失策
「これより王家の名に於いて、ステイルス家ならびにアスニーク家による勅旨死合を始める」
いつも夢で見るのは、忘れようにも忘れられなかった記憶。
運命を決めたあの日だ。
「それではステイルス家代表、レナ=ステイルス。アスニーク家代表、セイシン=アスニーク。前へ」
両家が一堂に集うのは何年ぶりなのか、誰も覚えていなかった。
いままで犬猿の仲と喩えるのもおこがましいほど、両家の縁は断絶した最悪のものだった。そのせいで故郷の村は真っ二つにわかれており、その当主同士が顔を合わせることなど滅多になかったはずだ。
少なくとも、セイシンが生まれてからは一度もなかった。両親ですらセイシンの祖父とレナの祖母が当主となってから数十年、そんな話は聞いたことないと言っていた。
この日はそんな両家が揃い踏みするほど、特別なものだった。
「勝者には多大な報酬と、王家に仕える資格を問う勅命を与える」
両家の諍いは、故郷の長い歴史でずっと続いてきた。
神や悪魔の力に頼らず、科学や物理を学び暗殺技術を極めた両家同士が争っても、互いがほとんど死に絶えるだけだ。それをわかっていたからこそ、どちらが優れているのか決めることだけは避けていた。暗黙の了解として、不可侵の掟があった。
だから今回は最初で最後の機会だった。
そもそもここは、大陸南部の山奥にひっそりと存在する隠れ里だ。王国内でも秘匿されている王家の闇を担う存在だった。表沙汰にはできない汚れた仕事を担う、いわば暗殺者たちの村。里の多くの者は捨て子や孤児で、そんな身寄りのない子供を引き取っては暗殺技術を教え込んでいる。それゆえ、一部の者からは忌諱を込めて【暗殺教団】と呼ばれていた。
そんな集団が、王家の使者からこうしておおっぴらに勅命を受けることすら異例中の異例。
その王家の遣いが言うには、【暗殺教団】の二大頭首であるステイルス家とアスニーク家――その両家のなかでもっとも強い者同士が決闘を行え、というものだった。
つまりはこの暗殺者の村で、もっとも優れた者を選び出すということだろう。
主旨がどうあれ、この隠れ里で最も強いのは間違いなく彼女だと、セイシンは確信している。
レナ=ステイルス。
勅命にもかかわらず目の前でつまらなさそうに土を蹴っている少女は、紛れもなく天才だった。
両家の掟では、五歳を超えてからセイシンとレナが関わることはご法度だったのだが、そうはいっても幼い頃から同じ村で育った幼馴染だ。ふたりは親に内緒でよく遊んでいた。川で、森で、山で、そして剣や知識で。
色々な遊びや喧嘩もしたが、セイシンは一度も勝負で勝ったことがなかった。それくらいレナは強く、そして仲の良い友達だった。
殺し合いなんてできるわけないと、断ろうと思った。しかし両家に拒否権はなく、セイシンがやらなければ妹のシズがさせられるだけだ。シズも暗殺技術を教え込まれて育ったが、暗殺者とは程遠い気弱で優しい少女のままだった。レナに敵うわけがない。
選択肢は初めからなかったのだ。
「それでは――はじめ!」
開始の合図と同時に、セイシンとレナの姿は掻き消える。
幼い頃から天才と遊んでいたセイシンもまた、非凡な才能を見せていた。卓越した暗殺者集団にあってなお、あまりに突出したふたつの才能。そう言われていたレナとセイシンの動きを捉えられる者など、他にはいなかった。
両家の運命は、セイシンとレナが握っている。
勝てば王家直属の暗殺団となる。それは家の繁栄を約束されたようなものだ。
しかし負ければどうなる?
相手の家へ従属するだけならいい。でも、長年いがみ合ってきた両家だ。それだけで済むはずがない。
それに王家にとっても、正式な暗殺団以外は邪魔になるだろう。
全員殺される可能性は高かった。
つまりセイシンが負けることは、家族――ひいては妹を守れないことを意味する。幼い頃から動植物を愛し、争いを嫌う優しい妹。こんな暗殺教団の家に生まれたせいで、無意味な死を迎えるというのか。
そんなの、許せなかった。
ならば妹のために、幼馴染を殺すしかない。
殺せるのか? 天賦の才を持つ幼馴染を。
あのレナを。
戦いはすでに始まってしまった。悩んでいる時間はない。
レナも、大事な弟を守るために本気を出すだろう。
間一髪、首の数ミリ横を通り抜ける刃に背筋が凍る。
わずかでも背後をとられたら、それは死だ。決して足を止めるわけにはいかない。常に気配を殺し、探り、音もたてず空気も揺らさず相手に忍び寄れ。
ギリギリの攻防が繰り返される。
生死の狭間でセイシンは極限まで追いつめられ。
そして――――
「――っ!」
目が覚めた直後、セイシンは飛び起きた。
その途端、腹部に激痛が走る。
顔をしかめて腹に手を当てると、服は脱がされ包帯が巻かれていた。記憶では道端で気絶したから、これをやったのは――
「起きたのね」
部屋に入ってきたのはネムだった。
どこかの知らない家の中だった。窓は閉め切られ、隙間からわずかに漏れる光がうっすらと室内を照らしている。
外は昼間か。随分と寝ていたようだ。
「……どうなった?」
「死にかけているあなたを空き家に運んで、なんとか傷は処置したわ。外では兵士たちがあたしとあなたを探しているわね」
「そうか……やっぱり手配されたか」
「ええ。当然ね」
閉め切った窓の隙間から外をうかがうネム。
仕方なかったとはいえ、予想以上に悪い展開になってしまっている。
犯人は見つからず、ネムがその策略に嵌められた。ここまで状況証拠が揃ってしまえば逆転は望みが薄い。力づくで突破しようにも相手にはリッカがいる。もはや正体を隠す必要がなくなったリッカは、これからは思う存分【神子】の力を使うだろう。
さすがのセイシンも、あの力に真正面から立ち向かえる勇気はない。
このままじゃ風前の灯だった。
なにか手立てを考えなければ。
「っとその前に。ネム、手当してくれてありがとよ」
「礼ならこの空き家に言って。棚に包帯と薬が残ってたのは幸運だったわね」
「俺の日頃の行いがいいおかげだな。さすが俺」
冗談を飛ばして虚勢を張る。
傷は痛むが、動けないほどではなさそうだ。
ひょいと立ち上がったセイシンに、ネムが忠告する。
「あまりうまく縫えなかったから、傷が破れるわよ」
「そんなヘマしねえよ」
しばらく横になっていたせいか血流が悪い。関節も痛むし、リッカの剣を受けた手首の調子も良くない。
体のあちこちを確認していると、
「……あなた、寝ているあいだ随分とうなされていたわね。いつもあんなふうに夢見が悪いの?」
ネムが部屋の隅に座り、退屈しのぎに聞いてくる。
たいしてこっちに興味を持ったわけでもなさそうだったが、なんとなく答えておく。
「まあ、たまにな。昔のことを思い出すだけだ」
「そう。シズというのは恋人の名前かしら」
寝言でも言ってしまってたのだろう。
セイシンは苦笑した。
「二つ年の離れた可愛い妹だよ。別の街で俺の帰りを待ってる」
「そう。あなたも妹がいたのね」
「ネムにもいるのか?」
「いたわ。戦争で殺されたけど」
「そう、か……それはすまなかった」
「べつにいいわ。ろくに話したこともなかったから、あまり感慨はなかったし」
気まずい沈黙が挟まる。
魔王の娘としてのネムは、どういう生活を送っていたのだろう。戦争の終盤、城にいた魔王の血縁は彼女だけだったはずだ。母親や妹はそれ以前に死んでしまっていたのだろうか。
気にはなったが、いま聞くことじゃないだろう。
「あなたのその強さは、妹を守るためにあるのかしら」
「ああ。この街に来たのも妹へ仕送りするためだしな」
「それは殊勝なことね。でも、決勝戦では手を抜いた理由はなんなのかしら? あなたはディルヘイムよりも明らかに強かったはず。それなのに、なぜ?」
疑いの目を向けてくるネム。
ああ、そうか。
ネムが犯人じゃないなら、彼女はセイシンのことも容疑者だと思っているのだ。いくら他の容疑者たちからネムを助けても、それが信用させる策略じゃないとは言い切れない。
これまでなかなか信用されなかった理由を、いまさらながらに思い当たった。彼女はセイシンを疑っているのだ。目の前にいるのは、甘い言葉をかける犯人なのかもしれない、と。
セイシンは慎重に答えた。
「あまり目立ちたくなかったからだよ。欲しかった額は準優勝の賞金で充分だったからな」
「なぜ目立ちたくなかったの? 傭兵をするなら、優勝という箔があったほうが便利なはずよ」
「それは……まあ、性格の問題だ。先頭とか一番って言うのは苦手でさ」
少し、苦しいか。
肩をすくめてみせたセイシンを、じっと睨みつけるネム。
信用してもらうには程遠そうだった。
「まあいいわ。そういうことにしておいてあげる」
「ありがとよ。おまえは可愛いだけじゃなくて優しいんだな」
「……軽い男は嫌いだわ」
本気で煩わしそうな顔をされた。
「偏見だよ。俺の愛は重いぜ」
「微塵も興味ないわ。冗談を言いたいだけなら口を閉じて」
「なんだよ、和ませようとしてるだけなのに」
「あなたはお友達ごっこをするためにあたしを助けたっていうの?」
ネムは静かに怒りをにじませた。
冗談を言われているのが嫌というよりも、こんな場面で平然としているセイシンに対して、理解できないというような感情が強そうだった。
これは失策だったか。
セイシンは小さく息を吐いて首を振った。
「んなわけないだろうが」
「なら、それらしく振舞って」
彼女は少し身を引く。
狭い室内で精一杯の距離を置き、それが縮まることはないと言い聞かせるようだった。
「あたしとあなたは敵なの。仲良くなんてできるわけがない」
「なんで敵なんだよ。俺はおまえが犯人だとは思ってない。そして俺は犯人じゃない。だったら味方だろ?」
「それはまだわからない。でも、もしそうだったとしても、あなたは人間であたしは魔族よ。相容れることはないわ」
「ふざけんな」
セイシンはつい声を荒げた。
「魔族と人間が敵だったのは、戦争をしていたからだろうが。もう戦争は終わったんだ。なら、俺たちが争う理由もないはずだ」
「何を偉そうに。あなたたちが勝ったからって、勝手にすべてを終わらせないで」
「終わっただろ。両国間で和平条約も締結したはずだ。魔族側にとっては、そりゃあ納得いく結果じゃなかったと思う。でも戦争は終わったんだ。じゃなきゃなんのために俺たちは戦ったんだよ」
「何も、終わってなんか、ないわ……!」
ネムは身を震わせていた。
俯いて、ぎゅっと服を握りしめて。
「何も終わらせてくれなかった。だから……だからあたしは――」
「……ネム?」
ひどく悲観した様子になってしまったネムは、セイシンが小さく声をかけるとハッとして顔を上げた。
「な、なんでもないわ。それより、あなた」
「ん?」
「戦争に参加した、って言ったわね」
「あ、ああ」
つい口を滑らせてしまった。
「どこで戦ったの? 勇者の剣を防げるような強さがあれば、大きな武勲を貰ってもおかしくないはずよ。それが地方の村で無名の傭兵なんて、おかしいわ。どこで、誰と、戦っていたの?」
ネムから感じたのはかすかな動揺と殺気だった。
その質問は、さすがに確信に迫っていた。
まさか正直に言えるわけもなく。
「国境沿いだ。参加したけど、すぐに負傷したんだよ。油断したんだ」
「あなたほどの腕でも、油断するものなのかしら」
「まだ若かったからな。三年前だぞ」
「いまは十八歳くらいかしら」
「そうだよ。だから戦争時は十五歳さ。ガキに毛が生えた程度だ。リッカほどの天才じゃなきゃ、戦争で活躍なんてできねえだろうよ」
まだ疑っているネムに念を押す。
「……それも、そうね」
「そう考えると俺も成長したもんだ」
「じゃああなたの背中の大きな傷も、戦争の時のものなの?」
セイシンの背後を指したネム。
そういえば服を脱がされて手当を受けていたんだったな。
傷を縫合するときに背中の古傷を見たんだろう。
都合がいい。セイシンはうなずいた。
「ああ。さすがに死にかけた」
「生きていてよかったわね。いま言うべき言葉かはわからないけど」
素直な反応を見せてくれたネムだった。
このまま気を許してくれたらいいのにな、と楽観的なことを考えつつ、セイシンは言うべきことを思い出して言った。
「そうだネム、ちょっと聞きたいことがあった」
「なによ」
「もしかしたらなんだけど、二日後くらいに誰かと約束があったりしないか?」
「……なぜそう思うのかしら」
明らかに警戒される。
どうやら当たりのようだった。
「なんとなく、だ。それでどうだ?」
「あなたには言えないわ」
「そうかい」
信頼されるにはまだまだだ。
しかし、これで確かめたいことの二つは確かめることができた。どちらもいままでまったく考慮していなかった可能性を示唆するものだ。
これが合っているとなると、ことは複雑になってきた。セイシンは黙考する。
リッカは人探しの手がかりを求めてこの街にやってきた。
王子とディルは、会議のためにこの街を訪れた。
ネムは誰かとの約束を待ってこの街に滞在する予定だった。
セイシン以外で純粋に武闘大会目的でこの街を訪れたのはフレイくらいか。もっとも、フレイも隠し事がないかと言われれば、まだ否定はできないけれど。
「つぎに確認すべきなのは――」
どう動こうか考え始めた時だった。
玄関の扉が、コンコンと叩かれた。
「……ネム」
小さく声をかけると、口を閉ざしてうなずいたネム。
ここは空き家だ。返事をするわけにはいかない。
外では兵士たちが慌ただしく動いている。そこら中で走り回る気配があるから、家に近づく者にもあまり気にしてなかった。
息を潜めていると、誰もいないと思ったのか遠ざかっていくその気配。
ネムが安堵する。
「行ったかしら」
「……いや、違う」
セイシンはいまの不自然さに気付いていた。
そもそも二人を探しているのがこの街の兵士だとすれば、ここが空き家だと知っていてもおかしくはない。たとえ知らなかったとしても、明るい昼間から窓も締め切っているので、少なくとも勘付くはずだ。そしたら近くの家の住人に聞けばすぐに空き家だと分かるだろう。
なら、扉を叩くのはおかしい。中に誰もいないと知っていてなぜ扉を叩く? あるいは空き家と知らずに誰かが潜んでいると考えるなら、気配を殺して近づいたほうが中を伺ったり、奇襲できたりするはずだ。
「つまり――囮か!」
セイシンは武器と服をとり、身に着ける。
その瞬間、裏口から物凄い音と衝撃がした。扉が蹴破られたのだろう。
「ネム、窓だ!」
裏口の強襲と同時に、表の玄関にも気配が殺到している。どちらからも誰かが家に侵入してくるのが明らかだった。なら、退路はひとつだけだ。
どちらからも死角になる横の窓に、近くの椅子を思い切りぶち当てた。
豪快に窓が割れ、眩しい太陽の光が部屋に差し込んできた。
「そこから逃げろ!」
「どこに!?」
問題はどこに逃げるか。
まだ昼間だ。見つかる可能性は高い。
なら、もし見つかっても逃げられる広さと複雑さを兼ね備えた場所はどこだ。こっちに地の利がないなら、この街の人間でも構造を把握していないのは。
「下水道だ!」
「あなたは!?」
「俺も足止めしてから、すぐに追う!」
「わかったわ!」
うなずいて勢いよく窓から飛び出したネム。
その背中を目で確認してから、振り返った。
そう、問題は追手の足止めなのだが。
「どうしてセイシンさんはそう邪魔をするのでしょうか。わたしにはまったく理解できないんですが」
「……だよなあ」
裏口をぶち破ってきたのは予想通りリッカだった。
隠す気のない殺気と威圧感に、冷や汗が背中を流れ落ちる。
リッカはネムが逃げた窓を見て、眉尻を下げた。
「ネムセフィアは逃げ足が速いですからね……今回も逃してしまうかもしれません。追ってるのは一般の兵士さんたちですし」
「そうしてくれると助かるよ」
「ですから、」
どう逃げようか模索しているセイシンを前に、リッカはまだ腰に携えた剣を鞘ごと――
「あなたは捕らえます」
手も振れずに【神子】の力で射出した。
不意打ちだった。
剣は、まず刃を意識する。それゆえ鞘から抜かれて始めて武器になる――という認識だった。鞘から抜かれていない剣を警戒する必要がどこにある。
その盲点を突かれ、セイシンは脇腹――傷口に鞘の一撃を受けてしまう。
「があぁああ!」
想像を絶する痛みに声が漏れ、思わず膝をついた。不器用に縫われた傷口が開き、包帯が血に染まっていく。
「卑怯だなんて思わないで下さいね」
「なん――ガフッ」
膝をついたセイシンの顎が、リッカの足で蹴り上げられる。
ひっくり返って壁に激突するセイシン。
脳が揺れ、まともに思考できない。
「もしかしてと、考えたんですよ。魔族の個体は必ずひとつは魔法を使えます。ネムセフィアの魔法は誰も知りません。もしかして、彼女は魅了の魔法でも持っているのかもしれません。ですから、セイシンさんは魅了されていて、そのせいでこれだけ彼女に尽くすのかもしれない、と」
「……なに、を……」
「もしそうだったとしたら、後で謝ります。ですからいまは大人しく寝てください」
震える足で立とうとしたセイシンのこめかみに、追い打ちをかけるように鞘が振り抜かれた。
最後に聞こえたのは、自分の頭蓋骨が殴打された音だけだった。




