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ウソカタルシス ~魔王暗殺の虚飾~  作者: 裏山おもて
2章 絶望の中の鬼謀<キボウ>
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逃亡

 

 気配を感じたのは、月が雲に隠れた真夜中だった。


 フレイのいびきが宵闇にぐうぐうと響いている以外、物音はしなかった。風もなく静寂が満ちていた。

 そんななか、ふと広場の外から誰かがこっちを見る視線を感じた。


 まどろみから覚めたセイシンは、寝ているフリをしたまま様子をうかがった。その気配の主は広場に入ってくることなく、建物の陰からじっとこちらを観察しているようだった。

 誰かが動くなら夜半だと思っていたが、読みは外れていなかったようだ。それが王子を殺そうとした犯人なのかは別として、せめて夜が明ける前にはカタをつけたいのだろう。

 その気配は機を待っているのか、まだ動く気配はない。リッカかディルか、あるいは別の人物だとしても気配を隠すのが上手だとは言えなかった。暗殺者にはなれそうにもない。


 セイシンがこちらから動くか悩んでいると、その気配が足音を忍ばせながら広場に入ってきた。万が一ネムを狙われても守れるよう、後ろ手で短剣を抜いていつでも跳びあがれるように下半身に意識を集中させる。

 剣の間合いまではまだかなり遠い位置で、その気配は足を止めた。

 遠距離といっても差し支えないだろう。夜の闇に紛れて、姿もまだはっきりと見えないはずだ。弓や投擲槍で狙っても当たらないだろう。

 だが。


「っ!」


 風を切る音。

 セイシンはとっさに飛びあがり、こっちに迫ってきたモノを叩き落した。

 それは――石だった。

 ただの変哲もない石だ。子どもでも握れるくらいの大きさの、そこらに落ちているただの石ころ。しかもどこを狙っていたのか、ネムにもセイシンにも大きく外れていた。


 セイシンが跳び起きたのに驚いたのか、その気配は動揺してその場で足をもつらせて転んだ。目を凝らして見てみると、まだ幼い少年だった。


「……君は、なにをしているんだ?」


「ひっ」


 ゆっくりと近づくと、少年は怯えて後ずさった。

 どう見てもただの子どもだ。犯人などとは程遠い。

 警戒を解いたセイシンは短剣を納めて、肩をすくめた。


「驚かせてごめんよ、まさか誰かが来るとは思ってなかったからさ。怪我はないか?」


「あ、あの……うん……」


「ならよかった。でも、どうしてこんな夜中に?」


 セイシンが優しく尋ねると、少年は立ち上がって泣きそうになりながら俯いた。


「ぼく……悪魔を、やっつけたくて……」


「悪魔?」


「うん。あそこにいる、悪魔……」


 少年が指さしたのは、広場の中央で吊られているネム。


「ぼくのパパね、戦争で死んじゃったんだ。そしたらきのう、広場にいたピンクのオバさんが、パパを殺したのは悪魔だから、悪魔はやっつけなきゃいけないって……」


 そういえば、この街の領長も魔族を悪魔の手先だと言っていたか。

 神々と悪魔の物語はどこでも広く語られてきた。人間と魔族の戦争が、神話時代からつづく聖戦と言っていた者も多くいる。

 子どももまた、そう信じて育つのだろう。


「おにいさんは、どうして悪魔をまもるの? 人間なのに」


「ん~、そうだな。どうして、か……」


 単純なようでいて、難しい質問だった。

 子どもを混乱させないように説明するのにどうすればいいか悩んでいると、


「悪魔はずる賢いからだ」


 広場の入口から声がした。

 そこにいたのはディルとリッカだった。ディルの後ろには、見覚えのない壮年の男性が立っていて、その手には小さな布の塊を抱えていた。


「悪魔はいつでも卑怯で、周到だ。人間を惑わせる手段も持っている」


 こっちに歩いていてくるディルたち。

 こんな夜中に戻ってくるとは、楽しく雑談しにきたわけでもなさそうだった。


「おにいさんは、悪魔にまどわされてるの?」


「そうだ。だから僕たちが救ってやらねば」


 そういって剣を抜いたディル。

 横にいるリッカも、すでに戦闘態勢に入っていた。

 慌てて制止しようとする。


「待て待て。どうしたんだよ」


「早急に、そこの悪魔に聞きたいことがあってね」


 ディルはセイシンの横を素通りして、ネムのすぐ近くで立ち止まった。


「起きているな、魔王の娘」


「何か用かしら」


「余計なことはしゃべらなくていい。こちらの質問だけに答えろ」


 そういってディルは振り返ると、後ろにいた男性から布で包んだ物を受け取った。


「さきほどこの街の宿へ聞き込みをしていた部下から連絡があった。貴様の名前で、街外れのボロ宿に一晩宿が借りられていたことを確認した。間違いないな?」


「宿? 知らないわ」


「ふん、しらばっくれるのもいまのうちだ。僕がその宿へ向かい、部屋の中を確認したところ些末な荷物の中からこういうものが見つかった」


 ディルが布をほどき、中にあったものを取り出す。

 小瓶だった。何か濁った液体が入っている小瓶だ。


「これに覚えはあるな?」


「だから、知らないわ」


「まだシラを切るか」


 ディルが苛立ってきたので、セイシンが横から会話に割り込む。


「それ、なんだ?」


「よくぞ聞いてくれた」


 ディルは勝ち誇ったような表情を浮かべた。


「検査したところ、非常に強い毒物反応があった。おそらく王子に使われたものだろう」


「……毒?」


「ああ。こんなものが荷物にあったのだ。もう言い訳などできないだろう魔王の娘」


「だから、あたしじゃない」


「まだしらばっくれるか!」


 いまにもとびかかりそうなディル。

 ネムの荷物からそんなものがでてきたら、そう結論づけるのは当然だった。

 さすがに声を裏返して首を振るネム。


「あたし、宿なんてとってない」


「ふざけるな! ネムという名前など他に誰がいると言うんだ!」


「知らないわ。あたしじゃない」


 必死に否定するネム。

 それまで静かに見守っていたリッカがかすかに鼻で笑った。


「どちらにせよここまでですよ、ネムセフィア」


 リッカは腰の剣に手を添える。

 模擬剣ではない、リッカ自身の剣だ。勇者として使ってきた切れ味も一級品のものだろう。

 いよいよ本気だ。


「覚悟しなさい」


「待て!」


「まだ庇うかセイシン。これ以上は君も共犯者と認識するが、止むを得まいな?」


 何度も口を挟むセイシンに苛立つディル。

 確かにこうしてネムの前に立つのは、たった一日でもう何度目になるだろうか。

 もはやネムが犯人だと断定されたと思っていいだろう。どう反論しても覆りそうになかった。

 なら、やることはひとつだ。


「わかった。なら、最後にひとつだけ確認したいことがある」


「なんだ」


「お前と王子がこの街に来た理由は、武闘大会だけか?」


「……?」


 ディルは首をかしげた。

 なぜ今このタイミングでそんな質問をするのか、理解できないだろう。

 だがセイシンにとっては大事なことだった。熟考を重ねた末の、可能性のひとつ。

 ディルは迷ったが、首を横に振った。


「いや、本来は別の予定があった。授与式の前に、別の部屋で領主官や士官たちとの会議があってね。君たちには政治に関わる話だから秘密にしていたんだ。正直、この街に来た本来の目的はそれでね。武闘大会と傭兵の勧誘はついでと言っていい」


「やっぱりそうか」


「質問には答えたぞ。そこをどいてもらおうか」


 確認したいことの一つ目は、確認できた。あといくつかこの場で確認したいこともあるが、もうそんな余裕はないだろう。

 セイシンは肩を押しのけようとしてくるディルの腕を払った。

 それは、明らかな拒絶だった。


「セイシン、君は……」


「悪いなディル。俺はこっち側につく」


 振り返ることなく、短剣を後ろに投げた。

 ネムを宙づりにする櫓の根元に固定されていた縄が切られ、ネムの体がするりと落ちてきた。

 これでもう、後戻りはできない。

 その瞬間、圧倒的な熱量がディルの後ろで膨れ上がったような錯覚。あるいは身が(すく)むほどの威圧。


 ――きた!


 勇者リッカが剣を抜いたのだ。

 彼女に言葉はなかった。恐ろしいほどの剣気が無言で放たれたその刹那、目に留まらぬほどの速さの剣閃が、ネムの首を寸分違わず両断する。

 セイシンが、短剣の鞘で防いでいなければ。


「ぐっ!」


 激しい金属音が鳴った。

 なんという膂力だ。腕がもっていかれそうだった。武闘大会の準決勝、そのときよりも遥かに早くて重い一撃。

 セイシンはそこで知った。リッカが言っていた「本気の私」とは、【剣の神子】の力のことではなかったのだ。本気で相手を殺そうとする、殺意を持った剣のことだった。

 相手を殺すつもりなどなかった武闘大会とは、比べ物にならないくらいの力と速度。それこそ勇者と讃えられた圧倒的な強者の剣だった。


 その一撃をセイシンが受けられたのは、まずネムを狙ってくると分かっていたからだ。そうじゃなければ腕ごと切り落とされていたかもしれない。

 自分がリッカを圧倒しただなんて、奢りに過ぎないことを知った。

 勇者の剣を辛くも弾いたセイシンは、そのまま地面に落ちていた石――さきほど少年が投げた小石を蹴り上げる。足元からの不意打ちも、当然のように剣の胴で弾かれる。


 しかし一瞬の隙は生まれた。

 セイシンは身を翻し、落ちてきたネムを受け止める。


「ちょっと! なにするの!」

「逃げるんだよ!」


 思ったより軽い体を抱えて動き出す。


「逃がさん!」


 ディルが横から剣を薙いでくる。だが、リッカに比べて明らかに遅い。片手の短剣の鞘で防いで、そのまま鞘をくるりと回して剣を絡める。

 体重を乗せた一撃を絡めとられたディルは、体勢を崩して前につんのめった。セイシンとリッカの間に体が入り、障害物になってしまう。二撃目のリッカ剣はディルに触れそうになって、とっさに引き戻された。

 その隙にセイシンは刺さっていた短剣を抜いて、ネムを担いだまま駆けだした。


 リッカさえ抑えられれば逃げられる。

 そう思っていたセイシンの前に立ち塞がったのは、いままで静観していたフレイだった。

 起きていたのは当然知っていた。味方をしてくれるなんて甘い考えはなかったが、少なくともフレイに悪い印象はなかった。

 だがここに来て邪魔をするとは。


「オメェは何がしてえんじゃ?」


「どいてくれ。俺はネムが犯人じゃないと思うんだよ」


「この状況でも、じゃか」


「ああ。だからこそ、だ」


 じっと目を合わせる。

 〝狂犬〟はその鋭い眼光でセイシンの目をじっと見つめると、


「……ようやく、獣になったじゃか」


 面白いものを見たかのように、笑んだ。

 剣を納める。


「その獣の目に免じて、一度だけ逃がしてやるじゃが」


「っ! 助かる!」


 礼を言い、フレイの横を通り抜けたセイシン。


「なにをしている〝狂犬〟! 逃がすな!」


「ワイは誰の指図も受けん。なんせ野生の獣じゃからのう」


 カッカッカ、と笑うフレイの声を聞きながら、広場から全力で遠ざかるセイシン。

 闇に紛れればセイシンの独壇場だ。ネムを抱えているとはいえ、逃げ切れる自信はあった。


 ――その慢心の隙をついたのはリッカだった。


「ぐっ!?」


 いつの間にか、リッカの剣がセイシンの脇腹に突き立っていた。

 そんなバカな、ととっさに振り返るが、リッカはまだ広場の同じところに立っている。剣を投げたのかと思ったがそうじゃなかった。


「《剣舞(けんぶ)一輪(いちりん)》」


 手を掲げたリッカ。セイシンの脇に刺さった剣が、操られるようにして動き出す。

 さらに深く食い込んで来ようとするのを、とっさに弾き飛ばした。


「剣を操る神技――【剣の神子(みこ)】の力か!?」


 血が飛び散る。痛みと熱が腹部に広がった。

 ネムが気づいて暴れる。


「ちょっと怪我! 降ろして!」


「黙ってろ! まずは逃げ切る!」


 ネムをなだめつつ、追撃してくる剣を短剣で防ぎながら走る。

 広場からはフレイを問い詰めるディルの声が聞こえた。その二人に構うことなく、リッカはその場から動かず剣を操りネムを逃がすまいと執拗に狙ってくる。

 手で押さえた傷から血が溢れてくる。


「くそっ! しつこい!」


 リッカ本人がくりだすのと変わらない猛撃を捌きつつ、セイシンは遠くへ逃げようと駆けた。空の月は傾きつつあり、街は夜に沈んでいる。

 闇の中にさえ紛れてしまえば。

 セイシンは痛みに耐えながら街の中を進んだ。

 決死の覚悟で走っていると、いつの間にかリッカの剣が追ってこなくなっていた。

 だが足は止めることなく、あてもなく逃げ続ける。

 どこをどう走ったのか覚えていない。広場から遠ざかることだけを考えて足を動かした。やがてどこかの袋小路に入り込んでしまったとき、そこでセイシンの意識はぷつりと途切れたのだった。



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