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6・泥濘

 ミザーゼ山の大規模討伐作戦が終了し、全部隊が支部に帰還した翌日は、抜けるような青天だった。

 この日は、朝から戦果の確認から始まる一連の評定会議に出席するよう命じられていた。一抹の億劫さを感じながらも参加すれば、予想した通り最も戦果を上げた個人は我が隊のフェランであるという。そう告げたのは司令の補佐官だったが、その報告が行われた瞬間の司令の憮然とした顔は、奴の作戦中の愚挙への溜飲も下がるほどであった。

 とはいえ、そんな些事などはどうでもいい。問題は、これからは更なる警戒が必要となることだろうことだ。俺を失脚させるつもりの嫌がらせで、かえって俺の部下に手柄を立てさせてしまった。そうともなれば、奴はまたぞろ何か企んでくるに違いない。

 ひとまず、その後も会議は表向き順当に進み、論功行賞も恙なく諮られた。俺も望むだけのものを得られたが、それにはあの娘の働きの寄与するところも大きい。臨時報酬を出してやっても良いかもしれん、などと頭の隅で考えながら、列席していた他の中隊長や大隊長と多少の情報交換を試みた後、会議室を辞去し執務室へと向かう。

「貴様、刈った先から芽を生やす雑草か何かか」

 そうして執務室に足を踏み入れるなり、思わずそんな言葉を発していた。

 その言葉を受けた娘は一瞬きょとんとし、それから呆れたように肩をすくめた。当たり前のように自分に割り当てられた席に座り、五体満足の(・・・・・)身体で(・・・)

「いきなり何です? 随分な言い草でいらっしゃる」

「その腕はどうした」

 先日の作戦の最中に、フェランは片腕を食いちぎられる大怪我を負っていた。山から支部へ帰還する道中も、概ねフリートウッドに担がれて移動していたはずだ。

 それがよもやこの短期間で完治――いや、再生を済ませているとは。いかに治癒の異能があるとは言え、生半には信じがたい。

「治しました。ある程度は治癒速度を調整することもできますからね」

「……代償は。リスクもなしにできることではあるまい」

「ええ、まあ、死ぬほど痛くはありましたね」

 何度か吐きました、とフェランはあっさり言う。

 よくよく見れば、その顔は明らかに血の気がなく、目の錯覚かどうかは定かでないが、やつれているようにも思えた。これが真っ当な部下なら、問答無用で休息を命じているところだ。

「よくもまあ、あれだけ働いた直後で自分を虐める気になるものだな」

 ため息を飲み込み、自分の執務机に向かう最中にこぼす。その視界の端を、皮肉げな笑い顔がかすめた。

「その気になるもならないも、悠長に休んでいる猶予も他に治してくれる当てもないんですから、やるしかないでしょう」

 確かに、その言葉は全くの正論だった。

 その出自がゆえに、フェランが軍から受けられる援助はないに等しい。これまでの運用状況からして、俺がそれを代わりに与えてくれるとも思っていないだろう。――いや、この娘はそもそも始めから(・・・・)誰も、何も信じてなどいないのだ。だからこそ、全てに対して自分を偽り続けた。

 仮にそれが同じ部隊の人員を見捨てることになろうと、無能の烙印を捺されようと。ただひたすらに、自分に課した目的を果たし続ける為に。

 もっとも、俺の直下に配属された時点で、それらの思惑も過去のことではあった。周囲の環境を見た上で、振る舞いを変える程度の狡知くらいは、これにも持ち合わせがあるらしい。

 今のところ、フェランの目論みは成功している。俺にとっての利も十二分に確保されていた。何も問題はない。だというのに、腹の底にはかすかな不快感が漂っている。

 それが何故かということに、俺はひそりと目を逸らした。



 ミザーゼ山の大規模討伐が果たされると、いよいよファリシゴの街では秋の趣が強くなる。

 夏の終わりに山狩りが行われ、その作戦の完遂をもって秋を迎える。直接山に関わることのない街人にとっては、そのように季節の移り変わりを知らせる風物詩の如く思われても無理のないことであるのやもしれない。

 そのような初秋の折から、フェランを名指しにした任務が下り始めた。

 そのどれもこれもがファリシゴの街から遠い僻地であるか、手こずる割に旨味のない魔獣の討伐といったようなものばかりだ。元からして、ファリシゴでも正規部隊を派遣するに躊躇われる難所や難物への対処について、ハプザカナに依頼して665部隊に肩代わりさせていた。

 それらの任務がフェランに押し付けられ始めていることは、もはや明白だった。

「少佐、まずいですよ」

 そんなある日の午前、フリートウッドが深刻げな顔をして執務室を訪ねてきた。

 何がだ、と問い返せば、「トリクスのことです」と言う。同じ年頃の妹を持つ身であるがゆえ、この男が中隊の中で誰よりもフェランに親身であることは周知の事実だった。呪い子を迫害しなければならない法がある訳でなし、別段目くじらを立てるにもあたらないが。

「フェラン?」

「二週間ぶりに顔を見ましたが、ひどかったですよ。白いだの青いだのを通り越して、死体みたいな面構えで。ミザーゼ山の後から休みなしで、ずっと出ずっぱりなんでしょう」

 フリートウッドの言葉に、思わず眉間に皺が寄った。そうである可能性を想定していないではなかったが、実際にそうと聞かされれば忌々しさは禁じえない。

 司令官はよほどあれを潰してしまいたいらしく、この二週間でフェランに与えられた任務は実に五つに上る。次から次へと命令が下される為、街への帰還を待ってもいられない。都度、命令書を伝令鳥で飛ばさねばならないほどだ。その上、どれもこれも達成までに与えられた猶予が短く、任務を終えたその足で次の現場に向かわねばならず休息もままならない。

「ただでさえ腕を治しきるのに消耗した後で、独りで僻地の賊の根城を壊滅させろだの、魔熊を狩ってこいだの、無茶振りが過ぎます。あれじゃ、いくら治るのが早いったって倒れますよ」

「……上からの命令だ」

「その『上からの命令』に大人しく従うようなタマですか、あなたが。――あんな無茶、並の兵士ならとっくに死んでます。俺だって無理です。トリクスは使える兵士で、死ににくい異能を持ってる。だとしても、不死身じゃない。どこかで止めないと、折角の使える駒を下らない妬み嫉みで失うことになる。でしょう?」

 フリートウッドは微塵も目を逸らすことなく、真っ向から俺を見据えて言った。そもそもが決して反抗的な気質でもない。これほどまでに食い下がる姿は、今までに見たことがなかった。

 仕方がない、と内心で息を吐く。

「お前に進言されずとも、いつまでも現状に甘んじる気はない。奴を引きずり下ろす策は巡らせている」

「本当ですか」

「嘘を言ってどうする。――ところで、フェランとはいつ顔を合わせた? あれは今どこにいる」

「ほんの数分前です。今はとにかく寝たいといって、営舎の方に。報告は書面で済ませているんでしょう?」

 ああ、と答えて返しながら、執務机の端に置いていた布包みを取り上げる。椅子から腰を上げぬまま、それをフリートウッドに示して見せれば、一瞬怪訝そうな顔はしたものの、黙って受け取る。

「フェランにそれを渡せ。ミザーゼ山での戦果に対する、臨時報酬だと。それから――」

 ひとしきり追加の指示を連ねて述べる。これ以上の不合理は、さすがに俺とて御免こうむりたい。

「かしこまりました」

 俺が口を閉じると、フリートウッドは殊勝に答え、執務室を出て行った。それを見送った後、いよいよ呑み込めなくなったため息が漏れる。

「早く決定打を掴んでしまわなければな……」


 * * *


「トリクス、起きてる?」

 コンコン、と控えめに扉を叩く音と、呼び掛ける声で目が覚める。窓から差し込む光は薄赤い。昼前にこの部屋に戻ってきてから、すっかり寝入ってしまっていたようだ。

 しかし、「はい」と答えたつもりで、言葉は声になっていなかった。二度三度と咳をして、唾を飲み込んでから「起きてますよ」と答え直す。かすれてはいたものの、どうにか聞き取れる声で喋ることができた。

 まだ疲れの抜けきらない足を動かしてベッドから下りると、寝ている間に蹴とばしでもしたのか、腹の上に掛けていた薄い毛布が足元の床に落ちていた。それを拾いながら、室内用のサンダルを突っかけて扉に向かう。寝起きのままではあるものの、身だしなみを整える気にはなれなかった。

 そもそも、この声の主――フリートウッド少尉には期間直後の凄まじく汚れた姿を目撃されている。それに比べれば、どんな格好でもマシに受け取ってくれるに違いない……と、信じたい。

「ごめん、少しだけで終わるから開けてもらえる?」

 申し訳なさそうに窺う声。それに答える前に、扉を開けた。

「お待たせしました」

 頭を下げてみせると、少尉は「とんでもない」と苦笑を浮かべる。その手には細長い四角のトレイがあった。その上には円筒形の保存容器に、野菜と薄切り肉を挟んだ丸パン、それから何かよく分からない布の包み。包みに至っては、トレイの長辺からもはみ出しそうなくらいに細長い。

「こっちこそ、貴重な休みの最中に悪いね。これ、差し入れ。スープとパンは俺からだけど、布の包みは少佐から。ミザーゼ山でよくやってくれた臨時報酬だってさ」

「それはどうも、お気遣いありがとうございます」

 思えば、この二週間まともに食事もとっていなかった。まあ、その余裕もなかったというか……。

 頭を下げてトレイを受け取ろうとすると、

「あ、ちょっと待って」

 何故か、制止が入った。首を捻れば、少尉は悪戯っぽく片頬で笑ってみせる。

「少佐の臨時報酬っていうの、何か気になってさ。飯の差し入れに免じて、開けて見せてくれない?」

 何だ、そんな話か。思わずつられて笑って、「了解」とトレイではなく、その上の布包みに手を伸ばす。指に触れる感触は、思いの外に硬い。長さはおよそ私の指先から肘ほどか。

 掴んでみれば、棒状でこそあるものの意外と太さがあることが分かる。私の手では大分余る――というか、これは……?

 疑問に思った勢いで掴み取ったものを引き寄せ、一息に布を取り払う。

「剣かあ」

 少尉が「やっぱりね」みたいな顔をして呟く。少佐から受け取ってここまで持ってきてくれたのだから、ある程度推測はしていたのだろう。

 一口に剣と言ってしまえば簡単だけれど、これは随分と上等なもののように思えた。黒塗りの鞘には燻した銀で装飾が施され、何かの鳥らしき模様が彫り込まれている。柄尻にも細工があって、白い玉が埋め込まれていた。玉の内部ではチカチカと光が瞬いていて、訳もなく目を細めてしまう。

「……って、うわ」

 じっと剣を見下ろしていると、少尉がおかしな声を上げた。何かと思って目を上げれば、唖然とした顔で鞘に施された装飾を指差している。正確には、そこに刻まれた鳥を。

「これが何か?」

「何かも何も、これ、たぶんウタツグミ(マーヴィス)だよ」

「何ですって?」

 家名と同じものが彫り込まれた剣だなんて、どう考えても尋常のものでない。どうしてそんなものを、と呟けば、少尉が何とも言えない顔で頬を掻くのが見えた。

「あー……念の為に確認させてほしいんだけどさ、トリクス、少佐の『マーヴィス』の意味分かってる?」

「意味? ウタツグミでしょう」

「うん、それはそうなんだけど。それが何故そう名付けられたのか、そこの経緯までも、ってこと」

 経緯? そんなもの祖先が名乗り始めたとかじゃないんだろうか。

 首を捻って見せれば、再び少尉は苦笑を頬に刻んだ。

「この国の紋章は大鷲だ。その縁で、鳥は他のどんな動植物よりも王室に近しいものとして扱われる。――つまり、鳥に所縁のある名を名乗ることは、王室との繋がりを暗示するんだ」

 急に話が雲の上の世界のことになってきた。呆気にとられた私は、目と口をぱっくり開いて少尉の言葉を聞いていることしかできない。

「少佐の『マーヴィス』は、確か何代か前のご当主が下賜されたものだったはずだよ。その頃の戦争ですごく功績を立てたから、それを称えてウタツグミの姓を許されたとかだったと思う。……その鳥が施された剣なら、たぶん少佐の私物で間違いない」

 そこまで言いきられ、今や私は疲れとは別の意味で目眩がしそうだ。

「少尉、これを少佐にお返し――」

「それは無理。トリクスに渡せって命令されちゃったし」

「即答すぎやしませんかね!」

「だって、トリクスがいりませーんって言いましたなんて報告しに行ったら、俺が怒られるでしょ。少佐はあれで部下の上申とかにも寛容だけど、怒るとアホほど怖いんだから」

「だからって……」

「まあ、トリクスだってよく短剣作って使ってるじゃん。その手間が省けると思えば」

「それにしては、大層すぎるものでしょうよ……」

 とは言え、ここまで言われてしまったら、返しに行く方が面倒かもしれない。

 実際、ここのところの過密任務では、ほんの少しの魔力でさえ温存しておきたいほどの過酷さを極めていた。軍からの支援は元より望めないし、あの少佐が直々に私に渡せと寄越したんだから、ありがたく使わせてもらうとしようか。

「……じゃあ、ありがたく拝領します」

「うん、少佐にはトリクスも喜んでたって伝えておくから」

「それは結構です」

 別に少佐は私が喜ぼうと嫌がろうとどうでもいいだろうし。下手に喜んだと伝えられて、こう、もっと何か寄越せみたいな暗に要求している風に取られても嫌だ。

「ツンケンしちゃってー。……あと、そうだ、これもね。差し入れ」

 ちょっと持ってて、とトレイを示されたので、剣を床に置いて両手でトレイを受け取る。そんな私の目の前で、少尉はごそごそと何やらポケットから取り出す風だった。

「まずはこれ、ちゃんと教会で祝福してもらった魔除けのお守り」

 少尉が掌に載せて差し出してきたのは、ネックレスのようだった。細い鎖に、教会のシンボルが描かれたメダルが通されている。

「それから、これは治癒の魔術薬。飲めば傷が治るし、体力も戻るからね。小分けに三つあるから、変に惜しまないで飲むんだよ」

 ネックレスが首に掛けられたかと思うと、今度は小さな小瓶が三つ差し出された。三つ並べても少尉の掌に収まるほどの小ささ。半透明のガラスの中に、明るい緑色の液体が詰められている。

 回復役もいない単独任務でなら、もちろん薬は喉から手が出るほど欲しい。でも、それは――

「軍の備品なら」

「これはうちの近所の薬屋で買ってきた奴だから大丈夫」

 あっさりと返された言葉には、また別の類の驚きがあった。

 魔術薬は原液に近い――効果が高いものほど色が濃く、値も張るという。小瓶の中の緑は色味こそ明るい風であるものの、しっかりとした緑色がついていた。665にいた時分、仲間内で自腹を切って買っていたものは、ほとんど水のような薄い色のものばかりであったというのに。

「いや、そんな、こんないい薬をもらう訳には」

 そこまでしてもらう理由はない。そんなことまでしてもらっては申し訳ない。

 頭を振って固辞しようとすると、少尉は「これは秘密だけど」と口元に人差し指を立てて片目を瞑ってみせた。

「こいつはどこかの意固地で頑固なえらいひとのお使いで買ってきたものなんだ。だから、君に受け取ってもらえないと行き場所がなくなっちゃうって訳」

 事ここに至り、私の驚きはついに限界を超えた。

 唖然とする私の手の中のトレイの上に小瓶をそっと混ぜ込むと、少尉はにやりとする。

「それじゃ、お大事に。休める間、しっかり食べて寝ておくんだよ」

 私はその言葉に「善処します」と答えるのが精いっぱいだった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 自分のことを駒だと言い切って合理的に動く主人公も、それをもどかしく思いながらもなかなか手を素直に差し伸べない少佐も私の性癖にクリティカルヒットしています。 これからも楽しみにしています。…
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