7・分断
二週間ぶりに自分の部屋で休めたと思ったのも束の間、再び私はあちこちに出向かされるようになった。とある森に大蛇が出たので討伐せよだの、山犬の群れを始末しろだの。
当初こそ賊の壊滅の命令があったものの、今ではほとんどが魔獣への対処に偏っていた。対象を討ち、腑分けして使えそうな部位を確保する。更にはそれらを一纏めにして、わざわざ高価な転送符――貼り付けたものを対の符のある場所へ移動させる魔術具だ――を使って支部へと送り、やっと一連の任務が完了となるのだった。
とは言え、これが果たして本当に転送符を使ってまで回収する必要があるものなのかと言えば、何とも言えない。魔獣から採れる素材は有用なものも多いだろうし、私一人を使って回収できるなら安いものなのかもしれない。けれど、同じようなことをしていた665では未だかつて転送符なんて使わせてもらえた例がなかった。
そもそも思うに、こういう仕事は今までファリシゴでもハプザカナの665に投げていたんじゃないだろうか。正規部隊を使うにはあまりにも割がよくないとかで。私がファリシゴに来たから、ハプザカナに投げる代わりに使おうという判断が下ったとか?
「……ま、考えても仕方がないか」
大蛇の牙、鱗、肉と骨に、それから毒。慎重に素材を選り分けて纏め、予め持たされていた油紙と紐で括る。その上から転送符を貼り付けると符に描かれた魔術紋が輝きだし、次の瞬間には大荷物は忽然と消え失せていた。
目の前にあったものが消える。こればかりは、何度見てもその度に驚いてしまう。
「さて、次の任務は――」
つい昨日、まだこの大蛇討伐任務さえ終わっていないうちから寄越された「次」の命令書。
ヴァスルナ郊外の岩場に繁殖した甲殻魔獣の駆除だとかいう。魔獣と名はついているものの、つまりは大型の虫だ。虫が苦手とは言わないけれど、好きか嫌いかと問われれば、もちろん好きではない。
面倒だなあ、とため息を吐いて戦闘で浴びた埃を払う。大蛇がのた打ち回ったせいで、鬱蒼とした森であったはずの周囲は、薙ぎ倒された木に掘り返された地面にとひどい有様だ。足元の悪い中を四苦八苦して、まずは最寄の村に向かうことにする。
ヴァスルナはここから徒歩で三日ほど。村である程度の食糧や水を確保しておかなければ、目的地に辿り着く前に倒れてしまう。――ああ、そう、倒れると言えば。
「最近、随分と怪我の治りが早い気がすんのよね」
それに、怪我をしてもいつもより痛みが弱い気も。フリートウッド少尉がくれた魔除けのお守りの恩恵だろうか。いや、魔除けは魔除けなんだから、そんな付随効果まではないのかな。
前に少佐の「マーヴィス」の由来を教えてもらった時にも思ったけれど、どうも私はいろいろと知識が足りていなくていけない。練兵所に回収されたのが六歳の時で、卒業したのは十一の頃。練兵所じゃあ、もちろん愛国心を植え付け、兵士として使えるようにする為の最低限の教育以外は行われない。加えて、665に配属されてからは捨て駒な日々だったから、何かを調べたり学んだりする余裕もなかった。
「……我ながら、無知にもほどがあるよねえ」
無理矢理にこぼした笑いは、ひどく乾いている。この特質を持って、こんな風に――無知なりに小賢しく育たなければ、私ももっと早くに死んでいたことだろう。
まだ物心つかなかった子供の頃に遭った災難による僥倖、或いは不運。それがただの呪われ子だった私を、今の領域にまで押し上げた。
「ま、生き延びられるだけ生き延びてみますか」
右手に握っていた剣の露を払い、鞘に収める。
ウタツグミの刻印を施されただけあってか、さすがの逸品だった。大蛇の鱗も牙をもバターのように斬り断った。それでもやはり呪い子に与えるには過ぎた代物だと思うけれど、それだけあの時の少佐はご機嫌だったということなのかもしれない。それなら腕一本犠牲にした甲斐もあったってものだ。
他の誰にどう思われようと構わないけれど、少佐には高評価でいたいもんだしね。
――とは思ったものの、いくら何でも物事には限界というものがあるんですよ。
光陰矢のごとしとはよく言うもので、次から次へと送られてくる命令書の通りにあちこちを駆けずり回っていたら、あっという間に一月すなわち三十日が過ぎ去っていった。支部に戻る暇なんてあろうはずもなく、着の身着のまま戦い続けたお陰で軍服もボロ同然。
街や村への出入りの際に咎められても嫌なので、今ではその辺で買った農民風の作業着で過ごしている始末ときたもんだ。もはや自分は本当に軍人なのかと自問したいくらいである。いや、元々真っ当な軍人なんぞではなかったけれども。
「……いや、でも、さすがにもうちょっと無理」
細い農道を脇に逸れ、手頃な木の陰に座り込んで身体を休める。
フリートウッド少尉にもらった薬も、とうに三本全て飲みきってしまった。二週間前に討伐したドルクス川の上流に棲みついていた水蛇がまた厄介で、左足を三ヶ所にわたってへし折られた辺りからがケチのつき始めだったように思う。その次は草狼の大群を相手しなくてはいけなくなって、そりゃあもうしこたま噛み付かれた。軍服を捨てたのも、確かこの時だった気がする。
私が「不死」なんて渾名されるものでなければ、五回は余裕で死んでいたに違いない。なのに、そんな状況にもお構いなしで命令書は飛んでくる。まあ、あちらは私がどんな怪我をしているかなんて知る由もないんだから当然かもしれないけれど。
先日飛んできた命令書は、また一風変わった内容だった。
ジスァザという村に賊が巣食っている為、潜入して排除せよ。尚、村人は賊の一派に加担しているか、殺された後に成り代わられている可能性が高い。一切の容赦は無用である。――つまりは「村を丸ごとひとつ滅ぼせ」と、暗にそう言っているのだった。
その信じがたい命令が、私の足を一層に重くさせていた。
今までの命令は魔獣の討伐や、完全に賊だと分かりきっている手合いが標的になっていた。けれど、今のこれは「可能性が高い」という断定に至らない言い回しに留まっている。もし、その見立てが誤りであったら。
そう思うと、自然と足は重くなった。村を滅ぼした後で、万が一それが誤りだったと分かったら? 全ての責任は私が負わされるに決まっている。呪い子だから。誰も守ってくれない。守ってもらえるはずもない。
だから、疲れも相俟って、歩く気が失せてしまった。
ジスァザの村には、この林の中の農道をまっすぐに歩いていけば着く。もうそんなに遠くもない。それでも、向かう気になれなかった。
木の幹にもたれかかって、空を見上げて息を吐く。清々しい青が、目に痛いほどだった。
それにしても、少佐がこんな命令を許すなんてね。ミザーゼ山でも近くの村に被害を出さないことを第一にしていたし、私には冷淡だし素っ気もないけれど、普通の国民のことは大事にする人だと思っていたのだけど。いや、少佐もさすがに動揺してはいたのかもしれない。いつもより命令書に添えられた署名が雑だった。
或いは、私がいつの間にか不興を買うようなことをしてでもいたのか。だから諸共に始末する為に、こんな命令書を……? 分からない。何しろ、私は無知だから。今までの何がいけなかったのか、どれが駄目だったのか、見当がつかない。
もしかしたら、私は本当にここで終わりなのかもしれない。心残りは、そりゃあもちろんある。でも、やれるだけのことはやれたのじゃないかという気もした。665にいたままなら、ここまで稼ぐことはできなかった。
父さんと母さんの残りの生涯全てを支えるには足りないかもしれないけれど、でも、きっと役には立つはずだ。私が呪い子なんてものに生まれついてしまったばかりに、ひどい迷惑をかけて、あの後は生きるにも困ったに違いない父母。
せめて少しでもその暮らしが楽になれば。楽にさせてあげられれば。
そんなことを願っているうちに、瞼が閉じた。
泥濘から這い上がるように、意識が浮かび上がる。身体が鉛のように重い。あちこちが痛んで、頭がガンガンした。呻きながら目を開ける。
そうして視界に飛び込んできたのは空でなく緑でなく、どことも知れない部屋の中だった。
「な、に……?」
発した声はガラガラに嗄れている。寝返りを打つのにも苦労した。
右を向いてみれば、木で組まれた壁には青々とした枝葉や色鮮やかな花実を用いて形作られたリース、何らかの薬草の類なのか干した草が吊るされているのが目に入る。左を向いてみれば、ガラスの嵌め込まれた窓から明るい光が降り注いでいた。そして、私はよく乾いて暖かな布団の敷かれたベッドに寝かされている。
訳が分からないなりに考えて、少なくとも確かだと思えるのは、今がまだ昼間だということだ。道端で休み始めてそれほど経っていないのか、逆に一昼夜が過ぎてしまったのか……?
「い、てて……」
寝返りを打つ時の苦労で予想はしていたけれど、起き上がるにはそれ以上の労力が要った。とにかく、あちこちが痛い。身体の動きが鈍い。いくら何でも、これはひどすぎる。行動を阻害するような、何らかの魔術でも掛けられてしまったのかもしれない。
四苦八苦して起き上がってみて、更に驚くべきことに気がついた。くたびれかけていた作業着ではなく、柔らかな生成りのブラウスと長いスカートを着ている。道理で足がすうすうする訳だ。
「誰かに連れてこられて、介抱された……と、思えるような状況ではあるけど」
今一度辺りを見回しながら、首を捻る。治りきっていなかった傷にも、一つ一つ包帯が巻かれて丁寧な手当が施されている。身体がやけに重いことを除けば、およそ敵意を感じない。
ただ、問題は私が何も気付かずにここに寝かされていたという、それ自体だ。
伊達に十年近く捨て駒生活を送っていない。仮に寝ていたって、何かが接近すれば気がつく。それこそ、よっぽど気配を消すのが上手い達人の類であればともかくも。でなければ、何らかの魔術によって眠らされていたか、という選択肢も考えられなくはないけれど……。
いずれにしろ、この部屋の外には誰か――私をここまで運んできて、世話をした人間がいるはずだ。まずはその人物と接触、状況を把握する。剣もお守りも、ありとあらゆる荷物もないから、それも取り戻さなくてはいけないし。
……ああ、そう、お守りだ。あれがないから、こんなに身体が重くなっているのかもしれない。どちらにしても、荷物の奪還は必須だ。
軋む身体に鞭を打って、そろりとベッドから下りる。ベッドの脇には小さなテーブルと、そればかりか律儀に履物も用意されていたけれど、敢えて無視して素足で床を進んだ。扉はベッドの正面に一ヶ所だけ。そろりそろりと近付き、ノブにてをかけようとして――咄嗟に後ろに跳んだ。
部屋の中ほど、ベッドのすぐ前に着地しながら、右手の中に剣を生成する。
その直後、カチャリと音を立てて扉が開いた。
「あら、もう起き上がっていたの?」
私を見て目を丸くさせたのは、四十がらみと見える中年の女性だった。小柄で細身。長い灰色の髪を緩く編んで、胸の前に垂らしている。こちらが剣を携えて警戒しているのが見えていないはずもないのに、青い眼はあくまでも穏やかだった。
どう対応したものかはかりかねていると、女性はたおやかに微笑んで部屋の中に踏み込んできた。その動きに応じて腰を上げ、じりじりと後ろに距離を取る。切っ先こそ向けていないものの、剣も未だに手の中に残したまま。
女性は手にしていたトレイをベッド近くのテーブルに置く。そうしてから、少し困ったような笑顔を私に向けた。
「そう警戒しなくても、と言いたいところだけれど、無理もないのでしょうね。事情を説明しますから、まずはお座りなさい。お腹も減っているでしょう?」
お腹。確かに空腹は感じている。
女性が持ってきたトレイの上には、温かな湯気を立てるスープが載せられていた。それから皮を剥いて切り分けられた、瑞々しい果物も。たぶん、あれはリカナの実だ。病人に食べさせる、お決まりの。甘くて、ほんの少し酸味のある――最後に食べたのは、まだ故郷にいた頃。
感傷か、それとも純粋な食欲か。じわりと口の中に唾が沸いてきて、ごくりと喉が動いた。
「ほら、身体に悪いものも入っていないし」
女性はスープを一口飲み、リカナの実を一切れ食べる。そればかりか、軽く両手を広げて、武装がないことを示してみせた。
「それに、私は武器も何も持っていないもの。仮に隠し持っていたとしても、それを扱う技術がないわ」
女性が身に着けているのは、私が着ているものによく似た、ブラウスと巻きスカート。ざっと見た限り、確かに武器を持っているようには見えない。歩く姿も、特にそういった心得があるようには思えなかった。この分なら、万が一のことがあっても先手は取れそうな気がする。
そこまで考えて、やっと息を吐くことができた。剣を消し、ベッドの方へ歩みを進める。
「では、そこに座ってね」
ベッドが示されたので、大人しく端に腰を下ろす。トレイの置かれたテーブルからは微妙に距離があったけれど、女性は何も言わずに私の傍までトレイを持ってきて、ベッドの上を均してそこに置いた。スープの器とスプーンが差し出される。
「……いただきます」
「召し上がれ」
受け取りながら、ぼそりとこぼした言葉には朗らかな返事。それにどこか後ろめたいような気持ちを覚えながら、スプーンをスープに差し入れる。
黄金色の液体の中には野菜と芋、それから肉らしきものが沈んでいた。表面には細かく刻まれた緑の葉が散らされている。スプーンですくい上げると、ふわりとした匂いが湯気と共に沸き立った。早くも舌が塩気と脂の甘みを想像している。絶対に美味しいやつだ、これ……!
ぐう、とお腹が鳴る。一口食べてしまえば、もう後は止まらなかった。口の中に広がる旨味、内臓が温められてゆく心地よさ。器に口をつける勢いで食べ、飲み干す。
「はい、次はこれをどうぞ」
小皿に盛られたリカナの実が差し出される。薄紅色の果実を、形振り構わず指で摘まんで口の中に入れた。甘い。美味しい。小皿が空になるまでにも、そう長くはかからなかった。
そうして全てを食べつくした今や、私の空腹はすっかり解消され、さすれば逆に自分の取った態度が大変に申し訳なく感じられてくるという次第である。
「ごちそう、さまでした……」
「お粗末さまでした」
項垂れるに近い状態で頭を下げた私の、果汁で濡れた手を布巾で拭いてくれながら女性は微笑む。女性の手には細く薄い傷の跡や、落としきれない土の汚れが見えた。おそらくは日常的に土仕事をするのだろう。前者は収穫したものの葉などで切れたものではないかと思われた。
「さて、それでは事情をお話しましょうね」
「……お願いします」
「ええ。私が道の傍で倒れているあなたを見つけたのは、三日前の昼のこと」
「み、三日前!?」
思わず素っ頓狂な声が飛び出した。一昼夜経過している可能性は考えていたけれど、まさか、そんな三日も!?
愕然とする私の前で、女性は何故か申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「ごめんなさいね、勝手ながら私がそのように仕向けさせてもらったの」
「仕向けたって……」
「私はダルシー、この村で薬師をしています。遠目にもあなたが疲れ果てているのが分かったから、術で眠ってもらったのよ。あちこち怪我をしていたし、五日は目覚めないと見立てていたから、むしろ三日は早いくらい」
「……私が寝ている間、何か鳥が飛んできたりしませんでしたか。巻紙を持った」
「いいえ、そのようなものは一度も見なかったわ」
ということは、次の命令書はまだ来ていないと見ていいのだろうか。ジスァザ村での任務を果たすにあたっては、珍しく期日指定もなかったし――って、いや、まず大前提!!
「あの、ここはジスァザ村ですか」
「そうよ。あなたも、この村を訪ねてきたのよね。そんなにボロボロになってまで、一体どうして? この村にはそこまでさせるほどの特別なものはないと思うけれど」
癒しの泉がある訳でも、貴重な薬草が採れる訳でもない。ただただ普通の、穏やかな田舎の村。
ダルシー婦人は、ジスァザ村をそう形容した。命令書に欠かれていた内容とは、随分と違う。
「……この村が、賊に襲われたりしたことは?」
「私が覚えている限り、ないでしょうね。猪や鹿の獣に畑を荒らされることの方が問題だもの」
何だか頭が痛くなってきた。どういうことだっての、これ……?
「あなたは、この村が誰かに襲われていると言われて、ここに来たの? そんなにボロボロになってまで?」
「半分正解、半分不正解です。ボロボロなのは別件なので」
そこから先を、果たしてしゃべってしまって良いものか。
迷いは多いにあった。けれど、道端で行き倒れていた私をここまで運んで、介抱して、食事まで与えてもらった恩義を無視することもできない。
「別件というと……それは、あなたが『呪い子』と呼ばれる身の上にあるから?」
あまりにも自然に、何の気ない風で投げかけられた問いに、息が止まるのを感じた。