
「あなたも殺されたくなければ、深くは関わらないことね」
「……わかりました」
リッカはそれ以上、パルテナには問わなかった。リッカが【暗殺教団】を怖れたのではない。話しているパルテナ自身が怖れていることに気付いたからだった。
リッカは暗殺者に大人しく殺されるような技量ではない自信があった。しかしパルテナはあくまで施政官であり策士だ。軍人でも武人でもない。彼らが一番怖れているのは、寝ている間に忍び寄る理不尽な死そのものだ。
それくらい、リッカにはわかっている。
「話は終わりかしら。そしたら私の策も通じないようだから、そろそろ行くわね」
「僕たちがあなたを大人しく逃がす、と?」
「ええ。お互いのために、ね」
パルテナが懐から小瓶をいくつも取り出す。さっきの槍を降らす質量攻撃だろう。
それを出されると警戒しないわけにはいかない。自分の身を守るのもそうだったが、もしそれを街のなかで無造作にばら撒かれたら、すべてを守ることなどできるはずがなかった。捕まえるために市民たちを犠牲にするわけにもいかず、ディルは諦めるしか道はないことを悟ったようだった。
パルテナは悠々と歩いて去っていく。
途中でその足がぴたりと止まり、
「それとそこの少年」
パルテナが最後に振り返ったのは、セイシンだった。
「つぎは、殺すわ。守れるものなら守ってみなさい」
「ハッ。おととい来やがれ」
笑って返すと、満足したのか背を向けて軽い足取りで歩いていく。
パルテナ=アッカーナ。
優れた知性と能力を持ち国家を支えた宮廷士官。鉄壁の防御を誇る結界術士として【塩】の力を操り、リッカの剣ですら防ぎきることができる恐ろしい相手だった。
その姿が見えなくなると、緊張が解けて全身の力が抜け、倒れ込んだセイシン。
……危なかった。
一歩間違えれば、誰かが死んでいたかもしれなかった。
「セイシンさん!」
リッカが駆け寄ってきて、倒れたセイシンの体を支えた。
遅れてディルも心配そうに顔を覗き込んでくる。フレイはいつまでもパルテナが去った方角に殺気を飛ばしている。
そしてネムは、ちらちらとこっちを見て何か言いたそうにしていた。
言いたいことがあるなら言えばいいのに。
そう思ったけど、口には出さなかった。
「セイシンさん、すぐに手当てしますからね! がんばってください!」
なんでそこまで必死にリッカが叫ぶのだろう。
傷口から流れた血が相当なものだということに、セイシン自身は気づいていなかった。
「あれ……なんか、眠い……な……」
「セイシンさん! 気をしっかり!」
セイシンはゆっくりと閉じていく瞼を我慢できずに、そのまま意識を失ったのだった。




