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ウソカタルシス ~魔王暗殺の虚飾~  作者: 裏山おもて
2章 絶望の中の鬼謀<キボウ>
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囚われの身の


【暗殺教団】に生まれ、その技術を叩き込まれて育ってきた。


 体術や剣術だけじゃない。知識もそうだ。何を観察すればどう理解できるのか。多くの物の構造を把握し、物理や科学を学んだ。

 あらゆる環境で判断力を試された。死にかけたことも何度もある。

 だからこそ状況判断だけは得意だった。


「どこが地下牢は満員、だ。閑古鳥が鳴いてやがるじゃねえか」


 そこは窓もなく、石で囲まれているだけの寒々しい空間だった。

 セイシンは床に鎖で足を繋がれ、天井から手を吊られた状態で拘束されていた。気を失っている間、体重が手首に圧し掛かっていたからか手首がひどく痛んだ。

 足裏で石の床を踏んで立つ。硬い床だった。

 鉄格子の向こう側には、何部屋か同じような牢獄が見える。どこにも人はいないどころか、音が反響するこの空間に誰もいる気配がなかった。


「誰かいないか? 起きたぞー」


 呼びかけても返事はない。

 セイシンは首を回して自分の状態を確認した。鉄の鎖に繋がれた手足は皮が剥けて血が滲んでいるが、それより酷いのは腹部と頭痛だ。リッカに刺された傷は一応縫合はされているようだったが、服の上からでもわかるほどに雑な縫い方だった。血が漏れている。

 こめかみはズキズキと痛む。意識を失う一撃をリッカにもらった場所には包帯を巻いてあるが、あまり意味があるとは思えなかった。

 他に目立った怪我はなさそうだった。質は悪いが、寝てる間に手当も受けている。捕虜としてはまだ人道的と言えるだろう。


「っても、これはさすがにヤバいか」


 鎖から抜けたとしても、逃げる方法がない。鉄格子は鍵がかけられているうえに、地下牢ということは抜け道は用意されていない。死角もないだろう。誰かを味方につけて脱出したとして、見張りが一般の兵士ならどうとでもなるが、おそらくリッカかディルを相手にする必要がある。セイシンが身に着けているのは服のみだ。短剣も取り上げられたらしく、武器はない。

 八方塞がりだった。


「……絶望的、だな」


 願わくは、ネムだけは逃げ切ってほしいところだった。

 しかしどんな状況であろうと人間は単純なもので、じっとしていると腹の虫が鳴った。

 そういえば昨日の夜から何も食べてない。地下だから時間は確認できないが、おそらく二十四時間は経っているだろう。


「腹減ったし喉渇いたな。誰かいないか、なあおい!」


 なんでもいいから食べたい気分だった。

 しかし叫んでも誰かが来る気配はなかった。

 しばらく待っても誰も現われないと知って諦めたセイシンは、なるべく活力を温存するため目を閉じて体の力を抜いた。どうせ逃げられないなら、と思考速度も遅くして節約する。

 眠気とは違う、活動停止が訪れる。

 数時間経っただろうか。

 地下牢の入口から誰かが入ってきた。

 足音はひとつ。セイシンの牢屋の前で立つと、唸るような低い声を発した。


「無様じゃのう」


「フレイ、か?」


 眼球を休めていたからか、目を開いてもぼんやりと輪郭しか見えなかった。


「他の誰に見えるっちゅうじゃか」


 鼻で笑ったのは、大柄の男――フレイ=フレムだった。


「熊かと思ったよ」


「ならオメェは兎じゃが。獲って喰われるだけの弱々しい獣じゃ」


「俺を喰いに来たのか〝狂犬〟?」


「阿呆ぬかせ。熊でも兎でも犬でも、ワイらは言葉を持っとる。話をしに来たじゃが」


 牢の前に腰を下ろしたフレイ。

 鎖で繋がれたセイシンを観察して、


「オメェ、ちいせえわりに意外と良い体しとるじゃが」


「恥ずかしいから見んな」


「それと、独特な鍛え方をしとるの。細くなるように鍛えたじゃか?」


 目を細めたフレイ。


「……わかるのか?」


「オメェが騎士や勇者の剣を捌くとき、あえて受け流すようにしてるのは見てたじゃが。正面から受け止める筋力がねえのかと思ったが、そういうわけじゃなさそうじゃが。ま、それにしてもこれほどまでに細く造るとは風変りじゃて。筋肉の表面積を削るメリットなんてあるじゃか?」


 かなり冷静に観察している。

 セイシンは内心舌を巻いた。


「背が低いからな。筋肉質だと不恰好だろ」


「見た目に拘るのは若者らしいが、傭兵としちゃ不正解じゃが。……そうじゃのう、表面積が少ないメリットなら、放出する熱量くらいじゃが。オメェ、ちいせえ頃から気配を殺すための肉体改造でも受けてたじゃか?」


「――フレイ」


 あまりの察しの良さに、つい名を呼んでしまう。

 フレイは口角を上げて、セイシンの威圧を受け流した。


「カカカ、なんちゅう質の殺気を放つじゃか。タダモンじゃねぇと思ってたが、ワイの知らん世界に生きとったようじゃのう。これ以上の詮索はせんほうが身のためじゃが」


「そうしてくれると助かるよ」


 本当にそれ以上は興味を放棄したのか、フレイは思い出したように懐からパンを一切れ取り出すと、ひょいと鉄格子の隙間から投げてきた。

 弧を描く軌道のパンを、口でうまく取ったセイシン。


「食っとけ。夜は長いじゃが」


「んぐ、んむもむ」


 欲を言えば飲み物もつけてほしかったが、あまり贅沢は言っていられない。

 なんとか水分なしで咀嚼して飲みこむ。

 フレイは肘をついて退屈そうに待っていた。


「それで、俺に食糧分けてくれにきたのか?」


「それもじゃが、色々と聞きたいことがあってのう。勇者と騎士が血眼になって魔族を探しとるうちなら、オメェと話もできると思ったじゃが」


「そうか……ネムはまだ捕まってない、か」


 安堵の息をついたセイシン。

 その様子を見たフレイは首をかしげた。


「ワイは魔族に恨みはもっとらん。もともと親に捨てられて、野良で生きてきた身寄りのねえ傭兵じゃ。じゃからこそあの二人ほど感情的になっとらんつもりじゃが、それにしたって魔族の娘が怪しいことは認めとる。動機も凶器もあって、疑わしい行動もとりわけ多い。じゃからオメェがあの娘を庇ってるのが信じられんじゃが」


「信じられねえなら、何の用だよ」


「オメェが信じられんでも、ワイは自分の思考を信じとるじゃが」


「どういうことだ?」


「もし犯人が魔族の娘だとしても、どうやって毒を入れたかがわからんのじゃ。ワイが気になっとるのはそこじゃが」


 そういえば、フレイはずっとそこに拘っていたな。

 理由も状況証拠もある。だが、方法だけはわからない。たしかに方法は知らなくとも、証拠だけで犯人を捕まえられるだろう。むしろ証拠がなくても、ネムは魔族というだけで犯人にされかねない。

 しかしこの男はそうはしようとしなかった。


「ワイは赤ん坊の頃から、野生の獣として生きてきた。じゃから人間よりも獣に近い矜持を持っとるんじゃが」


「それが、どうかしたのか?」


「獣は、理屈の合わん狩りはせんのじゃ。足跡を辿り、臭いを覚え、巣穴を掘る。途中で足跡や臭いが消えたまま得物の影を追うじゃか? それは十中八九罠じゃが。狩ったと思ったその瞬間、狩られているのはワイらじゃが」


 フレイは静かにうなずいた。


「一見、あの娘が怪しく見える。じゃが、考えてもみい。王族を暗殺しようとするなんていうのは、充分に計画を練った末の犯行じゃ。用意周到な狩人が相手なら、もしかしたらワイらが怪しく見せられているとも考えられるんじゃが。じゃからワイは慎重なんじゃ。人間より獣のほうが狩りの仕方を弁えてるだけのことじゃが、こればっかりは譲れんのよ」


「……フレイ……」


 こういう考え方をするやつがいたのか。

 セイシンにとっては新鮮だった。フレイは味方になったり敵に回ったりと、最初から立ち位置が安定していなかった男だった。その理由がわからなかったが、いまは納得できる。

 一番物事を冷静に見ていたのは、この男だったのだ。


「なあフレイ。教えてもらってもいいか?」


 もう、セイシンには後がない。

 いずれ下水道も捜索され、ネムは捕まるだろう。時間の問題だ。

 頼ることができるとすれば、この〝狂犬〟だけだった。


「なんじゃセイシン」


「おまえ、最近この地域で噂になってる流行病って知ってるか?」


「知ってるじゃが。知り合いが一人、それで死んだ。原因不明としかわかっとらんらしいのう」


「症状はどんなだった?」


「……。」


 フレイが眉根を寄せる。

 なぜこんな質問をするのか理解できないのは当然だ。

 しかしこれこそセイシンが知りたかった最後の欠片だ。黙って待っていると、フレイは訝しみながらも答えてくれた。


「嘔吐や眩暈、それから痙攣や意識障害。ひどいやつはそのまま死に至るらしいのう。死亡率は半々くらいじゃと聞いたわい。それがどうかしたじゃか?」


 もしかしたら、まったく見当はずれのことを考えていたのかもしれなかった。

 しかしそうではなかったと確信する。

 これなら、フレイに話すべきだろう。

 セイシンはしばし間をあけて話し始めた。


「……俺が違和感を覚えたのは、最初にあの地下室に入ったときだったんだ」


「ほおう」


 フレイはようやく話が核心に触れると知り、にやりと笑って耳を傾けた。


「あの時、水差しとコップが机の上に置いてあった。それは覚えているか?」


「勿論じゃが」


「あの部屋にディルが自分だけ入ったのは、授与式の前で間違いはないと言っていたよな? そこで水を飲んで、またコップに水を注いだと」


「そうじゃ」


「なら、おかしいことがある。あの時、同じ温度の水が多く入った水差しは結露していなかったのに、一杯の水しか入っていないコップのほうがかすかに結露していたんだ」


 コップや水差しの表面が水滴で濡れる法則は、水と室温の温度差にある。

 室温が高い時、水温が低いと温度差でその境目に結露が生じるのは誰でも知っているだろう。そう考えると、コップよりも水量が多い水差しのほうが結露していなければおかしいのだ。だが実際は、水量が少ないコップにだけ水滴がついていた。

 水が室温と同じになれば結露はしなくなるから、水差しが先にぬるくなったということだ。


「たしかに、それは変じゃのう」


「最初は気にしてなかった。違和感を思い出したのはその後だ」


「そのあと……なにかあったじゃか?」


「俺の喉が渇いた」


「?」


 首をひねるフレイ。

 セイシンは続けた。


「俺はそれまでたっぷりと飲み物を飲んでいたはずだった。あのとき王子に緊張して喉が渇いたと思ったんだが、よく考えればそうじゃない。あの部屋は、地下室のわりに乾燥していたんだ。フレイも覚えはないか?」


「まあたしかに、ワイも喉が渇いたのを覚えておるじゃが」


「おかしいと思わねえか? なんで地下室が乾燥してるんだ。あんな行き止まりの地下なんて、湿気が籠ってもおかしくないはずだろう」


「そうじゃが。何か原因があれば別じゃがのう」


「そこがまず違和感だった。それともうひとつ決定的に不自然なことがあった。いままで俺も含めて誰も気付かなかったが、考えてみれば偶然じゃ片付かない大きな問題がある」


「なんじゃか?」


「それは――……」


 セイシンは話し始めた。

 これは、想像だ。細かい違和感の辻褄を合わせるために描いた絵空事でしかない。

 だが話の筋は通っているはずだった。


 フレイにとっては突拍子もない話だろう。それに、もしこの説が本当だったとしても決定的な証拠を掴むことはできない。犯人がしらばっくれてしまえば実証もできない。さらにフレイが納得して協力してくれなければ、もはや万事休すだ。

 綱渡りの賭けでしかなかった。


「……――というわけだ」


 話終えたセイシンは様子をうかがった。

 フレイは目を閉じ、じっくりと話を反芻しているようだった。セイシンの背中に緊張の汗が流れた。

 結論が出たのか、ゆっくりと口を開く。


「オメェ、阿呆じゃねぇのか?」


「……フレイ……」


「誰がそれを信じるじゃが。狩りに例えるなら、オメェの狩りの標的は竜っちゅうようなもんじゃが。実在するかどうかもわからんし、もし狩れたとしても食えるかどうかもわからん。夢物語じゃが。オメェが水面に映ったその影を見たっちゅう手がかりだけで、そんな狩りに誘ってるようなもんじゃ」


 ダメ、か。

 セイシンが顔を俯けたその時、しかしフレイは大きく笑った。


「じゃがのうセイシン。ワイはつまらん狩りに飽きてきたとこじゃ。せっかくなら竜を狩りに行くのも悪くない……と思っとるんじゃが、オメェはどうするじゃか?」


 一筋の光明が、地下牢に射したのだった。


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