俺より先に行くな!
趣味全開渚桜ワールド第一作。
楽しんで頂ければ幸いです。
「はい、まーた私の勝ちーっ♪」
「……クソが」
俺、石田和正と、幼馴染みの三島紫織。
母親同士が大親友で、お互いに家庭を持った後でも頻繁に会っていたこともあり、俺と紫織は赤ん坊の頃から顔を合わせていた。
いや、正確には産まれたその日からと言った方が良いか。
俺たちは同じ日に、同じ病院で産まれてきた為、当時の事など覚えちゃいないが、もしかしたら父親の顔を見る前に彼女の姿を見ていた可能性すらある。
因みに紫織は俺よりも30分早く産まれたらしく、事あるごとにお姉さん面してくるのだ。
家も近所なので、保育園も、幼稚園も、小中学校も一緒。
そしてどういう訳か、高校も同じときた腐れ縁である。
俺はそんな彼女の事が…………嫌いだ。
紫織はいつも俺の一歩先を行く。
俺が初めてハイハイをした翌日には既に自力で立とうとしていたらしいし。
俺が新しいゲームを買えば、いつの間にか俺よりも強くなってるし。
俺がサッカー部に入れば、あっという間にエースストライカーとして活躍しやがる。
何か行動を起こすのはいつも俺が最初。
だが、紫織は俺の後からスタートするのにも関わらず、尽く俺を追い抜いて行く。
忌々しい。
今回だってそうだ。
最近数学の授業で習った図形関連の小テスト。
何故かは分からないが、俺は図形の角度や面積などを導くための過程や計算式に魅力を感じ、普段は勉強なんてしないがこの科目だけは一生懸命勉強していた。
その姿を見た紫織が『次の小テストで勝負しよう』なんて言い出すもんだから軽く捻ってやるつもりで承諾した。
が、結果は負け。
総合的な学力で言えば彼女の方が上なのだが、こと数学に関してだけは負けた事などなかったのに。
「あー辛いわー、和正の十八番を奪っちゃってマジ辛いわー」
唇を噛み締めて俯く俺を他所に、悪魔は呆気からんと嗤う。
「それじゃ放課後、クレープ奢りね!」
紫織は自身の小テストの点数を見せびらかしながら、いつも一緒にいる女子グループの中へと入っていった。
腹が立つ。
ブチ切れそうになる。
自分自身に。
でも。
そんな心の片隅では、ほんの少しの喜びがあった。
今日も紫織と過ごせる。
彼女の笑顔が間近で見られるのだ。
俺は溜息を一つ吐いて、スマホで人気のクレープ屋さんを検索し………駅前の商店街から少し外れた場所にある穴場のクレープ屋さんに彼女を連れて行くことを決めた。
そう。
元々、俺は紫織に恋心を抱いていた。
ちょっと癖っ毛のあるショートヘア。
周りよりも控えめな胸。
クリっとした大きな目に長い睫毛。
何よりも、八重歯を見せる彼女の笑顔が好きだった。
しかし、思春期に突入した辺りから、俺は紫織に先を越される事に苛立ちを覚えるようになった。
その怒りにも似た苛立ちは日に日に積もっていくばかり。
今では好きだと言う気持ちよりも、悔しさや意地の方が優っている始末。
悶々とした気持ちを消しゴムにシャーペンを突き刺す事で気を紛らわせていた時。
ふと、紫織がトテトテとこちらに寄ってきて俺の耳元で囁いた。
「今日のクレープ、商店街の裏にあるクレープ屋さんにしてね♪」
「………………」
紫織は言いたいことだけ言って、さっさと元いた輪の中に戻って行く。
忌々しい。
だから紫織は嫌いなんだ。
俺は、今日もまた先を越されるのだった…………。
今のままではいけない。
一矢報いたい。
放課後、クレープ屋さんで散々奢らされた後。
俺は自室の机に向かって手紙を書いていた。
「ねぇ、何書いてんのー?」
「ラブレターだ」
当たり前のように俺の部屋に入り浸る紫織の事は相槌を打つ以外は一切相手をせず、一心不乱に手紙に言葉を綴る。
コイツが俺の部屋に上がり込むのはほぼ毎日の事なので今更気にならない。
いや、正直毎日ちょっとドキドキだが、今は紫織に一泡吹かせる事に集中する。
俺が今書いているラブレターは、もちろん紫織宛て。
作戦はこうだ。
まず、俺がラブレターを出すなんてことを知った紫織は興味を示すだろう。
会話を数合交わした後、俺は勝負を持ちかける。
相手がラブレターを受け取ってくれるか、否か。
当然、俺は受け取る方に賭ける。
多分、紫織は俺が何も言わずとも否に賭けるだろう。
なんせ散々俺を負かして下に見ているコイツなら、間違いなく俺が悔しがる顔を見たいと思っているに違いない。
一瞬、俺が否の方に賭ければ紫織は受け取ってくれる方に賭けるのではないかとも思ったが………ラブレターを渡す本人が拒否される方に賭けてどーすんの?と、思い止まった次第。
俺が勝てば紫織と恋人になれる!
が、もし負けてしまえば……恐らく、俺たちの関係は終わる。
背水の陣。
ハッピーな未来を歩むか。
ハッピーだった時間が終わるか。
「ふーん、ラブレターねぇ。今時珍しいじゃん」
「メールやスマホのチャットだとなんか軽い感じすると思ったからな」
「相手だれよ?私が知ってる人?」
「ワクワクした目で見るな!誰が教えるかよ」
「協力してあげるって言ってるじゃん」
「言ってねぇだろ。ぶち壊すの間違いじゃないのか?」
「………あっそ!あーぁ、協力してあげようと思ったのにさー。紫織さんの手を借りないんじゃ、こりゃ失敗するね」
来た!
「なら勝負するか?俺は当然受け取って貰える方に賭けるね」
最高のタイミング。
気は逃さず、勝負を仕掛けた。
「受け取るはずないじゃーん?和正モテないし」
狙い通り、紫織は受け取らない方に賭けてきたが………ラブレターを渡す前に拒否されるのは思った以上にダメージがあるわ。
身を持って知った痛みに耐えながら話を続ける。
「で、何を賭けるの?」
「……は?」
「だから、今回の勝負は何を賭けるのって聞いてるの」
しまった、考えてない!
「お、俺の全てを賭けてやんよぉ!」
勢いまかせに答えてしまう。
訂正しようと思ったが……過ぎたるは及ばざるが如し。
「やったゼ!和正くん、生涯私の奴隷決定!」
「ぐっ……お、お前も同じ条件ならって言おうとしたんだよ!」
「いいわよ?」
えっ?
自分でも苦し紛れの付け足しだと思ったんだけど……。
「いいの?」
「えぇ、私負けないし!」
あっさりと条件を呑んだ紫織に一抹の不安を感じるが……多分、これ以上何かを言うのは墓穴を掘る行為に等しい。
「……よし、じゃあ明日の放課後にこの手紙を渡す」
「直接!?あらやだダイターン!」
「誠意を見せないとな」
「まっ、精々私の前で恥ずかしい姿を晒しなさいな」
話は終わりだ、と言いたげにヒラヒラと手を振った紫織は部屋を出て行こうとして……。
「あっ、この漫画の新刊出たんだ!」
ドアの近くにあった本棚から漫画を取り出して元の位置に戻り寛ぎ始める。
「帰れ!!」
俺は紫織を漫画ごと部屋の外に放り出した。
翌日。
今日ほど朝起きてから帰りのHRが終わるまでの時間を長く感じた日はないだろう。
朝は余裕綽綽だったが、放課後が近づくに連れて不安が押し寄せてくる。
失敗したらどうしよう。
もう一緒に過ごせなくなるかも。
もしかしたら、好きな奴がいるのか…。
不安は更に不安を呼び寄せて、黒い渦を巻く様に心を覆い締め付ける。
一方で紫織はと言えばいつもとなんら変わらぬ様子。
それどころか普段以上に女子トークに花を咲かせているほどである。
少しくらい気にしてくれてもいいじゃないか。
なんて事は口が裂けても言えず、帰りのHRになる頃には、既に俺の精神はボロボロだった。
「きりーつ。れー。あざしたーっ」
日直のやる気のない号令と共に、クラスの雰囲気は一気に緩む傍で、俺は腹を抑えていた。
まずい、緊張して腹が痛くなってきた………。
「さぁ和正、勝負のお時間よ?」
どこぞのマリーを思わせるお嬢様ポーズで話しかけてくる紫織。
その顔は既に俺の事を嘲笑っているかのようだ。
「まさか……、ここに来て逃げ出すのではなくって?」
「それこそ『まさか』だろ?ちょっと待ってらぁ、出すもん出したら決行じゃい」
「あら、『うん』を流してしまったらそれこそ頼れるものがなくなってお終いなのでは?」
「おい女の子!今のは女子としてアウトだろ!!」
全く、俺が言うのもアレだがなんでこんなのを好きになったのか……。
「…… ほら、さっさと行ってきなさいよ。真面目な話、案外スッキリするかもよ」
「言われなくても行くわ!」
思いの外時間を取られたが、なんとか男子トイレの個室に腰を下ろした俺は力を抜いた。
いつもより静かに感じる放課後の校舎。
遠くからは野球部が一生懸命声を張り上げながらボールを呼び込んでいる。
そう言えば、誰かが三年生の引退試合が近いって言ってたっけ。
そりゃ必死にもなるか。
だって、最後なんだから………。
「あぁ、そうか」
三年生が部活動に区切りを付けるように。
俺もまた、紫織との関係に区切りを付けたかったのかも知れないなぁ。
一つの区切り、ケジメを付けたかったのかも。
だからこんな勝負を持ちかけてしまったのかも知れない。
それとも………。
我がことながら、分からないことだらけだ。
でも、一つ分かった事がある。
仮に……もし仮に、紫織がラブレターを受け取ってくれなかったとしても。
この気持ちを伝えた事を、決して後悔しないだろう。
「おっ、今からラブレター渡す男子がトイレの臭いを付けて帰って来た!」
「……………」
ヤバイ、こんなのにフラれたら後悔しちゃいそう。
早まったかと早速後悔してしまったが、賽は投げられてしまっている。
「……行くぞ」
「ヒューっ、和成の良いとこ見てみたいーっ♪」
半ば乱暴に鞄を引っ掴み、俺は勝負のステージへと足を向けた…………。
放課後の屋上がこんなにも綺麗だった事を初めて知った。
あいも変わらず聞こえてくる野球部の声は、トイレにいた時とは違い、風に靡く柳の葉音のように心地よく。
オレンジに染まった夕焼けは、空どころか屋上全てを染め上げるほど力強い。
「うわぁ、絶好の告白スポットじゃーん!」
俺が惚けていると、紫織はタタタッと自らオレンジに染まりに走る。
俺も続いて、その身を夕陽に当てながら彼女の隣に立った。
「……ほら和正、見てみて?」
不意に、紫織が俺の後ろを指さす。
そこにあったのは屋上への出入り口横の白い壁。
そして、寄り添った二つの影だった。
「ここでね……『好きです、付き合ってください!』なんて言われたら、大概の女子は落ちるよー!」
ひゃーっと頬に両手を添える紫織。
「お前…… 受け取らない方に賭けたんじゃねぇのかよ」
「ま、そうなんだけどねー……和正とは、長い付き合いだし……こんな日が来るって事、わかってたからさ」
と、紫織は白い壁に映る影の距離を詰め……
「………頑張ってね、男の子!」
強く、強く、俺の両肩を叩いた。
これで気合いが入らないなら、男の子じゃねぇよな…!
鞄から例の手紙を取り出す。
出来る限り綺麗な字で書いたつもりだ。
便箋はシンプルに真っ白な物を選び、紫織が好きな『桜』の花弁のシールで閉じた。
文字数も多くないし、ありきたりな言葉しか綴っていない拙い文章。
コレを世に名を轟かせた文豪に見せれば笑われすらしないだろう。
だから……せめて渡す時だけは
ありったけの思いを込めて。
「……す、好きです!ちゅきあってくだしゃい!」
全力で噛んだ。
「………私?」
「そっ、そうだお前だ!」
だがそんな事は知ったことか!
「お前が好きだ!いや、昔から好きだった!」
「えっ、ちょ……」
「最近はお前の事、ちょっとムカついてたけど、それは多分俺の嫉妬だ!お前に少しでもいいとこ見せようと思って……」
「いや、ちょま…」
あれ、こんな事言うつもりなかったのに……言葉が溢れてきて止まらない。
「お前が笑った顔も、仕草も、声も全部好きなんだっ!因みに俺は貧乳派でもある!」
「おい」
「そりゃまぁたまには『コイツ頭湧いてんじゃね?』って思う時もあるが……!」
「おい」
「それを含めてお前に惚れた!だから付き合って欲しいっっ!!」
「………っ」
しん、と静まり返る放課後の屋上。
あれだけ朱く染まっていた夕焼けは、いつの間にか水の色がじわりじわりと滲み始めていた。
言った
言ってやったぜ
遠くで微かに輝く一番星が、良くやったと褒めてくれているようだ。
冷たい風が吹く。
影が伸びる。
沈黙が続く。
「……………ごめん。その手紙は……受け取れない」
永遠にも感じた時間が過ぎた後。
紫織の口から出た答えはNOだった。
「……………そっか」
あっヤベ泣きそう。
じわりと眼球に水が満ちる感覚。
それと同時に思い出したのは、クラスメイトの山本が部活の先輩に告白してフラれて、俺を含む仲間達に涙を隠す事なくわんわん泣いていた姿。
あの時、俺は『フラれたらくらいでくよくよすんな、しっかりせい!』と言った記憶がある。
すまん山本、無理だわ。
こりゃ泣くわ。
次誰かがフラれたら一緒に泣いてやろう。
そして俺と……俺たちと同じ苦しみを味わうが良い。
「………悪かったな、こんな茶番に付き合わせて」
「……ううん………でも、せっかくだからさ、ラブレターになんで書いてあるのか知りたい…かな?」
「……は?いやお前、受け取らなかったじゃん」
「いーからいーから……こんなしんみりした終わり方嫌だから……だから、いつもの私でいさせて…っ」
困ったような。
戯けたような……寂しい笑顔。
……あぁ、そうか。
紫織は……いや、詩織も恐れていたんだ。
俺たちの関係が壊れてしまう事を。
だからせめて、いつもの三島詩織を演じようと……。
なら、俺も………石田和正でいなきゃな。
「………いよっしゃわかった!こうなりゃ大声で呼んでやるぜ!よく聞いとけよ!」
「ヒューっ、やりますねぇ!」
綺麗に封をされたラブレターを思いっきり破って中身を出す。
涙で瞳が滲んでいるからか、手紙の文字は俺が書いた文字とは全く違って見えた。
それでも………俺はその第一文目を声高らかに読んだ。
「 O K 牧 場 ! 」
!?!?!?!?
和正は こんらん した ! ▼
な、なんだコレは!?
こんなふざけた文章書いた記憶が…………
涙を拭いて文字をよく見てみる。
俺の字じゃないのに馴染みのある筆跡。
既視感。
察し。
顔を上げで紫織を見る。
笑顔だ。
違うのは先程までの悲壮感漂う無理やり作った笑顔ではなく………本気で吹き出してしまうのを我慢しているいつもの忌々しい笑顔だ。
「うっ……くっ…つ、続きをど、どうぞ……ふっ!」
最早抑え切れていない。
だが、俺が読まない限りこの状況は動きそうにないので、渋々続きを読むことにした。
「え、えーっと……『私の方がずっと和成が好きだったんですぅ〜☆ 和正に勝てば嫌でも私を意識しちゃうでしょ?大変だったよー、ゲームとかサッカーとかあんま興味なかったけど和正に少しでも見てもらいたかったから頑張っちゃったw まぁ最近はちょっと度が過ぎてたね、めんちゃい☆ これで晴れて私たちは恋人同士だけど、和正は一生私のDO☆RE☆Iぃぃ!』ってちょっと待て!」
「なにか?」
「なにかじゃねぇよ!コレがホントなら、勝ったの俺じゃん!!」
「和正………今回の勝負の内容覚えてる?」
「ったりめーだろ!手紙渡してYESかNOか……」
「違う!手紙を受け取るか、受け取らないかよ!私はその手紙を受け取った覚えは……ないっ!」
「……………っ、し、し、しっ……」
しまったぁぁぁぁぁぁぁっ!
ほげぇぇぇっ!!
「ふふっ……賭けに勝利し、彼氏も手に入れ、次いでに奴隷も我が物とは……大勝利っ!」
「まてまてまてまて!じゃあ俺が書いた手紙はどこ行ったんだよ!ってか俺が書いたラブレターを受け取るか否かの勝負だろうが!?」
「待ったないよー!私、和正が書いた手紙なんて知らないしー? ………あー嬉しいなぁ……ははっ、う、嬉し過ぎて……歓喜の涙が……ぐずっ」
「ど、どうした名女優……俺はもう騙されんぞ…」
「いや、あれはマジだね!」
「歓喜余ってる」
いきなり屋上の入り口が開かれたかと思うと、間髪入れずに二人の女子が乱入して来た!
「うぇぐっ……さゆりん、ちゃんみわ…?」
この二人は……確か紫織と一緒にあの女子グループにいた奴ら!
「いやぁアツイ告白だった!自分、この名シーンをスマホに収めやした、ハイ!」
「さゆりん!?」
「…石田氏、しーちゃんがラブレターをすり替えた動画がこちらに」
「ちゃんみわ!?」
「どれ、見せてもらおうか」
「和正ぁ!?」
動画の内容は、俺がトイレに行っている間に教室の外から室内で待っている紫織を盗撮したもので……。
鞄からラブレターを取り出してそっくりの手紙を鞄に入れる紫織の姿がバッチリ映っていた。
それどころか、紫織はその場で俺のラブレターを開封し、読み、のたうち回って悶えていたところまで撮られていて……。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!?」
耐え切れなくなった紫織はとうとう爆発してしまった!
「もう怒った!私、動画絶対消し去るマンだからっ!そのスマホ寄越してっ!」
「うわっ、動画絶対消し去るマンだぁ!」
「……退散」
そう言って二人は屋上を去っていく。
方や紫織は本気で追いかける様子はないようで、ただその場でプンスカしているだけだった。
「………どう?私の演技は?」
「いやもう誤魔化せねぇだろ」
「デスヨネー」
はぁ…と一息付く紫織。
全く、こっちの方が疲れてるっての。
「いつから気付いてたんだ?その……お前にラブレターを渡すって」
「昨日私が、なに書いてるのって聞いたら『ラブレターだ』って答えたじゃない?あそこから」
「最初からじゃねえか!」
「だって本当にラブレター書いてるんだったら、和正絶対に何を書いているのかすら教えないでしょ?でも和正はラブレターと答えた……裏を返せば、ラブレターを書いている事を教えなきゃいけなかったんじゃない?」
「探偵か!」
「ふっ…名女優かつ名探偵なんて、和正の彼女、天才過ぎない?」
「図々しいわっ!」
すっかりいつもの空気になってしまった。
雰囲気もへったくれもない。
くそっ、せめて……せめてキスくらいは俺から…っ!
「……で、この後どうするよ」
「どう、とは?」
「いや……俺たち恋人になったし…その……さ」
「ふーむ…………あっ、エッチな事考えてルゥ?」
「ち、ちがっ…それもいずれ、じゃなくて俺はき、き、ち、チューを……」
「あっ見てみて、私たちの影がキスしてるように見えない?」
紫織は壁を指差した。
ドキリとして壁の方を向く。
しかし、影は既に伸び切っており、影は人の形を保ってすらいない。
「なんだよ、影なんてもぅ……っ!?」
改めて紫織の方を見た瞬間、影は完全に重なる。
俺の唇にとてつもなく柔らかな感覚。
眼前には、目を閉じた紫織の顔。
「…………っはぁっ」
二つの影が離れる。
今までに聞いた事もない紫織の色っぽい吐息。
時間にしてみればほんの数秒。
触れ合うだけの……キス。
「ふふっ………奥手な和正のために、今日からは私が先に始めてあげるっ!」
そう言って紫織は置いていた鞄を持って、屋上の出口へと向かい……
「さっ、帰りましょ!未来の旦那様っ!」
そう言い残して、たったと一人で階段を降りていった。
全く、忌々しい。
お前はいつも俺の先を行く。
俺がやりたかった尽くを先にやってしまう。
だから………俺は紫織が嫌いだ。
俺は、今日も、明日も、いつまでも。
紫織に先を越されていくのだろうか。
…………まぁ、それも悪くない、かな?
「待てよ、紫織っ!」
俺は紫織に早く追い付くべく、今は彼女が通った道を辿る。
でも
いつか、必ず…………。
「……あっごめーん、旦那様じゃなくて奴隷だったね♪」
「…………ふっ、クソがっ」
やっぱり、俺は紫織が嫌いだ。