拘束、そして尋問
しばらくすると扉が開いて、ディルと街の領長が入ってきた。
事情の説明を受けたのか、領長はあからさまにネムを怖れていた。近くには寄らずに距離を保ったまま「こちらにご用意を」と言って先を進みだした。
「ひとまず、後ろ手を縛らせてもらう」
「わかったわ」
ディルはネムの腕を後ろに回し、縄で縛りつける。
「では移動だ。領長について行きたまえ」
「ええ」
ネムは大人しく従って歩く。その後ろに剣を抜いたディルが、さらに後ろにはセイシンとリッカが並んでおり、最後尾にフレイがついて廊下を進んだ。
闘技場から出ると、とっくに陽は沈んでいた。空の頂上には、宵闇を照らす月が煌々と輝いている。
ところどころにある街灯が揺らめく中、一行は街の中心に向かって歩いた。風が街を走り抜け、どこかの酒場の喧騒を運んでくる。
領長が足を止めたのは街の中央にある広場だった。大きな噴水が背後に造られているその場所にあったのは、滑車が上についている木の櫓だった。
櫓といっても人が登るための構造ではなさそうだった。最上部についた滑車から垂れ下がる縄と、その縄が括りつけられた櫓の根元を見たら誰でもわかる。人を吊り下げるための装置だった。
「さて、準備しよう」
「え?」
ディルがネムの縄を、その櫓の縄に結び付ける。
自分が何をされているのか一瞬理解できなかったのか、ネムは呆けた声を出してから目を見開いた。
「ちょっと待て!」
セイシンも動揺して、声を出すのが遅くなってしまった。
「なんだい。話しかけるのは後にしてくれないか」
「違う! 牢屋かどこかに閉じ込めておくんじゃなかったのか?」
「拘束するとは約束したが、そこまでは確定してなかったはずだ。あいにくこの街の牢は塞がっているようでね。まあ、どちらにしろ拘束することには変わらないだろう」
「何が同じだ……っ!」
拘束どころじゃない。見せしめだ。すでに野次馬数人が足を止めてこっちを見ている。朝になればもっと人は増えるだろう。
疑いをかけられている段階の扱いではない。
「反対するのか、セイシン」
「当たり前だろうが。こんなもん許せるわけがない!」
「では意見が割れたな。多数決を取ろう」
ディルは淡々と、容疑者たちを振り返る。
「魔王の娘に対するこの処置が、間違っていると思う者は?」
「くっ……」
卑怯な方法だった。
ネムは拘束されているため挙手できるはずもなく、手を挙げたのはセイシンひとりだけだった。
「では賛成してもよいと思う者は?」
ディル、リッカ、フレイが手を挙げる。
わかりきっていたが、多数決にされると圧倒的に不利だった。
満足そうにうなずいたディルはそのまま縄を引いて滑車を回した。
ゆっくりと上がっていくネム。
「ま、待てよ。吊ったとして、これからいつまでそのままなんだ? 腕と胴だけで体重を支えるんだぞ? 鬱血するだろうし、少なからず痛みもある。人道的だとは思えない」
「無論、犯人が見つかるまでだ。それが一時間後か、三日後かはわからないが」
「眠るときはどうすんだよ。用を足したいときはどうすんだ」
「好きに眠ればいいし、糞尿なら垂れ流せばいい」
「っ、ざけんな! ネムは女だぞ!?」
「女? ああ、そうかもしれないな。だがその前に魔族だ。魔族に恥などないだろう」
「てめえ!」
ディルのあまりに冷酷な物言いに、セイシンの怒りが爆発しそうになった。
一瞬、腰の短剣に手が伸びそうになる。
「黙って」
と、セイシンの暴挙をあと一歩のところで止めたのはネム自身だった。
「あたしは大丈夫だから。あなたは黙っていて」
「大丈夫って、おまえ……」
「うるさい。心配しろだなんてそもそも頼んでないわ。だから、黙ってて」
と言いながら、ネムはセイシンの後ろに視線を移した。
そこではリッカが鞘から剣を抜きかけていた。彼女の間合いには、セイシンの背中がある。
もしセイシンが少しでも短剣に触れていれば、リッカは迷わず斬っただろう。
ネムに助けられたことを理解して、セイシンは毒づいた。
「……くそっ!」
やり場のない感情は、地面を蹴って逃すことしかできなかった。
もう反論が来ないことを知ったディルが、そのままネムの体を吊り上げていく。やがて頭より高い位置にネムの体が浮かぶと、縄を櫓の根元に固定した。
「これでよいだろう。逃げることはできないはずだ」
「万が一逃げたらわたしが即座に斬ります」
「それは安心だ」
「そんで、ワイらは情報収集じゃか? どうするディルヘイムさんよう。まずはどこから手を付けていく」
フレイが難しい顔で問いかけると、ディルはわざとらしく手を打った。
「情報収集か。そういえば、まだ質問に答えてもらっていなかったな。領長、アレはありますか?」
「は、はい」
領長が恐る恐る差し出したのは、一本の鞭だった。
ディルは鞭を手に取って感触を確かめるように地面に叩きつける。空気が破裂するような音が鳴り、砂塵が舞った。
石の地面にすら跡がついている。体を打たれたら血が出る程度じゃ済まないだろう。
さすがにネムも息を呑んで顔を青くした。
「では情報収集といこうか。魔王の娘、今度は答えてもらうよ」
「やりすぎだディル」
セイシンはディルとネムの間に立った。
今度は静かに怒りを燃やしながら。
「また邪魔をするつもりか」
「当たり前だ。それは尋問じゃねえ、拷問だろうが」
「そうかもしれない。だがなんの問題がある? 相手は魔王の娘だ」
「誰であろうと関係あるか。痛めつけて何になる」
「体に聞かないと答えてくれなさそうだからね」
睨み合う二人。
「もっとも僕たちは同じ立場だ。意見が割れたらどうするか、他の二人に聞いてみようじゃないか」
「それは――」
「では鞭打ちに反対する者は?」
ディルが勝手に話を進める。
歯を噛みしめながら手を挙げたセイシン。また同じ展開――と思いきや、一番遠いところでつまらなさそうに手を挙げる人物が一人。
「ワイは反対じゃ」
フレイだった。
ディルが怪訝な顔をする。
「ワイらの目的は魔族を痛めつけることじゃのうて犯人探しじゃが。そこを間違ったらいかん」
「しかし、これが口を割らせる一番の近道だ」
「極端な近道か、極端な遠回りかのどっちかじゃ。拷問で自白させたことが全て真実だとすりゃあ、そもそも百年間も戦争は続いとらんかったはずじゃが?」
「それは、そうだが」
「意見が割れて多数決も通らん。なら、オメェの案は却下と同じじゃ。とっとと鞭を引っ込めるじゃが」
「……そうだな。多数決なら、仕方ない」
不満そうにしながらも、鞭を領長に返したディルだった。
セイシンは安堵の息をつく。
しかしさっきからフレイの立ち位置がよくわからない。吊ることは容認しながら、鞭打ちは拒否する。魔族に対して個人的な恨みなどはないようだったが、味方をしてくれると期待してもいいのだろうか。
「情報収集をまずココから始めるっちゅうなら、ワイから聞かせてもらうじゃが。のう魔族の娘っ子」
「なにかしら」
「オメェが武闘大会に出場した理由を聞かせるじゃが」
「生活費よ。お金がなければ、生きていけないもの」
「ほおう。魔族も人間の金を使うじゃか?」
フレイが目を光らせて言う。
的確で、鋭い質問だった
ネムは言葉に詰まった。魔族そのものは人間の金を必要としないはずだった。大陸の北で暮らしているなら、魔族には魔族の文明がある。
その質問にうなずくしかないネム。つまり、人間の街に紛れて暮らしていたことを認めることになる。そうなると次の質問は決まっている。
「オメェ、なんで人間のフリして暮らしていたじゃか?」
「それは……言えないわ」
ネムは答えるつもりはない。それも最初からわかっていた。
だがここにきて答えを拒否するということは、さらに疑いを深めるということだ。ともすれば、犯人にされて殺されるだろう。殺されてまでも黙秘する理由があるのだろうか。
ネムの考えがまったく読めない。
「オメェ、もうちっと獣になりゃあ楽に生きれるんじゃねえが」
「余計なお世話よ」
「次は僕の質問の番でいいかな、諸君ら」
ディルが名乗りを上げる。
剣先をネムに向けて睨みつけた。
「魔王の娘、ここに貴様以外の魔族が潜んでいるのか? 正直に答えろ」
「いないわ」
ネムはあっさりと首を振った。
「人間の姿に似ている魔族は少ないの。潜むことすら難しいわ」
「誰か、正しい情報かわかるか?」
ディルが他の三人に問いかける。
うなずいたのはリッカだった。
「はい。たしかに魔族はほとんどが異形の種族です。人間に紛れて暮らすなんてそもそも想像していませんでした」
「そうか。なら、貴様を助ける仲間はいないということだ」
安心したのか、それとも別の理由があるのか。
ディルは口元を押さえて密かに笑っていた。
「じゃあ俺からも聞いていいか」
「嫌よ」
と、セイシンが聞こうとするとあからさまに嫌悪の表情を浮かべたネム。
思わぬ反応に、つい頬が引き攣った。
「な、なんでだよ。理由を聞いていいか?」
「なんとなくだけど、あなたは腹が立つから」
即答された。意味がわからない。
どちらかといえば、セイシンはネムの味方をしていた。信頼されるまではいかなくとも、邪険にされる道理はないはずだった。
笑いを堪えられずに噴き出したのはディルとフレイ。
「くくく、傑作だな」
「カッカッカ! オメェもなかなか助け甲斐のねぇ相手じゃが!」
笑うんじゃねえ。
話を聞いてもらえる耳も持たれず納得いかないセイシン。
その様子を無視して、今度はリッカが口を開いた。
「ネムセフィア、答えなくても答えてもどちらでも構いませんが、わたしの意見を聞いてください」
「なにかしら」
「わたし考えたんですよ。もしわたしがあなたの立場だったとして、復讐を考えて犯行に及んだとすれば、と」
「そう。それがどうかしたの」
「するとどうしてもわからないことが出てきました。王子が毒を盛られて倒れた時、わたしたちは大広間にいました。フレイさんが暴れ出したところです」
「ええ、そうね」
何が言いたいんだ、といわんばかりのネム。
リッカは縄で吊られたネムを見上げて、首をかしげる。
「もしわたしがあなたなら、その混乱に乗じて逃げていたはずです」
「何度も言ってるでしょう。あたしはやってない」
「いえ、そうじゃなくて」
リッカは大袈裟に首を振った。
「もし復讐を終えたにしろ終えなかったにしろ、あなたが本当に生活費が欲しいという理由だけで参加していたのだとしたら、授与式を終えた段階ですでに目的は達していたはずです。危険性も考えて、魔族のあなたがあそこに留まる理由がまったく思いつかないのです」
たしかに、そうだ。
セイシンも同じ目的だった。あの時点で立ち去るかどうか悩んで、結局ネムの行動に感化されて残ってしまったのだ。
ネムも同じ目的だったのならまず立ち去っていたはずだ。フレイに売られた喧嘩を買うような性格でも、そこで戦う危険性も知らないはずもないのに。
「別の目的がありましたね? いずれにしてもこの場所から立ち去らなかった理由が」
確信的な質問だった。
それが王子を確実に殺すためなのかどうかは、ネムの反応からは推測できない。表情を変えずに口を閉じたネムは答える気はなさそうだった。
でも間違いない。ネムの目的は生活費だけではなさそうだった。
「ではもうひとつだけ。あなたはもうひとつ、明らかに不自然な行動をとりました。ディルさんとセイシンさんが、王子の容態を見に行って戻ってきたあとのことです。全員が授与式での行動を話した際、明らかに怪しまれるように答えていました」
「……ええ。そうかもしれないわね」
「言えないことであれば、それも仕方ないでしょう。ただわたしが疑問なのは、その後です」
「そのあと?」
「問い詰められたとき、とっさに逃げようとしましたね。あれが決定的な行動になりました」
そうだ。
それがそもそも、ネムに疑いがかかる決定的な行動になってしまった。あそこで逃げずに大人しくしていれば、ここまで不利な状況にならなかったかもしれない。
「逃げられないとわかってて、なぜ逃げようとしたのですか?」
「……。」
ネムは口を開きかけて、思い直したのか黙秘を選んだ。
あの逃亡は悪手だった。魔王の娘だとバレたのは、結果的にディルが無理やりネムのフードを斬り飛ばしたからだ。それがなければ、うまく顔を見られずにやり過ごせたかもしれない。
「……ん?」
まて。
セイシンは自分の思考に違和感を抱いた。
もう一度考える。
すると今度はすぐに思い当たった。その違和感がなんなのか。
リッカはそのことに気付かずに、ネムを追いつめていく。
「あなたは知っていたんじゃないですか? 王子が毒を盛られたことも、それから起こる展開も。だからわざと怪しい選択肢をとった。なぜそんなことをするのかは、いま考えればわかります。あなたは自分ばかり怪しまれることで、セイシンさんのような味方をつくろうとしたからでしょう? 同情を引いて、助けてもらいたかったのでしょう?」
「ちがう」
「でも事実、そうじゃないですか。あなたは自分の顔が美しいとわかっている。もし、あなたが魔王の娘だとバレなかったら、きっとディルさんだってあなたの味方をしていました。不幸な美少女に男は弱い、男は単純だって、思ってたからでしょう」
「ちがう……」
「でも誤算がありました。あなたの顔を見て、あなたが魔族だということを知っている人間がいたことです。そうじゃなければ、きっとあなたは計画通り味方をつくって他の人に罪をなすりつけられますからね! 魔族のやりそうなことです!」
「ちがう!」
「違わないでしょう! 違うなら、理由を言ってくださいよ! なぜそれまで逃げ出さなかったのに、顔を見られそうになったら今度は無理だとわかってて逃げようとしたのか! 本当は逃げるつもりなんてなかったんでしょう? 違うならその理由を言いなさい……言え、ネムセフィア!」
「っ! あなたが……あなたが、いたからよ!」
苦渋の決断とともに、ネムが口を割った。
激しい詰問に我慢できなくなった彼女は、声を荒げて言い返す。
「自分だけがバレてないとでも思ったの!? あたしと違って背が伸びて大人になったからって、自分だけが正体を隠せてると思ってた!? あたしはあなたをひと目見てから、ずっと逃げたかった。逃げ出したかった。今度は助けてくれる人もいない。あたしはあなたが怖かった……あなたが怖くて、顔を見られることだけは避けなきゃって思ってたから!」
そう、違和感はそれだった。
ネムは顔を見られることを明らかに嫌がっていた。魔王の娘だと知られたらマズイことを知っていたのだ。だから顔を見られそうになって初めて、逃亡を選んだ。
リッカが言うように始めから逃げる気などなかったとすれば、周囲の同情を引きたかったとすれば、たしかに逃げられない状況で逃げる愚行を犯すかもしれない。しかしその理論なら、顔を隠す必要は始めからないのだ。
ここで疑問がひとつ浮かぶ。
そもそも、なぜ顔を見られることを嫌がっていたのか。
そう考えたとき、そのネムの杞憂にはひとつ前提があることに気付いた。
本来、魔王の娘の顔を見たことがある人間なんてほとんどいないはずだ。知っていなければ、彼女が魔族だとは見ただけじゃわからない。街で顔を晒していても問題はないはずだった。
しかし、もし魔王の娘を見たことがある相手が目の前にいることを、彼女が知っていたとすれば。気付いていたとすれば。
それはつまり、ネムのことを知っている相手がこの場にいると、ネム自身が気づいていたということだ。
だからこそ彼女は叫んだ。
悲鳴にも似た声で、その真実を。
「理由は、あなたよ! 勇者リッカ!」




